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餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

気恥ずかしさと、民主党の戦略

2009-10-06 23:44:04 | 札幌で考える

Photo日曜日、
朝は次女の小学校で父兄参観に。

昼は札幌マラソンに出場した後輩の応援へと向かう。

2人がハーフマラソンに参加しているはずで、
僕は12キロ地点の河川敷に佇み、
彼らがやってくるのを今か今かと待ち構えていた。

しかし。
参加者6,000人。

ものすごい数のランナーたちが時速10~12キロ以上のペースで
目の前を通過していく。

僕は視力低下の著しい眼を忙しく動かし、
2人の姿を探し続けた。

しばらくすると、
数多(あまた)いるランナーの流れの中で、
辛うじてノブちゃんの姿を見つけることができた。

180㎝超の長身な彼は
数珠つなぎで流れる人波の中からアタマひとつ抜きんでていたため、
目深(まぶか)にかぶった帽子姿ながらも僕は彼に気がつくことができた。

「ノブ!がんばれ!いいピッチだ!」

突然の声援に驚いた表情のノブちゃんではあったが、
僕のことに気がつくと、
照れ気恥ずかしそうな表情を浮かべ、
小さく頷きながら素早く手を振り、走り去っていった。

洗いざらしの白Tシャツに短パンのイデタチで走るノブちゃん。

僕はレース前の、会社での彼のこんな言葉を思い出した。

「所詮、僕なんかはストイックに週末走るでもないし、
 マジで走っている人には申し訳ないくらい準備不足で。
 でも、ちょこっとだけ頑張りたいんですよね。
 ・・・
 何て言うか、格好悪い自分を知っているから
 走っている自分の姿は鏡で見たくないんですよね。
 ・・・
 最近、走っている人たちって、みんな流線形のサングラスをかけて、
 i pod を聞きながらだし、着ているウェアもシューズもオシャレだし。
 見られている自分、鏡の中の自分を意識しながら走っていますよね。
 ・・・
 でも走っているときって、そんな周囲の目線を気にしている隙間って
 自分にはないんですよね、キツくって。
 ・・・
 なんか気恥ずかしいじゃないですか。
 『ライバルは自分』みたいなスポーツなわけですから、
 (そうじゃない、俺はそこまで向き合って走ってない)っていう
 気持ちなんですよ。
 いや、向きあっちゃっているワケですけど。
 そう思われたくないんですよね、大したタイムで走るわけでもないし。
 ・・・
 だからウェアも、普通のTシャツに短パンという、
 口笛吹きながら買い物にでも行っている風を装いたいんですよ。」

*     *     *

民主党の前原国交省大臣がテレビに出まくっている。

テレビが持つメディアパワーを十二分に熟知しているからこその、
PR戦略だ。

したたかである。

前原大臣の言葉の一言一言には無駄がなく、
意志の強さを感じる。

それでいて、決して驕った風をみせない、
謙虚で慎ましやかで、気恥かしさも内包したハニカんだ表情をみせる。

案外、長期政権になるのではないだろうか。

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繰り返し、対話する

2009-09-22 16:00:09 | 札幌で考える

イチローが、
9年連続200本安打という記録を達成した。
その翌日の朝日新聞でチームメイトの城島がコメントをよせている。

『誰よりも「イチロー」という野球選手を客観的に見ているのが、
鈴木一朗という人物だと思う。
そのうち自分のことを、「彼」
なんて言い出しそうな雰囲気があるプレーだけでなく、精神
面とか体調面とか、自分のことを冷静に分析できるところが、
イチさんの最大の強みだと思う。』

朝日新聞9月15日(火)『イチローを語ろう ①』

城島の、
このコメントを読み、僕はWBCでの韓国との決勝戦で
10回表にセンター前タイムリーを打ち日本を勝利へと導いたときの
イチローのコメントを思い出していた。

イチローはこう言っている。

『僕は持ってますね、神が降りてきたという感じ。
 
日本中のみんなが注目しているだろうと思って、自分の中で実況して。
 
普段は結果が出ないんだけど、それで結果が出て壁を越えたと思います』

つまり鈴木一朗は、
バッターボックスで
無表情を決めるイチローを見つめながら、
頭の中で実況中継をしていたのだ。

そう、
城島が言う通り、
鈴木一朗は自分のことを「彼(イチロー)」と呼んでいるのではないだろうか。

だからきっと、
鈴木一朗とイチローは統合されていない。

そしてその分離された不安感が原動力となって、
鈴木一朗とイチローの最終統合という高みへと
自身を押し上げていくのではないだろうか。

その押し上げていく推進力が彼をストイックにし、
そのストイックは継続されるべく、様々なルールになっていく。

それが、『日々の繰り返し』。

数年前、NHK『プロフェッショナル』というテレビ番組で、
イチローのプライベートな生活が垣間見れたことがある。

イチローは毎日、昼にカレーライスを食べる(!)。
朝起きてから球場に行くまで、食事以外でもまったく同じことをするという。

イチローの天才性は、
(誤解を恐れずに書くと)彼がアスペルガーだと考えると腑に落ちる。
アスペルガーの人たちが発揮する天才と創造性は
すでに歴史が証明している。

*      *      *

朝日新聞で城島のコメントが掲載された15日火曜の夜、
NHK『プロフェッショナル』では井上雄彦を紹介していた。

氏は『スラムダンク』・『バガボンド』の原作者である。

番組では作中人物の心理描写にこだわる氏の製作現場を密着取材していた。

『自分がコントロールして書いたら、
 途端にこざかしいものになるのは目に見えているじゃないですか。』

つまり井上雄彦は、
ネーム(コマ割をしてセリフを書き込んだマンガの設計図)を作りこむ段で、
自分が自分の意思でストーリーを書き込む・という所作ではなく、
作中人物から吹きこぼれてくる言霊を待ち、
それをうけてしぐさとか、表情をつけていくという。

それを氏は『あの人たちの世界に入る』作業だという。

しかし、
あの人たちの世界は確実に井上雄彦の中にあるのだから、
決して氏は黙してあの人たちの語るを待つのではない。
その世界の中で、氏はあの人たちと対話を続けているのだと思う。

(村上春樹は小説をうまく立ち上がらせるために、
 作者と読者と、うなぎ(なるもの)と3人で膝をつきあわせて
 色々と話しあう・という)

井上雄彦が毎週〃繰り返すネーム作りの苦悶の姿をテレビでみていたら、
ふと(井上雄彦は死んでしまうのではないか)と思った。

それでも氏は日々を繰り返す。

夜中の3時、
なんとか仕上がった原稿の上に描かれた武蔵と、
穏やかな表情で原稿を見つめる井上雄彦の表情とが
重なった(ように僕にはみえた)。

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匂い

2009-07-22 06:30:00 | 札幌で考える

いつぞやかタカちゃんが
「もしかしたら自分は〇△◇なのではないか」という
自分の知らない自己が(もしかしたら)存在することに対する
底知れぬ不安感について書いていたが、
そうなのだよ、タカちゃん、
人間には「ジョハリの窓」という4つの自己があるらしいのだよ。

1)自分は知っていて他人も知っている自己
2)自分は知っていて他人は知らない自己
3)自分は知らないが他人は知っている自己
4)自分も知らないし他人も知らない自己

これはアメリカの心理学者が提唱した
対人関係での気づきのグラフモデルというらしく、
コミュニケーション心理学などで、よく活用されるらしい。

で、きっとタカちゃんが言っていたのは 2)なのだろうか、
ハタマタ 4)なのだろうか。

ま、みんなそれぞれの 1)やら 2)やら 3)やら 4)があるのだろう、
きっと。

きっと。

*      *      *

1q84_2

5月末の発売時に速やかに買ったこの本。

BOOK1で554ページ
BOOK2で501ページ
延べ1,055ページにもわたるこの本ですから
先月末をもってしてようやくと読み終えることができた。

やれやれ

さて、
この本を買って気がついたことがある。

それは“この本はとてもよい匂いがする”ということ。

D社のSさんという著名なクリエーターもブログでおっしゃっていたが、
この本からは単なる印刷工程で染み付いたインク臭ではない、
かといって香水のような華美な匂いでもない、
なんとも表現のしづらい“よい匂い”がした。

クン・クン

クン・クン

さらにページの触り心地がとても良い。
きっと紙については上質紙を使ったのだろう。
薄いのに精緻な紙触りで、
ページをめくるたびに
親指と人差し指が気持ちよさを感じていた。

きっとこれは新潮社のサブリミナル戦略に違いない。

つい数週間前までは品切れだったらしいが、
今なら本屋に平積みされているので
まだ読んでいない貴兄も
ぜひこの本の匂いと紙触りを感じてほしい。

ただし本屋におかれたこの本を手にとり、
過度に匂いを嗅ぐことをお勧めはしない。
(だって恥ずかしいでしょ)

*      *      *

実は自分、本の匂いフェチである。
きっと上述の2)に該当する。

幼い頃、
母が「本って良い匂いがするのよ」と僕に教えてくれたその日から、
クン・クン

クン・クン

僕は本を買うたびに必ず匂いを嗅いでいる。

クン・クン

クン・クン

そう、
よく考えてみると、
僕は本に限らずこの世の中のあらゆる匂いに敏感なのかもしれない。

雨上がりの街の匂い
地下鉄の金属的な匂い

とか

緑うっそうと生い茂った夏山の匂い
一晩中降り積もった雪がやみ、
雲ひとつなく晴れ渡った朝の凛とした匂い

とか

買ったばかりのシャツの匂い
新車の匂い

とか。

子供のころは
友達の家に遊びに行くと、
大概どの家にも必ず独特の生活臭があって、
僕は友達の家の玄関を開けた瞬間から感じることのできる
(今までに経験したことのない)その初めての匂いを嗅ぐのが
大好きだった。

*      *      *

で本を読んだ感想については、申し述べない。
というか、察してほしい。

よい匂いがして、紙触りも最高に心地よかったという行(くだり)で。

コメント (3)
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雨の日曜日

2009-04-27 16:41:27 | 札幌で考える

Photo_10 札幌地方、雨の日曜、夕方である。

いつもなら近所の山麓通をジョギングする時間。
シトシトと降り続ける雨のおかげで今日は走れない。

通例だと、日曜は土曜の稽古疲れで
朝からカラダがまったりと重いのだが、
昨日の稽古はガシガシとすることもなく、
軽めで終えたので、疲れもそれほど残っていない。

家でグータラしてみる。

◇       ◇       ◇

子供たちが美容室へ行くというので、
送り届けた帰りに本屋に立ち寄り、本を3冊、買ってみた。

◇哲学としての仏教   竹村牧男 講談社現代新書
◇動的平衡        福岡伸一 木楽舎
◇力学でひもとく格闘技 谷本道哉 ベースボールマガジン社

「哲学としての仏教」はエイヤッ!と買ってみた。

『仏教の根本概念は、無我と縁起ということができるが
 それは根本的に、実体を否定し、関係主義的立場に
 立つものといえる。』 (P13・序文)

・・・よく言っている意味がわからないが、
仏教の世界では縁起=関係論ととらえているらしい。
最近、たまに頭の中で、
(結局この世の中は関係性で成り立っているのではないだろうか)
というフレーズが啓示をうけたかのようにスッと落ちてくることが多く、
思わず衝動買いである。

740円なーり。

*       *       *

「動的平衡」は氏の著作を以前から読んでいて
おもしろかったので、アラヨッ!と買ってみた。

『生物を構成する分子は日々入れ替わっている。
 私たちは「私たちが食べたもの」にすぎない。
 すべての生物は分子の「流れ」の中の「淀み」なのである。
 しかし、その肉体、タンパク質の集合体に、
 なぜ「いのち」が宿るのか。』 (amazon 内容紹介より)

・・・これまた難しい話だが、
ミクロではかなげなその細胞は、
集合化することでダイナミックな動的平衡性を保つのだ・
というようなことを以前の著書の中で氏は書いていたし、
その概念ママ、タイトルになっていたから
思わず衝動買い2である。

1524円ナーリ。

*       *       *

「力学でひもとく格闘技」は正道の大澤先生から
お借りして読んでいた本なのだが、
あまりにもおもしろいので、セイヤッ!と買ってみた。

『パンチは投球と同じく下肢から順次うねりあげる
 「うねり動作」が基本となる。
 これが「足で撃つパンチ」「腰の入ったパンチ」である』

要するに体幹を意識した「骨盤の回転」他たくさんのことが
とっても大切、という話なのだ。
実はこの本、「格闘技通信」なるマニアックな雑誌に連載されていた
コラムをまとめたもの。
著者は正道の黒帯だということもあり、
思わず衝動買い3である。

1500円也、押忍。

◇       ◇       ◇

写真上で、パソコンの横にある本のようなものは
坂本龍一の
「playing the piano 2009 _out of noise」

仕事の関係で人からいただいたものだ。

約10年ほど前に発売された「BTTB」というアルバム以降、
久しく聞くことがなかった氏のピアノソロ曲集。

静謐で、精緻で、
東欧の冬、ねずみ色の雲の切れ間から差し込む
昼下がりの陽射のような感じ。

否、行ったこともない東欧ではなく、札幌。
札幌で雨が降る日曜の夕方、
ソファに寝転びながら本を読み、
ボーっと聞くのに適した感じの曲の数々。

気がつくと、雨は雪になっていた(!)。
もうすぐゴールデンウィークだというのに。

やれやれ

*       *       *

大塚愛のコンサートに行った21世紀姉妹・長女と
その友達を迎えにZEPPまで行く。

雪あがりの夜空、
足早に動く雲の切れ間から星が見えた。

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読書な日々6

2009-01-19 23:23:23 | 札幌で考える

200812

昨年末に読んだ本の中から、
印象深かった本を2冊。

◆『できそこないの男たち』    福岡伸一  光文社新書

◆『旅する力(深夜特急ノート)』 沢木耕太郎 新潮社

*      *      *

福岡伸一は、数年前に『生物と無生物のあいだ』という本を書き、
分子生物学なのにミステリー小説のような読みやすさから、
多くの読者を魅了した方。
細かいところまで覚えていないが、「動的平衡性」という考え方が衝撃的で、
それまでの人体を構成する細胞のミクロではかなげなイメージのものが、
実は集合化されることでダイナミックな動的平衡性を保っているのだ・という
今までの自分の知見の狭さを思い知るにいたった、そういう意味では
右指を屈するに値する書であった。

そのため、『できそこないの男たち』も期待をして読んだ。

氏は冒頭、今でこそ当たり前とされる化学的な事実も、
そのものが発見されることのなかった前近代においては、
発見をすることがいかに大変なことであったのかを、
私たちはよくよく理解するべきだ・という。

“つまり、私たちは知っているものしか見ることができない(P54)”のだから、と。

本書は概ね、このようなことが書かれている。

“生物の歴史において、オスはメスが産み出した「使い走り」でしかない。
 生命の目的が種の保存であるのならば、オスはそのメス種の保存の
 ためにあり、環境変化に耐えうる、多様性を持った種を産み出すための
 道具にしかすぎない”

だから、
“オスの身体の仕組みには急造ゆえの不整合や不具合が残り、
 メスの身体に比べその安定性がやや低いものとなったことは
 やむをえないことだった。”
 寿命が短く、様々な病気にかかりやすく、精神的・身体的ストレスにも
 脆弱なものとなった。”

で、
“それでもオスは、けなげにも自らに課せられた役割を果たすため、
 世界のあらゆるところへ出かけていった。”(P262)

なんだかはかなげなオスであるが、少しホッとしたのはなぜだろう。

*      *      *

沢木耕太郎は、ずるい。

ロンドンのあと、どこへ行ったのか。
なぜ、『深夜特急』というタイトルなのか。
猿岩石の旅をどう思っていたのか。
なぜ26歳で、旅をしたのか。

完成された『深夜特急』という作品に対し、ある意味で無粋な「読本」を
氏は自らが書いてしまったからだ。

その読本で、氏は当時の状況を『深夜特急』的なエピソード記憶による
克明な語り口で書き記し、読む者の心を掴んで離さない。

そして、こう締め括る。

“私が旅という学校で学んだのは、確かに自分は無力だということだった”(P276)

*      *      *

オスは己の無知と無力をかみしめるべく、世界を旅する運命にあるのだろうか。
それとも、今この時間が、既に旅の途中なのだろうか。

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