行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-4  栗橋~鹿沼

2007年10月28日 | 奥の細道
2006年9月24日(日) 晴れ
啖呵売の一節じゃないけれど「一は万物 物の始まり、国の始まりが大和の国、泥棒の始まりが石川五右衛門で、旅の始まりが“奥の細道”だ。サー只今からが始まりで、初めあれば終わりあり----」。無事終わりまで辿り着くか心配だが、南栗橋からスタートすることにし、深川からは通い慣れた道なので後まわしにすることとした。
今回は長途の始めと言うこともあり、自転車の調子、旅の持ち物、道路状況等を確認するための予行演習で、鹿沼までの日帰りだ。
東武日光線の南栗橋駅を9時に出発しR4へ入る。この道には歩道が無く、激しい車の往来に驚かされ次の側道へ逃げ込むが、この側道がまたいい加減で、広かったり狭かったり時には消えてしまうこともある。利根川橋と思しき所で、自転車を担ぎ土手を攀じ登ると目的の橋だった。人気のない橋の歩道からは、これから行く田園地帯が広々と望め、渡りきると茨城県だ(地図を見ると埼玉・千葉・茨城・群馬・栃木の各県が複雑に入り組んだ地域だ)。土手を左折し旧中田宿をR228で進むと、よく手入れされた松並木が暫く続く。台町三叉路からR261に替わり、古河駅前を過ぎ野木の交差点でR4に合流する。近くの満願寺で小休憩する(出発したばかりなのに“満願”の寺で休むとは!)。
野木・間々田を過ぎ粟宮交差点を直進し、R265の旧道に入り小山の街中を通過する。喜沢交差点でR4を横切り、R18の壬生街道のゴルフ場を抜け、姿川を平田橋で渡り、思川と平進し北上する。2kmほどの東側に麻利支天塚古墳があり、近くには琵琶塚・甲塚・愛宕塚・山王塚・丸塚の古墳や、下野国分寺・国分尼寺跡や紫式部の墓などが点在し、往年の繁栄を想像しながらの散策も楽しい。麻利支天塚から南に数百メートル戻り、信号を西に入ると思川に架かる自転車と歩行者用の小橋(小宅橋)がある。道なりに進み、北東に見える森が下野国庁跡で、建物の一部(写真)が復元されている。室の八島の大神(オオミワ)神社の森は、古国府から道なりに北へ進み、R44を横切り、工業団地のR2との交差点から北東に見える。奥の細道に「室の八島に詣す。同行の曽良がいわく。“この神は木花開耶姫の神と申して、富士と一体なり------”」とある。境内には小さな八つの島が池に配され、島毎に浅間・筑波・鹿島などの小さな祠が祀ってあり、箱庭のような感じだが大変長い歴史があるようだ。
東武宇都宮線そして思川を保橋で越え、壬生町を壬生バイパスで近道し、本丸1交差点からR352に左折し北西に進む。これより走りにくい路肩の歩道が鹿沼まで続く。しばらく田園地帯を行くと、追分交差点の三叉路で例幣使街道(R293)に合流する。そのまま北進すると、鹿沼の町はじめにある東武線の新鹿沼駅に着く。
今日の走行距離 61km



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1 コメント

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室の八島 (島田)
2008-07-17 06:31:05
室の八島といっても、池の室の八島と神社の室の八島は別物です。そして池は[奥の細道]当時の代表的室の八島です。しかし神社の室の八島などというものは[奥の細道]当時存在しませんでした。

にもかかわらず[奥の細道]の中で曽良は、室の八島とは池ではなく、神社(の境内一帯)ですと芭蕉に紹介しています。池が無戸室の故事の舞台になれるわけがないでしょう。

曽良は神社にだまされているのです。
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