白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

記事更新

2012-10-19 02:15:45 | Weblog

長いこと記事を更新しないと、テンプレートが消えてしまうらしいので、何か書いておかなくては・・・。

先日、昔の知り合いから、近々結婚するという連絡を受けました。

相手に過去のことは話さないと言うことでしたが、それも仕方がないこと・・・。

どうぞお幸せに。


暑中お見舞い

2012-08-19 08:45:31 | Weblog

 テンプレートが変わっていたので、どうしたのだろうかと思ったら、記事更新を60日以上していないと自動的に変わってしまうのだそうです。

 ということで・・

 

暑中お見舞い申し上げます。

毎日暑いですねえ。

熱中症や熱射病にかからないように気をつけてください。

かつてオウムにいたみなさん、お仕事がんばってください!


オウムとサリン事件

2012-06-17 19:20:48 | Weblog

ついに最後の逃亡犯高橋容疑者が逮捕されました。

見つかって良かった。正直そう思います。17年間どんな思いで隠れていたのだろうか。真理を実践している意識はあったのだろうか。捕まったときオウムの本を十数冊持っていたそうだが・・。

 しかし、改めて、なぜオウムにあれほどまでにのめり込んでいったのか自ら振り返ってみた。まず入信前の自分は、私生活がぐちゃぐちゃだったということに加え、諸々の思いが交錯していた。

 たとえば、お金の大切さは当然のことながら知っていても、拝金主義的な考え方には到底なじめず、軽蔑すらしていた。しかしながら社会では、大金持ちは人々に認められ、金のない者は鼻も引っかけないのが現実。自分も大金持ちになってみたいが、そう簡単になれるものではない。特別な能力があるわけでもなく、自分が何か大きく認められるような努力をしているわけでもない。ただ普通に仕事をして日々無為に時間が過ぎていくだけ。

 混迷を続ける世界を救いたい気持ちはあるが、救える力があるわけでもない。自分になんらかの能力があるなら、その能力を発揮して人々を救いたい。しかし現実には、世の中の矛盾を横目で見ながらなんとなく生きている毎日。自分の存在意義はあるのだろうかと問う毎日。日々生きていく生活の中で感じる大きなストレス。その苦しみを超えたい。今の自分を変えたい。変わりたい。そんな心の葛藤や屈折した思いが強かったように思われる。

 別に最初は麻原彰晃のオウム真理教でなくてもよかった。何らかの形で自分の能力が発揮でき偉大な存在に自分を変革させてくれるものがあるなら、そこに自分の身を置いたのだと思われる。たまたまオウムが、解脱を謳いヨガによりクンダリニーを覚醒させてくれるところだったので入ったのであった。クンダリニーの覚醒で自分の中に眠っていた能力が開発され、発揮できたら素晴らしいことだと思われた。

 実際、教団機関誌に載っていたクンダリニー覚醒の体験談は大変魅力的であった。ここで麻原からシャクティーパットを受ければ簡単にクンダリニーが覚醒して、自分も聖者の仲間入りができるのではないかという大きな期待を抱かせた。宗教嫌いな人間でも、能力開発という形なら、なんら違和感なく修行をしてみようかという気持ちになった。

 麻原がどのような能力を持っていたのか定かではないが、シャクティーパットを受けた人間に、何らかの体験をさせることができたのかもしれない。「かもしれない」というのは、私自身は何も感じずに終わってしまったから・・。しかし、まわりのサマナや信徒の中には、普通に目を開けた状態で相手のオーラの光を見たり、相手の考えていることを言い当てたりすることができたりという不思議な体験をする人たちが当たり前のようにいた。

 その延長線上に解脱や悟りの境地があるのではないかと思わせる要素がいろいろとあった。解脱の境地に至りたいという思いと、神秘体験をしてみたいという思いが強くあったにもかかわらず、全く自分の身にはそのようなことが起こらないと、自分は汚れが強く暗性だからそのような状態になれないのだと思ってしまう。

 そこで、自らの汚れを速やかに取り除くためにイニシエーションを受けまくり、お布施をしまくって汚れを取り除こうとする。そのような場合の借金は、オウムでは賞賛されたのだ。そしてもっと修行し教学をし真理のデータを多く入れ、清らかな自分を作り上げなくてはならないと考えた。

 そのような意識状態になってきたときに、真理の教えの体現者である麻原尊師の教えの全てを受け入れ、グルと一体になることこそが解脱への最も近道だと教えられる。そして、グルの手足となること、グルのコピーとなることを目指すようになった。

 そうこうするうちにヴァジラヤーナの教えが出てきて、真理を見通すことのできる者(物事の原因と結果を見通せる者)が、自らの身が地獄へ堕ちようとも、他の魂を救済する目的のため、悪業をなす魂を殺生したとしてそれは立派なポアになるというような考え方が出現した。

 ただし、この時は単なるお釈迦様の前生談(ジャータカ)の一つを使い、ヴァジラヤーナの教えを説明したに過ぎず、それを現実世界で行うなどということは、だれも考えてもいなかっただろうと思う。

 しかし、麻原は現実世界でヴァジラヤーナの教えを実践しようとした。オウムでは「ステージの低い者はステージの上の者の深い考えは理解できない」という考え方があり、グルの与える課題が、自分に理解できなくても疑念を持つことなく行うことこそが、帰依であり大切な修行であると考えられていた。グルのコピーとなることを目指していた人間が、グルの指令を阻止しようなどと思うわけもなくサリン噴霧に邁進したのだろう。

 この汚れた世の中に存在する魂を救うために、自らが地獄へ堕ちることを覚悟した上で殺生を行うことは偉大なポアという行為なのだと思いこみ、彼らをサリン事件へと走らせてしまったのではなかろうか。麻原の思惑はどこにあったのか?そんなことは、本人の口から語られない限り分からないが、少なくとも弟子達は魂の救済のためにやっているという意識があったと思われる。

 実行した人間は、通常ならそんな恐ろしいことをできるような人たちではない。しかし、真理に縁のない魂に真理との縁をつけ、真理勝者との縁をつけてあげるという「魂の救済」という大義名分のためなら、彼らは常識の壁を簡単に打ち破ってしまう。

 無限に続く輪廻の流れの中で、他の魂の救済のためなら、今生自らが極悪人となり世間から罵倒されようとも良しとする教えの中に身を置いてしまったのである。新見さんなどはその典型ではなかろうか。あれほどひどい極悪非道の事件を起こしても、うすら笑いさえ浮かべて逮捕されている背景には、自らはグルの意志を実現し、多くの魂を救済したという自負があるからではなかろうか。

 死刑を言い渡された人たちの中には、自らが偉大な救済の業を行ったと思いこんでおり、大満足で死を迎える者がいるかもしれない。その場合、被害者や被害者家族の方々をはじめ、社会の人々との意識のギャップは永久に埋まることはない。


NHKスペシャル「未解決事件・オウム真理教」

2012-05-27 12:37:51 | Weblog

 NHKスペシャル「未解決事件・オウム真理教」なる番組が昨夜からやっております。今日もやるそうですが、教祖が何も語らない以上、全てが推測でしかなく、真実からほど遠いのではないかと思われます。
 昨夜の再現ドラマを見ての感想。

・教祖役の人の顔は以前の番組で見た人物よりは似ていたように感じた。 

・マチク師の声がなつかしかった。

・マチク師と一緒に暮らしている男性(キレーサ師?)が語った言葉が引っかかった。「オウムでサリンなんて作れなかったんですよ。遠藤だけでは無理だったんじゃないかな。土屋が入ったことで製造することができるようになった。」
 結局そういうことだったんだろうが、サマナは、信徒に「お供物入れのタッパですらまともに作れない団体がサリンなんて作れるわけないじゃない。」と言っていた。確かにマハポで作るPCの不具合件数やわけのわからないコスモクリーナー製造や科学技術省から出た不良品の山の話などを聞かされていたので、サリンなどを作った日には、サマナの死体の山ができるのではないかと考えられた。しかし、金を惜しみなくつぎ込んでそれを作ってしまったようだ。

・平田氏が出頭したときの「ポーシャ生きていたんだ!」という驚きは、信徒、サマナ通じて同じ驚きだったんだとおかしくなった。

・富士山の映像が出たが、やはり懐かしく感じた。

・ニューナルコの様子が出て、その後だったらサリンを撒いたかもしれないというマチク師の言葉があった。ニューナルコは体験していないので何とも言えないが、ナルコで記憶を失ってもサリンを撒こうとは思わないんじゃないかなと感じる。それよりも、救済ということの意味合いから導き出されるヴァジラの教え、いわゆる悪業を積むことが確実な魂はポアしてあげたほうが魂の救済となり、自らも真理勝者への最短の道を歩むことになるのだという教えにのめり込んでいくプロセスを丁寧に描き出して欲しいと感じた。

・同様に、外見がかっこよいわけでなく、どちらかといえばむさくるしさを感じる男に多くの人々が引きつけられた、本当のプロセスを描くドラマを作れないものかと再現ドラマを見ていていつも感じる。おどろおどろしい教祖が出てきて、気持ちの悪い話し方をして、サリンを撒くように命ずる。事件への流れは分かるが、そこからは多くの人々がカルトに導かれ、のめり込んでいくプロセスが見えてこない。「自分を変えたい」「病を治したい」「自分の存在意義を知りたい」「多くの人々の役に立ちたい」「行き詰まっている社会をなんとかしたい」等々多くの想いを持った人々が、なぜオウムに、あの教祖に引きつけられたのか?そこを分析しない限り、なぜあんなオウムなんて団体に入ったんだろう? という一般の方々の疑問は永久に解けず、再び第二の麻原彰晃が現れたときに、多くの人々が迷わされることとなるのではないだろうか。

昨日の番組を見ての感想はこんな感じでした。
今晩も見る予定でいます。記事を書くかどうかは未定です。


復興か滅亡か

2012-01-01 01:55:28 | Weblog
 2012年の幕開けです。
 みなさま明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。m(_ _)m

 今年の年賀状は被災地バージョンというのがあって、「おめでとう」の言葉を使わず、「絆」とか「心にいつも笑顔を」とか「空を見上げていこう」などの言葉入りの年賀状が使われています。私の場合は、「おめでとう」の言葉入りの被災していない人用はがきと、「おめでとう」の言葉を使わない被災者用と2種類のはがきを用意して使い分けています。^^

 昨年東日本では、3.11における未曾有の大震災があり、大津波におそわれ、住まいを失い多くの尊い命が失われました。太平洋沿岸地域の美しい町並みは、あっという間に一変し、どす黒いヘドロとがれきの山に変わり果て、みな呆然と立ちつくすしかありませんでした。

 さらに我がふるさと福島県は、原発による放射能汚染により、多くの県民が避難民となりふるさとから離れざるを得ない状況に追い込まれました。いまや「フクシマ」は世界中でチェルノブイリ並に有名になってしまったそうです。

 政府は勝手に収束宣言を出していますが、現地では誰も事故が収束したなどと思っていません。現在も放射能は出続けているだろうと思っています。それに、海洋汚染については、全くといってよいほど発表がなされていません。沿岸部のこんぶ、わかめ、のり、貝類などが、どれだけ放射能で汚染されているのか現地の人にもろくに知らされていないのが現状です。

 とはいえ、震災から9ヶ月。日本全国の皆様、世界各国の皆様からのご支援をいただき、おかげさまで被災地は少しずつではありますが復興しつつあります。この場を借りまして、ご支援いただいた皆様に感謝を申し上げます。
 
 家族を失い、ふるさとを追われた人たちの心の傷は、そう簡単に癒えるものではありませんが、前に踏み出すしかありません。今年は、辰年。東北だけでなく、日本全体が昇り龍のように勇ましく復興に向かっていってほしいものです。

 さて、その一方で、2012年にマヤ歴が終わり、人類が滅亡するという噂もまことしやかに飛び交っております。たしかに、昨年の震災そして大津波、原発事故、世界の大洪水、独裁政権の終焉それに世界経済の危機的状況等を見ていますと、昨年から今年が、大きな時代の流れの分岐点になっているのではないかと感じてしまいます。

 大震災を経験した後だと、世の中何が起きてもおかしくはないなという感じにはなりますが、できれば人類滅亡は避けて欲しいですな。危ない日は、2012年12月21日だとか・・・。でも、一年間この日を気にして、びくびくしながら生きていくのは、あまりにも愚か。「一日一生」の気構えで生きていきたいものです。

終わりなき人体汚染

2011-05-22 07:55:33 | Weblog

いったいいつになったら原発が収束するのやら・・・。

私の住んでいるところは原発から40~50キロ圏内、かろうじて避難はまぬがれています。

それでも心配なので、先日個人的に放射能測定器を入手し、さっそくあちこち計測してみました。

その結果、室内では0.18μSv~0.23μSvぐらい、室外だと0.20μSv~0.35μSv程度でした。

原発事故以前だと、おそらくこれでも高い数値と感じたのでしょうが、事故以来シーベルトやテラ

シーベルトや4700兆ベクレルなんて数字を見せられているために、たいした数値ではないなと

いう感覚に陥ってしまいます。

しかし、雨どいの排水口に計器をもっていったところ、急激に数値が跳ね上がり、

簡単に3.0μSvを超え、さらに数値は上昇!

1.0μSvに警報値を設定していたため、警報音がピッピピッピと鳴りだしびびりました。

2棟の雨どいの排水口6カ所を計測してみたところ、全てにおいて3.0μSvを超えていました。

ほとんどが4.0μSvを超えでしたが、家の裏側であまり風も吹かないようなところでは、

なんと最大値7.11μSvを計測しました。

ところが、その周辺7、80㎝も離れると、0.20とか0.30とかの数値に戻ります。

思うに、以前の爆発時に飛散した放射能汚染物質が、飛んできて雨に混ざり降り注ぎ、それが

雨どいで集約されたかたちで部分的な土壌汚染になっているのだろうと思われます。

いまだに放射能が出ているということはセシウムかな・・?

 

日々いろいろな原発に関する記事が載りますが、気になる記事があったので載せておきます。

内部被爆について(琉球大学 矢ヶ崎克馬教授)

 http://eritokyo.jp/independent/yazaki-okinaqwa-col01.html

 

チェルノブイリ事故から10年 何が起きているのか。

低濃度汚染地域でも決して安心できない現実を知らなくてはならない。

東日本は人ごとでありません。

NHKの再放送を望む。

http://www.youtube.com/watch?v=uPFcn23q7uc

http://www.youtube.com/watch?v=0_NRz4vnESc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=SjINkMMCiT0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=VQezSZ6nh6c&feature=related


サリン事件から16年目

2011-03-20 10:03:05 | Weblog
サリン事件の被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。

                          合掌


東北地方太平洋沖地震(2)

2011-03-19 02:32:32 | Weblog
 地震と津波で甚大な被害を受けた福島県浜通り地区は、さらに原発トラブルにより放射能汚染という恐怖にもさらされるようになりました。

 大熊町・富岡町・楢葉町にある原発は、大した産業のない町に大きな補助金と税金を落とし、町を潤しましたがその代償はあまりに大きかった・・・。

 もちろんこんな巨大な地震が起きることは想定外だったのでしょうが、絶対に安全であると言い続けてきただけに、現在の東電のはっきりしない対応に県民の怒りが爆発寸前になっています。

 すでに、連日のメディアによる報道で、爆発が起きただの水をまいただのという情報は、飽き飽きするほど聞かされているので書き込みません。

 それよりも早く結果を出して事態を収束してほしいものです。ここ2,3日南相馬市の桜井市長が、テレビを使って、怒りを露わに訴えておりましたが、放射能汚染により本当に物資が届かない状況が続いているようです。

 南相馬市は、津波により1800戸も家が流され壊滅状態となった地区があり、不明者も多数います。本来なら、すでに不明者の発見や復興に向けての動きがなされるはずなのに、放射能汚染の屋内避難区域に指定されてしまったため全く手つかずの状態でストップをかけられています。

 おまけに、物資運搬のドライバーが放射能汚染を恐れて南相馬市まで来ようとしないため、食料品も底をつきかけています。ある病院では病人に食べさせるものがなくなり、乾パンを与えたそうである。また、ある老人ホームでは、食糧が不足しておかずがなくなり、ごはんに味噌をつけて食べさせたりしていたそうです。それでもついに限界に達したらしく、ホームの職員が突然家族や親族に電話をし、その日のうちにホームの年寄りを引き取ってほしいと言い出しました。今日電話をよこして、その日に引き取るのは無理だし、第一ガソリンがないので引き取るのは無理ですと言っても、ガソリンがなくても引き取れの一点張りで、無理矢理引き取らせたそうである。おそらく、職員も避難するのに必死だったのでしょうね。

 それもこれも、全て原発のトラブルが収束しないことにあります。東電も国も何をやってるのいったい!さっさとなんとかせい!といいたいところですが、みなじっとがまんしています。東北人はおとなしいよホント・・。ようやく東電の常務が謝罪をしましたが、遅すぎです。数十万人規模で避難しているのですよ。被災者は不明者家族を捜すこともできず、市役所職員や公務員は、被爆覚悟で最後まで現場で避難住民の世話をし続けています。東電の現場の作業員は、とんでもない放射能を浴び続けながら作業をしているのでしょう。東電の幹部はのたらくたらテレビでご託を並べていないで全員現場に行って指揮をとりなさいよ。

 ちなみに、原発で働いていた方に先日お会いしたら、できれば150キロ以上逃げたいと言っていました。アメリカ軍は原発から80キロ以上離れるよう指示が出てるとか・・・。

 こちとら避難したくてもガソリンがなく逃げるに逃げられない状態です。半ば被爆覚悟でこの地に留まり仕事を続けているのですから、一日も早い事態の収拾に心がけていただきたいものである。

東北地方太平洋沖地震(1)

2011-03-18 18:06:29 | Weblog
 みなさんお久しぶりです。白龍です。昨日夜中にようやくネットが繋がりましたので、書き込みをさせていただきます。

 先日3月11日(金)午後2時46分に東北と関東地方の太平洋沖でマグニチュード9.0という巨大地震が発生しました。その地震による津波により、多くの尊い人命と家屋が失われました。津波被害の悲惨さは想像を絶するものでしたが、その後は、福島原発の放射能汚染が問題になっております。そのことは、皆様もすでに連日のメディアの報道によってご理解されている通りです。

 現在私の住んでいる地域は、まさに連日報道されている福島県浜通りというところです。地震の起きた時、私は、現在勤めている小学校の子供たちの下校指導をして、校舎の外に立っていました。その時、突然の地鳴りと揺れが始まりました。立っていられないほどの大きな揺れ。子供たちを地面に座らせ動かないように指示しました。

 しかし、揺れはさらに激しく大きくなり、いつまでもおさまる様子がありません。学校は大きく横に揺れ、そのまま倒壊するのではないかと思われるほどでした。子供たちが座っている地面には地割れが起き、電信柱が折れ子供たちの頭上に落ちて来るのではないかと思うほど揺らぎました。一緒に下校指導をしていた先生たちも、その異常な光景に青くなりました。子供たちはパニックになり、泣き叫ぶ子供もいました。

 その後、長い揺れもおさまり、親さんが子供たちを迎えに来だしてほっとしたのも束の間、大津波がやってくるという情報が入ってきました。その間約30分ほど。最初は「3メートル」の津波がくるという情報でしたが、その後、「10メートル」の津波が来るという情報に変わりました。

 その時私は、まだ津波に対して正直甘く考えていました。というのも、いままで地震が起きた時に、何度も津波がくるくると言っては、「20センチほど海面の上昇が見られました。」などという程度で済んでしまったことがたくさんあったからです。数メートルの津波などというものは、想像することもできませんでした。きっと、海沿いの人たちを避難させるために大げさなことを言ってるのだろうくらいに考えていました。しかし、グラウンドにいた子供たちと、迎えにきた親さんを校舎の三階に避難させている途中で、今まで見たことのない光景を目の当たりにすることとなりました。

 その光景とは、海岸から5、6キロ離れている場所にもかかわらず、田んぼの中を、黒いコールタールのような水が、気持ちの悪いスルスルという動きで全てを飲み込みやって来る様子でした。「なんだあれは・・・!」と絶句しながら皆その光景を眺めていました。真っ黒な水の中には、太い木の幹があちこちに見ることができました。海岸線にあった防風林を全てなぎ倒し、ここまで押し流してきたことがわかりました。あの中に人間が巻き込まれたらと考えるとぞっとしました。遠くに見える家は、軒下までその泥水で埋まっていました。

 その後、東北各地の津波による被害状況は連日テレビ報道された通りです。まさに「未曾有の・・」という表現が使われるほどの甚大な被害をもたらしました。私は、東北だけでなく、太平洋側の各都道府県で大きな被害が出たことを報道ではじめて知りました。

 勤務校の子供達は、幸いにも全員無事を確認することができ、ほっと胸をなで下ろしました。しかし、海沿いに住んでいる子供の家は、全壊あるいは1階部分へ泥水が入り込んで住むことができなくなりました。度重なる余震と津波の恐怖、ライフラインの断絶により多くの家族が避難所への生活を強いられるようになりました。

 地震後から電話が全く通じなくなり、家族の安否確認ができなくなりました。家族・親族がお互いに探し回りようやく再会を果たし、涙ながらに喜び合う姿が至るところで見られました。その様子は、テレビ等で紹介されていた通りです。

 その一方で、多くの方が津波に飲みこまれ亡くなりました。それまで一緒にいた家族・親族・友人が巨大な波により一瞬のうちに引き裂かれてしまいました。その際、全国各地で悲惨な出来事が数限りなく起きました。新聞報道によると、車に乗っていた母親と娘が波に流され、それを見ていた周りの者が二人を助け出そうと車の窓を割り、なんとか母親を助け出すことはできたが、娘はなにかに引っかかって助けることができず、母親の目の前で波にさらわれてしまったそうである。母親は、自分が娘と替われば良かったと泣きながら自分を責めているというような記事が載っていました。

 我が校のある児童のお母さんが話してくれた内容だと、そのお母さんが、地震直後、近くに住む自分の母親の安否確認にいったところ、母親は畑にいたそうである。「津波が来るから一緒に逃げよう。」と言おうと、車から降り母親に近づこうとした時に津波が襲ってきたそうである。それに気づいた母親が「津波が来たからにげろー!!」と叫んだそうである。娘であるお母さんは、必死で車に戻り車を走らせ、津波に追いかけられるようにして逃げ、なんとか一命を取り留めたそうである。しかし、大声で叫んで自分を助けてくれた母の消息は現在も分からずにいる・・。なんとも哀れな話である。しかし、このようなことが現実に各地で起きたのです。

 震災から早一週間。皆口をそろえて言います。「まるで夢の中にいるようだ。」と。
あの地震から全ての生活が一変してしまった人々の苦しみは今も続いています。

2011年 謹賀新年

2011-01-01 14:30:29 | Weblog
新年明けまして
   おめでとうございます。



昨年の猛暑の時は、涼しくなる日がくるのだろうかと心配しましたが、
時期が来ればやはり涼しくなり、雪も降るのですねえ。
会津に続き、鳥取でも大雪で車が600メートルも立ち往生だとか。


昨年一年間、オウム業界もいろいろあったのでしょうが、
アレフもひかりの輪もなんとか存続しているようですな。
ひかりの輪は、スタッフがどんどんお辞めになっているようで、
アベルさんご指摘のように、
しっかりひかりの輪の役割が果たされているのかなと感じます。
会員さんも早めに実態に気づいて身の処し方を考えて欲しいものです。


野田さんのブログに現Sやその代理人らしき人が書き込みをして、
多くの人から反発をかっているようです。
書き込んでいる人が、本当にサマナかどうかも分かりませんが、
今も昔も内部にいる人の意識はそれほど変わらないだろうなというのは、
容易に想像がつきます。
それを表に出すか出さないかだけでしょう。

現Sさんへ篠沢教授が

 「現Sさんは一連の事件をどのようにお考えですか?
  偉大なる完全なる絶対なるシヴァ大神の変化身であられる、
  真理の御霊・最聖 麻原彰晃尊師の深遠なるヴァジラヤーナの救済か、
  グルを陥れようとするメーソン・イルミナティによる陰謀か。
  どちらですか? 」

と質問していましたが、その答えとして、

 「正直に申し上げると、分かりません。
  もちろん、一切の現象は絶対なる神による現象でしょうが、
  もう少し人間的な捉え方をした場合、
複数の要素が同時に絡み合っているという
印象はあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
野田氏は、あたかも教団が陰謀説で見解を固めている、
かのような発言を繰り返していますが、
少なくても自分の周囲では、見解はかなり自由になっています。
というかそもそも、事件に関した話題にはほとんど興味がありません。」

この方は、ある意味正直な答え方をしているのかなと思います。

事件については、自分の中で結論が出ないため、
大いなる神々のなせる業として、
もう考えずにおこうと捨てておく姿勢が見えます。
教団として外部に対しては、不必要な摩擦を生じないために
事件に対して謝罪をする姿勢をみせているでしょうが、
すでに個々人の中では、事件に関しての関心は、
ほとんどないといってよいのでしょう。

そのことは、以前マハーラーキニー師がTVで隠し撮りされた時の
「世間の人はもう事件なんて忘れていますよ・・。」
と言ったような発言にも現れていたように感じます。
忘れているのは、外部の人ではなく内部の人なんですけどね。

教団内部には陰謀説もあればヴァジラヤーナ説もあり、
いまとなっては、それすらもおそらくどっちでも良いのかなと思います。
それよりも自分の修行を進め高い世界へ生まれ変わること、
真理を広め人々を救済する菩薩の実践すること。
それがグルの意志と感じ修行をしているのではないかと考えられます。

それを外部の人間が無責任と言おうと、
非人間的と言って批判しようと、
内部の人間には、別に痛くもかゆくもないわけです。
なぜなら事件に関しては、
分からないことだらけなので、考えないようにしているからです。

それに対し、いつまでも事件を持ち出して、
内部の者に責任を負わせようとやっきとなる我々と、
全く意識の置き所の違う内部の人間との、
ギャップというか、かみ合わない部分があるのかなと感じます。

今振り返って考えみると、
教団内部にいたとき、
私自身まったく事件に関する罪の意識など感じることなく過ごしていましたから、
現在まだ教団にいる人も、
罪の意識すらなく生活している人がほとんどなのではないかと推測されます。
まあ、罪の意識を認識した人は、
黙っていても教団から離れるでしょうけどね・・。

今年はどのような年になるのでしょうか。
みなさま健康に留意されましてお過ごしください。
みなさまが幸せに過ごすことができますようにお祈りいたします。                           
                          
2011年 元日  合掌