行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-37 関ヶ原~大垣

2008年10月24日 | 奥の細道
10月4日(木)晴
今朝は「奥の細道」最終日の出発だ。
関ヶ原の観光マップを見ると至る所に○○陣跡や戦場跡そして首塚等があり、簡単に見切ることは出来ない。東首塚や陣場野公園の「家康最後陣跡」を見学し、R21関ヶ原バイパスを東進、大高交差点を右折R21へ出る。近くに家康初陣跡(桃配山)がある。地図で見る限り三成率いる西軍は南宮山の毛利軍を含め鶴翼の陣構えを敷き、その中に家康率いる東軍がノホホンと入り込んだ様に見えるが、事前に十分な内応を図った上での進軍であろう。
一ッ軒交差点先から旧中山道に入ると、良く整備された道筋に松並木が美しい。垂井宿西の見付では広重の絵の複製を見、静かな街道には二基の常夜灯を配した大鳥居があり、駅入口を過ぎ相川橋を渡る。
R216を横切ると左手に広大な美濃国分寺跡がある。北に山を背負い南は広々とした平野が続き国府としては最適の地だったろう。
これより美濃赤坂の明星輪寺(赤坂の虚空蔵さん)へ向かうが、中山道に戻り道なりに進み赤坂の宿に着く。町中の虚空蔵口バス停から北へ急坂を登る。秋とは言え強い日差しの中を登ること暫し、ようやく木立の中の山門に入る。ここでは芭蕉句碑「「はとのこえ みにしみわたる いわとかな」を見る。木の間隠れにこれから進む大垣方面を望むと、吹き上げる風が汗ばんだ身体に心地よい。
山を下り街中に戻り「中山道 赤坂宿」の史跡や豪壮な矢橋家を見ながら駅に向かう。線路に沿って裏道をただただ真南に走り、中曽根町交差点で美濃路(R31)を左折大垣に向かう。養老鉄道を越え道が整備されてくると水門川はもう直ぐだ。大きな絵看板に「奥の細道むすびの地」とある
良く整備された川の両岸には「奥の細道むすびの地」の標柱(写真)や蛤塚
       蛤の ふたみに別 行秋ぞ      はせを
多くの句碑・像・住吉灯台・朱塗りの橋等がある。上流に進み大垣公園から大垣城に入る。木陰で着替え洗顔し大垣駅へ向かう
帰りの車中で「芭蕉は敦賀から大垣までの街道の戦」に何故一言も触れなかったのか等と考えているうちに東京へ18時過ぎに到着した。
帰宅後「奥の細道」無事完走を祝い、庭から摘んできた萩の花とますほの小貝を盃に入れ、ぬる燗の酒を注いでいると、女房曰く「何しているの、シジミより貧弱ね」だって。
疲れた体には大層美酒であったが、奥の細道の「種の浜」の頁を開き、食卓にそっと置き寝室に入った。
       妻と見る ますほの小貝 萩の杯   平兵衛
今日の走行距離19km
                   完


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