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餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

青春のセベレンス館 2

2007-10-21 02:02:28 | お便り

先日、セベレンス館の写真を送ってくれたイ○ウくんからリポートが届いた。

イ○ウくんは1984年から1988年にかけて、碑文谷にあったセベレンス館への
勇猛果敢なる侵入を試みた数少ない戦士の一人だ。

*     *     *     *

前回にも書いたが、僕はセベレンス館に行ったことがない。
セベレンス館には行った事がないのだが、イ○ウくんとシ○ズくんと3人で
山梨県出身のル○ちゃんの家を探しに戸越まで行った事ならある。
(文脈的なつながりがまるでないね。気にしないで欲しい。)

どうでもよいが、ル○ちゃんはものすごーく、可愛かった。
英文科の中でもヒトキワ輝いていたね、イ○ウくん。

ミッションは、“戸越で一人暮らしのル○ちゃんの家を探せ”

天からの啓示をうけたその日の夜、冬の夜風にあたっても一向に酔いがさめない
ほどに僕たち3人はしたたかに酔っていた。
酔っていたのにもかかわらず、僕たちはイ○ウくんが運転するソアラをビュンビュンと
飛ばし、僕たちのことを決して待っていないル○ちゃんの家を(勝手に)めがけて
首都高戸越出口を目指して走っていた。

しかし、そこはそれ、酔っ払い運転である。

第2京浜(一国)と首都高戸越出口が交差するあたりで、いつの間にか僕たちの
ソアラは反対車線に入り込んでしまった。
ライトを煌々と照らしながらこちらに向かってくる車列に慌てふためいたイ○ウくんは、
エイヤ!と急ハンドルを切って走行車線への進入を試みてみる。

キキキキキ・・・!

バーン!

残念なことにクルマは中央分離帯に乗り上げ、前輪がハの字に曲がってしまう、
という派手なアクシデントに見舞われてしまった。

そう、立派な事故である。

幸いなことに、警察のお世話になることもなく、僕たち3人はJAFに牽引されて
田無のイ○ウ家まで帰るハメになったのだが、僕とシ○ズは吊り上げられた
ソアラの中に閉じ込められ、とてもとても寒かったことを昨日のことのように
思い出すことができる。
(ほとんど一緒に酒を飲んだことのないシ○ズがなぜ一緒にいたのかは全くを
もって不明)

*     *     *     *

閑話休題

ちょっとセベレンス館の話から外れてしまったよ。
何が言いたいのかというと、「女の子の一人暮らし」と聞いただけで、ものすごく
ドキドキとしたなぁ、ということが言いたかったワケで。

そんな夢と希望に充ち満ちた「女の子の一人暮らし」がまとめて数十人単位で
行われている、それがセベレンス館だったワケだから、今さらながらセベレンス館の
話を送ってくれたイ○ウくんにはとても感謝している。

行きたかったなあ、セベレンス館。

以下はセベレンス館への潜入を何度となく試みたイ○ウくんからのリポート。

*     *     *     *

 『そうです。ご記憶の通り、当時のセベレンス館は碑文谷にありました。
  目黒通りを柿の木坂方面に向かい、左にダイエーを見るとその手前を左折。
  すぐに正輝・聖子挙式の舞台となったサレジオ教会を左に右折。
  「イエスタディ」の裏手、まもなく車を止めると、僕たちはまるで何かに憑かれた
  ようにセベレンス館のあったその場所を目指したものです。

  □    □    □

  あなたの言うように当時のセベのセキュリティといえば、せいぜい塀の上に
  張り巡らされた有刺鉄線程度の、お粗末なものでした。 
  オートロックが当たり前になった現代からすると、僕たちの学生時代はまるで
  太古の昔のようです。
  そのうえ侵入経路はあらかじめ内部のお友だちに知らされていたので、
  それは容易なものでした。
 
  塀伝いに建物の側壁にたどり着くと、開口が広めの窓から入室するという、
  まるで空き巣の手口です。
  入ると、男子禁制の館内はそこかしこにサクラ色の空気が漂い、今でいえば
  甘い香りのマイナスイオンが出まくっているような状態でした。

  そんな空気をまずはひとつ深呼吸。

  体内が歓喜に満たされます。
  「男子禁制」の世界、知るはずのない領域、それが目の前に現実になるとは・・・。

  □    □    □

  初めてセベを訪れた時、僕は僕の20年近くの人生は、きっとこの部屋に来るために
  あったんだ、そのために生きてきたんだと、気がつきました。
  そして中学・高校・大学と明学にたくさんの学費を払ってくれたお父さんに対し、
  改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

  ありがとう、父さん。

  □    □    □
 
  しばらくすると、知ったか知らずか、部屋のあちこちから僕たちの潜入をかぎつけた
  寮生たちが、普段の部屋着姿のままで現れます。
  ちょうどお風呂から上がったばかりの濡れ髪をタオルで拭きながら入ってくる
  パジャマ姿の娘もいます。
  お菓子や飲み物を差し入れてくれたり、なかにはコタツに誘われたものも
  確かにいたかもしれません。

  忍び込んだ緊張感が次第に薄れてくると、図に乗った侵入者たちはフラフラと
  部屋から部屋へ移動し始めます。
  館長らの監視の目を盗んで、館内を行き来するスリルはまたエキサイティングな
  ものでした。

  それはそれは夢のような楽しいひとときでした。

  しかし、もちろん中には僕たちを歓迎しない寮生もいるわけで、そうなるとあまり
  長居は禁物です。
  ひとしきりセべを満喫したあとは大事に至らぬ前に、そっと帰って行くのが掟です。
  時には行きと帰りで頭数が違うこともあったり・・・(茶髪のヒ○シがイナイ?)

  ま、きっとどこかに迷い込んだのだろうと、特に気に止めることもありませんでしたが。

  アー、そんなあの頃がとても懐かしく思い出されます。

  チャン・チャン。

  □    □    □
 
   とまぁ全く、今、振り返ると、大事な大学時代をこんな風にして過ごしていたんだなぁと、
  実に後悔してしまいます。

  卒論を書かずに卒業したことを今でも後ろめたく、いまだに卒業できていない夢を
  見るほどに苦しんでいる愚かな私です。

  大津先生、なぜ私は卒業できたのですか・・・。

*     *     *     *

後悔なんてする必要はないではないか、イ○ウくん。
ってゆうか、大学時代にナカナカできない経験をしたのだから、後悔なんてしてないでしょ、
本当は。

しつこいようだが、僕は君がウラヤマしい。

そのときに培われた、何事に対しても臆することのなく挑み続けるという気持ちが、
後々、僕たちの人生において色々と役に立っているのかもしれない。
だから大学時代って、とても良い時間だったのではないだろうか(きっと)。

お互い卒業できてよかったね。

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