羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2015年07月21日 | 三賞(殊勲賞、敢闘賞、技能賞)
横綱を倒すのが殊勲賞の条件になったのはいつか。(羽黒蛇)






「横綱を倒すのが殊勲賞の条件になったのはいつなのですか」とブログ読者から質問を受けた。この問いに答えるにあたり、大鵬と柏戸が14勝0敗で千秋楽で対戦した昭和38年9月場所。横綱を倒した力士がいなかった場所。関脇以下が大関以上に勝ったのは、

横綱大鵬 14-1

横綱柏戸 15-0(優勝)

大関佐田乃山10-5(負けたのは大豪)

大関北葉山 10-5(負けたのは廣川・出羽錦)

大関栃光   6-9(負けたのは若浪・明武谷・羽黒花・岩風・若秩父)

大関豊山   13-2

大関栃ノ海  11-4(負けたのは岩風)

殊勲賞は岩風 9-6






殊勲賞が初めて該当者なしになったのは、昭和43年11月場所

横綱大鵬が15-0で優勝。

もう一人の横綱柏戸は11-4(大鵬と大関3人に負けている)

横綱に勝つのが殊勲賞の条件になった第一号の場所。

玉乃島12-3・北の富士11-4・琴櫻10-5の三人の大関のいずれかに勝って勝ち越しているのが、

関脇前の山 8-7(1人)

前1長谷川 9-6(2人、琴櫻とは対戦なし)

前4陸奥嵐 9-6(1人)

これまでの基準であれば、長谷川が殊勲賞を受賞していただろう。相撲協会が致命的過ちを犯した場所である。(殊勲賞を該当者なしにしたのが致命的)






翌年は横綱に勝たなくても殊勲賞が三場所。

昭和44年1月殊勲賞 小結清国(横綱0-2、大関3-0)

昭和44年3月殊勲賞 前9陸奥嵐(横綱0-0、大関1-0)12日目に10-1同士で大関琴櫻に勝ち、優勝争いのトップにたったことを評価された。

昭和44年7月殊勲賞 前乃山(横綱0-1、大関3-1) 柏戸引退、清国新大関で優勝






ここから三場所大鵬が一人横綱。三場所とも大鵬に勝たなかった力士が殊勲賞。

三横綱になってからしばらく横綱に勝った力士が殊勲賞が続き、

昭和46年1月が該当者なし。横綱が関脇以下に負けたのは北の富士の二敗。勝った貴ノ花と栃東いずれも負け越し。

しばらく横綱に勝った力士の殊勲賞が続く。

昭和47年7月は、一人横綱北の富士全休。殊勲賞は優勝の高見山(前4)大関は3人で、大麒麟途中休場、清国(高見山が勝つ)、琴櫻(高見山が負ける)1-1

昭和47年9月は、一人横綱北の富士全勝。殊勲賞は大関戦3-0の輪島(関脇)

昭和48年3月殊勲賞の大受(横綱0-2、大関3-1)






昭和49年9月は面白い。0-4途中休場の横綱琴櫻に勝った高見山8-7ではなく、優勝した大関北の湖13-2に勝った荒瀬11-4が殊勲賞。






昭和50年5月殊勲賞は前9の金剛(10-5、横綱0-1、大関1-2)大関一人しか倒していないのに何故殊勲賞なのか。金剛9勝2敗と横綱北の湖10勝1敗と一差で優勝を争ったことが評価されたと思われる。






昭和52年1月まで、二横綱(輪島・北の湖)のいずれかに勝った力士が殊勲賞が続く。






羽黒蛇





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