行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-20 月山~湯殿山

2008年08月02日 | 奥の細道
2008年7月29(火)曇
今まで盛夏の旅はキツイので遠慮してきたが、月山~湯殿山ルートはそうもいかないので、好天を選び訪れることにした。
東京7:22発新庄行新幹線で余目経由12:28鶴岡へ到着。12:52発羽黒山頂経由月山8合目行きバスに乗車。バスは昨年訪れた日枝神社の弁天島や大泉橋を経て大鳥居・羽黒町手向(とうげ)を通過し羽黒山頂に着く。
羽黒山頂で月山に向う登山客を乗せ、手向街道(R211)を南へ進む。右手の月山高原牧場を眺め、月山3・4・5合目の尾根筋を登って行く。6合目辺り(平清水)から霧が深くなり見通しが悪く、しかも極端なヘアピンカーブが連続する。遭難事故でもあったのか救急車・消防署の赤い車2台・パトカー2台が下ってくる。霧雨の中の8合目終点(標高1400m)でバスを降ると丁度3時だった。
外は大変寒くレストハウスで雨具を着け、阿弥陀ヶ原の遊歩道を一周する。
景色は全く見えず、霧の中の花々を見つける程度で、今日の宿の御田原参篭所に4:10到着した。

2008年7月30日(水)晴後曇
参篭所を5時に出発。快晴の湿原を鶯の声を聞きながら歩き始める。高山植物の可憐な花が露を含みお辞儀しながら迎えてくれる。気まぐれな山の天気はアッと言う間に霧に包まれる事もある。ゆるやかな霧降坂や鍋割を過ぎ、雪渓を見ながら小山を越えると仏生池小屋となり6:40に到着した。
前面に頂きが見えるが頂上ではなくオモワシ山だ。行者返と云う短い急坂を越えるとゆるいモックラ坂が頂上へと続く。宿で作ってもらった朝食のオニギリを食べながら、北の鳥海山・鶴岡の町・北西の日本海を眺める。東の葉山辺りや西方は雲に覆われ、頂上にもお椀を伏せた様な雲がかかり始めた。東斜面の大きな雪渓に沿って進むと月山神社(標高1980m)に8時過ぎ到着した。
石の鳥居をくぐると境内は撮影禁止で、神主から御祓いを受け、厄を紙の人形に移し小池に流す。旅の安全を祈願し神酒を頂き退出した。
山頂で飲料水を購入したが一本五百円で1円/ccの勘定となり、トイレが百円で「オチオチ水も飲めない」等とつまらぬ不平を云いながらガスの中を南西の台地に向う。広々とした台地では東と南に登山道が分岐している。西の湯殿山への下山道近くに大きな矛先の様な芭蕉句碑「雲の峯 いくつ崩れて 月の山」がある。
ガスで周囲の風景は見えないが、神社での道案内「湯殿山への道は常に分岐点を右に進みなさい」に従い、9時前急なガレ場を湯殿山に向かい下り始めた。
道々奥の細道にある「-----三尺ばかりなる桜の莟半ば開けるあり。降り積む雪の下に埋もれて、春を忘れぬ遅桜の花の心わりなし-----」とある桜花を懸命に探したが見当たらない。だが高地に咲く紫色鮮やかな紫陽花(写真)の一輪に出合えた。
牛首辺りからは道が緩やかになり、左手の大きな雪渓から吹き上げる冷気が汗ばんだ体に心地よい。姥ヶ岳のお花畑を見ようと寄り道する。木道両側の満開の花々が雪渓を渡る風にそよぎ実に美しい。金姥の分岐点に戻り、装束場への道に入ると人影も少なくローカルな感じだ。
施薬避難小屋を過ぎると直ぐに急峻な月光(がっこう)坂の鉄ハシゴが続く。この頃になると膝のヒヤルロン酸?が切れ、足はガクガクだ。おまけに水月光の濡れた岩は良く滑り、ブレーキの利かない足には大変危険だ。
仙人沢の滝音を聞きながら崖崩れの泥道を過ぎ、湯殿山神社(標高1100m)へ無事到着した。時12時10分。
伊勢・熊野と並ぶ三大霊場の湯殿山神社については、奥の細道に「-----惣じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとどめて記さず-----」とありそれに従う。
本宮前の芭蕉句碑「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」や曽良の句碑を見る。
シャトルバス(5分)で大鳥居のある仙人沢駐車場に向かい、13:30発のバスで鶴岡駅へ向う。新潟経由東京へ20:12到着。
今回の歩行距離12km 高低差 登り580m下り880m  


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