昨日の夕方、奉恩寺(ポンウンサ 봉은사)を訪ねました。
提灯とろうそくが、印象的なお寺です。
今日は、午前中に時間が空きました。
ウォーキングツアーの慶熙宮(キョンヒグン 경희궁)・西大門コースを、一人で歩きました。
地下鉄5号線光化門(クァンファムン 광화문)で降りましたが、ソウル歴史博物館への道を迷いました。
記憶をたどってやっと方向を見つけました。
ソウル歴史博物館(ヨッサパンムルグァン 역사박물관)は、慶熙宮の東の端にあり、
禁川橋(금천교)を渡って入りました。
古地図の制作中でした。
かつて使われた路面電車も展示してありました。
慶熙宮をご覧ください。
私の写真も、ご覧ください。
「王の岩(王岩:ワンアム)」と呼ばれていたことから、光海君が王の気運を感じ、岩のあるこの一帯に慶熙宮を建てたという謂れを持ちます。その後、「縁起の良い岩、瑞岩」と呼ばれるようになります。また、粛宗の時代には「瑞岩」という二つの字を岩に大きく記したとも伝えられています。
静かな離宮です。
出て大きな道を右に行くと、警察博物館がありました。
時間が無く、資料をいただくのみでした。
すぐの道を右に行くと。左に京橋荘(경교장)がありました。
大韓民国臨時政府の中心人物であった白凡・金九(ペクボム・キム・グ:白凡は号)が、1945年に中国から帰ってきてから1949年6月26日に暗殺されるまで執務室と宿所として使った建物です。
坂を登っていくと、右に城郭が見えてきました。
次の目的地は、洪蘭坡家屋(홍난파가옥)です。
しかし、ここを見つけるのに苦労しました、幾つか地図立ってあったのですが、画かれていません。
結局私は、上の道を行ってしまい「権慄将軍家の跡地」も、犬を散歩していたおじさんに教わりました。
権慄将軍家の跡地です。大きな銀杏が目印です。
朝鮮中期の文臣であり、名将であった晩翠堂(マンチュダン)・権慄将軍(晩翠堂は号)(1537~1599)の家の跡地。
権慄将軍家の跡地から、手元の地図を戻りました。
洪蘭坡家屋(홍난파가옥)です。
紅把洞(ホンパドン)の洪蘭坡家屋は1930年代ドイツ人宣教師が建てたレンガ造りの西洋式建物を、作曲家の洪蘭坡が譲り受け暮らしたところです。洪蘭坡の代表曲が作曲された場所でもあり、1930年代の西洋式住宅の特性が保たれその価値は高く評価されています。
中が見学できます。少しだけお邪魔しました。
立ててあった地図から私は上の道を行きましたが、左下に行けば洪蘭坡家屋あるのでしたが。
坂を降りて、独立門に向かいます。
最後の目的地、独立門と西大門独立公園です。
独立門(독립문)
1897年独立協会が国民募金を通じて建てた高さ14.28m、幅11.48mの石造りの門。元々は中国使臣を出迎える事大外交(冊封体制による外交)を象徴する迎恩門でしたが、これを壊し独立の意志を再確認する門を造成しました。フランスの凱旋門をモデルにしています。
西大門独立公園(서대문독립공원)
1897年、独立協会が建てた独立門と独立館、そして3.1独立宣言記念塔がある公園。朝鮮時代に中国使臣を出迎えた独立館は1996年に復元され、殉国先烈の位牌2327位を奉安しました。独立門のすぐ前には迎恩門の柱石が位置し、殉国烈士追悼塔、徐載弼(ソ・ジェピル)博士の銅像などがあります。2009年8月、老朽化した施設を改築し歴史公園として生まれ変わりました。
西大門刑務所歴史館(서대문형무소역사관)も、あります。
西大門刑務所は1908年に「京城監獄」という名で建立された韓国初の近代的刑務所であり、日本統治時代に独立運動家達を投獄していた場所です。その建物を利用した「西大門刑務所歴史館」は、政府樹立50周年事業として1995年から建設が始まり、1998年11月5日に開館しました。
日本人にとっては気軽なテーマではありませんが、日韓の近代史を考える意味では有意義な現場見学になると思います。
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