私の中の私と向き合う

乳がん再発、双極性障害と夢遊病、首下がり症と腰分離すべり症、起立性調節障害を抱えながらも、前向きに一緒懸命生きています😃

私が何で病気になったのか②

2024-08-14 12:04:00 | 日記
 「なぜ私が病気になったのか①」で、私が何で精神的病になったのか、そのからくりが見えてきて、正直に書いてみた。

 精神的病は、30年かなり良くはなっているが、今だに精神科に通い、精神薬飲んではいる。

 私は、48才の時、両胸乳がんでステージ2で、両胸部分摘出の手術になり、リンパも悪性で取っている。

 最初、がんと言われた時1人で聞いて、本当にショックで、ガーン、ガーンときて、しばらく立ち直れなかった。

 でもその後に、何故だか嬉しい気持ちが出て来た。精神的病はとてもわかりにわかってもらえなくて、「病気のうちに入らない」と、義母に言われたり、両親も全く理解してくれなくて、私は途方に暮れていた。

 がんならみんな誰もが知っている病気で、精神的病はみんなわかってくれなかったけど、それでとても苦しい思いしてきたけと、今度はわかってもらえると、期待してしまった。

 今度こそ、両親に、義母に、理解されて、心配してくれて、優しくしてくれて、愛されるに違いないと、思い不思議とがんになって嬉しかったのである。

 だけど、現実はみなそれぞれ病気で自分のこといっぱいいっぱいで、私のことなんて眼中なかった。
 病気のこと理解して、心配されたり、優しくしてくれたり、愛されるなんて、残念ながら一向になかった。見事に、弾き返されて、かえってひどい言葉言われて、反対に思いっきり傷ついた。
 
 手術日もお見舞いにもきてもらえなかった。お見舞いぐらいはあるかなと少し期待していたが、それも一切なかった。大体手術日も心配されるどころか、忘れられていた。

 ここで私はがんになってとてもショックだったけど、その反対に嬉しかったと言うのが、普通では考えられないと思う。

 それほど、両親と義母の愛と理解が欲しかったのである。

 何もがんになることもなかったのに、期待したり求める気持ちが強すぎてしまったのである。

 この考え方は、オリジナルの気づきだけれど、どことなくスピリチュアル的な考えも入っていると思う^ ^

 次回は、なぜ3年前にがんが再発したいのか触れたいと思う。
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なぜ私が病気になったのか①

2024-08-11 23:05:32 | 日記
私は、シーターヒーリングを「基礎」「応用」「ディッグデーバー」のセミナーをこの1年間で、8日間学んだ。
 その中で、私がなぜ30歳でうつ病になって約20年苦しみ、この10年は双極性障害に苦しんできたか、段々とわかったこときたことがある。

 私の母は、精神的病でわたしを本当には受け入れたり、愛することができなかった。(でも、本当の魂のお母さんは私を愛していたと思う)

  私は、物心ついた頃から母に拒絶されていて、とても傷ついたし、悲しかったし、淋しかった。

 子供の頃、台所で私は母のそばで勉強していたら、母が洗い物でお茶碗を落とし割れた。そしたら、私のせいにして「まりあのせいでお茶碗が割れた。」と怒られた。何度もあった。
 お買い物に一緒に行って、母が財布をなくしたら、「まりあが着いてきたから財布がなくなった。」と怒られた。日常茶飯事であった。

 私が悪いの?お茶碗割ったのも、お財布無くしたのも、お母さんなのに、嫌味ったらしく怒れて私は理不尽だった。そんなことは日常茶飯事で、他にもまだまだと納得ない理不尽な怒りを感じていた。体罰もあった。

 私は、高校生の時、最新の精神病の本を手にとって、お母さんが精神的におかしいのか、私が精神的におかしいのか、思い悩んでいた。その境目、境界線は多分なかった。

 母がどうして、わたしを受け入れられない、愛せない、拒絶するのかわからなかった。

 多分代々、お母さんは自分の母親から愛してもらった経験がなく、自分をどう愛していいのかわからず、自分の子どもを愛せなかったのかもしれない。母方の家系である。

 母は、もしかしたら言わないだけで、ほんとうはそのことが苦しかったのかはわからない。

 母が精神的病で、幻聴、幻覚、被害妄想あって、私は苦しんだけれど、病気があって、私を受け入れなくて、認められなくて、愛せなくて、私はとても傷つけてきたし、悲しかった。子ども心に・・・

 そして私は、どうして母が精神的病になつたのか、どんな世界なのだろうと、娘を愛せないとはどういうこなのか、母の愛を求めるあまり、母を理解しようと、精神的病(私の場合はうつ)なってしまった。

 よくアルコール依存症の父を持つ娘がなぜか配偶者にアルコール依存者を選ぶとか、自殺家系に自殺者が多いと、聞いたことがある。
 それに近いのか、精神的病の親を持つ子供も精神的病になることが多いと聞いたことがある。悲しいことであるが、私は専門家でないので、深層心理はわからない。

 私は母に何とか愛してもらおうと、何とか理解しようと、何とか乗り越えようと、それは必死だった。それが病的で、追いかけて自分も無自覚に同じ精神的病になったのかもしれない。そんなからくりが、時間かけて少しだけ見えてきた。今は、そこまで分かっただけでもいっぱいいっぱい。

 正直に書いてみた。

 
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「私に生まれてきてよかった「」と心から思える本

2024-08-10 17:29:00 | 日記
 この本の中で、今の私にぴったりくるページがあった。

 「私の心を開放し、自由にしてくれる言葉」

 *嫌なことは断ってもいい
 *甘えてもいい
 *人から嫌われてもいい
 *人と比べなくていい
 *弱い自分を見せてもいい、ダメ  な自分でもいい
 *人に助けをもとめてもいい
 *前に進もうとしなくていい
 *完璧にならなくてもいい
 *楽しいことを優先していい
 *今の瞬間、幸せになっていい
 *もっと自分を好きになっていい
 *ありのままに、生きたいよう   生きていい
 *私はただいるだけで、愛される  価値がある
 *何をしなくても、私は変わら ず、すばらしい
 *大丈夫!結局すべては、うまく いく!

 どの言葉も、今の私にはしっくり来ていて、「モーニングメソッド」
のアファメーションの時間、これを何度も言ってます。どれもホントに
すばらしくて、感動しています。
 私は、今は前半の言葉より後半の「楽しいことを優先していい」
「今の瞬間、しあわせになっていい」という言葉を発すると、今では
とてもワクワクしてきます。この通りに生きられたら、どんなにラクで楽しいことでしょうね。私の人生これから・・・はじけます!!

 

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本気で関わる人

2024-08-09 17:26:42 | 日記
 私は、いつもいつも温かいコメントいただいているそらさんに、私に本気で関わってくれているなと心から感謝している。
 実の家族に「死ね!」と言われた経験と苦しみをわかっていただけていることに、シェアで来てることで、私は本当に救われている。

 私に本気で関わってくれた人で、最近よく思い出されるのが、私が40歳の時11か月半精神科の病院に入院した時の主治医の先生、矢花先生を思い出すようになってきた。

 私が病棟から走って逃げようとした時、矢花先生は本気で走って追いかけて止めてくれたり、私が外出して自助グループに出かけたとき、矢花先生は私を心配して、夜の9時半まで残業して、私の帰りを待ってくれていたり、「薬ください」と看護婦さんに私が絡んで困らせたのに、矢花先生は閉鎖病棟行のところ責任取ってくれたり、週2回認知行動療法してくれたりした。

 矢花先生が病院やめられたので、連絡先もわからないので、当時のお礼言えていないけれど、あの時私に本気で関わってくれた人がいたから、病気は治っていないけれど、今こうして生きているのだと思う。そのことをそらさんの存在とダブって思い出されると、私の人生も悪いことばかりではなかったように思う。

 多分、他にも多分私が自覚していないだけで、本気で関わってくれた人がいたから生き延びてきたのだと思う。そういう存在が,1人でも2人でもいることに深く感謝したい。
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自己肯定感

2024-08-08 19:37:19 | 日記
 ご存知の通り、私はものすごい自己肯定感が低い。(笑)
 私は、母親に「死ね。お前なんか一生恨んでやる。」父親には、「死ねしかないな。オーム真理教にでも入ってしまえ。」と言われたトラウマは、いまだもって感情、感覚麻痺している。

 やはり、「私は愛されない」「私はありのままでは愛されない」「私はダメなんだ」「私は生きていてはいけない」など、思いっきり自己否定が強く、自己肯定感も低かった。
 それで、その思い込みが強くて、「私は愛されないんだ」「私はありのままではいけないんだ」「私はダメなんだ」「私は生きていてはいけないんだ」という現実を無意識に引き寄せていた。そうでしょう?そうでしょう?と、次々と起こっていた。自分の強い思い込みから来ていることに気づいていなかった。

 このブログで「死ねという言葉①②」書いてみてそのことがドカンと腑に落ちた。

 両親のせいにしてきたけれど、私が強く思いこんで、それを証明する現実を自分から引き寄せていたのである。

 自己否定が強く、自己肯定感が低いのも、自分では何となく思っていたが、はっきりとはわからなかった。

 今は、「私は悪くない」「私は頑張ってきた」と自分に言って、セルフハグしている。
 今までは、そのこと気づかなかったけど、これからは自分で自分をよし、よしして、自己肯定感アップしていこうと思うこの頃である^ ^
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