行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」ー16 岩出山~尾花沢

2008年08月19日 | 奥の細道
2007年5月12日(土)晴
今日は中山峠と山刀伐峠で奥羽山脈を越え尾花沢へ向う。
旧道を北へ向かい江合川(荒雄川)を渡り、上野目駅手前で羽後街道(R47)に合流し北上を続ける。進むにつれ徐々に山間に入って行き、左側のこけし像のある小黒崎観光センターに、芭蕉像と“小黒崎とみつのこじま”の説明板がある。センターの前の小山が“小黒ヶ崎山”245mで春の新緑・秋の紅葉の美しい歌枕とのことだ。
少し進むと左手に“美豆の小島”の道案内があり、田圃中の田舎道を下ると歌碑と解説板がある。歌碑には次の歌が刻してある
        古今和歌集 巻第二十 東人
  をぐろ崎みつの小島の人ならば
      都のつとにいざといはましを
いずれが本歌か知らないが、姉歯の松の歌にあまりにも似過ぎている。
水量の少ない荒雄川の中にある“美豆の小島”は菰や葦に隠れ、往時の歌枕の美しさはなく残念だが、道を教えてくれた村人の優しさと誇りに癒された感じだ。
R47を西進し川渡温泉郷・鳴子御殿湯駅を過ぎ、新屋敷交差点で羽後街道は北に向うが、北羽前街道(R47)を直進する。東北電力の発電所等を眺めながら、鳴子温泉駅を過ぎ大谷川を渡ると、左手に“こけし館”が現れる。道は登りに入るが右手に駐車場があり、尿前の関への急な下り階段が遠く林の中へと続く。
奥の細道に「----この路、旅人稀なる所なれば、関守にあやしまれて、やうやうとして関を越す。----」とある尿前の関跡は、昔を模した門や柵があり公園になっている。茶店前の石畳を下ると「尿前の関跡」の説明板があり「伊達藩の尿前境目番所であった。間口40間、奥行44間、面積1700坪、周囲には、切石垣の上に土塀をめぐらし、屋敷内に長屋門・役宅・厩・土蔵等10棟が建っていた。この関を中心に尿前の宿もあった。---」とあるが今は寂しい所だ。近くの薬師神社前には芭蕉句碑がある。
北羽前街道に戻りトンネルを抜け、中山平への登り坂を西進する。中山平の平坦部で一息つき、鳴子峡の絶景を覗き込み、いよいよ県境の峠への長い長い上り坂を車に注意しながら進む。奥羽山脈の峠を越えると下り坂になり、山形県の境田集落に入るとほっと安堵する。
R47の右側に、国の重文である「封人の家」の旧有路家があり、解体修理したとは言え300年を経ても堂々とした家構え(写真)だ。前庭に芭蕉句碑「蚤虱 馬の尿する 枕もと」がある。家守の人によると「当時も有路家は旅館業をしていたので蚤や虱は居なかった」との事だ。
尿前の関から山刀伐峠越えの「奥の細道」(歴史の道)がある様だが、今回は一般道を進む。笹森辺りで、次の山刀伐峠越えに備えカルビ定食でスタミナをつける。赤倉温泉駅手前でR28(尾花沢最上線)に入り南下する。
赤倉温泉郷を東に見ながら小国川を渡る。宮城では概ね川は南東に流れるが、山形では北西に流れる様だ。
これより山刀伐峠への上りとなるが、3km程進むと、自転車の踏み込みが非常に重くなって来た。歩き始めたところ、後輪にブレーキがかかっているではないか。原因は一本のスポークが破断し、リムを変形させブレーキに接触している為であった。今日の目的地尾花沢までは15km以上あるし、赤倉温泉駅へ戻るにも自転車を下げて行かなければならない。思案の末に、ブレーキを取り外し、切れたスポークを隣接するスポークへきつく結束した結果、何とか走行可能になった。奥の細道に「----この路必ず不用のことあり----」とあるが、その通りに成ってしまった。
山刀伐トンネル入り口に「奥の細道山刀伐峠頂上まで1.8粁」の標柱がある。トンネルをぬけると尾花沢までの下りが十数キロ続く。この間、前輪のブレーキだけで下るので、発熱する車輪を冷やさなければならず、屢歩く事になる。
市野野・関谷・押切・正厳・二藤袋の集落を過ぎ、漸く夕暮れの尾花沢に到着した。
今日の走行距離 62km


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