2008年4月25日(金)晴
4月に入り北陸3県の桜前線と週間天気予報が非常に気になる。今年はじめての奥の細道サイクリングのタイミングを探る。天気予報では「春に三日の晴なし」などとつれない。ぐずぐずしている内に4月も下旬に入り、意を決し出発したが、疾うに桜の時期は過ぎていた。
上野7:06発の新幹線で越後湯沢へ。トンネルをぬけると雨だった。この辺りは未だに桜が満開で雨に濡れる車窓の花は実に美しい。在来線に乗換え平地にくだると葉桜になり、10;:14富山に到着した。北口広場から「鄙にはまれな」スマートなライトレールに乗車し蓮町で下車。何でもこの路線は以前赤字だった様だが、大幅な改革を行い黒字化したとのことだ。
駅横の小さな広場で自転車を組上げ、今回の旅を開始する。神通川を萩浦橋で渡り北に向い、富山湾に面した護岸上のコンクリート道を北西に進む。海岸線には、水平線の彼方から寄せる波が長閑にザザー ザザーと砂浜を洗っていた。富山新港に架かる大きな橋(建設中)の橋脚が見える辺りから、港の東突端にある堀岡渡船発着場へと進む。この渡船場は新港を建設した際に、県が住民へ約束した県営の渡し舟であり、無料の渡し舟は10分程度で対岸に着く。西突端には万葉線と言う鉄道が引かれ、可愛い一両編成の電車が走っていた。
暫らく進むと放生津八幡宮が右手に見え、この境内には大伴家持の
あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の
釣りする小舟 こぎ隠る見ゆ
や芭蕉の句碑などがある。この辺りの海が奥の細道の「那古という浦に出づ」とある白砂青松の歌枕の地であったようだが、今は沖に波消しブロックが続き見る影も無い。
本町辺りの街角には、お地蔵さんと思われる仏様が、立派なガラス張りの小屋にカラフルに祭られていた。
芭蕉は奥の細道で「担籠の藤波は、春ならずとも、初秋のあわれとふべきものをと、人に尋ぬれば、“これより五里磯伝いして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、葦の一夜の宿かすものあるまじ。”といひおどされて、加賀の国に入る。 早稲の香や 分け入る右は 有磯海」と書き記し高岡に向った。
文中の「胆籠の藤波・蜑の苫ぶき・有磯海」に引かれて北方の島尾駅辺りの海辺を訪れることにした。
新庄川橋を渡り、次に小矢部川を上流に大きく迂回し伏木港大橋で越え、越中国分駅を過ぎ、岩崎の展望台から男岩・女岩を望む。
義経岩を過ぎ雨晴駅方面への道を進む。島尾駅北側の線路を横切り海浜公園へ出る。浜からの眺めは北に能登の山並み(写真)、東に富山湾、東南に霞む立山連峰?が広がり、まさに万葉の世界だ。
島尾駅から駅前道路を道なりに南西に進み、R160を下田子交差点で横切ると前面の山際の森が藤波神社だ。大伴家持の歌碑や藤の巨木があり、神社の石段から、かって湖であったと言う田圃を眺めながら、満開の藤の頃は如何かと往時を偲ぶ。
R160と並進する旧道を高岡に向かって南下し、東海老坂でR160に合流。前田利長築城の堀を中心した高岡古城公園や利長の墓所を訪ね、18時前宿に到着。
今日の走行距離45km
4月に入り北陸3県の桜前線と週間天気予報が非常に気になる。今年はじめての奥の細道サイクリングのタイミングを探る。天気予報では「春に三日の晴なし」などとつれない。ぐずぐずしている内に4月も下旬に入り、意を決し出発したが、疾うに桜の時期は過ぎていた。
上野7:06発の新幹線で越後湯沢へ。トンネルをぬけると雨だった。この辺りは未だに桜が満開で雨に濡れる車窓の花は実に美しい。在来線に乗換え平地にくだると葉桜になり、10;:14富山に到着した。北口広場から「鄙にはまれな」スマートなライトレールに乗車し蓮町で下車。何でもこの路線は以前赤字だった様だが、大幅な改革を行い黒字化したとのことだ。
駅横の小さな広場で自転車を組上げ、今回の旅を開始する。神通川を萩浦橋で渡り北に向い、富山湾に面した護岸上のコンクリート道を北西に進む。海岸線には、水平線の彼方から寄せる波が長閑にザザー ザザーと砂浜を洗っていた。富山新港に架かる大きな橋(建設中)の橋脚が見える辺りから、港の東突端にある堀岡渡船発着場へと進む。この渡船場は新港を建設した際に、県が住民へ約束した県営の渡し舟であり、無料の渡し舟は10分程度で対岸に着く。西突端には万葉線と言う鉄道が引かれ、可愛い一両編成の電車が走っていた。
暫らく進むと放生津八幡宮が右手に見え、この境内には大伴家持の
あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の
釣りする小舟 こぎ隠る見ゆ
や芭蕉の句碑などがある。この辺りの海が奥の細道の「那古という浦に出づ」とある白砂青松の歌枕の地であったようだが、今は沖に波消しブロックが続き見る影も無い。
本町辺りの街角には、お地蔵さんと思われる仏様が、立派なガラス張りの小屋にカラフルに祭られていた。
芭蕉は奥の細道で「担籠の藤波は、春ならずとも、初秋のあわれとふべきものをと、人に尋ぬれば、“これより五里磯伝いして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、葦の一夜の宿かすものあるまじ。”といひおどされて、加賀の国に入る。 早稲の香や 分け入る右は 有磯海」と書き記し高岡に向った。
文中の「胆籠の藤波・蜑の苫ぶき・有磯海」に引かれて北方の島尾駅辺りの海辺を訪れることにした。
新庄川橋を渡り、次に小矢部川を上流に大きく迂回し伏木港大橋で越え、越中国分駅を過ぎ、岩崎の展望台から男岩・女岩を望む。
義経岩を過ぎ雨晴駅方面への道を進む。島尾駅北側の線路を横切り海浜公園へ出る。浜からの眺めは北に能登の山並み(写真)、東に富山湾、東南に霞む立山連峰?が広がり、まさに万葉の世界だ。
島尾駅から駅前道路を道なりに南西に進み、R160を下田子交差点で横切ると前面の山際の森が藤波神社だ。大伴家持の歌碑や藤の巨木があり、神社の石段から、かって湖であったと言う田圃を眺めながら、満開の藤の頃は如何かと往時を偲ぶ。
R160と並進する旧道を高岡に向かって南下し、東海老坂でR160に合流。前田利長築城の堀を中心した高岡古城公園や利長の墓所を訪ね、18時前宿に到着。
今日の走行距離45km