吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和の小樽15

2005年10月16日 10時53分26秒 | 昭和の小樽
昭和の小樽 十五

 柳並木が春風に揺らぐ頃、私は入船川にかかる木橋に腰掛けて海に向かって左側道路に建つ白壁土蔵の絵をこのんで描いた。白と屋根木の陰影が美しくて子供心に深い感動を覚えた。
 背後の人影で振り向くと、長屋の端に建つ小屋の住人、なんでも屋のタッちゃんの娘のサツちゃんだ。貧しい為に高等小学にもゆけず、なんでも屋の父の手助けをする頭のいい美しい女の子だった。 佐々木銃砲店横の広場に川に向かって建つ二列の四軒長屋となんでも屋の間に機織り婆さんが一日中、パタン、パタンと織機の足を踏む家があり、私はサツちゃんと一緒に婆さんとの会話を楽しんだ。「婆ちゃんの故郷はどこだべ?」
「故郷カ!…しやれた言葉やナ…故郷は佐渡だ!」       「ふーん!父ちゃん浪曲で毎晩佐渡へ、佐渡へと…うなっとる」
「佐渡はいよいか住みよいか…のとおりヨ…」
 婆ちゃんの織るのは帯である。それも西陣などの高級帯でなく、ぼろ切れのほぐしたのを織って帯の形をしただけのもので、何日かで織り上げると風呂敷につつんで何処かへ納めに行く。
 そんな日の夕方、私にかならず白いブッキリ飴か黒飴の入った紙包みを土産にくれるのだった。
 タッちゃんはニシンの季節になると浜からリヤカーに満載したニシン箱を路地に運び込んで、腹を裂きカズノコと白子をとりだすのだった。
 たまにはガサエビ(シャコ)を釜いっぱいにゆでて工員のオヤツ用にもってくることもある。
 笹筍の季節がくると路地は笹筍の生の匂いであふれるのである。 ある日の夜、父は酔いながら…タツちゃんは赤やでェと言った。「タツちゃんはいつも風呂さ行くぞ!」私は口をとがらした。
「ハッハッハッ…赤はきたない垢やないでェ…共産党や…」
 父は富山弁でそう言った。