あるがままに高齢を生きる! シャンソン、菜園とともに・・

予測不可能な未来のドラマに期待を寄せつつ、明日を見つめてまだまだ濃い時間を紡げたらとブログを書き続けます。

雨のなか菜園の草刈りを頑張りました。

2018-09-29 19:51:04 | 日記
テレビが強い台風のニュースを報じていますが、こちらは殆ど小雨が降り続いています。


ジャングル化している菜園の草を刈るべく、百円ショップで買ったレインコートに身を包んで頑張りました。続く雨で草たちが同じ方向に倒れていて、刈るには好条件です。

延べ3日、少しづつ刈った濡れた草がごみ袋9個になりました。腰は痛くなるのですが、隠れていた諸々が姿を現して楽しい作業です。

20坪ほどの菜園の3分の1ぐらいの地面が見えてきました。


11月に東京から帰省する娘に食べさせられるように、間に合うものの苗を買ってこなくっちゃ! 種を蒔いても間に合わないので・・。

明日はちょっと離れた美容院に髪を切りに行くので、その帰りに。


その明日は、台風の影響があるようなことが言われていますが、どうぞ大したことがありませんように!

健康オタクに固執しながら、生涯現役の旗印を掲げ続けるつもりです。

2018-09-25 06:11:00 | 日記
私は長年の健康オタクです。 

テレビの医学、健康番組は欠かさず見ます。書店でもその類の雑誌を毎月買っているんです。

健康器具もいろいろ揃えていますが、先日買ったNHKのガッテンの番組をまとめた「最高のラク効く体操」が気にいって、それを実践しています。

頑張るのではなく、いつでもどこででも出来る簡単体操です。

長い間多くの運動を試しつづけてきた者にとって、これ以上効率的で楽な体操はないと気にいって行っています。


介護に関わっていると、マイナーな気分になりやすいし、運動もなかなか出来にくいのでこの本はチョコチョコ時間に最適だし苦になりません。


昨夜東洋医学がテーマのテレビ番組を見ながら、これも先日買った「足をつまむとてこずる病気が治る」も、鍼や灸などと同じ原理ではないかと気がつき、さっそく活用することにします。


「100歳までボケない101のレシピ」なるものもあるし、これで私は100歳まで完璧!


要介護の夫を反面教師として、生涯現役の旗印をかかげながら、お勤めはお勤め、楽しみだって生き甲斐にして絶やすことなく、未来に向かって歩み続けることにしましょうか!

要介護の夫の最善について・・・。

2018-09-24 06:57:39 | 日記
「おはよう」「おはよう!グーテンモルゲン!今からトイレに行ってきます」「あっそう、行っトイレ」「はい」

毎朝一番の夫婦の挨拶です。

曲がりっ放しの腰を支えるための杖をつきながら、明るいスタートです。

足腰の状態がいつまで続くのか、予測がつきません。


手帳を見ながら、「今日は行かなくていい日なんだね」「そうでーす」「あぁよかった、今日は春子さんと一日ずーと一緒!」。デイケアの休みの日です。

だからと言ってデイケアに出かけるのがとても嫌と言うわけでもなさそうです。新しい環境に慣れるのに時間がかかっただけで、現在は施設でのカラオケその他をうんと楽しんでいるようなのです。

しかしよく観察していると、曲がった腰が痛くてずいぶん我慢しているのだというのが分かります。

我が家では一日中ソファーに腰かけて、テーブルに置いたクッションに足を乗せて寝そべったような格好で過ごしていますので。

周りにテレビのチューナー、新聞のテレビ欄、ティッシュ、時計、タオル、薬箱、などをはべらせて、殆どテレビを観ているか、眠っているかなのです。


何れ歩けなくなるのが目に見えていますので、早々に次の計画にかからなければなりません。

施設で周りの人に合わせて過ごすのが苦痛になるのなら、家で面倒をるのが本人にとっては一番いいわけで、ならば私が身を削るしかないか、と考慮中なのですが・・?!

私の人生の残り時間を、シャンソンに捧げるには?

2018-09-21 15:49:35 | 日記
レッスン終了!

我が家でのレッスンは、小人数であるが故にキリリとしまって進行します。「上手に歌おうとしないで!」言葉優先の曲ではこの檄がとびます。作りごとは一切禁止です。

フランス語で歌われた曲を日本語で歌うのです。当然フランス語と日本語のイントネーションが異なります。


日本語を使って日本人の前で歌うときに、フランス語のために作られた音符がしばしば邪魔になるのです。日本語を最優先させるためにやむを得ず音符を修正、或いは無視をします。

シャンソンを歌う場合には、この勇気が必要なことが一部のプロの歌手たちも実践していることでも明白です。

そして初めて、歌い手と聴き手が曲を共有しシャンソンの世界をを理解し合うのです。


フランス特有の歴史のなかで歌いつがれて来たシャンソンを理解するには、如何に歴史と言葉を理解することが大事なことか?


私の残り時間を、シャンソンのためにどういう風に捧げつくすか! 試行錯誤の戦いは続きます。


 







私の人生最後の正念場を、シャンソンで描きながら埋めて生きます。

2018-09-15 06:34:10 | 日記
昨今はレッスンの合間、終了後の雑談の中から感じることが、増えていくのを感じます。

昨日も「残り9年半」という言葉を連発したことを思い出し、就寝前に苦笑してしまいました。そう、私がシャンソンに関わる残り時間のことです。


戦後73年の月日は、私にとって強烈な新しさへの挑戦の連続でした。

幼少の頃には望んでも叶わないどころか、望む材料すらない時代を過ごしていましたからね。

いつも戦争の匂いのなかで、日本が諸外国に勝つことが大前提のなかで過ごし、国の方針に逆らえば「非国民!」というレッテルを貼るれる時代でしたから。



新しい時代を与えられての73年です。今更高齢を迎えたからと言って背中を見せるわけにはいきません。

でも若い時のように、複数のことを同時に行うエネルギーはさすがにありません。

そこで、最後の生き甲斐となっているシャンソンを、私の新しい解釈でどう表現し継続していくか!


これからまた、私の多分最後の正念場となる新しい時間を、紡ぐことになるのです。

せっかく与えられたこの時代の、百年という貴重な時間を濃密に・・・!


あぁ!眠れない!!