音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

フライシャー/小澤征爾/ボストン響 ブリテン『左手のピアノと管弦楽のためのダイヴァージョンズ』

2006-07-09 17:17:44 | クラシック
 『若きアポロ』などもあるけれど,ブリテンの主要なコンチェルトとなれば,次の4作品になると思う。

ピアノ協奏曲 (1938, rev. 1945) Op. 13
ヴァイオリン協奏曲 (1939, rev. 1958) Op. 15
左手のピアノと管弦楽のためのダイヴァージョンズ (1940, rev. 1954) Op. 21
チェロ交響曲 (1963) Op. 68

幸い,いずれも,ブリテン自身が指揮したスタジオ録音が残されている。
独奏者は,それぞれ,ピアノ協奏曲がリヒテル,ヴァイオリン協奏曲がルボツキー,ダイヴァージョンズがカッチェン,チェロ交響曲がロストロポーヴィチ。オケは,ダイヴァージョンズがロンドン響で,ほかはイギリス室内管。
これらは,作曲家の解釈を知ることができるという意味で,拠るべきスタンダード。アルヒーフ(物置)送りなど,とんでもないと思うのだが,「ダイヴァージョンズ」を除く3つは,現在のところ,入手困難のよう。
ピアノ協奏曲にはアンスネス/パーヴォ・ヤルヴィ/バーミンガム市響,チェロ交響曲にはジュリアン・ロイド・ウェッバー/マリナー/アカデミー室内管,といった名演はあるが,作曲家の関わった演奏が簡単に入手できないというのは残念な話し。この辺りの事情,マータイさんが知ったら,「 Mottainai 」と言われるのは必至である ^^; 。

 さて,入手が容易な『ダイヴァージョンズ』だが,主題に始まり,11の変奏がくり広げられる。カッチェンの技巧に不足はないし,ブリテンの指揮も作曲家の余技を超える。
しかし,それだけに,1954年のモノラル録音はちょっと悲しい。とりわけ,「アラベスク」「歌」「夜想曲」「バディネリ」といった弱音の支配する変奏では,ピアノや弦の繊細な響きが捉え切れていないといううらみが残る。モノラルなど,録音の価値を考えれば些事に過ぎないが,耳は正直だ。頭では分かっていても,ステレオ,デジタルに慣れてしまった耳には,この不満,抑えようがない。
それにしても,皮肉なもの。生前,技巧派としてならしたカッチェンに日本人は冷淡だったといわれる。その彼のモノラル録音が現役盤で,リヒテルやロストロポーヴィチのステレオ録音が入手困難とは・・・。
因みに,カッチェンの来日はこの録音と同じ1954年の12月だった。

 ここで,ディスクをフライシャー/小澤/ボストン響に交換してみよう。
この『ダイヴァージョンズ』はフライシャーにとっては再録(1990年録音)。彼は1973年にコミッシオーナ/ボルティモア響と1回目の録音をおこなっていた。
17年の熟成を経て,フライシャー,実に見事に各変奏を弾きわけている。堂々たる「主題(マエストーソ)」,野太い「レチタティーヴォ」,芳香ただよう「ロマンス」,軽やかな「行進曲」,楚々とした「アラベスク」,甘美な「歌」,爽やかな「夜想曲」等々。ピアノを支える小澤/ボストン響は響きが美しい。ミュートを付けた金管も音が決して汚れない。
この演奏で,特筆すべきは,第9変奏の「トッカータ」。ここで見せる指揮者とオケのテクニックの冴えには言葉もない。特に,小澤の持つリズム感の素晴らしさといったら・・・。
もちろん,指揮は体操ではない。しかし,第7変奏「バディネリ」,第8変奏「ブルレスケ」の残した軽妙やほろ苦さを振り払うには,正確かつ決然としたリズムの刻みが是非とも欲しい。小澤は持ち前の強靱なリズム感でこの要求に応えている。
ブリテンの指揮も十分素晴らしいのだが,ことトッカータに関しては,小澤と比べるのは酷というもの。「小澤の指揮は本職」という声も聞こえてきそうだが,いやいや,それでは何も語っていないに等しい。そのくらいフライシャーと小澤/ボストン響の「トッカータ」は素晴らしい。この演奏には,天国のブリテンも賞賛を惜しまないのではないだろうか。
同じCD収録のラヴェルには以前触れたことがあったが,プロコフィエフ,そしてこのブリテンとあわせ,一聴をおすすめしたいディスクである。

 最後に,ブリテンの指揮した録音の話し。
このデッカの録音のプロデューサーは,ピーター・アンドリー。カルショウではない。
1954年はカルショウのキャリアでいえば初期にはあたるが,前年に,彼はブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』の録音を担当している。カルショウとブリテンは深い信頼関係にあったといわれるだけに,何故『ダイヴァージョンズ』を担当しなかったのか,この辺りの事情がよく分からなかった。
しかし,どうやらこの時期は,カルショウがデッカを退社し,米キャピトルに一時移っていた時期と重なるようだ。
カルショウの退社は,チーフ・プロデューサーのヴィクター・オロフと折り合いが悪かったことに起因している。オロフはカルショウを買っていたクリストファー・ジェニングスの後任。このチーフ・プロデューサーの交替には避けがたい理由があった。ジェニングスが1952年に急死してしまったのだ。この時,ジェニングスは未だ30歳前だったと云われる。
カルショウの宣伝部からの抜擢は,ジェニングスの慧眼による。彼がいなかったら,カルショウとショルティ/ウィーン・フィルによる歴史的な『リング』全曲録音はなかったかもしれない。

左手のためのピアノ協奏曲集・ピアノ作品集
フライシャー(レオン)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

このアイテムの詳細を見る

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする