僕たち明学放送研究会の1年生30人ほどは、切れてしまった数珠の白玉のように、てんでバラバラと弾け散りながらスペイン坂に散らばった。それでも着実にラ スカラを目指して歩き進んではいた。先頭を歩く僕は、坂の途中何度となくみんなを振り返りみた。何も道幅の狭くて傾斜角の強い、そして見通しの悪いスペイン坂なんかを上らなければよかったのだ―あの店を出てまっすぐ左に行けばラ スカラにたどり着いたものを…何も遠回りをせずに公園通を目指せばよかったのだ―途中何度となくそう後悔しながら、僕はパルコパート1とパート3の間で立ちすくみ、一番後ろを歩いているはずのタカユキが追いつくまで、しばらくみんなの到着を待った。高知県出身の酒豪まゆみと上大岡に住む岩波、そして電車の走っていない沖縄からやってきたカクちゃんの3人はガードレールに腰掛けて何やら真面目そうな顔で話しこんでいる。僕は酔って視力の定まらない目を細くして彼ら3人の姿をみつめ、沖縄、高知と横浜という組み合わせそのものをしばし楽しんだ。
ようやくするとタカユキの姿が見えたので僕は歩速を早め、公園通を右に曲がりかけた。すると後ろからタカシが小走りに走り寄って来て、やんわりと僕の右手をつかんだ。
「どうした、タカシ?」
タカシは立止まると小さなカバンからセブンスターを出し、火をつけて大きくタバコを吸うと、口を開き話すに任せてうす青いケムリを吐き出しながら、けだるそうにこう言った。
「シン、悪いなぁ、俺 先に帰るわぁ」
「なんでよ?」
「俺、明日の朝さぁ、バイトの面接だから朝早ぇんだよ」
この春、稚内は礼文島から上京し、都営浅草線戸越の下宿にひとり暮らすタカシは、身長168センチのカラダを小さく左右にグラインドさせながら そう言った。青のダンガリーシャツの下から、買ったばかりであろうと思われる白の濃いヘインズTシャツが街明かりの照り返しで光ってみえた。
「あのね、タカシ、何のバイトすんのよ?」
「第2京浜沿いにあるジョイパティオのホールだよ、ホール」
「ホール?・・・ホールねぇ・・・」
そういうと僕は渋谷駅方面をみつめ、(そういえば俺もバイトを探さないとなぁ)、そう思った。しかしまぁそんなことは明日にでも考えればいいんだ、とにもかくにも僕はもう竹ノ塚まで1時間かけて帰るのも面倒くさくなっていたからタカシの家にでも泊めてもらいたいと思っていたし、ここで冷静に帰ってしまう・という行為自体が(大学生としてダメなんだ)、そう思えてきたし、(きっと行ったこともないディスコに連れて行ってあげないといけない)、そんな身勝手な使命感が湧きあがってきてしまったものだから僕はタカシにこう言った。
「あのねタカシ、ホールの仕事をするんだろ、ジョイパティオで」
「あぁ、受かったらなぁ」
「あのねタカシ、だったらぁ、ラ スカラの黒服たちの仕事を見ておいた方がいいよ」
「黒服・・・」
「あのねタカシ、これからラ スカラに行くだろ?混んでんだよ絶対に(高校生で・・・)。でもな、黒服がいいフロアさばきしてんだよ」
眉間にしわをよせ、(フーッ)と大きくケムリを吐き出すと、タカシはニタリとした笑顔に移り変わり、こう聞き返してきた。
「まじか、シン。そんなにフロアさばきがスゲェの?」
「あのねタカシ、すごいのなんのって・・・一応あいつらプロだかんな」
「・・・」
僕はタカシにウソをついた。ディスコの店員がフロアでいい仕事をしているワケがない。渋谷も新宿も六本木もディスコの店員の態度は往々にして悪かった。
「それにもうね、ラ スカラなんてながながといる店じゃねぇから、サクッと行って、サクっと帰ろうぜ」
タカシは再びニタリ顔になると、小さく頷いた。
そして僕は心の中で、こうつぶやいた。(よしっ、泊まる場所を確保)
!
エレベータを降りると、キャッシャーの前ではすでにスケキヨがいて、何やら黒服と話し込んでいた。僕はスケキヨの後ろから聞き耳を立ててみるのだが、暗闇の奥先にあるフロアから鳴り響く音がうるさくてどのような話をしているのかをはっきりと聞き取ることができないでいた。右耳をスケキヨの頬に近づけていると、どうやら商談が成立したらしく、やおらスケキヨは僕の右耳をつかむと僕の鼓膜を破るかのような大声で「あのね、ひとり2,000円!2,000円で仕切ったから!」と言う。そして皆の方を振り向くと両手を口元に置き、マイクのようにしつつ「はい、みんなひとり2,000円、2,000円!お釣りのない人から払って入ってって!」フロアからの音に負けず劣らずのがなり声をはりあげた。
さすがは会計、仕切りがいい。僕はセーラムライトのビニール部分に詰め込んでいた千円札数枚から2枚を引き抜き、スケキヨに手渡した。みんなもカバンやジーンズのポケットなどに手を突っ込み、サイフから千円札2枚を出しはじめた。
僕は暗いフロアを照らすスポットライトとミラーボールを見つめながらフロアへと足早に進んでいった。人いきれとタバコのにおいが入り混じったフロアでは "SO MANY MEN,SO LITTLE TIME" がかかっていた。
So many men, so little time
How can I lose ?
So many men, so little time
How can I choose ?
("SO MANY MEN, SOLITTLE TIME" MIQUEL BROWN 1983)
僕はダンスフロアの手前まで人波をかきわけてたどり着くと、一つだけ空いていた足の長い丸イスに軽く腰掛けてタバコに火をつけ、吸殻でいっぱいになった黒い灰皿をとなりからたぐり寄せて小さな灰を落とした。そしてクルクルと回る赤や黄色のスポットライトの明かりを目で追っていた。曲終りに近づくと、なぜかサイレンの音が鳴り響き、続いて高校時代によく聞いた曲が鳴り響いてきた。サックスの前奏が始まると、ダンスフロアから歓声が聞こえてきた。その歓声の中にはユカリやジュンコ、ヒサコ、オグラやカクちゃん、そして岩波がいた。一次会を仕切ったカズユキはいつのまにかフロアの真ん中で両手をつきあげ、「フワ・フワ!」「フワ・フワ!」と叫んでいた。
Who can it be knocking at my door ?
Go away, don't come round here on more
Can't you see that it's late at night ?
I'm vey tired and I'm not feeling right
All I wish is to be alone
Stay away, don't you invade my home
Best off if you hang outside
Don' t come in, I'll only run and hide
Who can it be now ?
Who can it be now ?
Who can it be now ?
Who can it be now?
("WHO CAN IT BE NOW ? " MEN AT WORK 1981)
カズユキのとなりで岩波は右足でタップを踏みながら右手を挙げて 「フワ・フワ!」と叫び続けていた。そして岩波は楽しそうだった。そう、岩波だけではない、みんながみんな、とても楽しそうだった。フロアを見回すと、ジュンコとヒサコはどうやら背の高い男2人組にナンパされているようだった。ひとりは大きな肩パットで逆三角形のカタチになったこげ茶色のダブルのスーツを着たヤセた男性で、もうひとりは白シャツのボタンを3つ外して金のネックレスを胸元で見せびらかせている前髪が目に入りそうなくらいに長い体格のがっしりとした男性だった。大人びた雰囲気を作ってはいたが、2人の横顔にはまだあどけなさが残っていたからきっと高校生だと思った。ジュンコは曲の音が大きすぎて男性から話しかけられても聞こえない様子で、小さく眉間にしわをよせながら男性の顔に頬を近づけていた。
「シン、あの2人ってナンパされてんの?」
気がつくとタカユキが僕のとなりに座っていた。そして右手にはカンパリソーダを持っていた。
「そうだなぁ・・・あれ?カンパリソーダなんて飲みなれないものを飲んでんじゃんか」
タカユキは鼻をグラスに近づけて、カンパリのニオイを嗅いだ。そしてグラスを左右にゆすりながらこう言った。
「カンパリってクスリみたいなニオイがしてさぁ、俺あんまり好きじゃねぇんだけどよ、むこうのカウンターでビールくれっていったらさぁ、カンパリを手渡されたんだよ。店員の態度悪いなぁ、ここ、シン」
そういいながらタカユキはカンパリソーダをゴクリゴクリといって一気に飲みほした。グラスをたたく氷の音が小さく聞こえた。
気がつくとあたりは急速に暗くなり、一瞬静寂があたりをつつんだ。先ほどまでカラダを揺さぶって踊っていたやつらは水が引けるようにフロアから出て行ってしまったが、数組のカップルだけが暗くなったフロアに残っていた。
チークになったのだ。
曲は僕が高校1年の時に流行った映画「ラ・ブーム」の主題曲だった。
Met you by surprise
I didn't realize
that my life would change forever
Saw you standing there
didn't know I care
There was something special in the air
Dreams are my reality
the only kind of real fantasy
Illusions are a common thing
I try to live in dreams
it seems as if it's meant to be
Dreams are my reality
a different kind of realty
I dream of loving in the night
and loving seems all right
Althought it's only fantasy
("LA BOUM" RICHARD SANDERSON 1980)
暗くなったフロアで腰に手を回しながらチークに興じるカップルたちを振り返りみながら、みんなが僕たちの方に戻ってきた。岩波は「タカユキ、その飲み物ってどこからもらってきたんだよ!てめぇひとりだけズリィぞ!」そう言いながらグラスを取り上げると底に残った氷2つを口の中に放りいれた。踊りながらナンパをされていたジュンコとヒサコも帰ってきた。やはりあの2人は高校生だったようで、彼女たちにはそれが気に入らなかったらしい。みんなが2人のナンパエピソードで盛り上がる中、僕はフロア右そででチークを踊る一組のカップルから視線をそらすことができなくなっていた。そして僕は一生懸命にその男とどこで会っているのかを思い出そうとしていた。背が高くて、眼光するどい男。どこかで会っているはずだった。固まって動かない僕に気がついたタカユキは僕の視線の先を追ってみた。そしてすぐにこう言った。
「あっ、あいつ知ってる。あいつも明学だぞ、しかも英文科で一緒だぞ」
(あっ!)そう言われて僕も思い出した。入学式の日、パイプオルガンが鳴り響くチャペルの中で、難しくて諳んじて歌えるはずのない明学の校歌を事もなげに諳んじて歌っていた明学ヒガムラ(東村山高校)出身の男だった。
一緒にチークをしている女の子は髪の毛が肩までのショートカットで、今まで出会ったことのないタイプのとてもかわいい女の子だった。
(つづく)