バロックな話

バロック音楽/バッハとチェンバロ演奏、あるいは音楽のいびつな雑感

音楽と非音楽の境界

2007年03月30日 | 音楽

 個人的な見地では、極めて強引だ。自分の認めるものはすべて音楽だ。音楽っぽくても、自分の認めないものは音楽では無い。しかし実は、その境界は至って曖昧だ。自己矛盾もよく起きる。自信が無くなる。作品が音楽との境界線上を揺らめいている。

 絵画や彫刻には必ず何らかの形があるので、それがどんなに抽象的であっても、それを作品として受け入れることが可能だが、音楽はその超抽象性により、それを音楽だと判別がつかない可能性がある。

 私の場合には、それほど多数を聞いているわけではないが、特に現代音楽の類は微妙な線引きになる。だが、時折、壺にはまって感動することがあり、衝動的に聞いてみたりする。

 音楽はやはり聞いて何らかの情動が起こらなくてはいけないと思うし、作曲家も演奏家も何かを表現または伝えようとしているわけだ。それが直接的に伝わらなくても、何かを感じ取れればそれで満足だ。

 微妙な境界にある音楽?は、音と、音を出す行為を含めて、つまり演奏すること(人でなくても良いと思う)に触れる瞬間には音楽と認識することが可能かも知れない。もちろん五線譜で表わされるものは、すべて音楽とは思いますが。

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ポリフォニーの虜

2007年03月24日 | 音楽

 複数の旋律が独立して進行する音楽をポリフォニー音楽と呼ぶ。私はこのポリフォニー音楽の虜になっている。

 まず、聞いて楽しい。同時に複数の旋律を聞き取るには慣れが必要だが、交錯する音のみによって造りだされる純粋極まりない音空間に身をゆだねる快感はこの上ない。

 特にフーガはポリフォニー様式の中でも最高の形式で、主題の旋律を各声部が提示、模倣、転調、転回などの技法を用いて作曲される。カノンを拡張した形式。バッハの最も重要な作品群をなしている。バッハ以降もモーツァルト、ベートーベンをはじめ、現代に至るまで多くの作曲家がフーガを作曲している。300年以上も継続して作曲され続けている形式は他には無いだろう。

 フーガという厳格な形式という制約のなかで、如何に自由な旋律を紡ぎ出すか、つまりフーガには制約と自由を獲得した不思議な構造がある。これが音楽に生命を与えている肝なのだろう。

 ポリフォニー音楽は演奏しても楽しい。特に独奏曲は、一人で複数の音を操ることの快感がこの上ない。演奏はかなり難しいが練習する意欲が長続きするのは、弾けるようになったときの喜びが大きいからだ。

 当分はポリフォニー音楽のお世話になるだろう。

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チェンバロの普及

2007年03月23日 | チェンバロ

 クラシック音楽界では今やチェンバロは復権を果たしていると言えるだろうが、一般家庭への普及は依然として進んでいないのが現状だろう。いや、永遠に進まないかも知れない。しかし僅かずつではあるが、確実に普及しつつある気がする。

 インターネットで検索すれば国内・海外合わせて数十件のチェンバロメーカ・製作家を見つけ出すことが可能で、本気で手に入れようと思えばそれほど困難なことではない。国内の製作家もかなり増えているので、供給の面では改善されてきていると言える。

 問題はチェンバロを手に入れて弾きたいという動機がなかなか起きないことだろう。チェンバロでは演奏可能な曲がバッハ以前もしくは現代音楽などに限られてしまうことに抵抗感を持つ人もいるはずだ。また値段の問題もある。手作りで需要も少ないのでそれなりに高価だ。さらに実際にチェンバロに触れられる楽器店も限られている。

 まだ問題はある。自分で調律をしなければならないので、簡単な調律の理論(高校の数学レベル)は最低限知る必要があるし、楽器が繊細なため最低でも年に1度は専門家の点検を受ける必要がある。但し、調律は電子チューナーを使う手もある。国産の楽器なら、日本の気候になじみやすいと聞いたこともある。

 というわけで、チェンバロの一般家庭への普及推進はそう簡単にはいかないだろう。市場でのマーケティング活動も決して活発とは言い難い。現状では本当に欲しい人が自分で探して購入するケースがほとんどだろう。

 しかし生のチェンバロの音はCDとは比べようもない程、美しく音楽的で立体的な音だ。是非一度でいいから生の音を聞いてみて欲しい。いろいろクリアすべき点が多い楽器ではあるが、これを乗り越えて、少しでも広くチェンバロが普及することを願っている。

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バッハの誕生日

2007年03月21日 | バッハ

 今日はヨハン・ゼバスチャン・バッハの322回目の誕生日です。1685年3月21日に誕生しました。恐るべき長生きです。

 年に一度の記念すべきこの日、日本ではグレン・グールドの1955年録音のゴルトベルク変奏曲の、音楽解析ソフトウェアと自動演奏ピアノによる「再演奏」録音CDが発売された。ピアニスト/作曲家の高橋悠治はバッハの誕生日にちなんでコンサート「ハッピーバースデイ・J.S.バッハ」を開いた。

 私は今日、高橋悠治のこのコンサートを聴いてきた。高橋さんのバッハ演奏はずっと昔から好きで聞いてたが、生演奏で聞くのは今回が初めてだ。彼のバッハへの愛情が伝わってくる演奏だった。曲は「音楽の捧げもの」から3声、6声のリチェルカーレの2曲と、チェンバロのためのパルティータ第2番だ。

 後半の高橋さんの作曲による本日初演の「アフロアジア的バッハ」は、バッハのチェンバロのためのパルティータ第6番のエッセンスを活かして、「空、沈む月、浮き雲、闇のとばり、煙の渦、瞬く炎、さざなみ、冷たい雨、散る砂、黄昏」の10曲からなる作品群に仕上げたそうだ。すべて自然現象をタイトルにしていて、捉えどころのない曲(笑)だと彼が説明してくれた。

 確かにパルティータ第6番の音形や旋律断片が随所に聞かれ、バッハを想い偲び、時空を超えて愛され続けているバッハを感じ、深い感動に包まれた。

 一方、グレン・グールドの再演奏は、私としては最悪だ。現代最高のテクノロジーを使って再現したそうだが、時折、人間が弾いているとは思えない箇所が出てくる。特にテンポの速い曲はペダルの使い方というか、アーティキュレーションにどこかぎこちなさを感じてしまう。100万分の1秒を再現できるそうだが、そのハード性能を制御しきれていないと感じた。また、旋律線の流れに不自然な強弱がついている箇所も気になる。もしかしてグールドが変なのか。

 致命的なのは、マスターテープ録音の段階でダイナミックレンジはかなり圧縮されてしまっていることだ。これを使う以上は「オリジナル生演奏」の情報量よりも遙かに少ない情報からの再現になり、限界があることは当然だろう。私にはグールドの「本物の」演奏には聞こえなかった。ただし、これを試みたことには一定の評価がなされて良いと思う。このシステムには、まだ改良の可能性が多少は残されていると感じたからだ。

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音楽と集中力

2007年03月17日 | 音楽

 音楽はリラックスして聞くとよく言われるが、本当に良い方法は、はたしてそうだろうか。私には、少なくともクラシック音楽を聞くには、かなりの集中力が必要だと感じている。集中して聞いた分だけ、返ってくる感動も大きくなることを経験する。ただし非常に疲れるのも確かだ。

 リラックスして曲を聞いた場合には、それ相応の安堵感というか、幸福感は生まれるが、涙して感動するようなことはまず無い。

 音楽を演奏する場合にも同じ様なことが言えるのではないか。あまり何も考えずに感覚的に曲を弾いていると、勝手に進んで行く音楽を、自分の頭の中で理想の音楽に補正して鑑賞している状態になっていると思われる。これが自己満足の演奏の典型だろう。

 曲を考え尽くして集中して弾く場合には、私のような素人には演奏技巧的に可能な範囲でのことだが、それでもただ疲れるだけに感じる場合が多い。ただし、先日経験した人前演奏では、相当の集中力とともに、非常な緊張感とそれと同時に付随する何とも言えない幸福感という、不思議な感覚の組み合わせを体験した。

 極端な例を語ったが、通常はその中庸な範囲内におさまって、適度な集中と弛緩(リラックス)をバランス良く保っている。音楽はそのバランス如何によって(音楽に限ったことでもないが)、その姿をいかようにも変貌させる。曲を聞くにも弾くにも、集中と弛緩のバランスを自分でコントロールする術を身につけることが最良な方法だろう。

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バッハの駄作

2007年03月10日 | バッハ

 大作曲家として知られるバッハもすべての曲が素晴らしいかといえば、そうではない。バッハの天才は彼自身も述べているように、たゆまぬ努力によって獲得した力なのである。

 若き時代の初期の作品には、とてもバッハとは思えないような駄作の鍵盤楽器曲が幾つか残されている(ただしそのうちの幾つかには偽作も含まれている可能性もある)。ただ、その駄作でも、当時の作曲家たちの曲とはどこかが違うのも確かだ。たとえばバッハ特有の強力な推進力が感じられる曲があったりする。この違いは彼固有の芸術家精神によるものだろうか。

 また初期の作品には、天才の片鱗を伺わせる広大なファンタジーを内包する曲も存在する。駄作と傑作とが入り混じり、苦悩する若きバッハの姿がそこにはある。作曲を途中放棄した楽譜が残されていたりすることからも、たぶんバッハ自ら曲の出来の良し悪しを十分に分かっていたのだろうと思う。

 そして彼は自分の向かうべき方向をしっかりと自覚し、最良の方法でその道を進んだからこそ、天才の名にふさわしい名曲を残すことができたのだと思う。彼の貪欲とも見える音楽人生には、寄り道なんかしている暇も無かったのだろう。

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チェンバロデビュー

2007年03月06日 | チェンバロ

 先日、発表会で初めてチェンバロを弾いた。大勢(70~80人)の人前で独奏するのは初めてになる。弾いたのはバッハのフーガの技法から、コントラプンクトゥス1番。

 リハーサルのとき、一緒に出演する皆さんの演奏に圧倒され、また用意された楽器のタッチがあまりにも軽くて弾きこなせるか不安になったり、本番直前にはかなり緊張した。この発表会に出る決心をしたことを後悔した。しかし本番になって以外と素直に開き直れた。

 チェンバロの美しい音色に加え、ホールの残響も心地よく、音に包まれる様な素晴らしい環境で弾けるなんて、なんて幸せ者なんだろう。こう考えて、自然とリラックスしてきて素直に楽器に向かうことが出来た感じがする。

 曲の中間部あたりでミスタッチをして崩れそうになったが、譜面をじっくりと見ながら冷静を保つように心がけた。譜面が自分を助けてくれたのだ。我ながら凄い集中力だった。こんなに曲に集中して弾いたことはなかったかも知れない。何とかボロボロになる寸前で立て直すことができた。

 弾き終わった後、何とも言えない幸福感が満ちた。聞きに来てくれた知人から「良い曲だね」と言われてとても嬉しかった。素晴らしい経験をした。

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