行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-4  栗橋~鹿沼

2007年10月28日 | 奥の細道
2006年9月24日(日) 晴れ
啖呵売の一節じゃないけれど「一は万物 物の始まり、国の始まりが大和の国、泥棒の始まりが石川五右衛門で、旅の始まりが“奥の細道”だ。サー只今からが始まりで、初めあれば終わりあり----」。無事終わりまで辿り着くか心配だが、南栗橋からスタートすることにし、深川からは通い慣れた道なので後まわしにすることとした。
今回は長途の始めと言うこともあり、自転車の調子、旅の持ち物、道路状況等を確認するための予行演習で、鹿沼までの日帰りだ。
東武日光線の南栗橋駅を9時に出発しR4へ入る。この道には歩道が無く、激しい車の往来に驚かされ次の側道へ逃げ込むが、この側道がまたいい加減で、広かったり狭かったり時には消えてしまうこともある。利根川橋と思しき所で、自転車を担ぎ土手を攀じ登ると目的の橋だった。人気のない橋の歩道からは、これから行く田園地帯が広々と望め、渡りきると茨城県だ(地図を見ると埼玉・千葉・茨城・群馬・栃木の各県が複雑に入り組んだ地域だ)。土手を左折し旧中田宿をR228で進むと、よく手入れされた松並木が暫く続く。台町三叉路からR261に替わり、古河駅前を過ぎ野木の交差点でR4に合流する。近くの満願寺で小休憩する(出発したばかりなのに“満願”の寺で休むとは!)。
野木・間々田を過ぎ粟宮交差点を直進し、R265の旧道に入り小山の街中を通過する。喜沢交差点でR4を横切り、R18の壬生街道のゴルフ場を抜け、姿川を平田橋で渡り、思川と平進し北上する。2kmほどの東側に麻利支天塚古墳があり、近くには琵琶塚・甲塚・愛宕塚・山王塚・丸塚の古墳や、下野国分寺・国分尼寺跡や紫式部の墓などが点在し、往年の繁栄を想像しながらの散策も楽しい。麻利支天塚から南に数百メートル戻り、信号を西に入ると思川に架かる自転車と歩行者用の小橋(小宅橋)がある。道なりに進み、北東に見える森が下野国庁跡で、建物の一部(写真)が復元されている。室の八島の大神(オオミワ)神社の森は、古国府から道なりに北へ進み、R44を横切り、工業団地のR2との交差点から北東に見える。奥の細道に「室の八島に詣す。同行の曽良がいわく。“この神は木花開耶姫の神と申して、富士と一体なり------”」とある。境内には小さな八つの島が池に配され、島毎に浅間・筑波・鹿島などの小さな祠が祀ってあり、箱庭のような感じだが大変長い歴史があるようだ。
東武宇都宮線そして思川を保橋で越え、壬生町を壬生バイパスで近道し、本丸1交差点からR352に左折し北西に進む。これより走りにくい路肩の歩道が鹿沼まで続く。しばらく田園地帯を行くと、追分交差点の三叉路で例幣使街道(R293)に合流する。そのまま北進すると、鹿沼の町はじめにある東武線の新鹿沼駅に着く。
今日の走行距離 61km


拝啓 ガンマ先生

2007年10月28日 | ガマの油売り
ガマ新聞へ投稿した記事です

さーさーお立ち会い 手前 生国と発しまするは 下総の国は 印旛の郡でこざりまする 幼少のみぎりより 夏なお青き筑波の峰をば望み 冬これ 筑波下ろしの空っ風を友として育ち 今なお “天の光を受け地の湿りをば吸い上げまして”古稀を過ぎんとしておりまする

心騒ぐ十二三才の折 春まだ浅き筑波の峰をば見まするに 無性に訪れたき一心から 納屋より つぎはぎだらけのタイヤのボロ自転車を取り出しましたるに コンビニ無く 食堂少なき時代ゆえ 重箱に梅干数個と飯を詰め サンダラボッチを下敷きに 荷台に荒縄でくくりつけたる風呂敷包み 僅かばかりの子使銭を懐に いざ “遙かに北の方は筑波の郡”に勇躍出発致しましたる

砂利道伝いに白井 木下 布川 龍ヶ崎を経て 日やや中天を過ぎし頃 土浦という所に着きぬ 聞くところによると いまだ 四五里の道のりありとのこと 疲労困憊し四肢動かず これより電車にて 又麓より歩いて山頂に立てり 

帰途 門前町にてガマの油売りの話を聞くに これが初めてのカマとの対面となりまする  土浦からは 月の光を背に受けて いつパンクするかと心細きままに 長い道のりを帰り来ましたる

 長うずると共に 親を捨て 故郷を捨て 高度成長とやらの掛け声に乗せられて 懐かしの筑波の峰やガマをも忘れ あくせく働く貧乏暮らし

 気付いて見れば前期高齢者とやら しからば 末期高齢者となる前に 楽隠居と決め込んで 爺様のスタンプラリーこと 坂東札所の自転車巡りをするならば 筑波山には大御堂 ご利益深き名刹に辿り着くなり

 思い起こせば 幼き頃のガマの油売り CD無きかと問うならば 土産物屋のおかみさん ガマ園とかを尋ねろと 買い求めたるカセットテープ かっぷくよきご老人 口上実演をば見て行けと言うなれど 客人一人のわが身には 木戸銭“さぞかし高いだろうな”と退散す

 暇にあかせて聞くテープ ロマンを感ずる内容に 実演見たさに通う筑波山 興味こうじて参加したる勉強会 ボケ老人には無理な長文 夢にまで見る“サーサーお立会い”またも名人方を前に赤っ恥かと励む日々 片時も わが身から離れぬ“がんま先生” とうとう我が家の庭石までがガマに似てきましてござりまする この写真如何でござりまするかな
  
行徳平兵衛
 

平兵衛の「奥の細道」ー23  由良~勝木

2007年10月23日 | 奥の細道
2007年6月6日(水) 曇り時々雨
北西の日本海から遠雷(写真)が聞こえ、徐々に接近しているようだ。雨を避けるため5時に宿を出発し、雨雲と競争しながらR7と旧道を行き来しながら南下する。由良の町外れからR7(羽州浜街道orおけさおばこライン)へ進み、三瀬の集落やトンネルを貫けると、小波渡の浜に波が寄せている。小波渡・中波渡・大波渡のバス停を過ぎると波渡岬だ。トンネルの先は五十川(イラガワ)でこの辺の海岸には奇岩が続く。塩俵岩や暮坪の立岩(高さ51m、頂上には丸葉車輪梅が生えているそうだ)は圧巻だ。立岩地底温泉で雨宿りし、雨のあいまを見て鼠ケ関まで猛スピードで南下する。旅情を楽しむ暇もない。
鼠ケ関に入ると雨が上がる。大きな関跡の石柱と小庭園のある念珠関はR7の東側にあり、これより海側の旧道を進むと町中に入る。近年見つかった本来の関跡は鼠ケ関駅近くの県境にある。立ち話をしている老婆達に何処が国境かを聞くと「道路の向側が出羽、こちら側が越後だ」と言い合う。お互い自国を誇らしげに思っているようだが争う気配はない。その後老婆達は町内の話に花を咲かせていた。道路中央を一跨ぎして新潟県へ入った。町はずれの旧道の土手一面に咲いた真っ赤な”ひなげし”が雨に打たれうなだれていた。R7に入るとまたも雨が降り出し、ただただ路面だけを見ての走行で、府屋を過ぎトンネルを過ぎ勝木(ガツキ)に着く。村上までは鉄道から離れた内陸の羽州浜街道を40km程進むことになるので、今回の旅はここで終了する事とした。無人の勝木駅から村上・新潟経由上野へ向かうが新潟は晴れていた。
今日の走行距離 38km

平兵衛の「奥の細道」-22 象潟~由良

2007年10月22日 | 奥の細道
2007年6月5日(火) 晴れ
昨夜のテレビによると、台湾の李登輝前総統が来日し、奥の細道の旅を始めたと言う。一昨日が山寺で昨日が平泉、そして今日は象潟だそうだ。同好の士として是非お出迎えしたいところだが、暇人の当方にも予定があるので失礼する。
7:30ホテルをスタートし、干満寺で芭蕉像(写真)、句碑を訪ねる。奥の細道の「この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼のうちに尽きて、南に鳥海天をささえ、その影うつりて江にあり----寂しさに悲しみを加えて、地勢魂をなやますに似たり 象潟や 雨に西施が ねぶの花」の境内から九十九島を眺めるに、もし昔のように水が満ちていたらとか、舞うような松に雪がかかっていたらと想像する。
 象潟や  松に白雪  鶴の舞    平兵衛
能因島を経て、徒歩や車では行けない小丘の間の小道や農道を自転車で細かく巡る。R7に戻り早朝の海岸線を南下する。昨日の絢爛たる風景とは異なり、清々しい岬や入り江の眺めを堪能しながら進むが、視線的には上を走るJRの電車からの眺めの方が優れる。
旧道とR7を行き来しながら、小砂川を過ぎ三崎公園近くで県境を越え、女鹿、 十六羅漢岩などを経て吹浦まで美しい海岸線が続く。
奥の細道の「むやむやの関」は象潟町関にある関跡だが、秋田~山形県境の三崎公園と宮城~山形県境の笹谷街道の笹谷峠の二ヶ所に「有耶無耶の関」がある。何とも有耶無耶な話だ。三崎山の手長足長伝説によると「1200年前、この山に手は鳥海山にとどき、足は飛島まで一跨ぎの怪物が住み、人を食らい旅人を困らせていたが、三本足の烏が怪物の居る時は「ウヤ」と鳴き、居ない時は「ムヤ」鳴き、人々に知らせたことから、ここの関を「有耶無耶の関」と呼ぶようになったと云う。
吹浦から内陸に入り南に進み、十里塚遊佐線R375へ左折し坂道を登る。吹浦酒田線(R353は車が少なく走りやすい)で田園地帯を快走するが、酒田郊外では歩道の縁石が高く大変走りにくい。
酒田からJR13:04発村上行きで鶴岡へ向かう。鶴岡観光協会で五十川駅近辺の宿を探すが無く、由良の宿を予約する。
駅を出てR332からR112を西に進む。羽州大山駅を過ぎたところで通行止めだ、昔風の屋台が両側に延々と並び、多くの人々が行き交う大変大きな祭りだ。ノボリ旗には「大山の犬祭」とある。この犬祭りの紋所は何と六菱だ。三菱や武田の四菱は聞くが、六菱は珍しく四菱の両翼に一つずつ菱形が付く形だ。
約300年の歴史を持つ祭りで、「その昔、村人を苦しめた大ムジナの化け物を“丹波の国のメッケ犬”が退治した」との言い伝えで、犬が主人公の珍しい祭りだ(もっとも筑波山にはガマが主人公のガマ祭りがあるが)。こんな賑やかな祭りで「ガマの油売り」を披露したら受けるかな!と思いながら由良に向かう。
早めに由良に着いたので町を散策する。漁業と温泉の町のようで、浜辺も町の財産だろう。赤い朱塗りの橋で白山神社のある白山島に渡る。橋の下には水草や玉砂利が透け、北には岬がきれいに見える。見た目より大きな島で散歩道を巡り宿へ帰る。
今日の走行距離 62km

平兵衛の「奥の細道」ー21  羽黒山~酒田

2007年10月21日 | 奥の細道
2007年6月4日(月) 晴れ
荷物や自転車を旅館に置き7:30スタートし羽黒山頂に向かう。随紳門より継子坂を下り、平らな道に一段だけある階段を踏み外し膝頭を強打した。これで目が覚め以後慎重になったが、早朝は体が不活発でもあり、また石段が乾いた石や濡れた石、色違い、木漏れ日も入り、しかも老人目には要注意だ。
人気は無く厳かな雰囲気の中、まずは祓川神橋を渡り、1000年の大杉、国宝の五重塔(写真)、急な登りの一の坂~二の坂の杉並木、芭蕉塚を過ぎ、右折し南谷へ。静寂の朝もやの立つ池面にカメラを向けた二人が無言でチャンスを待っていた。傍らには「ありがたや 雪をかおらす 南谷」の句碑がある。三の坂を上り草屋根の見事な三神合祭殿を拝す。
下山する時は、階段の幅が狭くカカトが引っかかり何度かのめりそうになるが、枯れ木の杖を調達し慎重に下る。
10:30旅館をスタートし、R47の大鳥居をぬけ鶴岡に向かうが、下り坂と追い風で快適に進む。藤島川を過ぎ赤川の羽黒橋を渡ると鶴岡市街だ。市役所を過ぎ右手に鶴ヶ岡城跡の護国神社や公園を見学し池を眺めながら暫し休憩する。来た道を戻り市役所先の二つ目の信号を左折、アーケードを北上、すぐに芭蕉が酒田へ下る時に乗船した大泉橋に到達する。この川の左岸の案内板に従い、長山氏重行家跡や日枝神社の弁天島にある句碑「珍しや 山を出羽の 初なすび」を訪れる。鶴岡駅前通りを経てR350、R112、R333を北上し赤川の蛾眉橋の小さな公園でコンビニ弁当を食べる。興屋からR7を走り 京田交差点からR355、R112を経て雄大な最上川を出羽大橋で渡り酒田市街に入る。かっての賑わいを思い起こす山居倉庫や旧本間家を見学し、枝神社を参拝後日和山公園の多くの歌碑を見て酒田駅へ向う。
駅で象潟の宿をJRビューで予約し、17:34発秋田行きに乗車。田園地帯を北上し、北東には雄大な鳥海山が見える。鳥海山が東に見える頃には、電車は吹浦駅を通過し海岸線に出る。西には広大な日本海と夕日に映え金色に輝く風景が次々車窓に入って来る。奥の細道の旅で初めて見る日本海の絶景が象潟まで続く。18:14象潟駅に着く。送迎車でホテルへ。
本日の走行距離 42km

平兵衛の「奥の細道」ー19  新庄~羽黒

2007年10月19日 | 奥の細道
2007年6月3日(日) 晴れ
天気予報は5日迄晴れ、6~7日が曇り8日は雨の予報だ。今回の旅は新潟県村上までを予定し出発する。
前の旅で自転車のスポークが破損するトラブルがあり、今回は前輪のスポークが20本 後輪が32本の新品と交換し万全を期す。
上野6:34発つばさ101号で、前回涙を飲んだ新庄駅に10:02到着。
自転車を組み立て10:30スタート。駅前を左折しR47をしばらく西進し本会海に入る。案内板に従い左折、数百メートルで右折すると芭蕉乗船の地に着く。小さな高台の公園に芭蕉と曾良の像と句碑がある。奥の細道に「最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。碁点・隼などといふおそろしき難所あり----左右山覆ひ、茂みの中に舟下す---水みなぎって舟あやふし。 五月雨を あつめて早し 最上川」とあり、大きく蛇行する最上川が悠然と流れている(写真)。無粋なことだが、最上川を眺めながらコンビニ弁当を気分よく食べる。
本合海大橋より最上川は右側となり、川が削った山肌に老木が美しく配された風景を眺めながら古口に向かう。間も無く歩道が消え、しばらくすると右側に「最上川芭蕉ライン」の乗船場がある。一時間おきに草薙温泉港へ発船する。船はエンジン付の大型田舟の感じで、好天のため船の中はフライパンに乗せられた卵のように熱く、目玉焼きの気分。 なお自転車は舳先に乗せられ無料だ。
川は水量も多く右手の山は緑豊かな原生林に覆われ、見目麗しくまた声も良き娘船頭さん(ガイド)に仙人堂や白糸の滝を案内され、また山形民謡(真室川音頭、花笠音頭、最上川舟歌)を聞き、しかも当日は6月3日で芭蕉と同じ日(新旧歴に差はあるが)の“ちょっと暑い”船下りとなった。
下船後は歩道のないR47を西へ進むが、清川辺のトンネルは歩道が狭く点滅灯をつけ通過した。間も無く清川の風力発電の風車が見えると、平坦地となり快適なサイクリングとなる。道路案内に従い狩川から南進し、車が少なくやや下り坂の道を気分よく進む。羽黒近くは上り坂で、宿坊が多くなると町中だ。
本日の走行距離 38km


平兵衛の「奥の細道」-29  市振~富山

2007年10月18日 | 奥の細道
 2007年10月4日(木) 晴れ
糸魚川駅5時58分発の電車で市振へ向かう。 大平川の境橋で越後から越中に入る。 毎度の事ながら県境を越える時は、何とも云えぬ感慨がわくものだ。  R374の線路沿いの長椅子で、早朝の日本海を眺めながらコンビニ弁当を食べる。 越中宮崎駅から、相変らずの赤茶けたR60の旧道に入り入善駅に向かう。 駅前を過ぎ入善西町交差点からR2を進む。 単調だが清清とした田舎道には見知らぬ花が咲き、所々に清水が湧き出ている。 南東の大きな霞む山並みを見ながら黒部川を渡り、生地集落へ寄り道する。 古くからの町らしく密集した家並みは、かっての繁栄を思い起させる。 片貝川を渡り魚津港を過ぎると道はR1に変わる。 早月橋を過ぎ右折し、海岸の松並木の自転車道を進み、東屋で穏やかな富山湾を眺めながら休憩していると、昔の友が魚津生まれと云っていたことを思い出す。 如何しているだろうか?とやけに人恋しくなる。 富山で旅を終わらせ帰宅することにしよう。 R1に戻り滑川を西進し、常願寺川を今川橋で渡る。 すぐに右折すると自転車道が松林の海岸に5km程続く。 蜃気楼はどの方角に出るのだろうか等と考えていると、富山ライトレール岩瀬浜駅に着く。 R30を南下し富山駅に13時20分到着。 13時53分発の越後湯沢経由の電車に乗り、3時間20分程で上野に着く。自宅へ19時前に無事カエル(写真)
今日の走行距離 65km

平兵衛の「奥の細道」-28  直江津~市振

2007年10月17日 | 奥の細道
 2007年10月3日(水) 晴れ
5時30分に宿を出て春日山城へ。 R123からR8を経て、旧道のR185を進む。 右折しR180の急坂を上り春日山神社に到着する。 早朝の爽やかな空気の中、麓からの人々が散歩している。 遙か彼方には弥彦の山が幽かに見える。 直江津と高田は上越市となったが、古くは国府があり、上杉謙信の春日山城、堀氏の福島城、松平氏の高田城、また親鸞聖人の足跡、雁木のある街並みと見所は多い。 山城の春日山からR63を経由し、平城の高田城へ行く。 時代により城の作り方も大きく変わるものだ。 R579で北上し北陸道を西進する。 岩殿山かからは海岸線を進むが、有間川駅辺から久比岐自転車道が浦本まで30km以上続く。 この自転車道は鉄道の廃線を利用したらしく山の中腹を通り、右手が広々とした日本海で、左手の斜面の木々が日差を遮り最高のサイクリングを楽しめる。 あまりの快適さに鼻歌を口ずさむと、トンネル内は反響が素晴しく、かの有名なテノール歌手の様に聞こえるから不思議だ(それほんと?)。 名立 藤崎 鬼舞 鬼伏の集落を過ぎると、間も無く浦本でR8へ合流する。 芭蕉が衣を濡らした早川を渡り、 押上東交差点から旧道で糸魚川駅へ入る。 観光協会で子不知 親不知の旧道情報を得るが、自転車での通行はお断りとのことだ。 行ける所まで進もうとR8を西進し、青海川を過ぎると歩道は消え車の危険を強く感じる。奥の細道には「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなどといふ、北国一の難所を越えて-------」とあるが、今は車が一番怖い。 勝山と天険トンネル辺で道路工事があり交互通行となっていた。 車の途切れる時間帯にフルスピードで距離を稼ぐこととした。 途切れる時間が約5分、車のスピードが50km/hr 自転車が20kmで、 稼げる時間と距離は連立1次方程式だ。 解は8.33分後 2.78km地点で避難体制に入ればよい事になる。 この動作を繰り返し展望台に辿りつく(実際には車の接近音で避難)。 天険トンネル手前で、楽しみにしていた「如砥 如矢」と云われた旧道を進む。 案内板によると絶景ポイントの様で、飛騨山脈が海に落ち込む親不知の断崖が見える。 昔はあの海岸線を通ったのであろう。 トンネルの先でR8に合流し、やや余裕のある路肩を走り市振に入る。
先ずは街道の松(写真)を、そしてR8の下をくぐり長円寺の芭蕉句碑「一つ家に 遊女もねたり 萩と月」 芭蕉の宿の桔梗屋跡 関所跡を尋ねて、市振駅から電車で今日の宿泊地糸魚川に戻る。
宿着 16時  今日の走行距離 80km


平兵衛の「奥の細道」-27  出雲崎~直江津

2007年10月17日 | 奥の細道
 2007年10月2日(火) 晴れ
6時に宿を出て、南の急坂を上り出雲崎駅に向かう。 坂の上から日本海を見ると朝雲に霞む佐渡島が浮かび、北東には昨日来た海岸線と弥彦の山が青く望める。 始発のバスが人待ちしている以外無人の道を走る。 出雲崎の踏切手前を右折しR574を線路と並進しながら南下する。 中越沖地震の影響で、道路のあちこちに応急修理の跡が見られる。 礼拝駅近辺から、川の土手や民家の屋根のブルーシートが特に目立ち、石垣は殆ど倒壊し道路の縁石も倒れ、路肩は地割れだらけだ。 西山駅から右折し山際のR73を進むが、西元寺や十日市集落の半数近くがブルーシートに覆われ、刈羽駅横の山崎交差点は通行止めだ。 これよりR369となり、神明社の境内で朝食をとったが鳥居 灯篭 石垣は完全に崩壊している。 2km西の山向は刈羽原子力発電所だ。 荒浜駅からR215を進み土合交差点でR8と合流、宝町交差点を右折し柏崎駅に向かう。 駅横の観光協会で直江津の宿を決める。
駅前を北に進み、海岸線の番神岬を廻り鯨波でR8へ合流。 谷根川に架かる米山大橋は歩道がなく高さも相当なものだ。 大型車の通行が激しく、危険を感じ旧道を迂回しようとしたが、こちらも地震の崩落で難しい。 車の合間を見計らいフルスピードで通過した。 その後、トンネルに入るがお粗末な歩道のみで、点滅灯をつけながら恐々通過し、振り返ると「芭蕉ケ丘トンネル」とあり、迂回路があった様だ。 払川には二本の橋があり、前と同様に通過し、次の米山トンネルは海側の旧道を迂回した。 信越本線が地震で不通になったのはこの近辺(写真)の様だ。 柿崎駅への旧道(R129)に入り、直海浜へ右折し線路を越える。 海側には松林が続き、蕨の葉が生茂り春の蕨摘みが楽しみだろう。 犀潟でR468へと変わり、工業団地を過ぎ直江津港で左折、関川を荒川橋で渡る。 河口の琴平神社に芭蕉句碑「文月や 六日も常の 夜にも似ず」があり、その裏手に「安寿と厨子王」の供養塔がある。 五智国分寺と芭蕉句碑や居多神社の片葉の芦を訪ね、往年の繁栄を偲びつつ宿へ。
宿着 16時30分  今日の走行距離 80km

平兵衛の「奥の細道」-26  新潟~出雲崎

2007年10月17日 | 奥の細道
 2007年10月1日(月)  晴れ
コンビニ弁当を買い駅前を6時にスタート。 信濃川の万代橋を渡り白山神社へ向かう。 この神社は整備された大きな公園に囲まれ、多くの人々が早朝から散歩を楽しんでいた。 公園の東屋で蓮池を眺めながらの朝食は大変美味い。 新潟市役所前のR116を南西に向かう。 分水路の有明大橋を渡り 青山 小針 寺尾の駅を過ぎ、新潟大学前駅近くを右折しR16には入る。 内野駅前で道は北陸道のR2に変わる。 木山交差点先で左側に田舎道があり快適だ。 R2合流後、まもなく佐潟公園が右手に広がり、ラムサール条約との関係からか、公園はよく整備されている。 湿地帯の周囲にはサイクリング道路も整えられているようだ。 松野尾の交差点を過ぎると、又も左側に旧道がありのんびりと走れる。 竹野町を過ぎ鷲ノ木から右折し旧道を暫く進み、ゴルフ場手前を左折R460に出る。 数百メートル西に進み左折すると田圃の中の直線道路が岩室温泉まで続く。 周囲の山並みや道端の野花を眺めながら無人の道を快適に走る。 岩室温泉を過ぎ、なだらかな上り坂の北陸道が弥彦に向かって続き、弥彦岩室口交差点を右に入ると宝光院だ。 小さな寺院で芭蕉句碑の後ろは競輪場で、なんともチグハグな情景だ。 間も無く門前町を従えた広大な弥彦神社に到着する。 社の杉木立の中、遅鳴きの蝉の声を聞きながら暫し休憩する。 次の目的地西生寺への山越えの道を土産屋で尋ね、門前町を南下しスカイラインを横切り、広福寺横の上り坂を進む。森の中の突き当りを右折(左折すると道は草に埋もれ行き止まりとなる)しスカイラインへ合流する。 しばらく上り坂が続き、猿ケ馬場で日本海側への下り道に入る。 坂の途中の弥彦神社の分社横を数百メートル上ると西生寺に辿りつく。 ここでも雄大な日本海が松の枝越しに鳥瞰(写真)出来る。
 辿り来て つく法師鳴く 西生寺   平兵衛
この寺には即身仏の弘智法印の大きな像がある。 千葉の匝瑳郡匝瑳村の生まれだそうだ。 片や聖人、片や古希を過ぎても時々キレル出来のわるい老人の同県人としては、せめてあやかりたいと賽銭を奮発する。 
寺を後にし、野積の荒屋まで坂道を下りR402へ出る。 大河津分水路を野積橋で越える、寺泊の町や港を過ぎ大和田 郷本あたりを過ぎ、海岸の北陸道を南下する。 左手の崖の斜面には一面の尾花、右手は何処までも続く空と紺碧の海が水平線で溶け合う。 岸辺ではドドドドオーと波音が繰り返される。 前方の森が出雲崎の入り口の井鼻だろう。 町は3.6kmnの街道を挟み、山側が上町海側が下町で、北が下(シモ)京都に近い南が上(カミ)と呼ばれ、映画のセットの様な佇まいだ。 ここは良寛の生誕の地でもあり良寛オンパレードだ。 江戸時代は佐渡の金銀の集積地で天領になっていた。 町屋は妻入り形式で、当時の税金は間口の幅で決まるので、間口が狭く「うなぎの寝床」のようだ。 芭蕉公園には「銀河の序」の石碑がある。 「北陸道に行脚して、越後の国出雲崎という所に泊まる。かの佐渡島は、海の面十八里-------日はすでに海に沈んで、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴えたるに-------荒海や 佐渡に横たふ 天の川」
宿着 16時30分  今日の走行距離 74km


平兵衛の「奥の細道」-25  村上~新潟

2007年10月17日 | 奥の細道
 2007年9月30日(日) 曇り
今日は村上でトライアスロンの大会があり、選手の宿泊客も多く早目の朝食が用意され、ホテルを7時にスタートする事が出来た。
七湊経由で石船神社に向かう。休日の早朝は車もなく、爽やかなサイクリングとなった。朝もやの立つ広い境内には2基の芭蕉句碑があり、また神社の横には「岩船しゃぎり曳行」の山車庫が9室も並んでいる。近くの港からは昨日見た粟島へのフェリーが発着するそうだ。
旧道のR3を南東に進みR345と合流し、砂山小学校あたりから歩道が無くなり、旭橋の上は大型車に要注意だ。
橋を渡った所で、何ともドジな話だが、本日分の地図 宿泊先電話番号表 旅程表のケースを落とした事に気付き、暫く逆走したが見つからず諦める(尻のポケットに入れた時に危ないなと思ったが-------少しでも危険を感じた時には”対策をとる”が安全の鉄則だ)。記憶を頼りに旅を続けることにした。左折しR3を進む。荒屋で狸が轢かれて死んでいたが多分昨夜の事故だろう。近くには明日からの秋の交通安全の旗が立っていたと云うのに! 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏!
まもなく、短い門前町のある乙宝寺が右手に見えてくる。入り口の蓮池で老婆が鯉に餌を与えていた。ビスケットの様な浮く物がよいそうだ。ここは三重塔(写真)を持つ立派な寺で、本堂の右側に芭蕉句碑や歌碑等が並んでいる。
門前で道を誤りR113を南下しR3に入った。これからの道は東の幾重にも霞む山並を眺める以外、単調で路肩の悪い道を坦々と進むことになる。 胎内市を過ぎ新発田市の稲荷岡交差点を左折しR21で新発田市街に向かう。市役所を過ぎ新発田駅に着く。 観光協会で新潟のホテルリストを入手し予約、コンビニでで地図と昼食を買う。 
駅前よりR32とR26を進む。佐々木交差点でR3に変わり、近くの太子堂で昼食とる。ここの御神体は難波の海からら600年水に埋もれ漂着した木像とのことだ。人には神様の動きはとても理解出来ない。その後は直線的なR3を新潟まで進む。阿賀野川を泰平橋で渡ると郊外型の大店舗群が現われ、北越製紙の煙突が見えると新潟駅はもうすぐだ。
宿着 15時30分着  今日の走行距離 68km

平兵衛の「奥の細道」-24  勝木~村上

2007年10月16日 | 奥の細道
2007年9月29日(土) 曇り 
関東地方は雨だ。上野6時14分発のとき301号で新潟に向かう。 赤城山から雲が激しく湧き上がっていたが、魚沼トンネルを抜けると晴れ間が見え始めた。この辺の田圃は稲刈りがとうに済みやや寂しい風景だ。村上駅に9時23分到着し、勝木行きの電車は50分後だ。旅を中断する時は急行の止まる町にすべきだと痛感しながら、時間待ちを無くすため逆に北上することにした。
さっそく自転車を組み立て、駅から臥牛山を目標に屏風祭りの行われている鍛冶町や寺町を抜け、公民館横から村上城址に登る(往復1時間)。 この城は村上氏や堀氏が城主を勤め、 頂上の天守跡からは、街並越しに日本海のゆったりした風景が望める。
上片町から旧道R205を北上し、古渡路で羽州浜街道R7に合流する。 いくつかの集落を通過したが、コンビニは無く農協の売店で昼食を買う(40km程コンビニを見なかった)。 葡萄トンネル(歩道がなく点滅灯をつけて通過)を貫け、葡萄集落のバス停を右折し、葡萄峠への急坂の小道を登る。舗装された道に出た所で左折し 道なりに上り坂を進む。小鳥の声を聞きながら人気のない峠を越えると、後は楽しい下りが朝日トンネル先のR7まで続く。途中驚くほど大きな明神岩があり、その神社前で川音を聞きながら昼食をとる。
大毎トンネルの手前を右折し峠を越え、芭蕉の宿泊した北中の集落へ向い「桜清水」で喉を潤おす。近くの芭蕉公園には、杉並木の昔の山道(写真)が再現され芭蕉句碑がポツンとある。
R7に出ると下り坂が勝木まで続くが、上大鳥 下大鳥あたりのトンネルは 旧道の桜並木で迂回する方が快適だ。 
勝木から16時6分の電車に乗る。 北西の日本海には粟島が浮かび、夕日に映える「笹川流れ」の入り江や岬を楽しみながら、今日の宿泊地村上へと向かった。
宿着 17時30分 今日の走行距離 49km