行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-3 千住~栗橋

2008年06月11日 | 奥の細道
2008年4月20日(日)晴
日比谷線の南千住駅で自転車を組み立て7時スタート。隅田川を千住大橋で渡り左岸の大橋公園へ向う。此処には「千住大橋と奥の細道」の解説板、「奥の細道矢立初めの地」の石柱、「奥の細道矢立初の碑」等があり、狭い公園は芭蕉一色だ。次の信号から右手の狭い旧道に入ると、仲町商店街・北千住駅前道路・サンロードへと続く。千住宿高札場や豪商の旧家など、かっての江戸四宿の宿場町の俤が所々で見受けられる。又シャッターに色鮮やかに描かれた今様浮世絵を見るのも楽しみだ。
千住新橋の歩道に取り付くにはやや面倒だ。荒川右岸西側のクネクネした歩道橋を上り橋上に辿りつく事となる。
殺風景な街中の日光街道R4を暫らく北上し、西保木間からR49に入る。すぐに東京・埼玉の境界である毛長川に出る。この川は綾瀬川の支流で、昔、川向の新里の女性が手前の舎人の男性に嫁いたが、婚家と折り合いが悪く実家に帰る途中この川に身を投げた。長い髪の毛が見つかり、神社に祀ったのが現在の毛長神社と言う。以来この川を毛長川と呼ぶそうだ。
間も無く右手の浅間神社に、一つの基壇に二つの常夜灯が並ぶ珍しい姿を見、谷塚駅を過ぎる。
右手の火あぶり地蔵尊を拝し、草加宿の旧道に入る。
由緒ありげな小なお堂・古い商家・日光街道の石柱などがある。突然真っ赤な旧形のポスト(写真)が現れ、古い街並との色彩の対照が何とも云えない。「草加せんべい発祥の地」の大きな石柱板が現れると、右手に綾瀬川が感じられ、間も無く札場(ふだば)河岸公園に到着する。
昔、この一帯は低湿地で大雨が降る度に川筋が変わる事から「あやし川」と呼ばれ、後に「綾瀬川」に変じたと言われている。当時の日光街道は、江戸から松戸を経て、当地を迂回し越谷へ抜ける道筋であった。芭蕉が訪れる少し前(1683年)に綾瀬川の直線化が成り、日光街道はこの川筋を通る様になった。
札場公園は少し下流で古綾瀬川を合わせ、レンガ造りの水門・河岸・芭蕉像・句碑・松並木と良く整備された散策路が長く続く。
綾瀬橋・蒲生駅・武蔵野線を過ぎ、瓦曽根ロータリーを左折し、越谷宿の旧家が残る旧道に入る。元荒川を大沢橋で渡り北越谷駅を過ぎR49に戻る。大袋駅辺りから道はR4日光街道となり、単調な道を北上し古利根川を春日部の埼葛橋で渡る。
R16を横切ると杉戸町に入るが、町はじめに「すきすきすぎーと」の地球儀状のモニュメントが立っている。案内板には北緯36度線上の都市としてチンタオ・ナッシュビル・ラスベガス・グランドキャニオン・テヘランそして杉戸町とある。堤根信号から左折し杉戸宿の旧道に入ると、門構えに白壁と黒塀の旧家が何軒かある。杉戸高野台駅近くには、西行法師が奈良東大寺の勧進のために平泉に向う際、何度も振り返ったと言う「西行法師見返りの松」の碑が残っている。
次の幸手宿はR4の上高野信号を左折する。古い商家やお大尽の家が散在し、電柱には昭和22年の大洪水時の冠水した水位(人の背丈程)が示されている。 また街角には「幸せの手」として有名人の手形があちこちにある。
R4に合流すると、右手に桜で有名な権現堂堤が現れる。この堤の中程に洪水を鎮めた人柱の供養塔や石碑などがあり、昔は江戸を水害から守る最前線として、治水に大変苦労した様だ。R4は行幸橋で中川を渡り、旧堤防上を北に進むけれども歩道が無く、土手下の田圃道を見つけながら南栗橋駅にむかった。今回の行程で「荒川の西遷」「利根川の東遷」が古隅田川・旧綾瀬川・元荒川・古利根川・権現川等の流路変遷からおぼろげに知る事が出来た。
今日の走行距離53km

平兵衛の「奥の細道」-2 両国~千住

2008年06月02日 | 奥の細道
2008年6月1日(日)晴
芭蕉の千住までの船旅に習い、国技館前にある両国発着場に向う。
日曜日・祝日の特定日運行の9時発「ゆらり旅」に乗船する。本日天気晴朗にして波も無く、乗客7名+船員4名の豪華船でいざ隅田川クルーズに出発。
右岸は広々としているがビルの壁が立ち上野・谷中の木々の梢は見えない。右手の左岸は高速道路に覆われ眺望はすこぶる悪い。
それぞれ個性のある蔵前橋(写真)・厩橋・駒形橋をぬけると左手は浅草だ。吾妻橋を過ぎると右手にアサヒビールのオブジェ(重さ350t)が出てくる。両岸の桜並木は1,000本以上もあると言われ、船上からの花見はさぞみごとだろう。言問橋から歩道橋の桜橋や白髭橋を過ぎ、左手の再開発地帯がしばらく続くと、右手に旧綾瀬川の合流点が見えて来る。千住発着場はもうすぐだ。
初夏のウラウラした船旅は20分ほどで終了した。「行く春や 鳥啼き魚の 目は涙」の頃は水もきれいだった事だろう。今じゃ魚も目が痛いだろうよ。

平兵衛の「奥の細道」-1 深川~両国

2008年06月02日 | 奥の細道
2008年3月23日(日)晴
東西線門前仲町下車。東口より地上へ出ると深川不動堂の門前町だ。ここは成田山新勝寺の別院で,寺宝などの展示があり無料で見学できる。
東に数百メートル進むと富岡八幡宮の境内に突き当たる。参道に面して神輿庫があり、中には行徳の16代浅子周慶作の大神輿が燦然と輝いている。屋根は24kgの純金で覆われ、多くの金剛石を散り嵌めた鳳凰の鶏冠は2,010個のルビーで飾られ、4カラットのダイヤの目は眼光鋭く辺りを睥睨している。製作の地行徳からは、多くの船を従えてこの地まで船渡行したそうだ。
境内裏の相撲塚を見学し、1km北の海辺橋袂にある採荼庵(さいとあん)跡へ向う。芭蕉が奥の細道へ出発した場所で、草鞋を履き笠と杖を持った芭蕉像(目次の写真)がいざ出立の構えだ。
清澄庭園内の芭蕉句碑等を訪ね、小名木川に架かる万年橋を渡ると芭蕉庵史跡・展望庭園に出る。隅田川越に佃辺りの高層ビルが見えるが、芭蕉の時代はさぞ長閑であったことだろう。公園内には芭蕉像と多くのパネルが展示されている。近くの芭蕉稲荷(写真)は芭蕉庵のあった場所で、「古池や ----」の句碑や祠がある。500mほど北に芭蕉記念館があり、庭に句碑や像そして館内には芭蕉庵跡で発見された蛙や多くの資料が展示されている。
隅田川の遊歩道に降り、広々とした川面や遊覧船を追うカモメ等を眺め、また竪川水門を迂回し、一之橋下の放置されたボロ舟等に立腹しながら、京葉道路をぬけ、東京水辺ライン両国発着所へ到着した。千住への船は4月13日まで運休との事で今日の散策は此処で終了とした。
今日の歩行距離6km