昭和の小樽 二十八
小樽名所のひとつにオタモイ海岸がある。
私はオタモイ海岸の美しさをと父から聞いてぜひ写生したいと思っていた。
その念願がかない、叔母が長崎街(?)に住んでいたのでそこへ寄った足で小さな峠を越えてオタモイに着いた。 私はそれまで見た、蘭島や塩谷海岸を想像してたので海岸のイメージが吹き飛んでしまった。
絶壁道からはるか下に白い砂浜に迫る透明の海が青々とひろがっている。いくつもの岩礁のまわりに漂う昆布の群生、青く輝く海底の石、まるで童話の竜宮城のせかいだった。
地理でまなんだ京都の清水寺と同じ櫓をくんだ建造物が絶壁に張り付いたように建っている。
小樽でこんな透明の海を見たのは初めてで、帰宅してあまりにも美しい海底をクレパスで表現するのになんども描き直してひと月もかかってしまった。その絵は三年後に中学の絵画展で特選を取った。 叔母の家で色々ご馳走になったのでオタモイの大きな食道には入らずに入船町にかえったのが悔しかった。
私はカレーライスの看板をみてしまったのである。
帰り道、稲穂町をとおり、今井百貨店をのぞいて五階の玩具売り場で買ったおもちゃが百連発だったか、トランプだったか忘れたがいまもその百貨店はあるのだろうか。小樽では近代的と言われた映画館の電気館でキングコングをみたのもその頃である。
夏の公園とおりは縁日でガス(アーク灯か?カーバイト灯か…)灯が何故か涼しい光景にみえたのは何故だろう…日活活動写真館よこの食堂のウインドーに水が流れ、アイス氷が回転し、冷たい氷水を食べて頭の芯が痛くなって外へでたせいかもしれない。
昔、この夜店で本をならべて売った伊藤整の高商生だった頃のバイト話を聞いた事がある。
小樽名所のひとつにオタモイ海岸がある。
私はオタモイ海岸の美しさをと父から聞いてぜひ写生したいと思っていた。
その念願がかない、叔母が長崎街(?)に住んでいたのでそこへ寄った足で小さな峠を越えてオタモイに着いた。 私はそれまで見た、蘭島や塩谷海岸を想像してたので海岸のイメージが吹き飛んでしまった。
絶壁道からはるか下に白い砂浜に迫る透明の海が青々とひろがっている。いくつもの岩礁のまわりに漂う昆布の群生、青く輝く海底の石、まるで童話の竜宮城のせかいだった。
地理でまなんだ京都の清水寺と同じ櫓をくんだ建造物が絶壁に張り付いたように建っている。
小樽でこんな透明の海を見たのは初めてで、帰宅してあまりにも美しい海底をクレパスで表現するのになんども描き直してひと月もかかってしまった。その絵は三年後に中学の絵画展で特選を取った。 叔母の家で色々ご馳走になったのでオタモイの大きな食道には入らずに入船町にかえったのが悔しかった。
私はカレーライスの看板をみてしまったのである。
帰り道、稲穂町をとおり、今井百貨店をのぞいて五階の玩具売り場で買ったおもちゃが百連発だったか、トランプだったか忘れたがいまもその百貨店はあるのだろうか。小樽では近代的と言われた映画館の電気館でキングコングをみたのもその頃である。
夏の公園とおりは縁日でガス(アーク灯か?カーバイト灯か…)灯が何故か涼しい光景にみえたのは何故だろう…日活活動写真館よこの食堂のウインドーに水が流れ、アイス氷が回転し、冷たい氷水を食べて頭の芯が痛くなって外へでたせいかもしれない。
昔、この夜店で本をならべて売った伊藤整の高商生だった頃のバイト話を聞いた事がある。