バロックな話

バロック音楽/バッハとチェンバロ演奏、あるいは音楽のいびつな雑感

クラシック音楽の未来

2009年03月25日 | 音楽

 今や地球規模での世界制覇を果たした所謂、西洋クラシック音楽に未来はあるのだろうか。新しい曲でも既に100年程を過ぎようとしている、残された多くの作品を、繰り返し演奏するだけの現代。その流れを汲む、いわゆる現代音楽は風前の灯で、一般聴衆には理解不能。このままではクラシック音楽という文化に未来は無いだろう。

 名演と言われる「作品」がディジタルメディアによって永遠に残される今日では、新たな演奏が発売されても相対的にその価値は下がる一方だ。昨今の過去の名演と言われるクラシックCDの再発売の多さには、安くて良い演奏を多く聞く機会を与えてくれる恩恵に与れるという一面もあるが、演奏家にとっては脅威となるだろう。しかし時間は限られているので、聞ける演奏の数にも限界があり、もはやあらゆる演奏で溢れかえった状況に辟易している。

 この半世紀の間に作曲された曲は、100年後の世界の人々に愛されているだろうか。作曲家が滅亡してしまった時代になっていないか。音楽史では中世、ルネサンス、バロック…と発展?し、古典派、ロマン派で生命史で言うところのカンブリア爆発を起こし、調性音楽としての多様性の頂点に達する。その後無調性や奇抜性、実験性、偶然性などが主流となった現代音楽は生き残る遺伝子に狂いが起きて絶滅寸前。

 ロマン派頃までの音楽がいまだに主流なのは、音楽の「普遍性」が鍵なのかも知れない。それは歴史が証明している。普遍性の中にも独自性を追求した音楽(作曲)の可能性は、現代にも必ずや、まだ残されているはずだ。

 とは言うものの、一人の人間が一生のうちに長く愛して聞き続けることのできる曲は、現代に残されたクラシック音楽の曲数で必要十分なのかも知れない。つまり音楽は個人的体験であり、時代が変われば人も変わるので、誰も困らないのかも知れない。クラシック音楽は過去の遺産だけで必要十分なのか。曲も演奏も。。こう考えると、クラシック音楽には未来は無いかも知れない。