私の中の私と向き合う

乳がん再発、双極性障害と夢遊病、首下がり症と腰分離すべり症、起立性調節障害を抱えながらも、前向きに一緒懸命生きています😃

父 特養入所拒否

2024-08-22 22:23:34 | 日記
 最近の出来事で、一番私がダメージを受けているのが、父が特養入所拒否したことである。

 3か月前に、父は腰の圧迫骨折で入院して、2か月前から「退院したら特養に入りたい。」と周りの人に言っていた。そして、私は色々と横浜の特養に、問い合わせ、申し込みセンターで相談、見学、面談とあれこれ動いていた。兄も私も、父の希望に沿うように、2人とも横浜在住なので、横浜の特養に呼ぶ形になっていた。

 兄と、横浜の特養に見学、面談して、入所できそうなところを押さえていた。
 8月に入って、本格的に話を父にすすめたところ、「入所する」と言ったり、「入所しない」と言ったり、毎日揺れ動いていた。その発言でどうするのか、こちらも一喜一憂している毎日で、ひやひやだった。

 14日に父が「もう一晩考えさせてくれ」と言うので、私電話して話をしたが、「俺が一番困っている」と言うので、「環境変わるのは怖いよね。不安だよね。」と相槌打ったが、どうにもできなかった。
 次の日、父から兄に電話があり、「入所するので話を進めてほしい」と言ってきた。それで、本格的に申し込み、手続き、サ高住の退去の申請など、あちこちにお願いしていた。

 ところが、横浜市の最終申し込み2日前に、父は18日の夜に「やはり入所しない」と言ってきた。もうあれこれ手続きしていたのに、取り下げをしてドタキャンになってしまった。さすがに兄もあちこち謝って嫌な思いしたけれど、「父が嫌だというのに入所させられない」とあきらめるしかなかった。

 第一の理由が、「共同トイレが嫌だ」とのことだった。「個室のトイレ付きでないと嫌なのだ」と言う。それならそれで早く言ってほしかったし、横浜の特養は新設以外は個室でも全部共同トイレなので、理解しているものだと思っていた。

 初めに「特養申し込み頼む。契約してきてくれ。」と頼んだのは、父なのに
そのことはすっかり忘れていた。認知症ではないが94歳になるので、頑固というか我がままというか、自分勝手になっていた。

 父が入所断った件は置いといて、それに対して兄には「すまない」と言っていたが、私には「ありがとう」も「すまない」も全く一言もなかった。

 父は私の「兄や私に迷惑かけてもいいの?」に対して父は「しょうがない」「兄や私が(遠くて)行けなくてもいいの?」に対して父は「しょうがない」と言って、最後に「まりあちゃんも頑張って」と人ごとのように言って電話が切れた。

 その後も、新設の個室トイレ付探したけれど、人気のない所でも100人以上待ちで約1年待ち。人気のある所は200人以上待ちで、2年以上待ちである。
 父は「1年後に入る」と言っているが、そんな簡単な話ではない。
 私の主治医は「特養は入れる時に入った方がいいですよ。待っている間に寿命でなくなっていく方が多いですよ。」と言っていたが、本当にそうで、トイレ付きでなくても、東京・神奈川・千葉はみんな特養に入れなくて、なくなく有料老人ホームに入所している。その現実を父は知らなすぎる。

 父が特養入所拒否して、私は本当にがっかりした。そして、私は今のトラウマと昔のトラウマがどんどん上がってきて、怒り・憤りが出てきた。それについては、これから処理していかなくてはいけないが、前途多難である。

 カウンセリングやセッションなどで、私は自分の気持ちを整理していくしかない。でも、その今のカウンセリング代、セッション代、そして今までのカウンセリング代やセッション代って、誰が払うの???私と主人である。本当は、今までの分も含めて父に払ってほしい気持ちあるが、現実はあれえないことである。

 私は、これからカウンセリング代、セッション代減らして、切り詰める努力していくしかない。ここは自力でも頑張ろうと思う。
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アダルトチルドレン(AC)

2024-08-21 17:37:49 | 日記
 旅行やものすごいトラブルあって、せっかくコメントいただいていたのに、中断してしまってごめんなさい。

 今日は、「アダルトチルドレン(AC)」について書きたいです。
「アダルトチルドレン」とは、心理学用語で、機能不全な家族で育った人のことを言います。たとえば、精神的・身体的・性的虐待があったり、両親または片親がいなかったり、アルコール依存症など嗜癖のある親の元で育ったりなど、色々な人がいるのですが、何らかの機能不全の家庭で育った問題のある人たちのことを言います。

 私は、精神的・身体的虐待があったので、まぎれもなく「アダルトチルドレン」です。この言葉は、もうかなり古くて最近は「毒親」とも言われたりしています。

 私は、今はもうないけれど、専門の麻布十番にある「さいとうクリニック」や「IFF相談室」のもかかっていた時期があります。そこで学んだことは大きかったです。

 私はAC育ちで、このブログを書いています。独特だと思います。
 60歳にもなる私が、まだインナーチャイルド(内なる傷ついた子ども)癒しきれなくて、何とか傷を埋めようと必死にもがいています。

 私は、60歳にもなってと思っているけれど、70代、80代の方も大勢います。恥ずかしいことだと思っていたけれど、そんなことはないようです。

 問題のない家庭で育った普通の人が、私のブログ読んだら奇妙に思われているか、スルーしているかと思います。でも、大なり小なり問題のある家庭で育った人には、少しは理解されているかもしれませんね。

 AC育ちで、病気ばかりしている私が、この問題をどう乗り越えていくかのプロセスを一緒に楽しんで見守っていただければ、大変うれしいです。私は、発信していて苦しく思う時もありますが、今は楽しんで書いています。





 これは、トラウマを癒すアファーメーションとも言われています。
 機能不全な家族の中で育ったアダルトチルドレンや、自分のことより相手の問題にとらわれてしまう共依存の人たち、また過去の傷にとらわれて心を解き放すことができずに苦しんでいる人たちに向けて書かれた「今日一日のアファメーション」です。

 西尾和美先生は、もう亡くなられていますが、アダルトチルドレンにとっても、普通の方でも、すごく参考になる本です。

 
 
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私が何で病気になったのか②

2024-08-14 12:04:00 | 日記
 「なぜ私が病気になったのか①」で、私が何で精神的病になったのか、そのからくりが見えてきて、正直に書いてみた。

 精神的病は、30年かなり良くはなっているが、今だに精神科に通い、精神薬飲んではいる。

 私は、48才の時、両胸乳がんでステージ2で、両胸部分摘出の手術になり、リンパも悪性で取っている。

 最初、がんと言われた時1人で聞いて、本当にショックで、ガーン、ガーンときて、しばらく立ち直れなかった。

 でもその後に、何故だか嬉しい気持ちが出て来た。精神的病はとてもわかりにわかってもらえなくて、「病気のうちに入らない」と、義母に言われたり、両親も全く理解してくれなくて、私は途方に暮れていた。

 がんならみんな誰もが知っている病気で、精神的病はみんなわかってくれなかったけど、それでとても苦しい思いしてきたけと、今度はわかってもらえると、期待してしまった。

 今度こそ、両親に、義母に、理解されて、心配してくれて、優しくしてくれて、愛されるに違いないと、思い不思議とがんになって嬉しかったのである。

 だけど、現実はみなそれぞれ病気で自分のこといっぱいいっぱいで、私のことなんて眼中なかった。
 病気のこと理解して、心配されたり、優しくしてくれたり、愛されるなんて、残念ながら一向になかった。見事に、弾き返されて、かえってひどい言葉言われて、反対に思いっきり傷ついた。
 
 手術日もお見舞いにもきてもらえなかった。お見舞いぐらいはあるかなと少し期待していたが、それも一切なかった。大体手術日も心配されるどころか、忘れられていた。

 ここで私はがんになってとてもショックだったけど、その反対に嬉しかったと言うのが、普通では考えられないと思う。

 それほど、両親と義母の愛と理解が欲しかったのである。

 何もがんになることもなかったのに、期待したり求める気持ちが強すぎてしまったのである。

 この考え方は、オリジナルの気づきだけれど、どことなくスピリチュアル的な考えも入っていると思う^ ^

 次回は、なぜ3年前にがんが再発したいのか触れたいと思う。
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なぜ私が病気になったのか①

2024-08-11 23:05:32 | 日記
私は、シーターヒーリングを「基礎」「応用」「ディッグデーバー」のセミナーをこの1年間で、8日間学んだ。
 その中で、私がなぜ30歳でうつ病になって約20年苦しみ、この10年は双極性障害に苦しんできたか、段々とわかったこときたことがある。

 私の母は、精神的病でわたしを本当には受け入れたり、愛することができなかった。(でも、本当の魂のお母さんは私を愛していたと思う)

  私は、物心ついた頃から母に拒絶されていて、とても傷ついたし、悲しかったし、淋しかった。

 子供の頃、台所で私は母のそばで勉強していたら、母が洗い物でお茶碗を落とし割れた。そしたら、私のせいにして「まりあのせいでお茶碗が割れた。」と怒られた。何度もあった。
 お買い物に一緒に行って、母が財布をなくしたら、「まりあが着いてきたから財布がなくなった。」と怒られた。日常茶飯事であった。

 私が悪いの?お茶碗割ったのも、お財布無くしたのも、お母さんなのに、嫌味ったらしく怒れて私は理不尽だった。そんなことは日常茶飯事で、他にもまだまだと納得ない理不尽な怒りを感じていた。体罰もあった。

 私は、高校生の時、最新の精神病の本を手にとって、お母さんが精神的におかしいのか、私が精神的におかしいのか、思い悩んでいた。その境目、境界線は多分なかった。

 母がどうして、わたしを受け入れられない、愛せない、拒絶するのかわからなかった。

 多分代々、お母さんは自分の母親から愛してもらった経験がなく、自分をどう愛していいのかわからず、自分の子どもを愛せなかったのかもしれない。母方の家系である。

 母は、もしかしたら言わないだけで、ほんとうはそのことが苦しかったのかはわからない。

 母が精神的病で、幻聴、幻覚、被害妄想あって、私は苦しんだけれど、病気があって、私を受け入れなくて、認められなくて、愛せなくて、私はとても傷つけてきたし、悲しかった。子ども心に・・・

 そして私は、どうして母が精神的病になつたのか、どんな世界なのだろうと、娘を愛せないとはどういうこなのか、母の愛を求めるあまり、母を理解しようと、精神的病(私の場合はうつ)なってしまった。

 よくアルコール依存症の父を持つ娘がなぜか配偶者にアルコール依存者を選ぶとか、自殺家系に自殺者が多いと、聞いたことがある。
 それに近いのか、精神的病の親を持つ子供も精神的病になることが多いと聞いたことがある。悲しいことであるが、私は専門家でないので、深層心理はわからない。

 私は母に何とか愛してもらおうと、何とか理解しようと、何とか乗り越えようと、それは必死だった。それが病的で、追いかけて自分も無自覚に同じ精神的病になったのかもしれない。そんなからくりが、時間かけて少しだけ見えてきた。今は、そこまで分かっただけでもいっぱいいっぱい。

 正直に書いてみた。

 
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「私に生まれてきてよかった「」と心から思える本

2024-08-10 17:29:00 | 日記
 この本の中で、今の私にぴったりくるページがあった。

 「私の心を開放し、自由にしてくれる言葉」

 *嫌なことは断ってもいい
 *甘えてもいい
 *人から嫌われてもいい
 *人と比べなくていい
 *弱い自分を見せてもいい、ダメ  な自分でもいい
 *人に助けをもとめてもいい
 *前に進もうとしなくていい
 *完璧にならなくてもいい
 *楽しいことを優先していい
 *今の瞬間、幸せになっていい
 *もっと自分を好きになっていい
 *ありのままに、生きたいよう   生きていい
 *私はただいるだけで、愛される  価値がある
 *何をしなくても、私は変わら ず、すばらしい
 *大丈夫!結局すべては、うまく いく!

 どの言葉も、今の私にはしっくり来ていて、「モーニングメソッド」
のアファメーションの時間、これを何度も言ってます。どれもホントに
すばらしくて、感動しています。
 私は、今は前半の言葉より後半の「楽しいことを優先していい」
「今の瞬間、しあわせになっていい」という言葉を発すると、今では
とてもワクワクしてきます。この通りに生きられたら、どんなにラクで楽しいことでしょうね。私の人生これから・・・はじけます!!

 

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