KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

長寿考

2021年06月10日 | 俳句
天気 晴 

写真は、2年前の公園の紫陽花と、下はゼニアオイ。


この日は一人で行ったが、夫は時々抗がん剤投与の入院はしていたものの、まだ体調はさほど悪くなっていない時期だった。そのあとで、高幡不動尊へ紫陽花を見に行っているし。


夫は結局、長寿に縁がなかったものの、今、私の周りには長寿と言おうか何と言おうか、百歳近いらしい人がたくさん居る。らしい、と言うのは、私は人に年齢は絶対に訊かないので(自分も、ここでは絶対に言わないことにしている)、本人に確認した訳ではないので。
でもなぜか、人間、百歳近くなるとどこからともなく情報が洩れる。本人も「百歳に手が届く」などと言ったりしているし。
また、周りの人から「関東大震災の前に生まれたのですって・・」などという話が耳に入ってくる。

ここでは、1分前の過去も忘れる認知症の人よりも、95歳越えて頭だけはほどほどに元気、という人の方が多いかもしれない。1分前を忘れる人たちの正確な年齢も解らないが、百歳にはほど遠く・・。70代前半の人も居る。

で、その長寿の人たち、長寿を満喫しているかといえば、そうとも思えない。居宅生活で家族に囲まれて、自分も足腰元気で好きなことが出来て、好きなものを食べて・・という暮らしなら幸せな長寿生活、かもしれない。でも、皆さんに家族が居るのか居ないのか解らないがここに居てはそうはいかない。手取り足取り介護はしてくれるものの、食事は好みのものが出る訳ではない。外へなぞ全く行けない。
それでも男性達は、足腰は弱っていてもコロナ禍でそれなりに自分の暮らしを部屋で楽しんでいるようだ。奥さんを先に亡くし、暮らせなくなって入所したのだろう。結構、サバサバしている。でも、耳が遠いので補聴器をしている人以外と私はあまり細かい会話はしないのでよくわからない。
でも、女性は・・愚痴が多い。入院生活のあと、独居生活が無理になったり、家族の介護が難しくなったりで入居した人が多いようだ。たとえば・・
「もう、退屈で退屈で・・」と、歩行器でも杖でも歩けるDさん。
「何で長生きなんかしてるのかしらねえ・・もうあちらへ行く用意出来てるに」と、歩行器は使っているものの、背筋を伸ばして歩いているEさん。この人、同じ階だが食事の時以外は部屋に籠りっぱなし。話はとても明快だし、見かけは80代前半にも見える。部屋で何をしているのかしらん?と時々考える。

最近、長生きするのも楽しいことではない・・と思うようになった。百歳で完全自立して暮らす人なんて、余程の努力をしたか、運が良かったのか。
認知症でなくても、それなりに気力も記憶力も落ち、体力は落ち、視力聴力も落ち、歯は入れ歯。車椅子で介護され、コロナがなくても一人での外出はままならず・・自分のそんな将来を想像すると、楽しくないなあ、などという結論になってしまう。そんな心配はしなくても、どう考えたって進行性の病気持ちの私は長命を獲得は出来そうもないけれど。

運を天に任せ白寿や冷奴  KUMI
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2 コメント

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Unknown (ふきのとう)
2021-06-11 07:12:12
「運を天に任せる」残念ですが自身ではどうにもなりませんね。そうすることにいたします。「ここら辺で」と自死を選択できるほどの勇気も無いですし「殺す」と言われれば充分生きているのに「とうぞ」とは言えず「助けて下さい」と私は言うに決まってます。名案が無いのが現実ですね。
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ふきのとうさん、今は健康で何より (KUMI)
2021-06-11 14:20:03
お姉さまもお元気そうですし、まだ100歳の心配は不要ですよ。ふきのとうさんは均寿命までは今の暮らしが出来ます。私は、とにかく片手に余る病気持ちですので。こればかりは自分で決められないのが本当に困りますね。元気で最後まで家族と暮らせる人が一番幸せなのでしょう。
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