行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

拝啓 ガンマ先生

2007年10月28日 | ガマの油売り
ガマ新聞へ投稿した記事です

さーさーお立ち会い 手前 生国と発しまするは 下総の国は 印旛の郡でこざりまする 幼少のみぎりより 夏なお青き筑波の峰をば望み 冬これ 筑波下ろしの空っ風を友として育ち 今なお “天の光を受け地の湿りをば吸い上げまして”古稀を過ぎんとしておりまする

心騒ぐ十二三才の折 春まだ浅き筑波の峰をば見まするに 無性に訪れたき一心から 納屋より つぎはぎだらけのタイヤのボロ自転車を取り出しましたるに コンビニ無く 食堂少なき時代ゆえ 重箱に梅干数個と飯を詰め サンダラボッチを下敷きに 荷台に荒縄でくくりつけたる風呂敷包み 僅かばかりの子使銭を懐に いざ “遙かに北の方は筑波の郡”に勇躍出発致しましたる

砂利道伝いに白井 木下 布川 龍ヶ崎を経て 日やや中天を過ぎし頃 土浦という所に着きぬ 聞くところによると いまだ 四五里の道のりありとのこと 疲労困憊し四肢動かず これより電車にて 又麓より歩いて山頂に立てり 

帰途 門前町にてガマの油売りの話を聞くに これが初めてのカマとの対面となりまする  土浦からは 月の光を背に受けて いつパンクするかと心細きままに 長い道のりを帰り来ましたる

 長うずると共に 親を捨て 故郷を捨て 高度成長とやらの掛け声に乗せられて 懐かしの筑波の峰やガマをも忘れ あくせく働く貧乏暮らし

 気付いて見れば前期高齢者とやら しからば 末期高齢者となる前に 楽隠居と決め込んで 爺様のスタンプラリーこと 坂東札所の自転車巡りをするならば 筑波山には大御堂 ご利益深き名刹に辿り着くなり

 思い起こせば 幼き頃のガマの油売り CD無きかと問うならば 土産物屋のおかみさん ガマ園とかを尋ねろと 買い求めたるカセットテープ かっぷくよきご老人 口上実演をば見て行けと言うなれど 客人一人のわが身には 木戸銭“さぞかし高いだろうな”と退散す

 暇にあかせて聞くテープ ロマンを感ずる内容に 実演見たさに通う筑波山 興味こうじて参加したる勉強会 ボケ老人には無理な長文 夢にまで見る“サーサーお立会い”またも名人方を前に赤っ恥かと励む日々 片時も わが身から離れぬ“がんま先生” とうとう我が家の庭石までがガマに似てきましてござりまする この写真如何でござりまするかな
  
行徳平兵衛
 

「奥の細道」と蛙たち

2007年08月19日 | ガマの油売り
この文章は 筑波山ガマ口上保存会 会報(通称ガマ新聞)7-24号へ投稿したものです

小生65才に達した時 前期高齢者と云われ 反射的に次に来るものは末期高齢者かと思ったものだ
早いもので あと三年で いよいよ末期高齢者(正確には後期高齢者)の仲間入りとなる そこで 芭蕉さんよろしく放浪の旅に出ることにした
ところが 女房の「何処を徘徊しますか?」との問いに 「行く場所が決まれば徘徊とは云わない」と大いに怒つたものだが 徘徊にならぬように奥の細道を辿ることとした次第だ
全行程2400kmを 徒歩で行くには時間がかかり 車では早すぎて趣が無いので自転車を利用することにした

昨秋 出発点は東京深川の芭蕉庵跡だ ここには芭蕉稲荷があり 芭蕉が愛した蛙の置物が数体あった かの有名な「古池や 蛙飛び込む 水の音」はこの辺で読まれたようだ
さて 気になるのは飛び込んだ蛙の種類と水音だ ガマガエルは夜行性だし牛蛙は舶来品だから除外 登場する蛙は殿様蛙 いぼ蛙 赤蛙の何れかであろう また海抜0mのこの辺は 昔もそんなに深い古池は無かっただろうから おのずとダイビング音は決まって来るだろう 等など考えながら千住 草加 越谷 春日部 を経て 今日の目的地栗橋に到着 -------その後の調べでは 一般的に小型の蛙で ポチャン ポチョ ピシャ等の意見が多く ドボンや子規のようなキャブンなどの変わった音は少ないようだ

その後 栃木 福島を過ぎ今春宮城に入り 奥の細道(題名の元となった道?で今では結構広い道路だ)や多賀城跡 そして 末の松山などを経て 待望の塩竈桜を見ようと塩竈神社に向かう 神社の長い石段を登る前に腹ごしらえと食堂に入る なんと棚の上に居るではないか 我等が友の大きなガマの置物だ 胸には筑波山とあり 思わず手を合わせ無事カエルとお祈りした次第だ

松島を周遊し石巻に入る ここでは是非見たいものとして 日和山からの金華山の遠望だが あいにくの天気で雨に煙る桜と芭蕉像を見るだけとなった
そこで バナナの叩き売りじゃないけれど 「金華山の因縁聞かそうか」と次の新聞記事を紹介する
ヘビ「ガマの油」で護身        日経新聞 2007.1.30の要約
ヤマカガシは ガマガエルを食べてその体から分泌される毒を体内に取り込み首に蓄え身を守るのに利用していることを京都大学などが確認した ワシ等に襲われた際 毒液を放出して撃退するのに使う この毒の成分がヤマカガシが餌にするガマガエルの毒「ブファジェノライド」とほぼ同じで ガマガエルを食べた際に取り込んでいる この毒は少量なら強心薬の働きがあり「ガマの油」として知られている ガマガエルが居ない金華山島ではヤマカガシの首には毒が無く ガマガエルの多い四国の伊島では毒が多い 卵からかえったヤマカガシの子にガマガエルを与えずに飼育したところ毒は無く 与えると数日で毒が蓄積されたとのことだ
「ガマの油」がヤマカガシの専守防衛に役立っているとは驚きだ
サァーサァーお立会い 効能がわかったらドンドン買ったり買ったり!

さて 石巻を後にして 雨の中 延々と続く北上川に面した歩道の無い山際の道を 車に悩まされながら登米に向かう そこで一句
「春雷に 山河も煙る 登米の道」   平兵衛

平泉 一関 姉歯 岩出山を経て鳴子温泉郷に入る これより上り坂が長くきつい こんな時に思うことは 自ら転がる車(=自転車)とは何事か! などと不平をブツブツ云いながら 芭蕉も苦しんだ山刀伐(ナタギリ)峠を越えた なんとこれより下り坂が10~15kmも続き まさに自転車の本領発揮で尾花沢まで殆どこがずに到着        ご機嫌ご機嫌!

ここで 芭蕉を歓待した尾花沢の豪商(紅花商人)鈴木清風を紹介しよう  元禄15年 江戸商人の紅花不買運動にあった清風は 大森海岸で紅花を焼き捨てた そのため紅花は高騰し 三万両の利益を得た清風は 三日三晩吉原の大門を閉ざし 遊女達に休養を与えたという 意気に感じた高尾太夫が送った柿本人麻呂像を祀った神社が今も残っている       なんとも粋じゃござんせんか!

所で 我が蛙君の話だが 芭蕉はこの地で「這ひ出でよ 飼屋の下の ひきの声」の句を詠んでいる この句は万葉集の「朝霞 飼屋が下の 鳴く蛙--------」が本歌とされている もしそうでなければ大変だ 早春の恋の季節ならいざ知らず 今の暦では7月だ こんな時期に寡黙なガマさん 声など出すはずがない さもなくば 蛇に追いかけられているに違いない        クワバラクワバラ!

その後 夕日を受け金色に輝く岬や日本海の絢爛たる風景等を眺めながら秋田 山形から新潟に入った 今秋は新潟を南下し富山 石川 福井を経て大垣を目指す予定だ