(①からつづく)
日曜日の試合、1Qは正しくパニックだった。子どもたちの心の中は一体どうなっていたのだろうか?
どこを見ても相手がいる。どこに投げても相手に奪われる。焦るほどに足が前に進まない。こんな気持ちを一緒に感じていただろうか?
一方的だった、パニックになった1Qを見て「こら、何をやってんだ!」、「しっかりしろ!」なんて、あの場では意味のないことを口走ってはいなかったろうか?と自問してみる。
子どもたちが受け止めるに十分な余裕が残っているのならば、時として発破をかけることに意味もある。
しかし、川で流されている子どもに「何で溺れているんだ」と声をかけても、意味がないどころかパニックを増幅させるだけだろう。
共に「チーム」としているわけだから、ベンチの選手もコーチもギャラリーの応援団も心はひとつであるべきで、共にゲームに臨まなければならない。
子どもの心を感じたならば、それが厳しい情況にあるならば、共にそこから抜け出す術を探し当てなければならない。
さて、自分はどう対処していただろうか?実は、ゲームに入り込んでいて良く覚えていない。情けないコーチでもある。でも、振り返ることと、学ぶことは忘れずにいる。きっと、頑張るから。
“And if you play basketball you're my friend”
Copyright (c) 2009 TEAM-HARAYA All rights reserved.
日曜日の試合、1Qは正しくパニックだった。子どもたちの心の中は一体どうなっていたのだろうか?
どこを見ても相手がいる。どこに投げても相手に奪われる。焦るほどに足が前に進まない。こんな気持ちを一緒に感じていただろうか?
一方的だった、パニックになった1Qを見て「こら、何をやってんだ!」、「しっかりしろ!」なんて、あの場では意味のないことを口走ってはいなかったろうか?と自問してみる。
子どもたちが受け止めるに十分な余裕が残っているのならば、時として発破をかけることに意味もある。
しかし、川で流されている子どもに「何で溺れているんだ」と声をかけても、意味がないどころかパニックを増幅させるだけだろう。
共に「チーム」としているわけだから、ベンチの選手もコーチもギャラリーの応援団も心はひとつであるべきで、共にゲームに臨まなければならない。
子どもの心を感じたならば、それが厳しい情況にあるならば、共にそこから抜け出す術を探し当てなければならない。
さて、自分はどう対処していただろうか?実は、ゲームに入り込んでいて良く覚えていない。情けないコーチでもある。でも、振り返ることと、学ぶことは忘れずにいる。きっと、頑張るから。
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