「コーチ、東京オリンピックでバスケやらないんですか?」
「そんなことないよ。バスケをやらないオリンピックなんてないさ。」
「そぉ、良かった…。なら、見に行こ!」
「見に行くんじゃなくて、オリンピックに出られる選手になればいいじゃん。あ、でも、その頃はまだ高校生か…。オリンピックに出るには少し早いかもね。それじゃ、見に行こう。一緒に行こう。」
今から20年前の1996年、日本バスケットボール協会への競技者登録数は1,008,822人だった。これはあくまで「登録」している競技者の数だ。そして、わずか4年後には499,743人となった。4年間に競技者が半分になるはずもない。つまり、これは「登録」者数だ。
2000年は登録制度が改定され、個人登録制度が導入された年だ。
大人はもちろん、全学年ではないものの小学生までが個人登録費を払わなければ協会が関わる大会で試合に出場することができなくなった。
競技登録者数の半減の原因は疑うまでもなく新制度導入に反発するもの。日本中のバスケ愛好者がバスケと自分との間に線を引かれたと感じた。
記憶をたどれば、個人登録問題以前を含めて日本のバスケ界には思わしくない話題が絶えない。
bjリーグ発足時も、2006年男子世界大会の13億とも言われる赤字も、そして今FIBAからの要求と制裁の問題、そしてついには文科大臣から「介入」の発言。
2009年にFIBAから出された要請に応えられず、5年経過した今年4月にあらためて期限付きで調整を求められたJBA。
しかし、その期限とされた10月末にも話がまとまることなく、11月も10日を残すまでになった今日現在、辞任した会長の後任さえ決まらない。
大人たち。いい加減にしろ。JBAの活動目的はひとつとして満足させていないじゃないか。
JBAの定款にある目的に立ち返ることさえできないのか。
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