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餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

白金ガ鳴ル 11―3

2011-03-06 02:19:06 | 白金ガ鳴ル

僕たち明学放送研究会の1年生30人ほどは、切れてしまった数珠の白玉のように、てんでバラバラと弾け散りながらスペイン坂に散らばった。それでも着実にラ スカラを目指して歩き進んではいた。先頭を歩く僕は、坂の途中何度となくみんなを振り返りみた。何も道幅の狭くて傾斜角の強い、そして見通しの悪いスペイン坂なんかを上らなければよかったのだ―あの店を出てまっすぐ左に行けばラ スカラにたどり着いたものを…何も遠回りをせずに公園通を目指せばよかったのだ―途中何度となくそう後悔しながら、僕はパルコパート1とパート3の間で立ちすくみ、一番後ろを歩いているはずのタカユキが追いつくまで、しばらくみんなの到着を待った。高知県出身の酒豪まゆみと上大岡に住む岩波、そして電車の走っていない沖縄からやってきたカクちゃんの3人はガードレールに腰掛けて何やら真面目そうな顔で話しこんでいる。僕は酔って視力の定まらない目を細くして彼ら3人の姿をみつめ、沖縄、高知と横浜という組み合わせそのものをしばし楽しんだ。
ようやくするとタカユキの姿が見えたので僕は歩速を早め、公園通を右に曲がりかけた。すると後ろからタカシが小走りに走り寄って来て、やんわりと僕の右手をつかんだ。
「どうした、タカシ?」
タカシは立止まると小さなカバンからセブンスターを出し、火をつけて大きくタバコを吸うと、口を開き話すに任せてうす青いケムリを吐き出しながら、けだるそうにこう言った。
「シン、悪いなぁ、俺 先に帰るわぁ」
「なんでよ?」

「俺、明日の朝さぁ、バイトの面接だから朝早ぇんだよ」
この春、稚内は礼文島から上京し、都営浅草線戸越の下宿にひとり暮らすタカシは、身長168センチのカラダを小さく左右にグラインドさせながら そう言った。青のダンガリーシャツの下から、買ったばかりであろうと思われる白の濃いヘインズTシャツが街明かりの照り返しで光ってみえた。
「あのね、タカシ、何のバイトすんのよ?」
「第2京浜沿いにあるジョイパティオのホールだよ、ホール」
「ホール?・・・ホールねぇ・・・」
そういうと僕は渋谷駅方面をみつめ、(そういえば俺もバイトを探さないとなぁ)、そう思った。しかしまぁそんなことは明日にでも考えればいいんだ、とにもかくにも僕はもう竹ノ塚まで1時間かけて帰るのも面倒くさくなっていたからタカシの家にでも泊めてもらいたいと思っていたし、ここで冷静に帰ってしまう・という行為自体が(大学生としてダメなんだ)、そう思えてきたし、(きっと行ったこともないディスコに連れて行ってあげないといけない)、そんな身勝手な使命感が湧きあがってきてしまったものだから僕はタカシにこう言った。
「あのねタカシ、ホールの仕事をするんだろ、ジョイパティオで」
「あぁ、受かったらなぁ」
「あのねタカシ、だったらぁ、ラ スカラの黒服たちの仕事を見ておいた方がいいよ」
「黒服・・・」
「あのねタカシ、これからラ スカラに行くだろ?混んでんだよ絶対に(高校生で・・・)。でもな、黒服がいいフロアさばきしてんだよ」
眉間にしわをよせ、(フーッ)と大きくケムリを吐き出すと、タカシはニタリとした笑顔に移り変わり、こう聞き返してきた。
「まじか、シン。そんなにフロアさばきがスゲェの?」
「あのねタカシ、すごいのなんのって・・・一応あいつらプロだかんな」
「・・・」
僕はタカシにウソをついた。ディスコの店員がフロアでいい仕事をしているワケがない。渋谷も新宿も六本木もディスコの店員の態度は往々にして悪かった。
「それにもうね、ラ スカラなんてながながといる店じゃねぇから、サクッと行って、サクっと帰ろうぜ」
タカシは再びニタリ顔になると、小さく頷いた。
そして僕は心の中で、こうつぶやいた。(よしっ、泊まる場所を確保)

エレベータを降りると、キャッシャーの前ではすでにスケキヨがいて、何やら黒服と話し込んでいた。僕はスケキヨの後ろから聞き耳を立ててみるのだが、暗闇の奥先にあるフロアから鳴り響く音がうるさくてどのような話をしているのかをはっきりと聞き取ることができないでいた。右耳をスケキヨの頬に近づけていると、どうやら商談が成立したらしく、やおらスケキヨは僕の右耳をつかむと僕の鼓膜を破るかのような大声で「あのね、ひとり2,000円!2,000円で仕切ったから!」と言う。そして皆の方を振り向くと両手を口元に置き、マイクのようにしつつ「はい、みんなひとり2,000円、2,000円!お釣りのない人から払って入ってって!」フロアからの音に負けず劣らずのがなり声をはりあげた。
さすがは会計、仕切りがいい。僕はセーラムライトのビニール部分に詰め込んでいた千円札数枚から2枚を引き抜き、スケキヨに手渡した。みんなもカバンやジーンズのポケットなどに手を突っ込み、サイフから千円札2枚を出しはじめた。
僕は暗いフロアを照らすスポットライトとミラーボールを見つめながらフロアへと足早に進んでいった。人いきれとタバコのにおいが入り混じったフロアでは "SO MANY MEN,SO LITTLE TIME" がかかっていた。

So many men, so little time
How can I lose ?
So many men, so little time
How can I choose ?

("SO MANY MEN, SOLITTLE TIME" MIQUEL BROWN 1983)

僕はダンスフロアの手前まで人波をかきわけてたどり着くと、一つだけ空いていた足の長い丸イスに軽く腰掛けてタバコに火をつけ、吸殻でいっぱいになった黒い灰皿をとなりからたぐり寄せて小さな灰を落とした。そしてクルクルと回る赤や黄色のスポットライトの明かりを目で追っていた。曲終りに近づくと、なぜかサイレンの音が鳴り響き、続いて高校時代によく聞いた曲が鳴り響いてきた。サックスの前奏が始まると、ダンスフロアから歓声が聞こえてきた。その歓声の中にはユカリやジュンコ、ヒサコ、オグラやカクちゃん、そして岩波がいた。一次会を仕切ったカズユキはいつのまにかフロアの真ん中で両手をつきあげ、「フワ・フワ!」「フワ・フワ!」と叫んでいた。

Who can it be knocking at my door ?
Go away, don't come round here on more

Can't you see that it's late at night ?
I'm vey tired and I'm not feeling right
All I wish is to be alone
Stay away, don't you invade my home
Best off if you hang outside
Don' t come in, I'll only run and hide

Who can it be now ?
Who can it be now ?
Who can it be now ?
Who can it be now?

("WHO CAN IT BE NOW ? " MEN AT WORK 1981)

カズユキのとなりで岩波は右足でタップを踏みながら右手を挙げて 「フワ・フワ!」と叫び続けていた。そして岩波は楽しそうだった。そう、岩波だけではない、みんながみんな、とても楽しそうだった。フロアを見回すと、ジュンコとヒサコはどうやら背の高い男2人組にナンパされているようだった。ひとりは大きな肩パットで逆三角形のカタチになったこげ茶色のダブルのスーツを着たヤセた男性で、もうひとりは白シャツのボタンを3つ外して金のネックレスを胸元で見せびらかせている前髪が目に入りそうなくらいに長い体格のがっしりとした男性だった。大人びた雰囲気を作ってはいたが、2人の横顔にはまだあどけなさが残っていたからきっと高校生だと思った。ジュンコは曲の音が大きすぎて男性から話しかけられても聞こえない様子で、小さく眉間にしわをよせながら男性の顔に頬を近づけていた。
「シン、あの2人ってナンパされてんの?」
気がつくとタカユキが僕のとなりに座っていた。そして右手にはカンパリソーダを持っていた。
「そうだなぁ・・・あれ?カンパリソーダなんて飲みなれないものを飲んでんじゃんか」
タカユキは鼻をグラスに近づけて、カンパリのニオイを嗅いだ。そしてグラスを左右にゆすりながらこう言った。
「カンパリってクスリみたいなニオイがしてさぁ、俺あんまり好きじゃねぇんだけどよ、むこうのカウンターでビールくれっていったらさぁ、カンパリを手渡されたんだよ。店員の態度悪いなぁ、ここ、シン」
そういいながらタカユキはカンパリソーダをゴクリゴクリといって一気に飲みほした。グラスをたたく氷の音が小さく聞こえた。
気がつくとあたりは急速に暗くなり、一瞬静寂があたりをつつんだ。先ほどまでカラダを揺さぶって踊っていたやつらは水が引けるようにフロアから出て行ってしまったが、数組のカップルだけが暗くなったフロアに残っていた。
チークになったのだ。
曲は僕が高校1年の時に流行った映画「ラ・ブーム」の主題曲だった。

Met you by surprise
I didn't realize
that my life would change forever
Saw you standing there
didn't know I care

There was something special in the air

Dreams are my reality
the only kind of real fantasy
Illusions are a common thing
I try to live in dreams
it seems as if it's meant to be

Dreams are my reality
a different kind of realty
I dream of loving in the night
and loving seems all right
Althought it's only fantasy

("LA BOUM" RICHARD SANDERSON 1980)

暗くなったフロアで腰に手を回しながらチークに興じるカップルたちを振り返りみながら、みんなが僕たちの方に戻ってきた。岩波は「タカユキ、その飲み物ってどこからもらってきたんだよ!てめぇひとりだけズリィぞ!」そう言いながらグラスを取り上げると底に残った氷2つを口の中に放りいれた。踊りながらナンパをされていたジュンコとヒサコも帰ってきた。やはりあの2人は高校生だったようで、彼女たちにはそれが気に入らなかったらしい。みんなが2人のナンパエピソードで盛り上がる中、僕はフロア右そででチークを踊る一組のカップルから視線をそらすことができなくなっていた。そして僕は一生懸命にその男とどこで会っているのかを思い出そうとしていた。背が高くて、眼光するどい男。どこかで会っているはずだった。固まって動かない僕に気がついたタカユキは僕の視線の先を追ってみた。そしてすぐにこう言った。
「あっ、あいつ知ってる。あいつも明学だぞ、しかも英文科で一緒だぞ」
(あっ!)そう言われて僕も思い出した。入学式の日、パイプオルガンが鳴り響くチャペルの中で、難しくて諳んじて歌えるはずのない明学の校歌を事もなげに諳んじて歌っていた明学ヒガムラ(東村山高校)出身の男だった。
一緒にチークをしている女の子は髪の毛が肩までのショートカットで、今まで出会ったことのないタイプのとてもかわいい女の子だった。

(つづく)

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白金ガ鳴ル 11―2

2008-01-08 00:48:08 | 白金ガ鳴ル

「シンちゃーん!」
神奈川の県立K高校を卒業し、現役で経済学部に入ったジュン子が女の子っぽく、僕を呼ぶ。
ジュン子は白いシャツに紺のスーツを着こなし、大人っぽい雰囲気だ。
「ハーイ!今行きます!」可愛く、愛想よく答える 僕。
「おぃ、年次長、早く来い!」
埼玉にある私立R女子高校を卒業し、同じく現役で法学部に入ったユカリがヤクザのような声で、僕を呼ぶ。松田聖子のような髪型で、赤のワンピースが一見女の子っぽいのだが、川越下町ベランメェ調が時として鼻につく。
「なんだよ!今行くよっ!」ムッとしながら答える 俺。

「あんたさぁ、会計さぁ、大丈夫なの?もう何人か勝手に帰っちゃってるよ」
ドスのきいた声でユカリが睨みつける。
「えっ、マジで?」
「まじまじ、大まじだよ。だってさぁ、あんたさぁ、見てみな、周りを。バンノいる?カトウいる?ニイラいる?ハンダいる?フジタいる?いないじゃん、あいつら。あと他にも名前の知らない子でさぁ、本当に放研に入るかどうかもわからなさそうな女の子たちもさぁ、いないじゃぁん!」
まだ数多くの部員が残っていたが、食べ残しの多いテーブルでは、確かに空いた席が目立ち始めていた。僕はタバコの煙が燻(くすぶ)る店内に、幹事であるカズユキを探した。
そう、幹事はカズユキであって、そもそも僕は今日のこの飲み会の幹事ではない。

幹事ではないのだが、年次長、ではあった。

幹事のように思われてしまったのは、飲み会が開かれたちょうど1週間前の土曜日、サークルの定例ミーティングで、3年生で会長の芦田さんに1年生の取りまとめ役となる「年次長」なるものを決めるように指示されたことに端を発する。
その時、芦田さんが、僕に向かってこう言った。
「セキカワさぁ、おまえ白金だろ、おまえさぁ、この後さぁ、1年生だけで集まってさぁ、おまえが仕切って年次長を決めておいて、なっ。俺たちは目黒のどっかで飲んでるから。伝言板に店の名前を書いておくから」
白金高校出身だと、なぜミーティングを仕切る役割を担わなければいけないのだろうかが全く理解できなかったが、その時はその場の雰囲気で、「はぃ…」と小さく呟いてしまったのだった。そして僕たち1年生は定例ミーティング終了後、そのまま本館35番教室に残り、年次長を決めることになったのだ。
教室の窓からは、強い西日が射しこんでいた。先輩である2年生と3年生が退席すると、1年生である僕たちは水を打ったかのように、急に押し黙ってしまう。そう、まだ放研に入って二ヶ月しか経っていないのだ。40名近くもいるのだからお互いがお互いのことをよくよく知っているわけでもなく、たとえば数回、先輩のおごりで連れて行かれた飲みの場で、たまたま隣り合わせていたり、同じ学部学科で学籍番号も近かったりすれば多少の戯言を会話する程度であって、全員が全員の名前をすら、まだ覚えているわけでもなかったので、こんな役回りを決める段となれば、余計な無駄口は立てない方がイイに決まっている。
ナンダ、あいつ・と思われるに決まっているんだ。

みんなが僕の顔を見ていた。仕方がない、僕は黒板の前に立ってこう言った。
「はい、いいですかぁ。それじゃぁ、年次長をやってみてもイイやと思う人、手を挙げて!」
僕は努めて明るく、そして早口でまくし立ててみた。
「シンちゃんさぁ、おまえがやったら。そのノリで」
窓に近い後ろの席に腰かけたりょうちゃんが笑いながら言う。
「そうだよ、シンちゃん、やっちゃえよ。そうしないとさぁ、いつまでたっても決まらないぜ」
りょうちゃんの隣に座っていたスケキヨが前髪をいじりながら真顔で言う。
この二人はぼくと同じ英文科である。苗字が3人ともサ行なので学籍番号も非常に近ければクラスも一緒である。さらに、同じ白金高校出身であった。
(しまった。こいつらはグルだ)そう思い、他に年次長を立候補する人がいないかの確認作業もしてみたが、そんな面倒くさそうなことを好んでやる積極的な輩がいるわけがないではないか。
僕は諦めた。
「わかりました、一応、年次長は僕がやります。では、副年次長はりょうちゃん、会計はスケキヨにお願いしますが、みなさんイーイですか?」
イーでーす、パラパラパラと一部席から拍手、そしてヤンヤヤンヤの声が沸き起こり、それを合図にするかのように、みんなは席を立ち始めた。
突然、僕に逆指名されたりょうちゃんは顔を赤くして「なんで俺なのよ、シンちゃん!」と心なしかうれしそうに、スケキヨは予想されたのであろうか、ニヤニヤした顔を僕に向けながら無言で帰り支度をはじめた。同じ英文科のタカユキが笑いをこらえた顔でこちらに近づいてくる。「よかったな、シン、なっ、よし、先輩のおごりで飲みに行こう!とりあえず目黒の伝言板前に行こう!なっ、元気だせよ!」
僕は元気だった。
(年次長かぁ)
思い起こせば、小学校・中学校・高校と、クラスの学級委員にこそなったことは数多くあれど、学級委員長のような要職には終ぞ就いたことがなかった。
(年次長かぁ)
だから、少しうれしかった。

僕は、僕たちが初めて行うこととなった年次会の会場であるこの渋谷の居酒屋チェーン店の広い店内の中で、本当の幹事であるカズユキを探した。
(あっ、あそこにいた)
カズユキはトイレの入り口前で、頭を左右にゆすりながら岩波と抱き合っていた。何が楽しくて男同志、抱き合っているのだろうか?それとも泣いているのだろうか?
「おい!カズユキ!ちょっとこっちに来てみそ!」
確か飲み放題で一人3,000円の会費である。40名近くがいるはずだから、締めて約12万円という計算になる。一体全体何人くらいが帰ってしまったのだろうか。こういう時、年次長という立場は具合が悪い。僕はマッタリとした頭が急に冷め、シラフに戻ってゆくのを感じていた。
トロンとした目つきで、カズユキが僕の隣の席に ドシン と腰をかけてきた。
「カズユキ、おまえさぁ、ハンダとかフジタとか10人くらいが帰っちゃったらしいぞ。カズユキ、おまえさぁ、金って集めてあんのかよ?」僕は胸のポケットでクチャクチャになっていたセーラムライト1本を取り出してユカリのライターで火をつけると、大きく吸い込み、カズユキに向けてケムリをはきだした。タバコを吸わないカズユキはケムたそうに手で煙を払いのけ、その手を僕の肩に置き、顎をしゃくり上げながら「大丈夫、大丈夫、余裕、余裕」と言う。
「集めたの?おまえが?いつよ?俺払ってないよ?」
カズユキは勝ち誇ったかのように、目を大きく見開き、僕の顔に酒臭い息をふきつけながらこう言った。
「年次長、大丈夫だから。ちゃーんと会計がお金を回収してくれてますねー、っだっつうの」
僕は会計であるスケキヨを目で探した。スケキヨはとなりのテーブルで、タカユキやタカシ、そして高知出身の酒豪マユミと日本酒を飲みながら談笑していた。スケキヨはこちらの会話を耳に挟んだようで、タカユキたちとの会話を続けながらも、僕にむけて手でOKサインを出してきた。
僕はホッと胸をなでおろした。根拠のない逆指名で選んだ会計ではあったが、スケキヨが几帳面な男でよかった。
「さーすが、スケちゃん」
ユカリは心なしか頬を赤くしながらスケキヨをみつめ、褒めたたえた。そして、急に眉間に皺をよせ、怒った顔をしながら僕の顔を見やり、こう言った。
「よかったな年次長。優秀な男を会計に指名しておいて。で、おまえ、ちゃんと金を払えよな」
本当によかった。僕は誰かの飲みかけたビールグラスを握りしめ、一気に飲み干してみた。
ぬるくて、そして心なしか少しだけ ゲロくさい気がした。

支払いもつつがなく終わり、記念すべき第一回目となる年次会は何とか無事に終了することができた。
そう、放研は一応、マスコミ系のサークルなんだ。飲み会ひとつにしても、六本木、否、せめて渋谷で周囲の迷惑を顧みず、大騒ぎしながらガンガンと飲まなくちゃいけないんだ。2年生や3年生の先輩たちのように、目黒や五反田のしらっ茶けた焼き鳥屋でサラリーマンたちにまぎれて地味に飲んでいる場合ではない。なんてったって、僕たちは花の大学生である。だから僕は色濃く残っていた放研の地味な雰囲気を変えることができた・という、ちょとした満足感で一杯だった。
渋谷センター街の入口に立ったビル4階から、僕たちはエレベータと、あるいはエレベータに乗り切れない面々は階段とに分かれて1階へ降りて行く。気がつくと時計は夜8時半を過ぎていた。この時間の渋谷は街明かりが眩しすぎて、空を見上げないと夜であることを忘れてしまうほどだった。
季節はもう6月。春の新歓コンパのピークを過ぎてはいたものの、渋谷の夜は数多くの学生たちで溢れかえっていた。場所柄、青学が多かったように思う。他には僕たち明学や立教、慶応あたりであっただろうか。たまにTOKYO UNIV.と書かれたお揃いのスタジャンを着たサークルも見受けられたが、そこにいた女の子たちは明らかに東大生ではない、ポン女とかトン女とかの、そういった女子大生だったように思う(きっと)。なぜなら、やけに可愛いい子が多かったからだ(間違いない)。どの集団も酔いに任せて大きな声で笑い、叫びながらセンター街を我が物顔で闊歩していた。
僕は白のポロシャツの上から羽織ったポールスミスのピンクのカーディガンがうまく肩の上にかかっているかを気にしながら何度も羽織り直しつつ、そして歩道にあふれかえって収拾がつかなくなった僕たち放研1年生たち約30名が通行の邪魔にならないようにするにはどうしたらよいかを考えてみる。すると結論はすぐに出た。
(2次会に行こう)
僕はカズユキを呼んでこう言った。
「カズユキ、2次会に行くぞ」
「おっ、2次会?イイねぇ。どこへ行く?俺がバイトしてる“天狗”に行く?」
つい先ほどまで飲んで酔って、トイレではオシッコを振りまきながら大騒ぎをしていたカズユキであったが、僕の言葉に対しては意外としっかりとした口調で冷静に答えてきた。
「ばか、2軒続けて居酒屋行くかよ、普通」
「じゃ、どこに行くんだよ。ざっくりと数えても30人だぞ」
そう、予約もしないで30人近くが一同に入れる店となると、限られる。僕は高校時代に何度となく通った店が脳裏をかすめた。でも、その店の選択には恥ずかしさが大きく付きまとった。高校時代にこそよくその店に通ったものだが、高校生だからこそ通用した店であって、大学生になって行ってしまうのはどんなものだろう。僕は高校時代の友人であるモリイやイタバシの顔が浮かんだ。あいつらなら、必ずこう言うに違いない。
(えっ、セキカワくんさぁ、大学生にもなって渋谷のディスコ?ダせぇって。せめて六本木にしてくんない?)
僕は頭を抱えた。彼らなら必ずそう言って失笑するに違いない。でも、この人数をまとめて収容できて、安くあがる、そんな条件の店はここ以外にない。僕はジーンズのポケットに手を突っ込み、念のために持ってきたサーフボードの形をしたキーホルダーを引き出した。高校時代、僕たちは会員証の代わりとなったこのキーホルダーを、カバン代わりに使っていたボートハウスで買った水色のキンチャク袋につけて通学をしていたのだ。僕は、予備校で浪人生活を送っているはずのモリイやイタバシに (バレることはあるまい)、そう自分自身に言い聞かせて、カズユキに言った。
「よし、カズユキ。もう、あそこしかない。ラ スカラへ行こう」

 (つづく)

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白金ガ鳴ル 11―1

2006-11-20 02:19:27 | 白金ガ鳴ル

5月のキャンパスには、緑葉がさえぎる陽射しが心地よい、静かな時間が流れていた。
特に授業が行われている間は学内の人通りも少なく、そのせいか 桜田通を走る自動車やバイクの微かな滑走音が耳に残った。

履修した英文科の専門科目も一般教育科目も一通り全てを受講し、僕は大学で行われる授業の何となくの雰囲気に慣れ始めていた。それは例えばこの授業の教授は出席を取るとか、休講が多いとか、テストだけ受けていれば単位がもらえるとか、必須で厳しいから要注意だ・などの下世話なことばかりだった。
もちろんそれぞれの講義内容は高校時代と全く違って刺激的な内容のものが多くて新鮮だったから、キチンと受講した(当たり前の話だが)。もっとも、授業の内容以上に新鮮だったのは同じ教室の席に座る周囲の学生たちの一人一人の目鼻立ちやファッションだった。

概して明学の女の子たちはファッションに気を使った子たちが多いように感じられた。
特に女の子の多い英文科にはかわいい子が多く集まっていた(ような気がした)。雰囲気としては、雑誌JJやCan Camの読者モデル風な、流行のモノも積極的に取り入れて着こなせる・そんな感じだろうか。
男子の方は、その読者モデルの女の子の横に寄り添う、色黒の顔でポロシャツの襟を立て、シルバーのネックレスをした自宅通いのチャラつき系(白金とヒガムラに多く存在。君たちのことだよ)、若しくはクタびれたジーンズにダンガリーシャツの地方出身色白系(貴志くん、格くん、君たちのことだよ)の2タイプが目立った。
むさ苦しいほど男だらけな経済学部や法学部の方々と比べると、総じて英文科はおしゃれな学生が多く感じられた(のは気のせいだろうか)。

そして水曜と土曜の週2回行われる放送研究会の集まりにもキチンと顔を出した。
こちらも入会後1ヶ月もすると、大学サークルの何となくの雰囲気は感じとっていた。ただ、当初僕が放送研究会(放研)にいだいていたイメージとは大分違っていた。テニスサークルに入会することを辞め、「マスコミ」「放送」「DJ」という言葉につられて入った放研ではあったが、放研定例のミーティングであらためて僕たち1年生、そして2年生や3年生の面々を見ると、全体的にあまり派手さはなく地味な印象が強く残り、僕はなんだかそれが不満だった。

そう、きっと不満だった。
オリエンテーションで見かけたテニスサークルのブース周辺でタムろっていた色黒のスタジャン姿のお兄さん、お姉さんが一人もいないではないか。また、マスコミ系であるにもかかわらず、広告研究会(広研)の奴等のような背の高さも派手さも、おしゃれな感じも、微塵たりとも・ないではないか。ましてや主たる活動内容のひとつにラジオドラマ制作があった。ラジオドラマ?
世は女子大生ブーム華やかなりし時である。バブル経済へとまっしぐらに突き進んでいった頃である。
仮にコンパ会場の場所に例えると、テニス系は六本木で、広研が渋谷。そう、奴等はヤルコトナスコトがチャラかった。(けっ!おめぇらはチャれぇよ)、そう思ったが、根っこは僕もチャらいので少し嫉妬を感じた。
その一方で放研を例えると、ずばり目黒。下手すると五反田だったから気分が滅入った。だから放研に入ったものの、すぐに辞めようかと思った。

そう、きっと辞めるつもりだった。
だけども僕は辞めなかった。理由は3つある。
ひとつは、地味な連中が多かったものの、何人かはキラリと個性光るおもしろそうな奴等が先輩・同学年問わず何人かいたこと(君たちのことだよ)。
そしてもうひとつ。奴等おもしろそうな男たちとタッグを組み、放研を変えてしまえばいい、そんな想いが心の中に強く芽生え始めたからだ。
さらにもうひとつ。僕が誰よりも優柔不断だということ。
今にして思うと、僕にとっての放送研究会で過ごした3年間とは、たぶん大学1年生の春に感じた放研の地味さに対する不満と、自分の中にある“大学サークルっぽく、チャラい放研”イメージとのギャップを縮めてゆく3年間・ということだったのかもしれない。

大学生っぽい自分を演出していた。
果たして大学生っぽい・とは、自分にとってどんな感じを意味したのだろう。
それはきっと、例えば大学に通う時にはカバンなんかを持たず、その日行われる授業の最低限度の教科書と英和辞典くらいを、そして大学のロゴマークがプリントされたバインダーを直接片手に持ち歩くことだったり、ジーンズのポケットにはセイラムライトが入っていたり、ポロシャツの襟をたたすことだったり、授業が始まる前に、クラスの仲間とおしゃべりしたりする、そんなことだったのかもしれない。
そしてもう一つ。サークルの仲間たちや先輩と飲みに行って大騒ぎすることだった。

この春、放研に入った1年生は、40人近くにもなった。
体育会サークルからテニス系サークル、僕たち放研のような文化団体連合会(文連会)系サークルと数多くのサークルがあったが、こぢんまりとした所帯のサークルが大半を占める中、放研や広研は異常な人数の多さだった。だから白金祭などの、学内イベントの場では目立ちはしていた。
岡山から来た背の高い男、高知から来た酒豪で口の悪い女、稚内は礼文島出身の色白な男、沖縄から来たわりに日に焼けていない男、名古屋や広島、大阪と、出身地は様々だった。生まれも育ちも性格もバラバラな僕たち放研1年生は、卒業時、20人に減ることになるのだが、意外と辞めずにみんな残ったなぁ・というのが正直な感想である(君たちみんな変わってるね)。
そんな大所帯の放研1年生40人全員が大挙して飲みにゆくことになった。それは梅雨空が愚図つく6月のとある土曜日、サークルの定例ミーティング終了後だった。

日も暮れ始めた夕方5時、まだ国鉄だったころの目黒駅伝言板前に集合した僕たちは、渋谷までの切符を握り締め、オレンジ色の西日が差し込む山手線に乗りこんだ。
右手の車窓からはサッポロビアガーデンが見えた。青色の食堂車を改造したお店の中でサラリーマンたちが楽しげにビールを飲んでいる。山手線からの引込み線をもつほどの広大な敷地面積を有するサッポロビール恵比寿工場に山積みされていた赤いビールケースの山を横目に走り過ぎていくと、電車は恵比寿駅へ。そして東横線高架下を通り過ぎると目的の渋谷駅には10分程度で到着する。

場所は渋谷センター街入り口に立つビルの4階にある居酒屋だった。
この場所に決めたのは青森出身で、代田橋のアパートに住み、この春から渋谷の「天狗」という居酒屋でバイトをはじめたばかりの佐々木カズユキだった。
仙台の代ゼミで1年間の浪人生活を過ごしたカズユキは、一見するとアメリカの映画俳優アンディ ガルシア似のナイスガイに見えなくもない。いつもおしゃれな装いのカズユキが、今宵の幹事である。ギラリとした目でみんなを出迎え、店内へと誘導した。
「はーい、いいですかぁ、みんな。はーい、早く入って座ってぇ。」
てきぱきとした手綱捌きのカズユキのペースに、みんなは徐々に巻き込まれていった。
「はーい、みんな、ビールは行き渡りましたねぇ、それじゃ、カンパーイ!」
カズユキの屈託のない笑顔にみんなは騙されつつも中ジョッキグラスを右手に掲げ持ち、そして大きな声で「カンパーイ!」と叫んだ。アチラコチラで聞こえるグラスをぶつけ合うカチン、カチンという音が店内に響き渡っていく。それはまるで、これから始まる一気大会の幕開けを告げるゴングの音のようでもあった。

宴会開始早々、必要以上に大きな声で人を呼ぶ声が聞こえる。
「シン!カズユキ!おまえらちょっとこっちへ来い!」
上大岡から通う岩波が大きな声で僕たちを呼んでいた。
「シン!カズユキ!おまえら今日は幹事ご苦労。大変だな。じゃぁ、飲め!」
別に幹事でもないのに呼びつけられた僕は、いつもながらの一気モードに辟易としながらも、でも望む通りの展開になったので、カズユキにこう言った。
「よし、カズユキ、勝負だ!」
「君ねぇ、負けないよぉ、君なんかには!」
岩波が立ちあがって僕たち2人をみんなに紹介し、今から一気大会が始まることを告げた。
「行くよ!レディー、ゴー!」
ジョッキを左手に持ち、右手は腰にあてて僕は喉を鳴らしながらゴク・ゴクと中ジョッキを一気に飲み干していった。あともう一息で飲み干すという瞬間にカズユキの方を見ると、彼は最後の一口を飲み干し、ゲップをしながらこう言った。
「勝ちぃ!」
涙目になりながら一足遅いゴールをした僕に、次のジョッキが手渡された。そして、どこからともなく、「もう一杯!もう一杯!」というコールと手拍子が聞こえてきた。ほとんど食べ物が入っていないお腹の中に、さらなるビールが注ぎ込まれていく。吐きたい気持ちを抑えながら、2杯目のジョッキを飲み干すと、頭が幾分ボヨンとしてきた。すると僕は岩波の腕をつかんで彼を再度立ち上がらせると、大きな声で岩波コールの合唱を促し、岩波に一気を強いた。
「いーわなみ!いーわなみ!」

気がつくと、一気大会は宴席のいたるところのテーブルに飛び火して行われていた。そして飲み会が始まって1時間もすると、男子の大半と女子の一部はすでにヘベレケ状態になっていた。人の話の一言一言が意味もなく笑えたりする。そして、ロレツも回らなくなる。そう、これがお望みの姿である。

この頃になると、とにかくトイレへ行く回数が増えてくる。便器にはまるでビールそのものと思われる炭酸臭の強いオシッコが大量に注がれることになる。僕は便器にむかってオシッコをしながら大きなため息をつき、渋谷から竹ノ塚までの1時間の道のりを考えて、帰ることの面倒くささに思い悩んだりしていた。
(あ~、面倒くせぇ、誰かの家に泊まろう・・・)
そんなことを考えながらオシッコをしていると、隣の便器にはカズユキが真っ赤な顔をして、そして大きくカラダを揺らしながらトイレに入ってきた。
「カズユキ、大丈夫か?」
ホースで庭に水を撒くように、上から下へ・下から上へと便器に向かってオシッコを揺らしながらするカズユキに、もはやアンディ ガルシアのような格好よさは微塵たりとも感じられない。
「余裕ー、余裕ー。おーし、シン、今日は飲むか?!」
オシッコをしながら僕の方を向くと、カズユキのおちんちんが便器から外れてこちらへと向かってきた。
「カズユキ!前むいてオシッコしろ!おい!」
僕はカズユキのオシッコにひっかけられないよう急いで最後の一振りをすると、慌ててジーンズのファスナーを上げて手も洗わずに逃げるようにしてトイレを後にした。

テーブルに戻ると、僕たちの席の周辺はタバコの煙で靄がかかったような状態になっていた。
吸殻で山になった灰皿と、食い散らかされたオードブル、飲みかけのジョッキと空いたジョッキ、そして片付けてもらえない割り箸とお皿の数々。僕は宴も半ばとなった飲み会の会場を大きく見回すと、どこに座ろうかと考えあぐねていた。すると、立ちすくむ僕に向かって奥の方から誰かが僕の事を呼ぶ声が聞こえてきた。
(よし、今日は飲むぞ!タカシの家にでも泊まっちゃえ!)
僕は呼ばれたことがうれしくて、急ぎ足で声のする方、奥のテーブルへと向かった。
そこには内沼ユカリと、そして片柳ジュンコが待っていた。 

 (つづく)

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白金ガ鳴ル 10

2006-05-28 21:35:56 | 白金ガ鳴ル
 1984年ゴールデン・ウィーク前の土曜日,目黒駅改札正面伝言板の片隅にはこんなメッセージが書かれていたはずだ。

 放研 MGBS 
 新歓コンパ

 さらに店の名前と電話番号,および開始時刻まで記されていたかも知れない。だが,もちろん僕はそれらを覚えていない。先週末に行った酒場の名前さえ僕の記憶から消されてしまっているのだ。
 目黒駅伝言板とて,とっくの昔に抹殺されている。
 「駅の伝言板」というものを知っているかどうか,今の僕の仕事場にやってくる大学生たちに訊いてみた。知らない,ネットで見たことがあるような気がする,と彼らは答えた。パソコンや携帯電話のディスプレイに現れるもの以外は知らないらしい。何と,テレビもあまり見ないと言うのだ。駅の伝言板を抹殺し,手紙を安楽死させ,テレビの首に手を掛けている主犯が当の携帯電話だとは!

 ?  ?  ?

 ただ一人カツさんだけは新歓コンパの行われた店の名を記憶しているかも知れない。その店はカツさんが働いていた銀座のパブだったからだ。カツさんは当時,3年生の放研部員だった
 大学を卒業し,いい年になり,何度かカツさんがマネージャーを務める店に行った。シンがわざわざだか,偶然だか探り当てたのだ。まったく,こいつは。そこは,それほど高価なものを注文した覚えはなくとも,お店の女性従業員と話をしていると,瞬く間に請求額が一次関数的に上昇してゆくスリリングな場所だった。もっとも,カツさんなりの心遣いはところどころに感じられはしたのだけれども。
 有楽町のガード下にある「バーデンバーデン」で,まだ夕闇の残る客の姿もない開店時,ドイツのホフブロイという生ビールをよーし飲み始めたぞと,ああうまいぞ!と思っていると,いつの間にか店は満員になっていたりしたものだった。誰が言い出したのか,気がつくと僕たちは深夜の六本木にいたりしたものだった。その頃,カツさんが働いていた店が六本木界隈にあったからだ。
 アルバイトの学生たちに,「クラブ」を知っているかと訊いた。「クラブですか?」と,「ラブ」にアクセントを置いて,訊き返された。
 ディスコというやたらと騒々しい大箱を沈黙させたのは,90年代のバブル景気崩壊による「失われた10年」だった。ひとつの共同幻想が霧散し,目の前の現実が徐々に荒涼とした世界へと変貌してゆく。漠然と感じられていた不安がやがて恐怖の叫びを上げ,慌ただしく遮蔽フィールドを形成する。その剥き出しの不安を包む閉鎖的空間がアルバイト学生たちの言う「クラブ」や,携帯電話という小箱であったのでないだろうか。マジョリティ文化が臨界点を越え,無数のマイノリティ文化へと核分裂してゆく。そして無限に増殖するマイノリティという新たな次元の共同幻想が誕生する。アングルが政治から経済・金融に移行しただけで,何のことはない60年代アメリカを再演していただけだ。
 言うまでもないことだと思うけれど,30代の僕たちがやや錯乱気味に深夜に叩いていたのは,アルバイトの学生たちが言う「クラブ」のドアではない。

 ?  ?  ?

 スケキヨがフロアで首をねじ曲げながら苦しそうにもがいていた。彼に言わせると,「ひっくり返ったカメが元へ戻るところ」を演じていたそうだ。放研の新歓コンパでは,新入生は何かひとつ芸を披露しなければならないことになっていたからだ。
 僕は歌は下手だし,楽器も弾けない。手品だって出来やしないし,ましてや「ひっくり返ったカメが元へ戻るところ」を演じることもできない。順番が来る前に,早く何かを考えつかなきゃ。
 例によって,僕は,突然親とはぐれてしまった野ネズミのような気分になっていた。
 どうしよ。どうしよ。どうしよ。
 そのとき,ユカリが僕の名前を呼んで,オイデオイデをしていた。
 ユカリとジュンコが,六本木のカツさんの店で従業員がしていたように,ヨウスケさんを挟んで座っていた。ユカリとジュンコは僕と同じ新入生で,ヨウスケさんは4年生の放研OBだった。放研では新歓コンパに4年生も参加することになっていて,ユカリたちはヨウスケさんの相手をしていたというわけだ。3年後,僕も新歓コンパに参加した。だが,そのとき僕の相手をしてくれたのは1年下の,つまり3年生になったばかりのボブだった。
 「そこに座って,ヨウスケさんにお酌して」とユカリが言うので,僕はそうした。「ほら,自己紹介しなさい」と続けざまにユカリが親ネズミのように言うので,やはり僕はそうした。
 ジュンコが僕の前にグラスを置くと,ヨウスケさんがビールを注いでくれた。
 「ヨウスケさんも,もっと飲んで下さあーい」とジュンコが黒目がちな瞳をちょっと潤ませて,ビール瓶を両手で抱えた。
 「いやあ,君にそう言われると,ついつい飲んじゃうね」とヨウスケさんは努めて落ち着いた口調で言いながらも,グラスに残ったビールを一気に飲み干した。3年後,僕がボブと話をしている頃,シンとカズユキはヨウスケさんと同じことをする。こちらは落ち着きなどということは一瞬たりとも思い浮かべることなく,思い切りウレシそうに。

 ?  ?  ?

 何気なく見逃してしまいそうなシーンだが,おそらくこれが「クラッシャー・ジュンコ伝説」の最初の1滴である。
 良家のお嬢様らしい清楚な笑顔で,「もっと飲んで下さあーい」とジュンコがビール瓶をかざすと,大抵の男は浮かれてグラスを空にする。耳を澄ませば,そのとき「カーン!」とゴングが打ち鳴らされる音が聞こえるはずだ。「スゴーイ!もっと飲んで飲んで!あたしも飲んじゃおうかな」などと口元からチャーミングな八重歯をのぞかせつつ,ジュンコがグラスを差し出すと,男たちは「おおっ!いいねえ」と喜色満面,「オットット」などとグラスにビールを注いでやる。「ハイ,そっちも飲んでね」と再びジュンコがビール瓶を持ち上げる。男たちはいよいよ逆上してグラスを空にする。いつしか,ビール瓶が一升瓶に,ウイスキーのボトルに変身してゆく。もう走り出したら止まらない。ブレーキの壊れた車のように,男たちは倒れるまでグラスを呷り続ける。おそろしい。僕はこれまで,一体何人の男たちが「クラッシャー・ジュンコ」を前に崩れ落ちてゆくのを見てきただろうか。ちなみに,シンとカズユキと僕も幾度となくジュンコの前に倒れていったものだった。しかし,僕たちの場合はたんなる自滅だった。
 僕たちが2年のときの夏合宿で,「クラッシャー・ジュンコ伝説」は真夏の絶頂に到達する。大広間に設けられた宴会場で,ある者はテーブルに突っ伏し,ある者は仰向けに眠りこけ,またある者はごみ箱を抱え,そしてまたある者は寝ゲロ防止用のビニール袋をかぶせられている。その死屍累々たる瓦礫の中を,一升瓶を片手に持ったジュンコが行進してゆく。僕は薄れゆく意識の中,その光景をまるで映画のワンシーンのように眺めていた。

 僕が演出してもいいのなら,新歓コンパでヨウスケさんとマツダさんを相手にしているシーンを皮切りに,3年生のクニさん,タケナリさん,2年生のケイさん,ノダさん,マツオさん(文連)たちが微笑むジュンコを前に次々とグラスを傾ける映像をコラージュしてゆく。BGMは,スメタナ作曲「モルダウ」だ。(ジュンコを前にシンがビールを手酌で注いではぐいぐいと飲んでゆくカット,たまプラーザの駅でシンがジュンコを見送るカットを挿入)そして僕らの代になるとジュンコの手には一升瓶が握られ,イワナミのコップにお酒がなみなみと注がれてゆく。(自滅するカネコのカットを挿入)イワナミは何杯も何杯もコップを空にし,ついにはコップを握りしめたままうなだれてしまう(ジュンコを前にカズユキが日本酒を自らどんどん飲んでいくカット,たまプラーザの駅でカズユキがジュンコを見送るカットを挿入)イワナミの手から転がり落ちるコップ。「モルダウ」がクライマックスに達する頃,この夏合宿のシーンへ。1年のヒデキ,ケイタロウ,ボブ,リキマ,オオマサ,カメたちが次々に倒れ,ヨロヨロと空のビール瓶を倒しつつ,瓦礫の中をゆくジュンコ。「モルダウ」のクライマックスが終わる頃,画面をフェイドアウトさせつつ,真夏の輝く太陽をフェイドイン,そして真っ白にフェイドアウト。

 ?  ?  ?

 「高校球児だったんですよ」とユカリがヨウスケさんに,僕のことを指して言った。
 「甲子園,行ったの?」とヨウスケさん。
 「いえ,そのちょっと手前まで」
 「ん?どこらあたりまで?」とヨウスケさんが訊くので,僕は3年前の夏の話をした。あまり思い出したくはない夏だったが,ヨウスケさんは話を合わせるのも,聞くのも上手で,僕は気がつくとあれこれと演技を交えて喋っていた。途中でやはり4年生のマツダさんも加わり,ユカリとジュンコは2人の4年生に一生懸命お酌をしていた。そんなことで静かに盛り上がっているうちに終わりの時間が来た。おかげで,僕はできもしない芸をしたあげく,みんなの前で恥をかかなくて済んだ。
 ユカリ,あのとき僕をテーブルに呼んでくれてありがとう。それとも,初めからそうしてくれるよう,打ち合わせておいたんだっけ?

 ?  ?  ?

 この頃,僕はユカリと仲が良かった。
 新歓コンパが終わり,5月のある週末に初めての年次会があった。年次会とは同学年のサークル部員による親睦会のことで,場所は年次長に選ばれたシンがアレンジした。「ラ・スカラ」という渋谷にあったディスコだった。
 その帰り道,公園通りをぞろぞろと連なる84年度放研部員たちのスナップショット。このスナップショットを虫眼鏡でのぞき込めば,僕はたぶんユカリと肩を並べて歩いているはずだ。僕は目も細く,マユミが言うには「でかくて,コエエ」顔をしているので,どの写真の顔も不機嫌そうに見えるが,僕は僕なりに楽しんではいるのだ。踊りなど踊れないが,このときももっとよく虫眼鏡を見れば,楽しんでいるように見えなくもないはずだ。
 携帯電話はさまざまなものの息の根を止めたが,スナップショットの息の根を止めることだけはできない。
 あるときまで,僕の机の引き出しにはこのときにもらってきた「ラ・スカラ」のキーホルダーが入っていた。もちろん,今はない。

 「昔あの丘の上に風車小屋があった。今はない。だが,風は今も吹いている」と以前どこかで誰かが言っていた。                (す)


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白金ガ鳴ル 9

2006-05-14 02:10:36 | 白金ガ鳴ル

4号館はキャンパスの西端、高校校舎と並ぶようにして建っており、以前は明治学院中学として使用されていたのだが、中学の東村山移転にともなって大学が使用するようになった建物だ。そのため、教室の広さも小振りだし、高さも3階までしかなかった。廊下だってある。いわゆる大学の教室イメージからは大きくかけ離れた、学生服のほうが似合ってしまう建物だったが、僕は4号館を気に入っていた。

なぜだろう。
階段教室のような大教室には窓が少ない。僕は蛍光灯の明かりの下で頬杖をつきながら(早く終わらねぇかなぁ)と呻き、よく授業をうけていたのだが、4号館では東に面した一面の窓から柔らかな陽の光が差しこんできた。中央グランドの土埃の匂いや生い茂る草木の緑の匂いも風に運ばれて教室の中に入り込んでくる。4号館はそんな建物だったから、とても心落ち着ける場所に感じられた。

何もかもが新鮮で、毎日が楽しくて仕方がなかったこの頃の僕には、それでも不安なことが一つだけ、あった。
白金上がりの僕は、果たして大学の授業にキチンとついていけるのだろうか ・そんなことだ。

大学に受かったとはいえ、移行試験である。付属ではないとはいえ、明治学院高校である。大教室であれば、教授たちに指差されて発言をするなどの機会などはほとんどないと言えたが、4号館で行われる授業は、少人数にクラス分けされたものが多い。しかも英文科なので、当然ではあるが英語で受け答えしなければいけない授業が数多くあった。
(あぁ、ウイット先生、頼むから俺の顔をみてニコニコしないでくれ。俺は英語が苦手なんだよぉ・・・、白金なんだよ俺はぁ・・・)
とぼけた顔をしてとなりに座っている、同じく白金高校出身の良ちゃんの肩を叩き、「良ちゃん、君のことを指しているよ、先生は」、そう親切に教えてあげるのだが、良ちゃんはそれでなくても大きな目をさらに大きく見開き、「俺じゃねぇよ、しんちゃん、おまえだよ!」、わざとらしく肩をすぼめ、両手を左右に開きながら驚いたような顔で僕を見つめ返す。ウイット先生はそんな僕の心を見透かしたかのように満面の笑顔で首を横に振り、楽しげに質問をしてきた。
“OK, Mr.SEKIKAWA.  So, What do you think ・・・?”
(あぁ、一体今、なんて言ったんだよぉ・・・?)
僕は、ウイット先生の小さな顔に散りばめられたたくさんのソバカスや、緑色のアイシャドウ、そしてピンクの口紅を見つめながら大切なことを思い出していた。そう、実は英語なんて話せやしないのに英文科に入ってしまったということを。
(あぁ、白金高校ってことがバレちまうじゃねぇかよぉ・・・)

もうバレバレだった。
英文科に入ったことを、少しだけ後悔した。

夕陽が教室をうっすらとオレンジ色に染めていた。授業が終わると僕たちは机に腰掛け、足をブラブラとさせながら学籍番号の近い女の子たちといつまでも飽きることのなく話し込んだ。知り合って間もないクラスの皆と交わす他愛もない会話がとても楽しかった。
どこから来たのか・どこに住んでいるのか、そして現役で入ったのか・浪人をしたのか。どこのサークルに入ったのか、一般教育科目は何を履修したのか。
横には良ちゃんとスケちゃんがいた。2人ともに僕と同じく白金高校出身だった。そして2人ともに僕と同じく放送研究会に入会することになる。

そろそろ帰ろうか、目黒に出てお茶でも飲もうか、そんなことを話していると後ろの方から「女子聖」という言葉が聞こえてきた。僕は即座に振り返り、その声の主を探した。
人の少なくなった教室の入り口あたりで立ち話をしている女の子たちが何人かいた。ピンクのカーディガンを羽織り、こちらに横顔を見せながら話をしている女の子がどうもそうらしい。
僕は良ちゃんとスケちゃんに話のバトンを預けて、その女の子のもとへと向かった。
「あの、自分は女子聖だったの?」僕に突然そう話しかけられて、驚いた様子のジュンコちゃんが答えた。
「そう、女子聖。なんで?」
「川島って知ってる?」
「えっ、カワ?! 知ってる!  なんでカワのこと知ってるの?」
口をおさえながら、ジュンコちゃんは不思議そうな表情で僕をみつめた。

高校時代の3年間、ずっと想い続けていた女の子がいた。
名前は川島。小学校6年生の時から中学校卒業まで通った、北千住の城北スクールという学習塾で知り合った女の子だった。川島は小学校から高校までの12年間、駒込にある女子聖に通っていたから、学校が同じだったことは一度もない。城北スクールという特殊な場所でしか会うことのない、単なる塾友達だったのだが、高校に入り、会う機会がなくなった途端に僕は川島のことが気になり始めた。

川島は僕のことを「シンイチくん」と呼んだ。3年の間、かなりの頻度でデートに誘ったが、一度もデートらしいデートをしてくれたことがなかった。会うといえば、北千住の喫茶店。彼女はレモンスカッシュを飲み、時としてセブンスターを吸った。ウィンドサーフィンを始めたという彼女の髪は茶色く染まっていた。僕は飲みつけないコーヒーを口に運び、女子聖に隣接した男子聖に通う川島の彼氏の話を黙って聞き続けていた。
森井は「セキカワくん、もう忘れちゃえよ、川島のことなんて」、そう言って頌栄や戸板女子の女の子を紹介してくれたし、川島以外に何人かの女の子と渋谷によく遊びに出かけたりもしていた。
でも、その子たちのことを恋愛の対象として見る事は、ついにできなかった。いつか川島は僕の存在に気がついてくれるだろう、そう信じ続けていたからだ。だから僕は北千住の喫茶店で、越谷に住むという川島の彼氏の話を聞き続けた。「へぇ、そうなんだ・・・」、体よく相槌をうつことしか、僕にはできなかった。

高校3年生になったばかりの、春のある夜。自宅のリビングでTBS「ザベストテン」を家族と一緒にリビングで観ていると、電話が鳴った。
川島からだった。
「もしもし、しんいちくん?」
僕の方からかけることはあれど、川島からかけてくる電話は珍しい。僕は父と母、そして弟と妹を振り返りみながら、ニヤニヤした声で喋り始めた。
「どうしたの、電話なんてかけてきちゃって。うれいしねぇ。」、弟や妹に自慢したい気分だった。どうだ、俺の彼女だぞと。本当は全く彼女ではない、ただの友達だったけれど。そして僕はいつものアップテンポな雰囲気がなく、湿り気の多い川島の喋り方に違和感を感じた。
「どうした、何かあった?」
「しんいちくん、あのね、私、結婚することにしたの。でもね、彼が私のことを殴るの。」

17の春、僕は失恋をした。そして川島に対し、何もしてあげることのできない自分の無力感に苛まされた。
そう、人はなんて他人に無力で無責任なんだろう。何もしてあげられない、何もすることができないんだ。
唯一できることがあるとすれば、それは川島の話を聞いてあげることくらいだった。
「とにかく今から北千住に行くから。着いたら電話をするから。」そういって電話を切ったあと、僕は家族がいることも忘れてワンワンと嗚咽の声をあげ、泣いた。
涙がとまらなかった。
テレビでは松田聖子が“天国のキッス”を歌っていた。

Kiss in blue heaven もっと遠くに
Kiss in blue heaven 連れて行ってね、Darlin’
(take me to blue heaven)

「中学時代にね、塾が一緒だったんだよね。」
暗くなった教室を照らす蛍光灯が白く輝いた。僕はジュンコちゃんの顔を見つめながら努めて明るく、そう答えるしかなかった。
「知ってる?カワに子供が産まれたんだよ、高校卒業の時、謝恩会に連れてきたんだ。男の子でね、かわいいんだよ。」

大学生になった僕は、もう川島を卒業しようと思った。
そして、恋をしよう、そう思った。

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