行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-15 一関~岩出山

2008年08月08日 | 奥の細道
2007年5月11日(金)晴
4時45分自宅を出発、8時35分一ノ関駅着。今日の目的地は岩出山だ。
市名は「一関市」駅名は「一ノ関駅」と「ノ」の有無が異なる。
駅前を西に進み磐井川を渡り山目小の交差点を左折南下する。再度磐井川を渡りR4と東北自動車道を横切りR457を道なりに西進する。
緩い登り坂が続き、三島神社前のバス停小屋で遅い朝食をとる。この頃になると体も目覚めペダルを踏む足にも力が入って来る。人気の無い国道を暫らく進み、石兜バス停から田舎道を南下(左折)し栗駒駅(くりはら田圃鉄道)方面に向う。岩手と宮城の県境を過ぎ、小さな峠を幾つも越え、栗駒里谷スポーツランドに近づく頃には、北西の強風が吹き始めた。
奥の細道の「----平泉と志し、姉歯の松・緒だえの橋など聞き伝えて、----」と、芭蕉は歌枕の「姉歯の松」を訪ねようとしたが、道を違え石巻へ出てしまったと云う。その姉歯の松を訪れようと、田圃の中のR4を東進する。追い風に助けられ沢辺神林交差点へアッという間に到着する。直進し金成沢辺町の丁字路を左折、三迫川を二本目の橋で右岸に渡り、台地を巻くようにしてバス道を進む。左側の土手上に姉歯の松(写真)や歌碑・姉歯松碑そして説明板がある。
この辺りは「金成○○」と「金」を冠した地名が多く、「金売り吉次」やその父「炭焼藤太」が金で財を成した故郷との事だ。
姉歯の松については、その昔用命天皇の頃、宮中の女官(采女)を全国から募り、陸奥国の長者の娘・朝日姫が選ばれ、都へ向う途中慣れぬ旅路から当地で亡くなった。里人は不憫に思い墓を作り葬ったが、その後姉の代わりに都へ上ることになった妹の夕姫がこの姉歯の地を訪れ、寺を建立し姉の墓に松を植えた。里人はこれを姉歯の松と呼び後世に伝えたと言う。
この姉歯の松は伊勢物語第14段の「くたかけ」に、ややお粗末な田舎娘と都から来たプレーボーイとのやりとりを、次の歌と共に滑稽に描いている。
   栗原のあねはの松の人ならば
      都のつとにいざといはましを
陸羽街道のこの辺りは昔栄えていた様で、幾つかの館跡・義経も訪ねたと云う「鷹の羽清水」・横穴古墳を見て、姉歯バス停でR4に合流し南下する。
二迫川を渡り一迫川に沿って進み築館の街に到着する。これより山間部に入るため腹ごしらえの昼食を摂る。
東北電力前の交差点で西に右折しR398で迫の町に向うが、強い西風に阻まれ歩いた方が早いくらいとなる。
迫町手前の道を左折し、岩出山に向うR17(陸奥上街道)を南下する。集会場前のバス停から、道路標識(左岩出山市内)に従い、R17を離れ山間の道を南下する。磯田を過ぎ曲坂近くで、翼を道幅一杯に広げた大鳥(何鳥か?)が飛び立ち驚かされる。その間幾つかの小さな峠を越え、日本紙工業横を通りR47(岩出山バイパス)を上野目交差点で横切る。
江合川に架かる歩行者専用の粗末な橋を、北西の烈風に吹かれながら恐々と渡り、工場地帯を迂回し羽後街道に出る。街道に面し綺麗に整備された岩出山の仲町や本町を横切り、岩出山城跡への急坂を上ると、当城に12年間居住した伊達政宗の大きな像が高台に立っている。もう少し気が利いた像を造れなかったものか?と思案しながら、城跡にある今日の宿に入る。他には宿泊客も無く、殿様になった気分で夕食のビールを存分に楽しむ。
今日の走行距離62km


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