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フォークの歌姫 本田路津子 HEALING MUSIC GREENDOOR

2014年09月24日 10時59分59秒 | レビュー/感想
フォークの歌姫 本田路津子

まずは懐かしい方である。
以前カレッジフォークで森山良子さんに触れたが、同時期にフォークシンガーとして活
躍された。森山良子さんよりフォークシンガーらしいオークシンガーであった。

当時女性のフォークシンガーといえば、ジョーン・バエズさんが筆頭だったろう。「500
マイル」「ドナドナ」「朝日のあたる家」などメロディラインが心地よく、ギターを抱
えて少し低音気味に歌っていたように記憶している。

バエズは反戦運動にフォーク歌手としての活動に力点を置くようになっていくが、本田
路津子さんは、優しいフォークシンガーであった。詩にはそれぞれ深い意味があるもの
なのでうわべだけでは分からないが、聴く限りでは、感傷的で心の遍歴を歌に託して歌
っているといった感じを持っていた。歌詞も季節感を歌い、聴いていても四季それぞれ
の思いが自然にこめられていたと思う。

本田さんは、福岡県大牟田市出身だが、桜美林大学附属高等学校に入学し、東京都町田
市に単身で転居してくる。その後、桜美林大学に進学した。路津子の名前の由来は、旧
約聖書の「ルツ記」からとったものだそうで、本名である。

在学中からジョーン・バエズに傾倒し、バエズの歌を歌っていたという。CBSソニーから
「秋でもないのに」でプロ歌手としてデビューした。「秋でもないのに人恋しくて・・・
」と歌われるこの歌は、メロディがとても美しく、本田さんの独特の清涼感のある歌声に
マッチしていた。 

「風がはこぶもの」「一人の手」(ピート・シーガーが歌った。原詩は讃美歌)などの
ヒット曲を出し、森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。

彼女はジョーン・バエズの歌をよく歌っていたわけだが、ジョーン・バエズから受けた影
響について聞かれたときに、バエズではないと否定している。
なぜなのだろう?と思う。

私なりには、当時バエズは反戦フォークシンガーとして不動の地位を獲得していた。彼女
は自分もそのようなレッテルをはられるのを、好ましくないと考えたのではないだろうか。

彼女の歌う歌でせいぜい反戦歌に近いといえば、「一人の手」くらいなものである。でも、
これはもともとは讃美歌である。彼女は自分にふさわしい歌を歌いたかった。だからレッ
テルを好まなかったのではないか。

一人の人間として、森羅万象の世界に身を投じる人間として、人にやさしい歌を好んだの
だと思う。

1972年の連続テレビ小説「藍より青く」の主題歌「耳をすましてごらん」も彼女の歌であ
る。誰からも親しまれる歌を歌い続けた。

だが、メディアにはあまり露出しなかった。これほどだたくさんのよく聴く歌を歌ったわけ
だが本田路津子の名は、森山良子に消されていた。なぜだろうと思う。
歌声は天使のささやきのような可憐な声である。今でもこのアルバムを聴くと、青春の葛
藤の日々が思い出されるが、それは苦しみより、穏やかで優しさを思い起こさせることの
ほうが大きい。

今はどんな歌を歌われているのだろう。調べたら、国内外の教会のコンサートなどで神の愛
を歌い、賛美の歌い手として活躍しているという。まさに天使の歌声が協会にこだましてい
る。もう一度聴いてみたい方である。

A面
1 秋でもないのに
2 風が運ぶもの
3 家路
4 一人の手
5 誰かを愛したい(NHK 藍より青く)
6 耳をすましてごらん
B面
1 誰もいない海
2 出発のある人生
3 今日の日はさようなら
4 愛するハーモニー
5 サルビアの花
6 さよならをするために

HP  HEALING MUSIC GREENDOOR




Love Me Lightly 「気ままに愛して」 HMGが贈ります

2014年09月21日 16時54分08秒 | レビュー/感想
Love Me Lightly 「気ままに愛して」

今月はあと1曲ほど作りたいと思っているが、もしかしたらこれが今月最後の曲に
なるかもしれない。

120BPMnテンポとフラメンコのリズムに、ディスコハウスの音源を主に載せている。
気ままな、軽口を叩くように、作っている。

思えば、深い考えもなく、ありったけの音源を駆使して曲を作り続けている。そろ
そろ元に戻りたい気もする。

だが、ここ1カ月は本当に楽しめた。できそうにもない様々な曲にチャレンジをし、
それなりのものもある。自分がお気に入りもたくさんできた。

RESTORATION64曲、目標にはすでに到達したと思う。また、新たな出発を目指すつ
もり。本当にHealingなMusicを目指していこう。

明日は沢を歩いてくる。1年ぶりになる。秋も近付いている。紅葉はまだだが、ロ
マン溢れる季節を目の当たりにして、気分も一新したいものだ。

どうぞ下記のmp3の曲名からダウンロードをして下さい。レコードのレビューは、
しばらくはまだ続けます。お楽しみに。

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mp3   Love Me Lightly


モン チェロ協奏曲ト短調 HMG

2014年09月21日 12時33分47秒 | レビュー/感想
モン チェロ協奏曲ト短調

まず、モンのこと。あまり詳しくは知られていない。

ゲオルク·マティアス・モン (1717年~1750年)オーストリアの作曲家、バロックから古典派
時代の端境期に活躍した音楽家である。

彼はオルガニストとして知られていた。彼の兄、ヨハン・クリストフ·マン(モンと間違えら
れがいた。?)理由は、年代的に兄弟の残した曲が、入り混じっているためらしいい。

定かではない作品もあるようで、兄の作品といわれているものが、弟のモンの作品である可能
性がある。兄は交響曲の先駆者とされているが、再評価の可能性がいわれているようだ。

バロックから古典へありながら、モンの作品、とくにこのチェロ協奏曲は、同時代のレオポル
ド・モーツァルト 、モンを徹底的に研究していたオーストリアの作曲家が述べているように、
形式的なよりシンプルで優雅さと華やかなバロック様式の音楽でありながら、それらは新たな
ソナタ形式をテーマとして作られるなど、バロックの域を拡大させたからである。

ヨーゼフ·ハイドンが、さらにソナタ形式を発展させることになる。

マティアス・モンによって書かれた作品は、16の交響曲が含まれている。カルテット、ソナタ
など大衆向けの作品が多い。モンによるチェンバロ協奏曲などもある。
アーノルド·シェーンベルクのためのチェロ協奏曲をパブロ·カザルスが演奏したが、二長調の
モン/シェーンベルクのチェロ協奏曲は、ヨーヨー·マと他の多くのチェリストも手がけた。


モンはウィーン楽派と呼ばれ、バロックと古典派の間にあって、同時代のイタリアとフランス
(ロココ様式)、ドイツ(多感様式)の諸様式を、この都市に特有の気質をもって生き生きと媒介
し、古典派に受け渡した点で意義がある。

作曲家としては、クラビア作品によってモーツァルトに影響を与えたワーゲンザイルとシンフ
ォニア史上重要なモンが両雄ということになる。前古典派のモンは、ウィーン古典派の大家た
ち、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン(さらにはシューベルト)らによって総合され高度
に発展させられることになる。

このレコードは、ARCHIV PRODUKTION ドイツ直輸入版である。1969年代、日本ではほとんど無
名に近い作曲者であったと思う。レコードも手に入りにくかった。取扱業者も少なかったと思
われる。

私は偶然にこのアルバムを店頭で手にした。チェロ協奏曲というだけで、モンのことは何ひと
つ知らずに手に入れた。聴いてみて驚きを隠せなかった。

ヴァロックから古典派、とんでもない、音楽的にはロマン派の様式、音ではないかと思えるほど
自由闊達で、メロディアスで、優美さと心そのものが音として表現されていると思った。

とくに、出だしは秀逸である。このモンのチェロ協奏曲は聴いた人すべての心を虜にするだろう。
それだけ素晴らしい曲である。まだ、チェロ協奏曲としての形式が定まっていない時期であり、
音楽的には短く、楽章の形式も定まっていない。だが、一聴の価値があるチェロ協奏曲である。

オーボエ・ファゴットのための協奏曲も素晴らしい。ベート-ベンの前にモンのような作曲家が
いたこと、知り合えてよかったと思ったことを覚えている。

ARCHIVレーベルは今でもあるのだろうか。
モンの曲はCDで手に入ると思う。是非お聴きください。

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彼は音楽界の大先駆者である。

岸洋子リサイタル盤LP 愛あるかぎり HMG

2014年09月20日 12時50分46秒 | レビュー/感想
岸洋子リサイタル盤LP 愛あるかぎり

岸洋子さんは好きな歌手です。
このリサイタル盤は1969年の発売ですが、すぐに手に入れました。
いま、このレコードのCDは見当たらないようです。もちろん収録されて
いる曲は別アルバムでも当然使われているかもしれませんが、これほどオリジ
ナル曲を含め、多彩な曲を歌った歌集はほかにないのではと思います。

岸洋子さんといえば、シャンソン歌手、あるいはカンツオーネ歌手とお思いだ
と思われるかもしれませんが、この歌集を聴くと、そんなイメージはどうでも
よくなります。みなオリジナル曲に聞こえてきます。

ロングドレスを身にまとい、お下げ頭のお嬢さん、ですが若くはない歌い手
が普段はどこにでもいそうなおばさんが、大変身を遂げる。そして朗々と、愛
の歌を歌う。これはドラマであり、まさにエンターテイメントの真骨頂だと思
います。

彼女の曲は、それがメジャーであろうとなかろうと。彼女自身の曲のように聞
こえる。彼女しか歌えない歌を歌っているからです。でもどこかで聴いている、
いや、聴いたことがある曲ばかりなのです。

日本人の作詞作曲した曲も収録されていますが、まさに、岸洋子ここにあり、
岸洋子さんのために作られた曲といった感がする曲です。

岸洋子さんは歌唱力もあり、声も独特の寂寥感があり、心にしみるものがあっ
た。かなわぬ恋心を歌う、高温部のよく通る声、ハスキーが混じった中低音部
の声、それが見事に調和した歌声であり、女心(といっても私には未知数では
あるが)が十分に伝わってきたものだ。

病気がなければもう少し長く活躍されたであろう。残念でした。

恋心や希望、夜明けの歌などがヒットし、彼女本来の歌が生かされてこなかっ
たという気がする。ヒット曲は幸せだったかもしれないが、一般の聴取者から
すれば、他のもっとよい曲が聴ける機会が減ってしまった。不幸なことであっ
たともいえる。

しかし、彼女の本領はリサイタルにあり、その意味で通好みの歌手であった。

永遠に忘れられぬ歌手、それが岸洋子である。

収録曲
SIDE1.

夜のメロディ
LANUIT
岩谷時子・詩S.Adamo・曲南安雄・編曲

この頃あたしは
永六輔・詩 中村入大・曲 南安雄・編曲

一本指のシンフオニー
MA PETITE SYMPHONIE
和田誠・詩 J.Winn・曲 南安雄・編曲

愛の生命
LA VIE DANS LA VIE
岩谷時子・詩 E.Macias・曲 東海林修・編曲

ラスト・ワルツ
THE LAST WALTZ
松島由佳・詩 L.Reed, B.Mason・曲 中村五郎・編曲

わかっているの
JE LE VOIS SUR TON VISAGE
永田文夫・詩 E.Macias・曲 南安雄・編曲

心の歌をきいてると
EN ECOUTANT MON COCUR CHANTER
和田誠・詩 Jamblan・曲 南安誰・編曲

SIDE2.

愛あるかぎり
岩谷時子・詩 いずみたく・曲 南安雄・編曲

私の回転木馬
MON MANEGE A MOI
藤田敏雄・詩 N.Glanzbery・曲 曲南安雄・編曲

枯葉
LES FEUILLES MORTES
Jacques Prevert・詩 Joseph Kosma・曲 曲南安雄・編曲


藤田敏雄・詩 南安雄・作・編曲

ラ・ラ・ラ
LA LA LA
保富康午・詩 R.Arcusa・曲 中村五郎・編曲

今宥あなたが聞く歌は
STANOTTE SENTIRAI UNA CANZONE
音羽たかし・詩 Bracardi・曲 中村五郎・編曲

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フィリップ・ジョーンズ ブラス・アンサンブル 「展覧会の絵」 HMG

2014年09月19日 17時33分48秒 | レビュー/感想
フィリップ・ジョーンズ ブラス・アンサンブル 「展覧会の絵」

ムソルグスキーの「展覧会の絵」はリアリズムの音楽としてあまりにも有名である。一たび
この音楽を聴けば、あたかも自分が仮想の展覧会へ出かけ、絵を鑑賞している気分に浸れる。

吹奏楽といえば、先日、ギャルドの紹介をした。なんだかんだ言っても吹奏楽は行進曲のイ
メージが強い。

しかし、このフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルは、ただの吹奏楽団ではない。
オーケストラと同じように、あるいはそれ以上にオーケストラでは引き出せないブラスの音
で管弦楽曲を演奏するようなものである。

とにもかくにもレコードを聴くべし。聴いた後で驚きの声を上げるのは分かりきっている。
それだけフィリップ・ジョーンズのブラスの響きは感動的なのである。

普通は吹奏楽といえばフルートやサキソフォン、クラリネットなどを使うのが定番だが、い
わゆる木管楽器だがこの楽団は木管など一本も使っていない。20人編成、パーカッションも
含めてすべて金管楽器で演奏している。だが、その音たるや、木管楽器、弦楽器以上の繊細
さと無色透明な音を聴かせてくれる。言われなければこれが金管とさえ分からないほどの
「冴え」なのである。

金管楽器は高温部になればなるほど、金属的な音を出すものである。だが、唇一つで金属的
な音はどこかへ行ってしまう。このブラスアンサンブルの魔術がここにある。

とくにムソルグスキーの展覧会の絵は、まさにこのブラスアンサンブルのために作曲された
ようにさえ思う。それだけこの曲とアンサンブルのマッチングが素晴らしい。管弦楽とは全
く違った印象を受ける。

ブラスだけのこのようなたえなる音を響かせる楽団が存在する。天から与えられし音を持っ
た天世の楽団だと思う。

迫力満点でありながら、繊細さを見せる演奏をぜひ聴いてみてほしいものである。レコード
がなければCDでも構わない。ぜひともお勧めの一曲である。

曲目
1 こびと
2 古城
3 チェイルリー
4 ビドロ
5 殻から出切らないでいる雛の踊り
6 サムエル・ゴールデンベルグとシュムイーレ
7 リモージュの市場
8 カタコンブ 数曲
9 ババ・ヤーガの小屋
10 キエフの大門

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ドヴォルザーク チェロ協奏曲 セルとフルニエの共演 HMG

2014年09月18日 10時30分28秒 | レビュー/感想
ジョージ・セルとフルニエ 永遠の二人

ドヴォルザーク チェロ協奏曲ロ短調

私がクラッシック音楽を聴くようになったのは中学生のころからだ。ノイズに入る
ラジオに耳を当て、NHKのクラッシック・アワーなどを夢中で聴いていた。

指揮者が誰とか、演奏家が誰とかはどうでもよく、オーケストラの調和のとれた音
楽が耳に心地よく響いていたのだと思う。S盤アワーだとか、ユア・ヒット・パレ
ードとか、今でいうポップスとか、映画音楽もよく聴いていた。

田舎なのでよくフェージングが起こって、音が聞こえなくなったりして聴くのをあ
きらめたりすることもあった。

私が勤め始めてた1967年ころには、世の中にステレオの再生装置がはやり始めて、
上質(今でいえばひどいものであったかもしれないが、当時は最高の音だった)
の音楽を聴くことができる時代に入った。

ステレオの一大ブームが沸き起こっていた感がする。私がせっせとレコードを買い
集め始めたのもこのころである。1960年代から1970年代にかけてのレコードが最も
多く持っている。

ジョージ・セルはLP盤オーケストラの中で最もたくさん持っている指揮者である。
クリーヴランド管弦楽団の常任指揮者となってからのものである。当時全く無名の
地方の交響楽団を世界的に有名にした指揮者である。

解説にもある通り、厳しい練習で有名だった。だが、クリーヴランドの音は、透明
感があり、飾りを捨て去り、作曲者の意図に忠実に音楽を再現する指揮者であった
と思っている。その澄んだ飾り気がなくても心にしみる音楽が心地よかったのだと
思う。

このレコードは、ピエール・フルニエがチェロを弾いている。当時最も好きだった
チェロ、それもフルニエであったことが、レコードを買い求めた最大の理由だった。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲はチェロ曲の至宝である。ブラームスが「もしこの
曲をもっと早く聴いていたら、自分もチェロ協奏曲を作りたかったに違いない」と
言わしめたそうである。

私もこのレコードを機に、すべての市販されているチェロ協奏曲を手に入れた。す
べてのチェロ協奏曲を好んでいるが、このレコードは別格である。

今ではCDという便利なものがある。レコードにはCDでは表現できないものがあ
る。音の良さとは何だろうか。答えはレコード盤を聴けば自ずとわかることである。

解説は、小林利之さんの一文をいかに掲載させていただいた。

ピエール・フルニエ(Pierre・Fournier)は、コルシカ総督をつとめた将軍を父とし、
ピアニストの経歴を持つ母に幼時からピアノをまなんだ。少年時代'に小児マヒにか
かってピアノが弾けなくなり、チェロに転向するが、こんどは片足を切断するとい
う悲運に見舞われた。

フルニエは云う。「私は、自分の肉体的な悪条件に、小さいときから闘わねばなら
なかった。そのせいか、他の人よりも忍耐強くなった。早い話が、一歩進むのも、
他の入のようにはいかない。杖にたよ.って、前後をよ.く見なくてはならぬ。そこ
から、自分の仕事に対して、ひとっの哲学が生まれた。

急ぐということを拒否し、時間を無視して、するだけのこと、できるだけのことを
やろうと言う……」フルニエが、若いころから、功をいそがず、自己のペースで、
自分の歩みを常に見きわめながら進んできた結果が、現在の境地なのであった。


ジヨージ・セル(GeorgeSzell)は、ブダペストに生まれ、ウィーンにまなんだハン
ガリー出身の指揮者。リヒャルト・シュトラウスに認められて副指揮者となって、
ドイツの主要な歌劇場や交響楽団で認められ、アメリカ滞在中、第二次大戦がはじ
まった。

戦後、クリーヴランド管弦楽団の常任指揮者となり現在にいたっている。ベルリン、
アムステルダム、ロンドンなどに毎シーズン客演して、簡明直裁をきわめた、きび
しい造型力と鋭い音楽の表現力に秀いでた指揮ぶりを高く評価されている。

セルのオーケストラの統率力と演奏の完壁性への要求は、かつてのトスカニー二に
ならぶきびしさであると云う。このレコードの録音に際しても、あのベルリン・フ
ィルをもってして、なおセルの意をみたすには、たび重なる猛練習が敢行されねば
ならなかった。当時、ベルリン・フィ/レのメンバーは、セルという名を聞いただ
けでふるえあがり、「ナチの第三帝国はクリーヴランドに移って現存する1と、冗
談まじりに云ったそうだ。

このレコードの出来ばえをきけば、それもなるほどと思える話である。
(解説:小林利之)

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太陽がいっぱい アラン・ドロン 世界の恋人

2014年09月16日 22時48分27秒 | レビュー/感想
太陽がいっぱい アラン・ドロン 世界の恋人

チャールズ・ブロンソンは、「ウー・マンダム」コマーシャルセリフで有名になった。
狼の挽歌シリーズは多いに当たった。だが、それは晩年のことである。それまで彼は
不遇だった。

アラン・ドロンはすでにスターであった。「太陽がいっぱい」は彼のその地位を不動
にした作品であるが、空前の大ヒットとなり、映画スターの寵児となった。その後、
ダーバンのコマーシャルで大いに稼ぎまくったことだろう。

数年前、久しぶりに彼のTV作品を見た。題名は忘れてしまったが、懐かしさはあっ
たが、往年の美男子も、年齢には勝てないと感じたものだ。

彼の作品には、著名な役者が多数出演している。ジャン・ギャバンの「地下室のメロ
ディ」、リノ・バンチュラの「冒険者たち」、「ボルサリーノ」では、ジャン・ポー
ル・ベルモンド等である。

どちらかといえば、ドロンより脇役、ジャン・ギャバンなどは大御所すぎて失礼ない
い方であるが、のほうに好きな俳優がいる。地下室のメロディのジャン・ギャバンは
すごみさえ感じた。

その代表格は、リノ・バンチュラである。冒険者たちは男女3人の友情に心がうたれた
ものである。リノ・バンチュラの映画はことごとく見ることとなる。ジャン・ギャバ
ン亡き後は彼がフランス映画を代表とするスターであった。

小太りで、背も低くユーモラスな演技、声が良かった。

このアルバムはもちろんアラン・ドロンのために発売されたものである。

フランス映画はアメリカ映画と違い、演技が細やかである。派手なアクションもたくさ
んあるわけでもない。フランス語は愛の言葉である。映画にもそれが合う。アラン・ド
ロンは当時の著名な映画監督、ルネ・クレマン、文豪のジャン・コクトーなどに見いだ
され、持ち前の優美な顔が映画の大スターへの道を歩んでいく。時期が良かった。スタ
ーになれるかは、その時代すぐれた映画監督がいるかにかかっている。運も味方である。

アランは、私には太陽がいっぱいではじまり、太陽がいっぱいで終わった俳優のような
気がするのである。大いに映画を楽しませてくれた。感謝したい。

収録曲は
A面
1 リスボン特急
2 さらば友よ
3 太陽はひとりぼっち
4 レッド・サン
5 地下室のメロディ
6 アラン・ドロンのゾロ
B面
1 ボルサリーノ
2 燃えつきた納屋
3 サムライ
4 冒険者たち 
5 シシリアン
6 太陽がいっぱい

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