KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

秋の空

2024年10月12日 | 俳句
天気 晴

昨日から、空が晴れ渡る時間も増えてきた。昨日はようやく駅前まで
用足しに。本当は市役所まで行かねば、という用事があるのだが、今の体力では自信がない。免疫療法を一時休むことにした11月には大丈夫かな?
ともあれ、副作用のせいもあると思いたい体力低下は、著しい。老衰へ突き進んでいるのかも・・と思うが、小食でも食欲はあるしと聴力と嗅覚はまだまだ大丈夫だし・・折角の秋晴れに足腰の思うように動かないのが悔しい。
こんな空が昨日も今日も、拡がっている。

昨日も、近くの部屋の人が救急車で運ばれた。転倒した訳ではなく、車椅子になってすでに半年くらい。それが最近急に弱ってきて、1週間くらい部屋から出て来なくなっていた。・・いつも来ている娘さんが付き添って救急車へ。再び、帰って来られるのかな?年齢は、私より少し上の80代らしい。
車椅子になったきっかけは、やはり転倒だった。認知症はあるものの何とか歩行していたのに、館内のどこかで転倒した。退院してから、少しはリハビリで歩行出来るようになりそうだったけれど・・認知症のリハビリはなかなか難しようだった。彼女はアルツハイマーでも、脳血管からの認知症でもなくて、見えないモノや人の見える「レビー小体型」だったようだ。
「今日は娘が迎えにくるの」といそいそと玄関へ下りて、長い間待っていた。「娘さん、いらっしゃったの?」と夜になって聞くと「玄関まで来たけど、忙しいからって帰ったわ」と。事務所の受付の人に訊いたら「娘さんは来なかったわよ、でも、立ち上がって別の人に手を振っていたわ」・・・
朝、ラウンジで会ったとき、「今、電話があって、ゴルフに誘われたの」と目を輝かせている。「どこのゴルフ場?」と訊くと「秩父ですって」・・・ゴルフの出来る体力はまずない。

彼女のおかげで、レビー小体という種類の認知症のことも覚えた。
なので、「見えないモノ(人)が見える」症状の認知症の人にも驚かなくなった。夏に入所した人で私と同じテーブルで食事することになったSさんが、びっくりするようなレビー小体の症状なのだ。
娘が面会にきてくれた、という翌朝のこと。「昨日は母親も一緒だったの」
と言うから仰天。隣の席の人と顔見合わせて「誰のお母さん?」と訊いたら「誰、って私の母ですよ」と真顔で抗議するように言う。「だって、貴女、90歳過ぎてるでしょ、お母さんは一体幾つなのよ」と隣の方が・・
「母のトシは幾つでしょ。娘は30歳くらいだから50歳?」もう、めちゃくちゃ。娘と母親が、彼女の中では時々合体するようで、近所に住んでいるらしい娘さんが来ると「今日は母は来なかった」と言ったり。そうしたことを否定してはいけない。彼女の実話として、頷いてあげればいいだけ。必死で否定したり真実を突き止めようとしても、その「会話」そのものを翌日には忘れてるから、無駄になるだけ。


幻影でも夢でもいいから、私も母に会いたい。

異国語のなべて声高秋の風  KUMI
コメント (6)
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