白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

ミラレパ大師との出会い

2006-09-26 02:27:31 | Weblog
 とりあえず、オウム真理教に出会うまでの経緯は書いた。ここから先は、どんな内容を書き込んでいこうか。時系列に沿って書いていけば、分かり易いのだろうが、事細かにオウムでの出来事を記録に残すのが、私の意図ではない。それは、松本英明氏のような、内部にいた方が、事細かに書いているので、そちらにお譲りする。私は、在家信徒が、何を考えオウム・アーレフという教団と関わってきたのか、少しでも表現できれば、それで満足なのだ。

 したがって、かなり大雑把な内容になるし、時系列も曖昧だし、時にはうろ覚えのことを書いて、事実と違うことを書いてしまうこともあるかもしれない。もし、間違いを見つけられた方は、コメント欄で、御指摘いただければありがたい。即座に訂正するつもりだ。

 88年から入信して、現在まで、足掛け18年近く、オウム・アーレフの在家の信徒でいたわけだ。よく続いたと我ながら思う。もう、いいかげん、苔が生えてるような信徒だ。しかし、正直、一昨年までは、自分なりによく頑張っていた信徒だったと思う。しかし、今回の分裂によって、私の中で、何かが大きく崩れてしまった。そのため、今は、ほとんど傍観者として、教団を見ている。

 今現在の私の目に、教団がどう映っているのかを、書くことも大事なのだが、かつてのオウムという教団が、一信徒にとって、どういう意味を持っていたのかを、表現することが、実は、今後の教団のあり方を考えていく上で、大切な作業なのではないかと考えている。
 もちろん、教団の大きな動きがあった時には、その事件をメインに、書き込みをしていくが、それ以外と時は、過去に自分が関わった、オウム・アーレフの人達の話を中心に、話を進めていこうと考えている。

 堅苦しくなく、実際にあったエピソードを交えて、書き連ねていこうと思う。先ほども書いたが、時系列的な順不同が起きてしまう事だけは、ご容赦願いたい。実は、記憶で空白な部分がかなりあるのである。その理由は、事件前に、無理やり受けさせられた、ナルコのイニシエーションによって、記憶が消失してしまった部分があるからだ。そのことに関しては、後に、詳細を書こうと考えているが、そんなわけで、かなり記憶は曖昧である。したがって、思い出した出来事から、順に書いていくことにする。

 まずは、ミラレパ大師との出会いから書いてみよう。先述したように、私は、88年当時、女性問題で、大きな苦しみを抱えていた。その苦しみを、オウムの修行で、取り除けるのではないかと、大いなる期待をしていた。しかし、実際成就者という者に、会ったことも無く、話を聞いてみたこともなかった。当時は、仙台に支部がまだ無かったので、身近で成就者の話を聞く機会はなかった。

 宗教などと言う、敷居の高いものに入る前に、一度自分の目で、教団を見てから判断しようと考えた。休日を利用して、久しぶりに上京し、世田谷の本部道場に向かった。学生時代によく乗った、なつかしい世田谷線に乗り、松原駅まで行くと、駅のすぐ近くにオウム真理教の道場があった。

 おそるおそる、ドアを開けたら、女性スタッフが現われた。何か御用ですかと聞かれたので、成就者の方と、お話がしたいのですが、ということを話したら、早速取り次いでくれた。その時に、面談してくれたのが、ミラレパ大師だった。

 マハーヤーナに載っていた、見たことのある成就者が、目の前にいた。結構、緊張したような覚えがある。すらっとした青年で、物腰は、柔らかだった。どのような、お話ですかというので、実は今、女性問題で悩んでいて、こうこうこうで、どうすべきか分からないでいますという話をした。ミラレパ大師は、蓮華座をきれいに組んだまま、姿勢をまっすぐにし、静かに目を閉じて、私の話を聞いていた。私の話が終ると、静かに目を開け、説明を始めた。そんなに、たくさんの話をしたわけではないが、アナハタチャクラに傷がありますねと言われた。それと、スヴァジスターナチャクラにエネルギーが集中しているので、修行によって、それを昇華させれば、今の苦しみは、確実に取り除かれますよとのことだった。
(後に、別の正悟師や師にも、アナハタチャクラの傷の話を聞かされたので、不倫した者は、アナハタに傷がついているというのが、オウムの定説のようになっているのかなと思った。)

 面談は、それほど長い時間ではなかったが、なんとなく、満足した気持ちになった。自分の苦しみを、分かってもらえたような気分になったからだろう。それと、会った人達が、それほど変な印象を与えなかったので、帰ってからまもなく入信の手続きを取った。

 その後も、尊師の説法会や、イニシエーションなどで、ミラレパ大師にお会いする機会があった時も、挨拶程度は交わしていた。そのミラレパ大師こそが、後のミラレパ正大師(新実智光氏)である。あの物静かな青年が、坂本弁護士一家殺人事件など11事件で、計26人を殺害したとして、殺人罪に問われ、死刑判決を言い渡される人物になるなど、誰が予想出来ただろうか。


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