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淡路島・津名港の栄華を偲ぶフェリーターミナル

淡路島・津名港の栄華を偲ぶ高速船ターミナル(その3)の続きです。

津名港のかつての高速船・フェリーの発着場所の位置関係がわかるGoogleMap

1994年以前の津名港高速船ターミナルの北隣には、カーフェリー用の可動橋の撤去跡が残ります。

ここは、1971年から1993年まで甲子園フェリー(西宮市鳴尾浜と淡路島を結んでいた)の発着場所でした。2枚目の写真の向こうに見える柵に囲まれた建物は、当時フェリーターミナルとして使われていました。

こちらのブログに載っている大鳴門橋開通前の甲子園フェリーのパンフレットを見ると、ここが志筑(しづき=平成の大合併で淡路市が誕生する前の旧津名町の中心部一帯の地名)のフェリー発着場であったことがわかります。ターミナルとの位置関係も合っていますね。

ターミナルはフェリー会社ではなく淡路島内の不動産会社が港湾管理者の兵庫県の許可を得て建設したもので、フェリー発着場が移転した1993年以降もテナントビルとして使われていましたが、2015年以降は県への使用料の滞納が続き、県は建物の撤去を求めたものの不動産会社が応じなかったため、この6月14日に行政代執行に踏み切ったものです。

https://www.kobe-np.co.jp/news/awaji/202206/0015386557.shtml

私が訪れたのはその4日後です。

甲子園フェリーの発着場は1993年に移転し(移転先は現津名港ターミナルの北側)、発着場の名称も「志筑」から「津名港」に変わり、新たなフェリーターミナルが建設されました。以下のURLに写真が掲載されているパンフレットで、移転後の場所がわかります。

https://creators.yahoo.co.jp/furumototakuji/0100178690

しかし、1998年3月の明石海峡大橋開通で利用が一気に減り、減便する一方で「乗用車の場合、同乗者の運賃を無料にする」などの施策を打ち出したものの、結局半年持たず1998年8月末に運航休止となりました。

僅か5年程度しかフェリーターミナルとして使われなかった建物(こちらのサイトに航路廃止直前の写真があります)は休止後も解体されずに残され、2019年時点ではカフェが営業していましたが(上記GoogleMapで「ダリオカフェ」と書かれています)、現在の営業状況は不明です。

ストリートビューで見ると、フェリー用の可動橋の跡が残っていることが分かります。

そして津名港にはもう1つ、淡路島と大阪府南部とを結ぶ「大阪湾フェリー」も発着していました。

1961年の就航以来洲本市街地の北側の炬口港に発着していましたが狭いのが難点で、1988年からは相次ぐ埋め立てで立派なフェリー埠頭が整備された津名港に大半の便を移し、1993年には全便が津名港に移りました。

大阪府側の発着場所も、当初は和歌山に近い岬町深日(ふけ)港でしたが、1998年に関西空港に近い泉佐野港に移転し、2000年には運航会社が「南海淡路ライン」に変わりました。こうして明石海峡大橋開通後も健闘していたものの、最終的には2007年1月末限り運航休止となりました。

こちらは、GoogleMap上に「津名港フェリーのりば 跡地 (南海淡路ライン・大阪湾フェリー)」と明記されており、ターミナルビルは撤去済なもののフェリー用の可動橋の跡は今も残っています。

津名港移転後は人単独での乗船も可能になったものの、路線バスのバス停から離れているのが難点でした。津名港高速船ターミナルから見ると「遠くにフェリーの発着が見える」状態でした。

(おわり)

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