あるがままに高齢を生きる! シャンソン、菜園とともに・・

予測不可能な未来のドラマに期待を寄せつつ、明日を見つめてまだまだ濃い時間を紡げたらとブログを書き続けます。

名前について

2018-02-27 06:44:08 | 日記
寒さも和らいだ感じで、気がつくとあと二日で3月です。なーんだか晴れやかな気持ちになりますね。


私の名前は春生まれで「春子」。

昔知り合った友人に、「私の親は怠慢で、私は春に産まれたから簡単に春子とつけたのよ」と告げました。

その友人は言いました。「私の親はもっと怠慢よ。私が真夏に産まれたから、セイカ!」


彼女の昔の恋人はアメリカ人で、挑戦戦争で亡くなり、現在はアメリカ人と結婚してハワイに住んでいます。


私は「春子」という名前が大好きで、春がもっとも似合う性格だとまわりの人々に言われて気にいっていますし、セイカちゃんはアメリカ人との縁が深くて、日本でのフルネームのサインはカタカナ明記で都合がいいし、なんだかんだと言いながら、両方の親は何と先見の明があったことか!



ブラボー! オリンピアン!!

2018-02-26 07:52:24 | 日記
突如としてパソコンのインターネットがつながらなくなって二日が経ってしまい、仕方がないのでベスト電器に相談に行こうと決めて、念のため開いてみたら繋がっていました。今朝です。


やっとオリンピックが終わり、ホッとしています。期間中家の仕事をしようと思っても、つい興奮したり緊張したりと家事どころではなくなり、疲れ果てました。

でも素晴らしかったですね。出場者がオリンピックというその場を体験するだけで、人間として驚くほどの進化を遂げていく過程は、感動無しには見過ごせませんでした。


アマチュアの私でも、全国レベルのタイトルを取るためには、吐きそうになるほどの練習が必要だったのですから。

勝った選手には今後の人生で、精神的にも今の地位を維持し続けるか、もっと高みを目指すか、厳しい選択が待っているでしょうが、努力をし続ける人生であって欲しいと念じてやみません。


ブラボー! オリンピアン!!

スポーツの行方は? 歳をとっている暇なんてない!

2018-02-22 22:20:46 | 日記
毎日オリンピックの大方の種目を見ようとすると、かなりの時間がとられてしまいます。見ていて飽きないのです。

アスリート歴延べ30年のキャリアをもつ私としては、いつの間にかビデオの中の選手とともに戦っていて、疲れてしまいます。でもそれが楽しいですねぇ!


パシュートの金メダルは、初めて見た競技のせいもあって、感動して涙が出そうでした。能力の高い個人のグループよりは、仲間の信頼、協調、訓練の結果が金メダルにつながったということが、素晴らしいドラマを生みました。社会の縮図をみているようで生きる上での指針になりました。


スポーツは運動神経がいいから優秀な選手になれるわけではないのです。最後に勝って残るには頭がよくないと無理だと思っています。決して教科書の上でのそれではなく・・。
現在は機器を使って科学的な分析の上、理論を組み立てて練習を行うので、指導者の頭脳が必要になっていますね。

今後はAIの協力を得て、どんな風に進化していくのか楽しみでもあり、恐ろしささえ感じてしまいます。スポーツの世界だけではなく。


当分は私も、明日への夢をつなぐ行為を続けたいと、切に願っているところです。

今日の午前中は、気持ちのいい晴れの陽だまりにいます。

2018-02-20 11:41:07 | 日記
雨が降った次の朝の菜園は、何だか緑が生き生きとしていてこちらも心が弾みます。

草取りをしながら、霜でやられたセロリの葉っぱの間から、新しい芽が噴き出ているのを見つけた時の感動は、もうそれほどの輝かしい未来を待っているわけではないのに、私の明日に思いがけない輝きを垣間見る感じがして、飛び上がりたいほどの喜びです。

毎年のことだけど、様々な鳥たちが葉を食べてしまうせいで、花芽の成長が遅れるブロッコリーの収穫後に、周りを囲むように出てくる小さな花芽の収穫も結構楽しいものです。ただ、虫くいの葉っぱの上にウンチをしてるのよね! それでも、おいしくて楽しくて、食い尽くすほどに穴をあけた葉とその上のウンチが可愛くて、つい笑ってしまいます。

認知症の夫が鳥を見たときはいつも、「ほら、また鳥たちが春子さん、春子さんと呼んでるよ」と言うのを聞いていると、共存していることを認めないわけにはいかないようです。


夫のお気に入りの杖がいつのまにか無くなったので、風食後に買いに行きます。


帰ったら二十日大根とバジルの種を蒔かなくっちゃ!

それから春のライブの練習もね。介護のせいにはしたくないので・・。

生涯現役のシャンソン人生が、私の周りを埋めつくしてくれています。

2018-02-15 10:23:07 | 日記
過去に、特に戦後シャンソンのブームというのが何度か訪れましたが、現在では日本のなかですでに定着しているかのような感じがしています。

全くブームとは関係なく、フランスの歴史に裏付けされたシャンソン独特の世界が、日本に於ける音楽の一分野として、この日本に存在し続けるのではないかと思えてなりません。。

フランス人の歌うシャンソンは、乾いているように聴こえますし、日本人が歌うそれはウエットです。それは多分その国の気候に関係があるのではないかと、長いあいだ考え続けてきました。。

ですから日本のなかで歌われるシャンソンが、日本独特の感性で歌い続けられることに何の違和感もありません。


時間の経過とともに変化、或いは進化するシャンソンと、生きているあいだ関わり続けたいと切に願うばかりです。


そして、先の見えない老老介護の最中にも、バラ色のシャンソン人生が、私の回りを埋め尽くしてくれています。