ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

30.ちび猫が見付けた『ガレキ』の山

2011-10-06 | 現代病理
第0030号



*****(制作終了)*****



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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号第0011号第0012号第0047号もお読み下さい。)



第0032号の「『植物』・『苔』と『生きた水』・『山の腐葉土』の事情」は随時書き換えていますので、安心して参照してください。







・新テーマ“『自然のサイクル』の概念”


新テーマの概要については、ブログ第0013号の【新テーマ・『生きた水』や『山の腐葉土』が本当に目差すべきモノ】を参照して下さい。





・ブログ第0013号の補足


*続きはブログ第0032号に移ります。





・記入順序逆転開始





・『人間の姿』と『人の目に映る自然の姿』と『埋もれた世界の姿』


ブログの文字数制限が迫(セマ)っているので、要点だけ説明して置きます。
『人間の姿』には、大きく分けて『神託』の【解釈】をめぐって対峙(タイジ)する、『内向きな【原則派】』と、『外向きな【理性派】』とがあり。それは、『内向きな【原則派】』という、「一度“自分達”に下された『神託』を、普遍の《大原則》として厳守すべきモノと認識し、“自分達”は『神託』を信じての≪共通のコト≫に向かって、内向きの個人的努力に励(ハゲ)むべき」だと考える人達と。『外向きな【理性派】』という、「一度“自分達”に下された『神託』を、人間が神と繋(ツナ)がって《理性》を育み始めるカギとなる《神の意志》の大枠(オオワク)と認識し、“自分達”は≪自分の理性≫を信じて『神託』を“個々”に守りながら、外向きの社会的努力に励むコトで、≪神の意志の達成≫に寄与出来るモノ」だと考える人達なのです。
しかし、そのどちらかが〔優れている〕とか〔劣っている〕とかの話しではなくて、どちらの生き方が〔自分に合っている〕のか〔合っていない〕のかという話しなのですが。にも拘(カカ)わらず、人間は些細(ササイ)な事でも、【原則】は曲げられない(!)とか、その【原則】は悪魔に誑(タブラ)かされたモノだ(!)とか、【理性的】に考えれば此方(コチラ)が正しい(!)とか、その【理性】は私利私欲によるモノでしかない(!)とか言い合うばかりで、《対決姿勢》を崩さず≪『神託』などそっちのけ≫の有り様(アリサマ)なのです。

『人の目に映る自然の姿』の代表的なモノとして二つ上げると、一つは《新鮮な食物を選び出して生き残ってきた【清潔本能】に由来する、堅牢(ケンロウ)なまでの『衛生観念』》が描き出す≪『劣化・腐敗する自然』と、『清浄・殺菌で抵抗する人間』から成る構図≫の自然観で。もう一つは《狩りや農業で先を見越(ミコ)すコトで繁栄を築いてきた【効率本能】に由来する、熟慮(ジュクリョ)を繰り返された『合理観念』》が描き出す≪科学的手法による描き足しによって作られて来た『自然法則』と、法則性を確立するのに邪魔になるとして切り落とされて来た【誤差・端数】や【複数要因の現象】などの『非法則性事象』から成る構図≫の自然観です。
そして、そのどちらもが人類が大昔に生き延びて繁栄するために必要であった人類普遍の【本能】に根ざした自然観であり、現代社会においてもなお【二者択一】の『選別』によって『自然の姿』が何時も【シロとクロ】で塗り分けられてしまうのは、その影響によるモノと思われます。さらには、この《強引な『選別』》について人類は≪神の判断の代行≫をしているモノと錯覚(サッカク)してしまうモノなのか、この『選別』を押し通すためのあらゆる屁理屈(ヘリクツ)に対して人間は誰も疑問を差し挟(サシハサ)もうとはしないのですが、まったく不思議です。

『埋もれた世界の姿』についても同じように二つあって、一つは《自然発生的な『有害環境』を“瞬時”に無毒化する『浄化サイクル』が活性している【自然活性バクテリア群】と、人為的な『清浄・殺菌』から生み出された【対抗性菌】が作り出す『猛毒環境』を『浄化サイクル』に“ゆっくり”と取り込む『対抗性サイクル』が活性している【対抗活性バクテリア群】の共生》が達成されている≪【活性バクテリア群】の神秘≫と言うしかない世界であり。
もう一つは《『E=mc²』の原理が自然に行き渡り、エネルギーと質量が安定した関係で理路整然と存在する、物質の静寂(セイジャク)が続く世界と。人が物質の安定と静寂を壊す事でエネルギーを効率良く取り出そうと模索して、結果的に『E=mc²』の原理を隠蔽(インペイ)してしまいながら、サザ波を立てる様な事をしてはエネルギーを計測する科学的手法を繰り返して来て、『E=mc²』の原理が使えない為に『オームの法則』では電気抵抗部分の【単位抵抗値と長さと断面積】と【発熱量と発光量】と【電気流速】の関係が非法則性要因として無視され、『核開発』においても『放射性物質』の【濃縮】にだけ偏った理解がなされて【物質内の濃縮度と形態】と【質量消失と熱量発生と放射線発散】と【物質内を通過して安定を壊しているモノ(:時を刻むモノ)の流れの変化】の関係が非法則性要因として見過(ミス)ごされていて、物質の崩壊が止められないでいる世界とが在り。それらが隣り合って混在している》というのに人間がまったく気付けないでいる≪『E=mc²』の原理の不思議≫と言える世界なのです。

『人間の姿』は宗教的な話しになるので、ブログ第0036号を参照して下さい。

『オームの法則』の疑問については、ブログ第0037号で詳しく考えを記入していくつもりでいますので、今後にご期待下さい。

『E=mc²』の原理については、ブログ第0040号で詳しく考えを記入していくつもりでいますが、まだ思案の最中でありますので、しばらくお待ち下さい。





・『清潔さ』と『効率性』における『S氏』の指摘


『S氏』の指摘を『清潔さ』と『効率性』に加味して考えてみましたが、“衛生観念”を巡って、《全体の中での正統性に拘(コダワ)り、化学薬品による『除菌・除臭と殺菌・消毒』を徹底する人》と、《人間の過(アヤマ)ちを見越(ミコ)して原則に執着(シュウチャク)し、『自然にやさしく』を意識して『EM菌・バイオや酵素・アミノ酸』に拘(コダワ)る人》とが居るのだが。その人たちから見て、私が提唱する≪『自然のサイクル』による環境浄化≫が、インチキ臭く感じられるのはしょうがない事なのでしょうか(?)。
同じ様に、“合理観念”を巡っても、《全体の中での正統性に拘(コダワ)り、【とんち問答】や【論理マジック】を駆使して『E=mc²』に制約を設け、使い勝手の良い『既存の物理法則』を基盤にして核兵器や原発の技術開発を効率良く行っている人》と、《人間の過(アヤマ)ちを見越(ミコ)して原則に執着(シュウチャク)し、核事故や核テロによって放射能が拡散する脅威をことさらにあげつらい、核兵器や原発を【パンドラの箱】と決め付けて『核エネルギー』利用の全廃を訴える人》とが居るのだが。その人たちから見て、私が提唱する≪『E=mc²』の制約撤廃≫がホラ吹きに感じられるのはしょうがない事なのでしょうか(?)。
他者と先を争わないで、足元に埋もれさせてきた事の掘り起こしを提唱したり。効率の良さに浸っていないで、隠蔽(インペイ)されたままの『既存の物理法則』の裏の詮索(センサク)を提唱したりする事が。真っ当(マットウ)に生きている人の一般的な庶民感覚からすると、そうとうに荒唐無稽(コウトウムケイ)で傍若無人(ボウジャクブジン)な主張に感じられるからなのでしょうか(?)。
例えば、オートバイを巡って、オートバイは《チョイ乗り用のセカンドマシン》なのか、《自己主張の為のパフォーマンスマシン》なのかで意見が分かれている人たちに。オートバイでの【前輪加重のコーナーリング】や【エンジンの負荷を軽減させる走行ライン】の話しをして、鬱陶(ウットウ)しいしいと煙(ケム)たがられるのと同じなのでしょうね。





・『S氏』の指摘


このままでは、自分以外の正統なモノたちの利得を気遣って、【自分の立場】を正統なモノたちの代表を担(ニナ)う《主流派》だと自負(ジフ)する、≪何に対しても自分は正統なモノたちと同じ〔当事者〕だという意識を抱いて、正統なモノたちによる偽善的な『善意の偽装』にも協力を惜(オ)しまず、正統なモノたちのする卑劣な『効率的な残虐行為』の責任も担って。自分は正統なモノたちを代表しているかのように『無茶な“使命”の実力行使』を断行(ダンコウ)する≫正統なモノたちの『代表者意識』を持った人達からは、「一緒にいても、『善意の偽装』や『効率的な残虐行為』などにおける正統なモノの一員として、〔覚悟が無くて〕責任ある協調が出来ない」と不満を抱かれ。
そして、精神世界からの人類への影響を信心し、【人間】を神性なモノと対峙して間違いを犯す《非主流派》だと認識する、≪自分を人間社会の〔非当事者〕だという意識を抱いて、自分は分相応な『道義的立場の自覚』を真面目に追求し、自分一人でも分相応に『初期的原則の厳守』を真剣に重視して。自分は天啓を先取りしているだけだとして『労を惜(オ)しまない“使命”の一途な行使』を遂行(スイコウ)する≫神性なモノとの『個人的特約意識』を持った人々からは、「一緒にいても、『道義的立場の自覚』や『初期的原則の厳守』の誠実な積み上げで、〔暴走ばかりされて〕歩調が合わない」と煙(ケム)たがられ。
さらには、双方から「何の“使命感”も無く、私的な欲望や不満の発散をしているだけで、インチキ臭い」とレッテルを貼られてしまい。このままでは、地球上の誰にも「本物の真実を究明する」という真意は伝わらないだろう。
それは、簡単に言ってしまえば「言葉での説明が多すぎて、真実を実感する方法に具体性が無く、肝心(カンジン)の真実が曖昧(アイマイ)になっていて、ホラを吹いている様にしか見えないからだ」と、『S氏』より重い指摘がありました。





・『清潔さ』と『効率性』


大昔から世界中で、繁栄の理由を後から考えてみて、「都市とその住民において『清潔さ』と『効率性』が有効に作用していた」という事は、一つの知識として{天より『神』が授(サズ)けてくれた『奇跡の力』の“形跡”として}分かってはいたが。それを権力者などが{意図して}利用する事はなく、一般の庶民も{あえて}求めるような事も≪永(ナガ)く≫なかったのですが。
ルネッサンスの前からイスラム教の{スーフィズムによる}合理的な思想に触れて、西欧のキリスト教世界は少しずつ成熟を続けて。近代化が始まる頃になると、「天の『神』によって繁栄を人間にもたらす『奇跡の力』ではあっても、《神の心の写しである『理性』》によってであれば、《人為的にではあっても【再現】してもいいハズ》だ」と知識者層が理性的に考えるようになっていたキリスト教世界の中で、頭の良い権力者が繁栄を【意図的】に手に入れようと、“下心”を持つようになり。
そしてしだいに、《『清潔さ』は有用であり便利でもある》という“衛生観念”と、《『効率性』は有用であり便利でもある》という“合理観念”の二つが、自分達の繁栄を左右する【神聖な二本柱】として、“信心深い”一般の庶民にも≪常識≫として浸透していったのです。

近年には、身近に在る【自然の細菌】による、人体への《健康被害》や、人工物への《風化作用・劣化作用・腐食作用・腐敗作用》に対して、「害となっている『自然の進行』を防止する為の化学物質で作られる{『自然』への“悪意”が作り出した(!)}“薬剤”が大量に用いられる、《日常生活の中で日常的に繰り返す【除菌・除臭】》や、《何か事が起こる度(タビ)に繰り返される徹底的な【消毒・殺菌】》」や、「そのままでは有害な『自然』を使役(シエキ)しやすくする為に{使用する者を実験台にしてしまう“悪質”な(!)}“有機素材”が場当たり的に用いられる《【EM菌】や【バイオ】による【除菌・除臭】》や、《【酵素】や【アミノ酸】による【消毒・殺菌】》」などで対処する事で、《健康の維持》と《便利さの持続》を守る、『清潔さ』重視の“衛生観念”が、当たり前に≪義務≫として広く普及し。
学校でも普通に教えられている上に、産業界や経済界の社会では汎用性の高い物理法則として当たり前に承認されている、『既存の物理学』の安定使用の為に、「電気抵抗部の多くの{抵抗部分の太さや、抵抗部分の長さや、抵抗部分での電気流速〔比較値〕といった}細かい《裏環境の》諸条件が省(ハブ)かれていながら、分かり易い{電圧や、電気抵抗値や、電流量といった}代表的な《表環境の》特定条件だけで法則が出来上がっている『オームの法則』そのモノを重用して。その裏と表を交(マジ)えての≪構造解析≫を、決して公開しない{物理法則を使用するだけの立場である一般の庶民を差別しようとする“悪意”が窺(ウカガ)える(!)}秘密主義」や、「アインシュタインの『E=mc²』のガイドとして、《『E=mc²』からすると、石ころ一つの質量で巨大エネルギーを発生させられるが、通常の実験観測では微細すぎてしまって、『E=mc²』の実証は難しい》と言う【とんち問答】や、《『E=mc²』の論理証明でγ(ガンマ)係数(:ローレンツ因子)を乱用するコトで、『E=mc²』や『mc²』を《記号化》して、『E=mc²』に厳しい《制約》を付加する》ような【論理マジック】を紹介して、『質量の保存』や『エネルギーの交換』の原則が一概に間違いだとは言い切れないように誘導している{一般の庶民は科学者に信任するしかないよう“悪質”に仕向けられた(!)}御都合主義」などによって、効率的な物理計算が普及して便利な環境が享受出来ているとする、『効率性』重視の“合理観念”も、当たり前の≪共通認識≫として深く根ざしていて。

最近になっても、最先端の医療研究では、『ES細胞』が{『抗生物質』が発見された時のように、名誉と利得を独占する為の【演出】として}長年の努力と苦労の末に発見されたと、サクセス ストーリーをぶち上げ、{夢物語でしかない}一般患者への普及をほのめかして、《これで『抗生物質』の薬害を恐れる民衆からの新しい信任が得られるハズだと》盛り上がってはいても。
民間では、『清潔さ』重視の“衛生観念”が{旧態依然のまま}暴走していて。自然を敵視し過ぎての≪徹底的な消毒・殺菌≫のし過ぎを憂(ウレ)いて、薬剤耐性を持った{多剤耐性細菌と呼ばれる}『殺人対抗性細菌』の発生を恐れてしまい、さらなる≪徹底的な消毒・殺菌≫に駆り立てられてしまうという矛盾が、深刻な悪循環となっていたり。
最先端の物理学研究でも、『ヒッグス粒子』が{『E=mc²』が実験証明された時のように、名誉と利得を独占する為の【演出】として}長年の努力と苦労の末に発見されたと、サクセス ストーリーをぶち上げ、{非現実的な}明るく豊かな未来像をほのめかして、《これで『核エネルギー』の放射能に脅(オビ)える民衆からの新しい信任が得られるハズだと》盛り上がってはいても。
民間では、『効率性』重視の“合理観念”が{旧態依然のまま}暴走していて。便利な生活を求め過ぎての《原発の乱立や核兵器の量産化》の行き過ぎを憂いて、《原発事故による放射能の拡散》や《テロ集団や軍事国家への核兵器や核技術の流出》に恐れ慄(オノノ)いてしまい、《『既存の物理法則』が自由に使える環境作り》の為の【とんち問答】や【論理マジック】を≪“核拒否”の意思表示になると勘違いして≫支持して、肝心(カンジン)の《原発の乱立や核兵器の量産化》に反対を言う為の{『核』や『E=mc²』に関する}科学的認識力を失ってしまうという悪循環の連鎖が断ち切れなくなり、辻褄(ツジツマ)の合わない矛盾が発生して、混迷が広がっているのです。

そしてその為、今の世界では、辻褄の合わない矛盾が《山のように積み重なって》人々の前に立ちふさがり。そんな《山のように積み重なっている》辻褄を合わせる方法を、みんなで先を争って考えていながら、ほとんどの一般庶民が《学者たちによる》新発見や新たな研究発表を、タダじっと待つ事しか出来ないでいるような、≪神頼(カミダノ)みで他力本願な膠着状態(コウチャクジョウタイ)≫が続いてしまっていて。
《観測機器の精度の向上》や《研究者の熟練度や意識の向上》などによる《認識ネットワークの拡大》で、大きくシフトチェンジ出来る《科学革命の構造》を、『パラダイム』と“わざわざ”定義して、人類になんとか【希望の光】を灯したり。《たとえ一時的で部分的なモノであろうとも》ちょっと辻褄が合う発見や研究発表があると、大騒ぎして『ノーベル賞』を贈ったりして、色々時間稼ぎをしているのですが。この先、矛盾が無くなり辻褄が完全に合う見込みは、まったく立ってはいません。

また、『人間』を【信仰や信念】や【お金や名誉】で“釣って”頑張らせる【世俗の求め】や、《みんなが先を争う》ように仕向けるだけの『パラダイム』や『ノーベル賞』の事などは、気にせず放って置いて、誰の足元にも{忘れたり、無視していただけで}普通にある≪“自然”の状態の【バクテリア群】≫や、≪エネルギー計算の裏に『E=mc²』を隠している『既存の物理法則』≫にキチンと目を向けて。《『自然のサイクル』を自然構成する【バクテリア群】が身近にある事が、当たり前であり、それを排除する“衛生観念”に無理がある》という事や、《『E=mc²』が物理法則の主軸である事が、当たり前であり、それを隠蔽(インペイ)する“合理観念”に無理がある》という事の認識の上に、他者と先を争わず≪自分に出来る事を確認しながら、一つ一つの積み上を確(シッカ)りしていく≫コトがいよいよ大切になるのだと、外部がいくら言ったところで。
どうしても、≪自然にやさしい≫という{耳に心地よい}“悪意”に誑(タブラ)かされて、《【EM菌】や【バイオ】による除菌・除臭とか【酵素】や【アミノ酸】による殺菌・消毒をうたう洗剤や、有機農業用の土壌改良剤・有機肥料》などの商品を購入して、『自然』と『清潔さ』との両立に{上から目線で}安易な気持ちで取り組み。“単体”の【バクテリア】の【異常繁殖】による深刻な『環境悪化』を引き起こしてしまって、{恩(オン)を仇(アダ)で返されたと『自然』に敵意を抱いて}“まんまと”挫折してしまい。『自然のバクテリア群』によって『環境浄化』を瞬時にもたらす『自然のサイクル』の効力などまったく信じられなくなって。≪確実な殺菌効果≫ばかりを求めて、【殺人対抗性細菌】の発生に、多くの一般の庶民が無自覚で加担してしまうし。
入学や免許証などの試験制度の中で培(ツチカ)ってきた、≪権威の言う事には絶対に(!)疑問を抱かない≫という習性(シュウセイ)と、≪答えは“既に”決まっていて、そこへ辿(タド)り着くパターンを見つけ出せれば、正解となり解決する≫という問題認識を持ったままで。『E=mc²』にまつわる{『核』の拡散防止を大義名分に『核エネルギー』に関する思惟・考察・議論の窓口を硬く閉ざしている}“一般向け”書籍の、《石ころ一つの質量で巨大エネルギーを発生させるが、通常の実験観測では微細すぎてしまって、『E=mc²』の実証は難しい》と言う{当然の事を言っているように思えて、まったく意味の無い話しである}【とんち問答】や、《γ(ガンマ)係数(:ローレンツ因子)を乱用して『E=mc²』や『mc²』を《記号化》して、『E=mc²』の論理証明をしている振りをしながら巧(タク)みに《制約》を設(モウ)けてしまう》ような{使い勝手の良い『質量の保存』や『エネルギーの交換』などの『既存の物理法則』の使用を勧めてくる}【論理マジック】などの“茶番劇”を、大真面目に勉強してしまい。『E=mc²』を知っていると自負する“一般庶民”ほど、≪核兵器や原発で使われる『核エネルギー』は【パンドラの箱】で、全廃しなくてはならない≫と、安易に思い込んでしまって。全ての『エネルギー:E』は『 (質量)² : mc² 』の消失によって発生(:変換)していて、『質量の保存』や『エネルギーの保存』は絵空事であり、『核エネルギー』は≪それでも地球が回る≫のと同じ必然であるという、『E=mc²』の真実がまったく理解出来ず。日本でも{反体制派の主導によって}踊らされるがままに、《地動説を否定する》かのような『核の全廃』をスローガンにした{魔女裁判的}デモ行進に、多くの一般庶民が意気揚々と参加しているのです。





・記入順序変更以前





・“自然”の『恵み』である『自然のサイクル』は【自然界の不思議】



*第一に。“自然”にある【バクテリア群】は、その【多様さ】によって、“多くの”『有害物質(酸性)』を【何段階】かに分けて、『個別の有害物質(酸性物質)』を作りだす『個別分解』を何度も繰り返してしながら、最終的に無毒で安定した物質へと『最終分解(中性化)』させているのです。


*第二に。“自然”にある【バクテリア群】は、その多様な【多重構造】の機能として、段階的に変化しながら『複数種類に分かれて発生してくる有害物質(酸性)』を安定させる為の『分解作業』を、【複数種類のバクテリア】が分解の『自然のサイクル』を形成して“分担”していて。さらには、その“多くの”『有害物質』が全て『最終分解』されるまで、その【バクテリア群】が【奇跡的】に補(オギナ)い合っているのです。


*第三に。“自然”にある【バクテリア群】は、その【多様さ】によって、『有害物質(酸性)』を【何段階】かに分けて『個別分解』を繰り返す時に、《【各段階】ごとに『個別の有害物質(酸性物質)』を作りだして、【各段階】ごとに『個別の有害環境(酸性状態)』を構築して》しまい。続いて、【複数種類のバクテリア】が作り出す【多重構造】の機能によって、《【各段階】で作り出される『個別の有害物質』の【各段階】分が“重複”して出現し、【各段階】の『個別の有害環境』が“同時発生”して、『極端な有害環境(強酸性状態)』を構築して》しまうハズなのですが。しかしそれと同時に、その時を狙い澄(ス)まして、人知を超えた『自然のサイクル』の『分担機能』が“イッキ”に作用して、“重複”して出現した【各段階】分の『個別の有害物質』が、“同時”に【迅速(ジンソク)】に『最終分解(中性化)』されて、“同時発生”した『各種の有害な環境』が【奇跡的短期間】で『同時解消』していって『最終解消(中性状態化)』されるので。『極端な有害環境』が構築される状況であるにも拘(カカワ)らず、『無害な環境(中性状態)』が発生するという【自然界の不思議】が、{自然界の住人である}人類にも“自然”の『恵み』として《図(ハカ)らずも》もたらされるのです。



・“自然”の『恵み』に背を向ける【人類の暴挙(ボウキョ)】


*第四に。にも拘(カカワ)らず、“自然”にある【多様な多重構造】の【バクテリア群】に対して、人類は不用意に【雑菌】扱いして《中途半端な【清掃・除菌】を日常的に実施して》しまい、『自然のサイクル』の『分担機能』を無自覚なまま弱めてしまって、折角(セッカク)の“自然”の『恵み』を手放してしまった為に。人類は、身近で絶(タ)えず大量発生する“多くの”『有害物質』を、何時までも『最終分解』しきれないまま、積み重なるように残してしまい。そんな《『最終分解』の停滞》を“自業自得”でまねいていながら、その《中途半端な【清掃・除菌】》を日常的に繰り返す度(タビ)に、「【清掃・除菌】をすると、何時も後から自然に状況が悪化していく」というように≪自然への脅威≫を感じてしまうと、人類は自分勝手な言い分での≪自然への警戒意識≫をどんどん深めてしまうのです。


*第五に。さらに悪いコトに、無自覚なままではあっても、人類が《中途半端な【除菌・清掃】》を何時までも日常的に繰り返すモノだから。『分解作業』の【各段階】で作り出される『個別の有害物質』を分解する時の【奇跡的】な“同時発生”のタイミングが、少しずつ“ズレ”はじめていき。“自然”にある【バクテリア群】の『自然のサイクル』によって保(タモ)たれていた、【奇跡的短期間】で『有害物質』を“同時”に『最終分解』する【迅速さ】が、ついに失われてしまって。【各段階】で作り出される『個別の有害物質』の“重複”による『個別の有害環境』の“同時発生”を、『同時解消』されないまま“マバラ”に『不規則化』させて、『極端な有害環境』の発生をまねいてしまうのですが。人類はそれが自分達の行為による結果だとは自覚出来ないモノですから、感覚的にそれを≪自然悪化≫と認識してしまって、≪自然への嫌悪感≫をさらに生じさせてしまうのです。


*第六に。そんな悪循環の中で、単なる“自然”への≪警戒意識や嫌悪感≫でしかなかったモノが、≪憎悪や敵意≫といった≪自然への強い悪意≫に転じてしまって、『理性の暴走』を始めた人類は。【自然界の不思議】とも言える“自然”の『恵み』を人類にもたらしてくれるハズであった『自然のサイクル』の【バクテリア群】に対して、《徹底的な【消毒・殺菌】》を手当たりしだいに実施してしまう“暴挙”に打って出てしまって。衛生観念の名の下で科学技術の粋(スイ)を集めて、“自然”にある【多様な多重構造】の【バクテリア群】が構築する『自然のサイクル』の『分担機能』を、人類が居住(キョジュウ)する広範囲にわたって≪徹底的に崩壊≫させられるに至ってしまうのです。


*第七に。そして、日常的な《中途半端な【清掃・除菌】》の環境どころか、手当たりしだいな《徹底的な【消毒・殺菌】》の環境にも負けないような【強い対抗性】を持った、“自然”の自己修復の為の【対抗性のバクテリア(菌類)】が、多様で多機能な“群”を作れないまま『自然のサイクル』を構築せずに、『個別の有害物質』を段階的に作りだす『個別分解』の一つの段階だけを行う“単体”での【繁殖】を始めてしてしまい。“自然”にある【バクテリア群】が、『有害物質』を無害なモノへと『最終分解』していた『自然のサイクル』の『分担機能』が停止した状態の中で、特定段階の『個別分解』だけが行われるという特殊な事態が断続的に発生するようになってしまうのです。


*第八に。そしてついには、特定の『個別の有害物質』ばかりが、分解の手段が用意されないまま斗出(トシュツ)して出現してしまい。それに伴って特定の『個別の有害環境』が、“とてつもなく”深刻に悪化してしまって。日常的な《中途半端な【清掃・除菌】》や、手当たりしだいな《徹底的な【消毒・殺菌】》による『極端な有害環境』をはるかに凌(シノ)ぐ『深刻な環境悪化』を、人類は“またもや”まねきよせてしまったのです。


*第九に。そして世界中で、【自然界の不思議】である“自然”の『恵み』に背を向けた人為的行為を、衛生観念の名の下に人類がしてきた“清潔”な人為的行為によって、『自然のサイクル』である【バクテリア群】の『分担機能』が停滞してしまう、『極端な有害環境』の仕組みや。それに対しての、“自然”が【対抗性のバクテリア(菌類)】を発生させて、自己修復としての『対抗性のサイクル』の構築を目差す最中(サナカ)に起こる、『深刻な有害環境』の仕組みが。まったく理解されないまま。日常的な《中途半端な【清掃・除菌】》や、手当たりしだいな《徹底的な【消毒・殺菌】》の奨励(ショウレイ)にとどまらず。『深刻な環境悪化』をまねきやすい【対抗性のバクテリア(菌類)】を選定ての世界中での【拡散防止】が、“WHO(世界保健機関)”の名の下に繰り返されていて。地球上から、【自然界の不思議】である“自然”の『恵み』による『自然のサイクル』を、完全消去してしまおうという“暴挙”が進行しているのです。





・放射線の脅威


*第1に。人類は近代科学の技術進歩の過程で、「レントゲン」や「キュリー夫婦」たちが発見した『放射線』を、『ニュートン力学』や『電磁気学』などの『古典物理学』を揺るがした物理学の新基軸として承認し、最近では『量子論(量子力学)』を物理学の主流として採用して置きながら。アインシュタインが“嬉々として”発見したと言われる『E=mc²』の公式には、「石ころ一つには、町の電力が賄(マカナ)える程の巨大なエネルギーが潜在しているが。その実証は、通常の実験・観測では微細すぎて困難である」という様な【とんち問答】と、「γ(ガンマ)係数(:ローレンツ因子)を乱用して、『E=mc²』や『mc²』を“物体を表す記号”としてしまう」という様な【論理のマジック】を添えて、《特殊な条件下での限定的な公式である》という“制約”が設けられてしまっていて、一般事象の物理学的考察には決して用いられない様な細工(隠蔽(インペイ)工作)が施(ホドコ)されてしまっているのです。


*第2に。『原子力エネルギー』の利用に関して、【放射能汚染】と『放射線』に関する【技術開発】は、開発当初から自転車操業の深刻な《待ったなしな状態》で、現在に至ってもまだ追い詰められていて。その為に、『核』と『原子力』の開発は、「大量の『放射性物質』が現在も依然(イゼン)として作り出され続けている」とか、「大規模な【放射能汚染】の事故やテロの懸念(ケネン)が払拭(フッショク)されていない」とか、「事が起こった時の『放射線被爆』による深刻な健康被害を防ぐ手立てが確立されていない」とかどれ程言われようとも、一時の猶予も許されない状況なのですが。そうなってしまった最大の要因は、《正確な【核理解力】》が世界中に拡散して、『原子力技術』・『原子力技術者』や『核物質・放射線物質』が“容易”にテロや戦争や国際間の交渉の材料にされるコトを最優先で避けようとしたからなのです。


*第3に。その昔に“安易”に取られてた《正確な【核理解力】》の防止方法というのが、『原子力技術』への応用に手間の掛かる『量子論(量子力学)』を、物理学の主流としてわざわざ採用するというモノであり。さらには、言葉巧みな【とんち問答】と、γ(ガンマ)係数を乱用した【論理のマジック】を駆使して、本来は原子力物理学の根幹(コンカン)を成すべきハズの『E=mc²』の公式に無理矢理“制約”を設け、公式自体の“明快さ・高い汎用性”に枷(カセ)をかけてしまい、その真の意義を隠蔽(インペイ)して、既存の『古典物理学』の利便性を誇張するモノであった為。現代の多くの物理学者は、既存の『古典物理学』と『量子論(量子力学)』の両立に、今も躍起(ヤッキ)になっているのです。


*第4に。その為、現在の『原子力技術』は必要以上に大掛かりなモノとなり、『原子力エネルギー』の利用効率が極端に“高く”なってしまって、【放射能汚染】のリスクが不必要に高まっているのですが。それを“理解”する術(スベ)は、『量子論(量子力学)』という“難解”なモノしか認められていなくて。その上さらには、『E=mc²』の公式は【とんち問答】と【論理のマジック】で徹底的に隠蔽されていて。誰であっても、その不自然さに気付いたり、簡単に指摘する事が出来ないように、高度な細工が仕組まれているのです。


*第5に。そしてその結果が、福島の原発事故と、その後のゴタゴタであり。あんな【放射能汚染】のリスクが高かった原発を安全だと信じて稼動させ、その後も原発の再稼動を目差している「電力会社」や「原子力政策の役人」達は、本当!どうかしているが。『E=mc²』に“制約”を付加する為の【とんち問答】と【論理のマジック】の隠蔽工作に気付こうともせずに、漫然と《“核”反対》のデモに参加をして自己満足するだけの市民運動も、結局は同じ穴のムジナなのである。



『E=mc²』の公式については{制作中ですが}ブログ第0037号ブログ第0040号を参照して下さい。





~~~第0030号先頭へ~~~







・旧テーマ変更の概要


テストケース(1):『ガレキ的考え事』作りの面白さと危険性について


題:『ホバークラフト艇的日本経済論』を試験的に考察する

注意:《『船団』をイメージ》とあるのは護送船団方式の事を指しています



*1-A.『ガレキ』作りを楽しむ為には


面白い『ガレキ的考え事』の積み上げにする為には、

《手作りで『ガレキ的考え事』を作ろうとする前向きな感性と、それを楽しむ心のゆとりを忘れない気持ち》が欠かせず。

そしてそれは、【よく新聞やテレビなどで、日本経済の巨大化と時代遅れな構造に伴う即応性の{致命的な}欠如を表現するのに、大小複数の船からなる{全体で鈍重な}『船団』をイメージして説明されている事が多く見られ。確かにそんな鈍重な『船団』をイメージしていると、日本経済の色々な問題点が誰にでも理解出来てしまうのですが。
しかし、日本経済に対して鈍重な『船団』をイメージしてしまう事によって、本来は自由な可能性を持つ日本経済に対し、重い『枷(カセ)』が{刷り込みの様に}組み込まれてしまって。日本経済への鈍重な『船団』というマイナスイメージを持つ事が、{世界経済の中での}今後の日本の経済対策を考える上で、非情に大きな障害になっているのではないかと思い。
日本経済を一艇からなる{機動性に長けた}『ホバークラフト艇』でイメージし。そして、国民や一般企業を『ホバークラフト艇』を浮上させる動力と考え、政治や行政を『ホバークラフト艇』を自在に制御してスムーズに推進させるシステムと想定して。国民や一般企業が潤えば潤うほどそれだけ『ホバークラフト艇』である日本経済は{高く}浮上して、推進や方向転換の早さも自由度も高まり。政治や行政が確(シッカ)りする事で、動力である国民や一般企業が安定して、国としての推進方向もふらつかず、即応性も高まると日本人が思うことで。激動する世界経済の中で、日本経済が進むべき方向を{鈍重さにとらわれて}見失い、{『船団』がバラバラになっていく様に}一国の体をなさなくなってしまうというような最悪の事態に陥る危機を、効果的に回避して行けるのではないかと考え。
そして、それによって日本に希望を示し、そんな自分を誇りに思うコト】なのではないかと考えています。

護送船団





*1-B.『ガレキ』作りで注意すべき事とは


世の中の悪を暴(アバ)く“ミイラ捕り”のつもりが、安易さと断念から“ミイラに成っていた”といった事態に、すぐに陥ってしまいやすいので。整合性や合理性からの逃避が精神の不安定を引き起こしてしまうコトがない様に、

《整合性の為の合理的な論理構築という極端な取り組みを安易にしておきながら、それが持続出来ないとなると、すぐに自分の弱さに負い目を感じてしまい、さらにはその情況からの逃避の為に自分を無条件で正統化させてしまう「強気な自己陶酔」をしたり、逆に周囲から認知されないと嘆いて「報われない人生に浸ってしまう自己逃避」をしたりするような、“揺れと揺れ戻し”の繰り返しを続ける精神の極端な振れ》の監視を怠らないでいるコトであり。

そしてそれはまさに、【日本経済への鈍重な『船団』というイメージが、いかに可能性を縛る重い『枷』として障害となっているのか。そして、機動的な『ホバークラフト艇』というイメージが、どれほど人々の意識を開放し、可能性を広げるモノなのかを。具体的な事例を取り上げながら、整合性を持たせて合理的に論証していくコトを、安易な気持ちで始めてしまうと。
大抵は、始めてすぐにその困難さに音を上げて{断念して}しまい。その後はひたすら、そんな“自分による自分の弱さへの負い目”を隠蔽(インペイ)し、{その情況から}逃れようと狂奔(キョウホン)してしまって。
意味無く、裏付けも無く、ただ強気になって『ホバークラフト艇的日本経済論』を主張する自分を正統化し、それを認めていない現実世界を否定的に見て、{大上段に}世間を見下してしまったり。{そうかと思うと}すぐに今度は、病んだ人間社会の中で正論を主張する機会を与えられずに、惨(ミジ)めに一生を終えなくてはならない{天才の}定めなのを恨み・呪い、報われない人生に浸ってしまったりして、何時までもその両方を交互に繰り返してしまうモノなので。
そのために、「強気でいる自分」や「報われない天才」という情況に浸り、自己陶酔と自己逃避を交互に繰り返してしまう{病んだ}自分の自覚と。そんな自分の客観的視点からの継続的自己観察が欠かせない】という事ではないかと思うのです。



*1-C.『ガレキ』作りで警戒を緩めてはならない事とは


「強気な自分」や「報われない悲劇性」に浸って自己陶酔しているだけにおさまらなくなって、{挙げ句の果てに}実力行使のテロ行為に走ったり、{ついには}人間関係や自分の人生に絶望して自らの命を断ったりしてしまう{最悪の}事態をキチンと想定せずにいた為に、{本当に}取り返しの付かない事になってしまうような、

《世界や自分を縛り{気付かせずに}コントロールして{長年に渡って}搾取(サクシュ)を続けている、{大小様々な}集団とその{絡(カラ)み合った、逃れようのない}陰謀の存在を、文献が有るからといって“何の合理的な根拠も無いのに”闇雲に信じてしまい。それを、なんの躊躇(チュウチョ)もせずに{得意になって}自分なりにどんどんエスカレートさせ、「人類の危機が間近に迫っている」と危機感を募らせていって、大暴走してしまったり。それが出来ないとなると、自分はただ搾取される為に生かされている状況に{家畜のように}閉じ込められているのだと絶望してしまい、「屈辱的状況に甘んじている」と自分で自分を追い詰めていって、一線を越えてしまったりするような。最終状況への過程にある自分自身の現実的危機》を見過ごしてしまう過信であり。

それはまさしく、【日本の政治家や官僚達、そして資本家や企業のトップ達が、日本経済に『船団』という{効率が悪く即応性に欠けた}鈍重なイメージを“擦(ナス)り付け”て、その陰(カゲ)で“美味しい汁”を吸っていて、世界中が驚くほど“肥え太っている”というのに。労働者である日本国民は、その補填(ホテン)を理不尽(リフジン)に押し付けられていながら、「日本民族は世界一の働き者だ」と煽(オダ)てられ、「日本経済のピンチを救う{救世主と成る}ために頑張ってくれ」と唆(ソソノカ)されて、いい気になって、世界中がビックリするほど“大人しく働いている”のだから。世界一おバカで哀れな民族は日本人で間違いなく、日本の権力者階級の醜態の程度が、北朝鮮の指導者達より遥(ハル)かに醜悪であるのも間違いないでしょうと言い。
そして、そんな封建的鎖国制度の様な{日本的}世情の中にあって、私の『ホバークラフト艇的日本経済論』が、既得権益で潤う日本の特権階級からも、そして、煽てられて心地よい夢に浸って気持ち良く労働に励みたい日本の多くの労働者達からも、「太平の世を乱して日本を経済戦争が繰り広げられる世界経済の表舞台へと誘(オビ)き出そうとする卑劣な誘惑である」と決め付けられ、不当な扱いを受けてしまうのも、やむをえない事だと言っておきながら。
そうであるからこそ、一番可愛そうなのは、そんな醜悪で閉鎖的な日本社会の惨状を知ってしまった、同じ日本人である私自身で。この嘆(ナゲ)かわしい日本の中に閉じ込められているという許容し難い圧迫感の中で、精神の安定が保てなくなり、死にたいとは考えていないのに、{走り慣れた道を走っていて}車の運転で無意識のうちにスピードを出しすぎてしまって、いつの間にか車をスリップさせてしまったり。短気で傲慢な私に、よく付き合って遊んでくれる友人に、{些細(ササイ)な事なのに}人前で罵声を浴びせておいて、その後でなおも「バカは死なないと治らないな!クソ!!」と考えてしまったりして。この日本に日本人として産まれて来てしまった事を呪い、どんどん思い詰めてしまって、ついには、「“無駄死に”してしまうか、メッセージ性のある大事件を犯してしまうかのどちらかしか、私には道が残されていないのだ」と“簡単に覚悟を決めてしまう”人生への甘え】なのだと痛感しています。





・後書き『解説』


面白い『ガレキ的考え事』作りは、自己表現であり自分の開放でもあり、確かにやっていて楽しいモノであるので、わざわざ【1-A.『ガレキ』作りを楽しむ為には】を書かなくてもよさそうなモノなのですが。逆にここがしっかりしていないと、次の【1-B.『ガレキ』作りで注意すべき事とは】や【1-C.『ガレキ』作りで警戒を緩めてはならない事とは】が鮮明にならないので、今回【1-A.】はキチンと書きましたし。
【1-B.】では、楽しいはずの『ガレキ的考え事』作りが、いつの間にか躁鬱症の原因となり、人が人生をつまらなくしてしまう例を書き。【1-C.】では、躁鬱症がエスカレートすると、人は簡単に自殺まがいの事故や卑劣なテロ行為へと導かれてしまう例を書きました。
すなわち、面白い『ガレキ的考え事』は作っていて楽しいものだとはいっても、所詮は自分勝手な論法による『我がまま』であるのですから。当人がその事を分かっていないで不用意に独善的にのめり込んでしまうと、自分と周囲との関係がうまく構築する事が出来なくなって躁鬱症となり、ついには取り返しの付かない事をしでかしてしまう事態にまで陥ってしまうモノなので。【1-B.】の注意が必要だし、【1-C.】の警戒も欠かせないのです。
(テストケース(2)は【1-A.『ガレキ』作りを楽しむ為には】を書いたというよりも、【1-B.『ガレキ』作りで注意すべき事とは】における《整合性の為の合理的な論理構築という極端な取り組み》を誤魔化し無く追究して行くつもりです。)



テストケース(2):面白い『ガレキ的考え事』作りを楽しむ

副題:『学者達のオウチャクによるウソ・マヤカシ』を試験的に考証する


【2-A.『ジプシー研究』のウソ・マヤカシ】は第0034号に記入します

【2-B.『パラダイム(シフト)』のウソ・マヤカシ】は第0035号に記入します


【2-C.『宗教・信仰』のウソ・マヤカシ】は第0036号に記入します


【2-D.『E=mc²』のウソ・マヤカシ】は第0037号に記入します



今後のブログの方向性を模索(モサク)しながら書き進めている第0013号も参考になると思うので、是非お読み下さい(記入順序逆転です)。





~~~第0030号先頭へ~~~







ちび猫のコメント参照
次回につづく。







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