バロックな話

バロック音楽/バッハとチェンバロ演奏、あるいは音楽のいびつな雑感

音楽を語る

2008年03月15日 | 音楽

 音楽と言葉は別もの。音楽の体験は個人的なもの。しかし人々は音楽を語ることをやめない。音楽を理解することは、それを言葉で理解することとは別次元か。そもそも音楽は理解するものなのか、感じるものなのか。きっと、どちらでも良いしどちらでも無くても良い。純粋な音のみを通じて伝わるものとは何だろう。語る演奏家もいるが、その言葉は私にはどうでもよい。

 音楽評論家なる人種がいるが、彼らの文章から音楽を感じたことは無い。私の想像力不足かも知れない。極端な話、知らない曲について語られても、誰だってまったく曲のイメージは出来ないだろう。それは自分の体験を言葉にすることのできる、特殊な能力なのかも知れない。逆に言えば、言葉にできる程度の希薄な音楽体験なのか。それとも無理やり作った言葉なのか。

 音楽体験を他人と共有しようという気持ちは多くの人が持つことだろう。これには言葉の使用が前提になるので、語らないわけにはゆかない。音楽を語る。それは永遠の課題だ。


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