第0150号
*****(制作進行中)*****
新着の紹介はこちらから。
145.ちび猫が見付けた【基本部分】参照。
147.ちび猫が見付けた【基本部分・2】からの続きです。
~~~~~令和6年度~~~~~
*基本(K-03)前後が反転した時間認識の魔法世界。【10月18日・金】
{本当の事を言えば}ノーベル賞がどうのこうのというのは、
問題の枝葉でしかなくて、
疑問に思うコトの入り口に過ぎず。
『前後が反転した時間認識』が問題視されずに{ノーベル賞に於いても放置されて}いて、
{磁気テープの頃には取説にも記載されていたのですが}自分の進行方向は『前の部分』としての扱い(一般的に「もっと前に行って」というような言い方をする)をして、
自分が進んで来た所は『後ろの部分』としての扱い(一般的に「もっと後ろから来て」というような言い方をする)をしているのに、
記録媒体に於ける記録されている部分は『前の部分』としての扱い(一般的に「そこの前から再生を始めて」というような言い方をする)をして、
これから記録していく部分は『後ろの部分』としての扱い(一般的に「そこの後ろから書き込みを始めて」というような言い方をする)をしているのですが、
まさにこの事こそが『誰も不思議に思わない不思議』でありまして。
魔法世界が厄介なものである(ノーベル賞も自己浄化不全に陥っているという)理由であります。
『前後が反転した時間認識』から人間が{思い描いて}形成する世界観は、
{一律な縛りの枠組であり}閉塞している『特定の土台の上』であり、
{作用が一方通行であり}自由と言えば歯車のフリーである『特定の歯車のシステム』でありまして、
人間の思考を縛って人の世を歪める{諸悪の}元凶になっているとしか考えられませんし。
物事を思考で組んで行く上では『前後が反転した時間認識』である事が適しているのだと言われているようだが、
人間や社会を縛る言い訳の為の詭弁としか思えないですし、
時間に関する書物や辞書・事典の何処にも『前後が反転した時間認識』についての具体的で理屈の通った{納得の出来る}記述がそもそも無いのですが、
まったくの謎であり、
この世はとんでもなく{可笑しすぎる}不思議なモノでありまして。
闇魔法が必要になる(闇呪文に頼らなければならない)理由であります。
*基本(K-02)ノーベル賞の受賞で人々が歓喜する不思議。【10月18日・金】
ノーベル賞の受賞によって、
パラダイム論の本来の意味(在り様)である{学術研究者たちが、自戒とするベキ}警鐘と{人間(個人)自身と、人間の社会が、危険回避に利用すべき}警告が{隠蔽する様に}スリ変えられて、
適正に作用されないでいる事による被害は甚大であるが。
{前後が反転した時間認識に基づいた、特定の土台の上での閉塞した世界観と、特定の歯車のシステムでの不自由な世界観に、縛られ続けるコトしか出来ない}
ノーベル賞にはその状況の改善も、
その事態の回復も出来なくて。
ノーベル賞が{例年通りに}贈られれば、
{戦争は{体制が不安定であったり、政権が腐敗していたりして}頻発し、病気で死ぬ人は{助ける方法が在ったハズなのに}増え続け、地球環境の悪化は{SDGsで一般庶民に尻拭いをさせるばかりで}加速していても}
人々は{毎年のように}歓喜しているのですが。
そんなニュース映像を見ていつも思うのは、
それを『誰も不思議に思わない不思議』という事であります。
*基本(K-01)パラダイム論に隠された警鐘と警告。【10月18日・金】
ノーベル賞を受賞してしまうスリ変えにより、
パラダイム論に隠されてしまう事には、
「一律に縛られる枠組が繰り返される事を理想の進歩としてしまっている」という様な『学術研究者の{右へ倣えを大事にする様な}思考』や『学術研究組織の{異端審問を行う為に在る様な}在り方』に対しての{学術に向けられた}警鐘としての意味(反省すべき状況の指摘)と、
「パラダイム論とは科学の進歩という事に於いて限定的に適用されるものでしかない」という様な『人間(個人)への思考の制約』や『集団組織(社会)の自己浄化不全』に対しての{人の営みと、人の世に向けられた}警告としての意味(危険な事態の指摘)の二つがありまして。
この『パラダイム論に隠された警鐘と警告』の{ノーベル賞を否定するコトで可能になる}掘り起こしが、
人類の未来を左右するのです。
*基本(K-00)ちょっと考えるのも恐ろしい事・・・。【10月18日・金】
『特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続ける』という事が様々な分野でも起こっているという事は、
パラダイム論にとっての警告の対象というのが、
科学に留まらず、
様々な分野になるという事でありますから、
ちょっと考えるのも恐ろしい事ですね。
*基本(K-0)『誰も不思議に思わない不思議』は様々な分野で・・・。【10月18日・金】
『誰も不思議に思わない不思議』は様々な分野で起こっている。
『特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続ける』という事が様々な分野でも起こっているからである。
「閉塞していて不自由で、矛盾に満ちている」という事が、
様々な分野に於いて色々な形で表れている。
*基本(J-02)特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続ける。【10月17日・木】
特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続けるのが社会なので、
どんな社会になろうとも、
「閉塞していて不自由で、矛盾に満ちている」というのが常識で、
「世の中は、思い通りにはならないものである」と言っていないと生きて行けない。
それで誰も不思議に思わない不思議。
*基本(J-01)特定の一律な枠組が作り直されて作られて来た社会。【10月17日・木】
{人の世の、その時代時代の}社会というものが、
特定の一律な枠組(前後が反転した時間認識に基づいた、特定の土台の上や特定の歯車のシステム)の作り直しを繰り返して作られて来たモノであり、
そこにはパラレルな場面で活躍する予備軍や持ち駒が{居たであったとしても、障害として排除されてしまって}居なくて。
作品世界や異世界であっても、
そこに在るのは、
{人の世の、特定の時代風に、特定の一律な枠組が}作り直されて作られた社会であり、
そこには{居ても良いハズの}パラレルな場面で{様々に}活躍する{色々な}予備軍や持ち駒が{つまらないほどに}居ないのですが。
なのにそういった{閉塞していて不自由で、矛盾に満ちているであろう}事を、
誰も不思議に思わない不思議。
*基本(J-00)異世界のほぼ全てが社会に縛られている・・・。【10月17日・木】
ライトノベルや漫画やアニメなどに於ける異世界のほぼ全てが、
{社会という{人の世の営みに於ける枠組みの様な}概念の}社会に縛られた{枠組みを変えただけの}世界観である事(社会とは違う世界観が想像できないでいる事)に、
誰も不思議に思わない不思議。
ファンタジーな映画や小説などで擬人化された動物たちが登場する作品が少なからず在り、
そういった作品のほぼ全ての世界観が、
{人の世の営みに於ける枠組みであり、それが変わっただけの}社会に縛られているのですが、
それを誰も不思議に思わない不思議。
*基本(J-0)社会という縛りの繰り返し・・・。【10月17日・木】
高度な貧富の差が高度な社会だとするユダヤ文化を破綻させ、
公平な社会の実現を目指したのが{ドイツでの}ナチス(ヒットラー)だったが、
社会という縛りの繰り返しから抜け出せなくて、
{どこかで見たことがあるような、ゲルマン民族優位の}新たな格差を作りだしてしまっただけだった。
高度な差別が高度な社会だとする既存の文化を破綻させ、
平等な社会の実現を追求したのが{カンボジアでの}ポルポト派(ポル・ポト)だったが、
社会という縛りの繰り返しから抜け出せなくて、
{どこかで見たことがあるような、ソ連・ベトナムに対抗する中国からの支援が得られれば良い}新たな差別を作りだしてしまっただけだった。
*基本(I-02)近代世界に破綻が迫っている・・・。【10月16日・水】
{人の世の営みが特定という事に縛られてしまっている}
仕組の問題
(前後が反転した時間認識に基づいていて、閉塞している特定の土台の上である、特定の歯車のシステムでの世界観で起こる)
であるものが、
一般庶民からすれば、
{大企業や国家権力などの}既得権益による、
組織的な問題であるように見えてしまっている
{個人(勝手)が諸悪の根源(特定の歯車のシステムで作用の妨害となる障害)であるとされるが、{検察(人の世の営みに於いて{特定の歯車のシステムでメンテナンス(交換・廃棄)を担うような}障害の排除をする国家権力)が冤罪を駆使して個人の抑制に励んでいて}検察が混乱の根幹(『桜田門外の変』を招く『安政の大獄』)であるとしか思えない}
という事こそが、
{特定という事に縛られ続けてしまって、{世界中の、何時の時代も}人の世の営みが閉塞して、『桜田門外の変』と『安政の大獄』の様な紛争が{特定の歯車のシステムでの世界観によって}頻発してしまって、{江戸幕府が明治維新で無くなって明治時代になったような}時代に於けるパラダイムのシフトチェンジが{明治維新は上出来であったが、たいていは泥沼に陥ってしまって}繰り返されて来た事が、凄惨な人類史が永続して来た原因である事に基づいた}
本当の問題
であるのです。
そして、
この{本当の問題の}事を使って近代世界(科学・思想)を{色々と思索して}見るコトが出来れば、
「一律な科学観を絶対視する、
{近代科学の作用の及ぶ外周にあたるようなトコロに至れなくて}科学的手法によって再現できない事を{ヒステリックに}排除してしまう
{STAP細胞に対する科学者たちの反応に象徴されるような、宗教に於ける異端審問が罷り通ってしまう}
近代科学の在り様が、
{異端審問による障害の排除が効率的で有用だとするような}近代思想の根幹となり、
利巧な偽善者たちに上手く利用されて、
既得権益である大企業や国家権力などに忖度しているように見せるのに使われ、
重要な事を{軒並み}隠蔽されて、
一般庶民が
{一般常識として「世の中は、思い通りにはならないものである」と思いながら}
忖度と隠蔽により起こっている問題の尻拭いを{心身を削り、食い物にされ、使い捨てにされて}担わされ、
ヒエラルキーの底辺に近い人間ほど近代思想が{厳しい、罰のような}枷
(科学は絶対で、それに基づく体制は正しくて、貧乏であろうと、不健康であろうと、疑問に思う事さえ許されない)
となってしまって、
一般庶民が人間として{体制の名の下に}どんどん壊れていて、
体制側と非体制側で{分断が深刻化して}抗争に至れば、
{歴史が繰り返される様に、そう遠くない未来に}破綻に至り兼ねない状況にある」
という事が見えて来まして、
この近代世界に破綻が迫っている事が分かるのです。
*基本(I-01)特定という縛りによる成功体験と、戦争資金。【10月16日・水】
{特定という事に縛られ続けてしまうという}仕組の問題(特定のパラダイムと同じ問題)によって、
人の世の営みに於ける諸問題
(前後が反転した時間認識に基づいた特定の土台の上が閉塞している事によるもの)
が個人の問題に
{特定のパラダイムの破綻を、特定の歯車のシステムに於ける破綻に於ける『障害』に当たる『個人の勝手』によるものだとしてしまう様に}
スリ変えられてしまい。
{問題のあった}特定の組織が問題を抱えたまま
{特定の歯車のシステムに於ける{作用が『障害』に邪魔される}問題の解決(特定の土台の上での閉塞の先延ばし)の為として『個人の勝手』の排除が凶行されるままで}
放置され、
{放置により}暴走(排除の凶行)を続けた特定の組織が
{排除の凶行である『安政の大獄』から、排除の凶行に反発する『桜田門外の変』を経て、特定の歯車のシステムであった江戸幕府が無くなった様に}
崩壊してしまい。
組織のパラダイムが{特定に縛られたままの}シフトチェンジ(明治維新で西洋の物マネをしたのと同じ)を起こして、
新たな特定の組織(明治時代以降が西洋の物マネであったのと同じ)が形成されてしまうのだが。
これと同じ様な事が世界中の様々な分野で{特定の歯車のシステムで作用が『障害』に邪魔されないようにするコトの}繰り返しが起こっていて、
世界中で{『安政の大獄』と『桜田門外の変』が繰り返されるような}諍いや戦争が{特定の歯車のシステムに於いて障害物の排除が必要であるという、特定に縛られた仕組みの問題がそのままで}無くならなくて。
その為の必要経費である{戦争資金としての}お金の戦争への
{歩行者という障害物を排除した道路の拡張・整備の為に、一般会計に加えられない{有用で効率的だとして、ゴリ押しする}特別会計でお金が集められる(それによって労力や創意工夫も集まる)ような}
集中が
{通信確認でのエラー(ノイズによる障害)を排除し、ネットやLANの通信速度を上げて、電波を3Gや4Gから5Gにしたり、ケーブルをCAT5eやCAT6からCAT7やCAT8にしたりする事に、お金と労力と創意工夫がつぎ込まれて来たように
(『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』は{有用で効率的で}大事だとする{特定という縛りによる}成功体験(仕組みの問題(特定という事に縛られている事)はそのままで良いとする)によって)
支えられて}
止まらないのである。
*基本(I-00)談合で捕まるのも不運なのか・・・。【10月14日・月】
自動車のスピード違反の常態化は深刻であるが、
取り締まりの中核はネズミ捕りであり、
覆面パトカーなどで地道に検挙はしているが、
レーダー感知の機械も広く一般に売られているし、
自動車で移動する仕事は{スピード違反が前提の}過密スケジュールで、
自動車のスピード違反は{捕まるのは運が悪かっただけだと言われる程に}ほぼ野放しなのである。
経済産業の問題である談合も、
行政が信頼のおける{競争入札が招いた、ろくでもない会社の参入による混乱を、なんとかしてくれた}会社に談合の依頼をするのは周知の事実であり、
{大きな談合があった時に}たまに検察が動くぐらいでありまして、
テレビなどのメディアでは解説者が「こんな事をする人が、まだいたんですね」などと{すっとぼけた事を}言っているぐらいでありますから、
談合の野放し具合も{経済産業の事が優先される様な、特定の歯車のシステムでの世界観に於いて}病的なものであり、
{車社会になってしまっていて、道路での歩行者の{権利である}自由を歯車のフリーと自己限定するコトの{主体的な}厳守が{歩行者に}要求されてしまい、進む時は狭い歩道を使う{自己限定の}自主的な厳守が{無意識のレベルで}欠かせないし、車道を横断する時は横断歩道や信号機のある所に限る{自己限定の}自主的な厳守が{無意識のレベルで}欠かせなくて、{自己限定の}自主的な厳守を{利己的に}勝手に破れば車による強制排除に{違法ではない状況で}晒(サラ)される事になるのですが}
談合社会になってしまっていて、{公共の仕事をするのに}談合への参加の{自己限定の}自主的な厳守は欠かせなくて、勝手な事をすれば、{行政からの依頼により、談合で上手く回っている}公共の仕事から排除される{大資本でもない限りは対抗できない}事態になってしまう。
*基本(I-0)治安悪化の根源であり、脅威でしかない検察。【10月14日・月】
検察活動は、
裁判官の教育でありまして、
{その為に}小さな事件で{検挙して、一通りの証拠を提出しながら、強硬には争わないで}無罪にさせ、
{また事件を起こさせて}また捕まえるを繰り返して、
検察の検挙や証拠の正しさを裁判官にスリ込んでいるのです。
そして、
犯人を有罪にしようと決めた時には、
地裁や高裁などで冤罪となっても最高裁まで争い、
冤罪が確定してもそれを容認せず、
「こんな事を繰り返せば治安が乱れるだけだ」と{裁判官を}威嚇するのが検察である。
また、
大きな事件を起こした犯人が
「以前に事件を起こした時には、検察も裁判官もちょろくて、こんな大事件を起こすに至った」
と言っているのをよく耳にするが、
この原因が検察の裁判官教育であるのは明白であり、
それこそが治安を悪くしていると言えるのに、
検察は全く反省しないのである。
検察が『治安の悪化』の上に『冤罪作り』に勤しむ権力組織(治安悪化の根源であり、脅威でしかない国家権力)であるのは明白なので、
一般庶民が平穏に暮らす為には、
{検察が泳がしていて}ウヨウヨしている犯罪者からは自分で自分の身を守り、
{さらには}冤罪の罠にハマらないようにする{検察からの}自己防衛をするコト(犯罪者からの自己防衛より難しいかもしれない)を怠ってはならないのです。
*基本(H-11)誰もが「自分は天才だ」と思える。【10月14日・月】
人間の大多数の人は、
この人の世が{思い通りに行かない事が当たり前で}何か可笑しいとは{なんとなく}感じていて、
{言動だけではなく考えや感情までも縛られていて}なんとなく息苦しく感じている
(労働者とは経営者や株主に奉仕するコトに存在意義が在り、既得権益の尻拭いとしてのSDGsに励むコトに人間とは存在意義が在って、勝手な仕事は否定されるし、責任者への責任追及は潰される)
し、
そういう人の世の在り様に自分(私)も{する側で}関わっている
(人の世に貢献したいと思っていて、企業活動に積極的な自分は善良だと思っているし、SDGsに夢中な自分は立派だと思っている)
のは分かるのですが、
何でそうなっているのか(そうなったのか)が分からないし、
自分(個人)が本当はどうあったらいいのか(あったらよかったのか)も分からないのです。
「自由は勝手とは違う」に於いて
{そうでない人が対立や諍いを{勝手に}惹き起こしていると感じられて}
賛同していたものが、
なんか違う
(それまで賛同できていた人たちの方が{人の自由への攻撃の正当化をゴリ押ししていて}対立や諍いを惹き起こしている)
と感じられた時が、
縛りに気付けた時であり、
自分たちが{それまで悪人だと感じられて}勝手だとして否定していた人の在り方の方が、
善良で頑張っているのだと思えた時が、
縛りが解けた時である。
{しかし}それでも、
「人の世とは、思い通りにならないものである」などと悟った振りをする必要が無くなって、
誰もが「自分は天才だ」と思えるようにしてあげられたら、
{前後が反転した時間認識の魔法に気付き、特定の歯車のシステムの外周から離脱(闇魔法に気付く)していながら、特定の土台の上で閉塞している{縛りの魔法に捉われた}人を上から目線で見る{特定の所に留まって居る、右へ倣えな}コトではあっても、
{本当の意味での『コロンブスの卵』を知らないのか、『維新』を掲げて良い気になってしまう{大多数の}人たちなのだが、そんな人たちの為のモノが闇魔法であり闇呪文であり、{そんな人たちこそが}個性が大切にされるべき存在であるので}
こちらが譲歩する事も大切になるので}
それで良いと思うのです。
*基本(H-10)誰もが、「簡単じゃん」と言える。【10月14日・月】
「人の世とは、思い通りにならないものである。ダメなんだ!嫌だ!!・ダメな人だな!嫌だな!!。本当に、思い通りになってくれないものである。」
という感情を受け入れて、
悟った気になり、
{不満を溜め込んで}精神をスリ潰して
{特定の歯車のシステムでの作用の中心に近づいて排除されてしまったりしないように、外周での一律な作用の受け入れに専念して}
全体に貢献しているという自分の在り方に納得しようとしていた人が。
「{自分が思うに}ダメダメで良い、ダメダメでも良い。KY(空気を読まない)で良い、KYでも良い。ブレて良い、ブレても良い・{誰が思っていようと}乞食で良い、乞食でも良い。」
という闇呪文に気付き、
全体(特定の歯車のシステムという特定の土台の上)から{精神的に}離脱し、
手付かずのまま在る{ノーベル賞などの既得権益への忖度による}コトによって人の世を歪めてしまっている沢山の事のパラレル対処を
{次に見つけた誰もが、「簡単じゃん」と言えるように}
掘り起こして{あげて}行けるようになる。
これが{前進する時間認識での}闇魔法(魔法世界での人間の解放)である。
*基本(H-09)繁殖するオスとメスという縛りを無くす。【10月13日・日】
人類の繁殖という呪縛からの(男女関係の、オスとメスという特定の存在からの)解放によって、{非一般的に}物事を{一律な枠組みの縛りが無くなって}よく見る様になると、{人の世の営みに於けるオスとメスの色々な事が{様々な側面から、パラレルの方まで}よく見えてくるのです。
正義漢ぶって殺人に至るストーカー事件(あおり運転と同じ{正義感の暴走によるもの}とされている)に於ける、人が正義漢ぶると問題であるというのは{一般的に}知られていて、正義漢である事よりも{異性や他者に対して}優しい人である事(それで問題が解決される)を目指すベキだと{一般的に}言われていて。
多くの{一般的な}人が、「人の世とは、思い通りに行かないモノである」・「そんなの常識」・「正義漢をやったって悪人呼ばわりされるのが落ちである」と開き直り、男がオスとは言えないようコトをしたり、女がメスとは言えないようなコトをしたりしていて。
それが伝統的な倫理・道徳と上手い具合に合わさって、一般常識に於ける特定の土台の上の様になり、そしてその上に男がオスとは言えないコトを積み上げ、女がメスと言えないコトを積み上げるものだから、どんどん男たちはオスからかけ離れ、女たちはメスからかけ離れてしまい。
{不満が溜まるばかりで}オスになれなかった男は、メスになりたがっている女に{正義漢ぶって}不満を{八つ当たりや逆恨みでしかないし、不満のガス抜きでしかないのに}ぶつけて、{不満が溜まるばかりで}メスになれなかった女は、オスになりたがっている男に{正義漢ぶって}不満を{八つ当たりや逆恨みでしかないし、不満のガス抜きでしかないのに}ぶつけるので、ストーカー事件(殺人)が{それが逆恨みでしかないのに}頻繁に起こるし、ぼったくりバーのホステスや悪質なホストクラブのホストのなり手が{それが八つ当たりでしかないのに}いなくならないのです。
ストーカー事件では、「メスになりたかった女が、自分だけオスになろうとしている男への逆恨みとして、執拗な攻撃性を、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きとして、身勝手に}発揮する」し、「オスになりたかった男が自分だけメスになろうとしている女への逆恨みとして、執拗な攻撃性を、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きとして、身勝手に}発揮する」し、ホステスやホストの問題では、「メスになれないでいる女により、自分だけオスになりたがっている男への八つ当たりとしての、陰湿な攻撃性が、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きだが、隠蔽されて}発動されている」し、「オスになれないでいる男により、自分だけメスになりたがっている女への八つ当たりとしての、陰湿な攻撃性が、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きだが、隠蔽されて}発動されている」という認識が{精々}されるだけで、機械的に{一律な}レッテル貼りが行われてしまうので、ストーカー事件やバーやホストクラブでのトラブルが警察沙汰になった時の報道などでは、ストーカー行為をする者が悪いとか、店側に問題があったとか、別々にしか報じられず、事件の背景を深堀してリンクさせたりする事が無いのです。
しかし。
反対のモノの様に見える二つの面であるが、逆恨みと八つ当たりは背景の深層部でリンクしていて、{繁殖するオスとメスという縛りを無くして}パラレル対処をする様に思索を広げて行くと、色々な事が見えてくるのです。
だから、「ホステス・ホストならば、八つ当たりをしないように{私はメスだ、俺はオスだ、と拘ってしまわずに:私はメスだ、俺はオスだ、と求めさせないで}して、逆恨みをされないように{私はメスだ、俺はオスだ、を誇示しないで:私はメスだ、俺はオスだ、が評価されないものだと}するベキ」だし、「客ならば、八つ当たりをされないように{ホステス・ホストに、私はメスだ、俺はオスだ、と拘らせたりしないようにし:ホステス・ホストが、女らしくある事、男らしくある事、を求めないで}して、逆恨みをしないように{ホステス・ホストに、私はメスだ、俺はオスだ、を誇示させないで:ホステス・ホストが、女らしくある事、男らしくある事、を評価しないで)するベキ」となるのです。
さらには、「これが守れていないバーやホストクラブは{危険なので}行かない方が良いし、これを守らない客は{危険なので}相手にしない方が良い」という事になるのです。
*基本(H-08)バカバカしい結果にしか世界が辿り着かない・・・。【10月11日・金】
人の世は「既得権益や極悪人どもが{真理の僕(シモベ)として清く在らんとしている}善良な庶民の{労働者としての}労働力や稼ぎを狙って蠢(ウゴメ)き合っていて、{世の真理が踏み荒らされて}ドロドロしていて{庶民が真理の僕として}生きて行くのが辛い」世界であり、
「真理の僕として清く在り続けるのは難しい」というのが庶民にとっての『人の世の常識』でありますが、
それでも庶民というのは
{世の多くの『昔からの格言』や『知識人による名言』により紡(ツム)がれる「自由は勝手とは違う」や「平等は無秩序とは違う」といった{既得権益や極悪人どもによる画策である事に気付かずに}世の真理に逆らわず}
善良に生きようとして清く在る真理の僕
(これが資本主義だと言われれば、労働者(庶民)は経営者や株主(労働者(庶民)にとっては既得権益であり極悪人でもある)に命を削って奉公し、{自由も平等も{特定の}全体の為になるのであればと、主体的に{歯車のフリーに徹するべく}自主制限して}秩序の維持に貢献して、資本主義社会で労働者(庶民)として生まれたのだから仕方がないのだと割り切って生きようとする存在)
で在ろうとし、
{それによって{既得権益や極悪人ども蠢く、特定の}全体が{前後が反転した時間認識に基づいた特定の土台の上に物事が積み上がる閉塞した世界観の中でも}閉塞しないでいられるような{ウンザリする}状況であるのに}
庶民が食い物になれるしかない存在{特定の全体を支えられる{唯一の}モノ}であるのは{真理の僕であるが故に}仕方がない事なのだと納得しようとしているのです。
そして{先(マ)ずは労働者(庶民)の解放(自分たちへの取り込み)を正解として確保し、次に上記の事を問題点としてこじ付けて}敵対するモノどうしが世界中で戦争の為の大義(味方になる利点)や支援(戦争資金)を集め合い、
悪(障害物)の排除(閉塞の回避)を掲げあっての戦争が起こされて、
世界中の何処かで幾つもの戦争が何時も続けられているのです。
こんなバカバカしい結果にしか世界が辿り着かないような、
善良で真理の僕として清く在り続ける{食い物される唯一の存在である}庶民(資本主義に於ける{生まれながらの}労働者)の存在(そういう自意識)というのは、
どんなものなのでしょうかね・・・。
*基本(H-07)『そんなの常識』と納得してしまう・・・。【10月11日・金】
世の中の大多数の人は、
「医薬品
(制酸剤を含む胃薬や鎮痛作用のある成分を含む滋養強壮剤(キャベジンやアリナミンAなどの毎日飲むコトが推奨されているモノ)など)
の常用によるリーキーガットの悪化と、
電卓栄養学
(小麦(特に全粒粉)やトウモロコシ(飼料にするコトによって畜産物(養殖魚や鶏卵も含む)も汚染される)やホルスタイン種の牛乳(バター以外の乳製品で、チーズの含む)の強毒性(食品とは言い難いかもしれない)や、
牛や豚などの肉(魚介類と鳥以外の食肉(牛・豚・羊など)が癌の拡大や栄養摂取の{免疫異常を利用して、癌の近くの細胞を{癌が肉の成分を周囲にばら撒いて}攻撃させ、癌にスペースと栄養の提供をする}手助けをする)や果糖(癌の好物)や多糖類(痴呆や各種内臓疾患の原因になる)や低カロリー甘味料(糖尿病になるリスクを高める)の危険性や、
豆類やジャガイモやキュウリやナスやトマトやピーマンやカボチャなどの毒性(圧力鍋や発酵を用いた調理である程度は解消される)を隠蔽し、
食事のバランスを{レクチンなどの毒性や危険性の事が官僚の保身によって公表されないでいる状況で}謳(ウタ)って既得権益(企業や国家や宗教)に媚(コ)びを売っている)
に基づいた食事でのレクチンなどの
{食事に於ける基本である「ダメなモノ(毒性があって危険な食材)はダメ」で「サプリメント(薬用ではない限定的な成分の栄養剤や青汁)を最大限に利用する」で「葉菜類や根菜類や海藻類の主菜(多めのサラダ)と{圧力鍋で調理した}鶏肉や魚介類の副菜にオリーブオイルを掛け、白米飯は納豆で食べる」という事の意味が分かっていない事による}
摂取が、
免疫細胞の異常な暴走(生活習慣病などの原因)を招き、
その免疫細胞の活動に必要な{大量の}脂肪が内臓や血管などに蓄積されたり付着したりして、
各種病気をさらに{命の危機まで}悪化させている」
という事を、
「代謝を高めてダイエットをしないと生活習慣病のリスクが高まる」と言い変えられ、
代謝を高める
{「脂質をひかえてたんぱく質を食べるベキだ」とか「白米飯をひかえて全粒粉入りの小麦粉のパンを食べるベキだ」とか「サプリメントはひかえて必要な栄養素を食事で取り切るベキだ」とか「カロリーやコレステロールのより低いモノを{割高でも}飲食するベキだ」とかの、健康的を装った}
事を{理想的で完璧だと言って}勧める
{医学(既得権益(企業や国家や宗教)がバックにある)の名の下での}
健康食話を巷(チマタ)に溢(アフ)れさせられて、
考えうる限りの{健康食話の事を積み重ねて}努力をしている{ハズな}のに生活習慣病になり、
{肥満は解消せずに}命の危機に晒されたとしても、
「世の中は上手く行かないもの」と言い、
『そんなの常識』と納得してしまう・・・。
なんで誰も不思議に思わないのだろ・・・。
それで良いのか・・・。
*基本(H-06)問題点も答えも分かっていない・・・。【10月10日・木】
問題点も答えも分かっていないという所から始めなくてはならいハズなのに、
マズは答えになりそうなモノを選択し、
ツギに問題点をこじ付け、
クジを引くように研究発表をして、
当たりと認められたらノーベル賞であるが、
パラダイムという{一律に}閉塞した特定の土台の上での研究しか認められていない縛りの掛かった世界観の中では仕方がないのかもしれない・・・。
しかし{ただ西洋文明という答えを見つけて、日本文化を問題点に据え、西洋人に採点してもらった明治維新なのに}維新などといった言葉が持て囃されるバカげた状況に、
誰も疑問を持たない事に、
納得がいかないのである。
やはり{欧米の宗教や国家や企業がバックにある}ノーベル賞が問題点(人類への警鐘)を賞賛(人類への祝福)にしてしまうスリ変え(隠蔽の必要性がノーベル賞の基準なので、ノーベル賞を受賞した人の研究そのものは{問題点の洗い出しとして、ある程度は}評価できるのですが、ノーベル賞を目指している時点で動機が不純なのです)ではあったとしても、
{ノーベル賞を目指す研究者ではない}個人ならば問題点も答えも分かっていないという{多種多様な全体を網羅する大全体の}所から{パラレル対処を多種多様に模索して}始めて良いと思う(ノーベル賞には用心する)のです。
*基本(H-05)みんながその利にぶら下がっている・・・。【10月10日・木】
問題は目の前に在るものだけで、答えも沢山用意されていて、後はそれに気づくかどうかだけなのである。
でも、答えには当たりハズレがあって、{当たりを求める人の}ほとんどは一生ハズレを引き続けてしまうのですが、中には当たりを引き当てられる人もいて、そういう人が英雄や金持ちや権力者(作用の発信元)になれるのです。
しかし、当たりの答えの数は限られていて、当たりを引く確率は{ゼロではないが}とても低くて、世の中には、当たりをたまたま引けた{既得権益を手にする事が出来たので、{作用の発信元として}自由にしていい}人と、当たりを求めながらハズレを引き続けた{運が悪くて残念ではあるが、{作用の障害になる身勝手な者(略奪者)だとして}排除の対象にされてしまう}人と、当たりを求めるのを止めてしまった{作用の発信元の傘下で{歯車のシステムでの歯車である}一般庶民と言われる}大多数の人の三種類がいるのです。
{基本的にはいつもと同じで、問題に対して答えが沢山あり、答えには{少しだけ多くの}当たりと{少しだけ少ない}ハズレがあった}明治維新という(パチンコのフィーバーの様な)イベントでの{いつもより多かった}成功者は、西洋文明という{いつもよりも高い確率であった}当たりを引き当てられた人で、新選組などは、{途中から当たりを引き当てられた坂本龍馬とは違って}ハズレを引き続けてしまった{運が悪くて、残念な}人で、農民などの{大多数の}一般庶民は、ハナから当たりなど求めなかった{作用の発信元の傘下に入ってしまう}人たちであったのです。
そして、こういった事を{既得権益である権力者の}常識として、当たりの答えを引けた者どうしが互(タガ)いをハズレを引いた者と決め付け、「自由は勝手とは違う」と言って互いを「身勝手(略奪者)だから排除すべし」と{自分の傘下の一般庶民に}作用の働き掛けをするものだから、人類史に於いて戦争などが無くならないのです。
以上が、{前後が反転した時間認識(特定の閉塞した世界観で、歯車のシステムを閉塞させない為には障害の排除が必要不可欠)にも合致しているかのように見える}常識(人間を既得権益と略奪者と一般庶民に選別している)を前提にした{歪んだ}分析ではありますが、これ以上の事を考えても人間には利が無くて、必然的に人の世からは戦争が無くならなかったのです。
要は、人の世の営みが{世界観として}前後が反転した時間認識に基づいて閉塞していて、人間たちが{特定の土台の上としての、特定の歯車のシステムでの、閉塞した世界観である}それに{自分の居る場所での役を{色々と模索し、様々な考案をして}演じてしまって}ハマり込んで障害の排除に追われる事になり、結果的に{大規模で複雑に入り組んだ、お金の流れを集中させるシステム(みんながその利にぶら下がっている)によって、止める事の出来なくなった}バカげた足の引っ張り合い(戦争)をしているだけなのです・・・。
*基本(H-04)既得権益から連鎖してお金が戦争へと流れ込む。【10月10日・木】
前後が反転した時間認識に基づいて、
特定の土台の上が閉塞していて、
特定の歯車のシステムでの世界観に於いて{個人には歯車のフリーである事が求められ}社会は障害の排除(既得権益の下で、戦争へと連鎖する)を最優先とする。
人間の思考や行動は{過去の積み上げや、今の波や流れや、未来の可能性に縛られていて、呪いが掛けられている様に}一律な不自由で、
科学は{パラダイム論に縛られていて、魔法が掛かっている様に}パラレル対処が出来なくて、
人の世の営みは{障害の排除が最優先で、お金の戦争への流れ込みが既得権益からの連鎖で起こっている様に}弱者(障害)を排除する為に行われている。
{弱者で虐げられ続けて来ていて}少しの得を分けてもらえる事に浮かれてしまって、
{アプリや電子マネーでの割引の唆(ソソノカ)しに乗ってしまって}その得が戦争(障害の排除)へと{既得権益から連鎖して}流れ込んでいる{良心的な小売店を安売り合戦で潰して、既得権益を儲けさせる}お金の使われ方であると気付けない。
{ダメだダメだと責められ続けて来ていて}ダメでなくなる為だと言われて浮かれてしまって、
{SDGsなどの唆(ソソノカ)しに乗ってしまって}弱者を排除する{加害者である既得権益の扇動に乗って、被害者である弱者に負担を背負わす}連鎖(既得権益によってお金が戦争へと流れ込む)の担い手になっている事に気付けない。
*基本(H-03)既得権益と想定するモノに立ち向かって・・・。【10月9日・水】
一般庶民が強迫観念に{無自覚に}縛られていたり、
一般庶民の目が{巧みに}暗まされていたりしているかの様に、
「{アプリや電子マネーによる}安売り合戦の野放しによる良心的な小売店舗(飲食店や食材店や雑貨店など)の倒産」や、
「{既得権益である}大企業や権威団体や権力組織にとって都合の良い研究を{制約解除や名誉や大金で釣って}させる(そういう結果を出させる)事による被害者であるハズの一般庶民への{差別や紛争や環境破壊などによる諸問題の{最善の}解決方法であるとスリ込んで、SDGsを厳守させてしまう様な}尻拭いの押し付け」や、
「{食品衛生に関わる企業の安易な利益追求と保健医療に関わる行政の怠慢の責任隠しの合致による}リーキーガットやレクチンの問題の放置による健康被害の蔓延」や、
「{スリ変えに無警戒な一般庶民への}特定の歯車のシステムでの{前後が反転した時間認識に基づいた、特定の土台の上に物事が積み上がる、小さな障害が全体の脅威となってしまう}世界観のスリ込みによる「自由は勝手とは違う」と主体的に言ってしまう{凄惨な人類史が続く、人の世の営みに於ける}不自由の蔓延」や、
「資本主義の神聖視(スリ変え)による自分(個人)の卑下(善良に縛られた農奴と同じ、自主的な愚鈍)や、その反省転嫁(専制主義と同じ、露骨な全体主義のゴリ押し)の蔓延」や、
「科学や思想や経済がなして来た{既得権益の為の、一般庶民の自由を奪う為の、閉鎖的な}閉塞した進歩や発展」や、
「{大企業や権威団体や権力組織などの既得権益にとって有利に作用する事(英雄や賢者の存在)が神聖視される}大きな壁や難解な謎が英雄や賢者によって解決して行くストーリーが人に世に溢れかえる事(英雄や賢者に準ずる者も居ない、平凡な者たちばかりで、一般庶民にとっては厳しさが増すばかりの人の営み)による{他力本願に、英雄や賢者に責任転嫁する}問題のスリ変え」などが起こっているのですが、
大きな壁(悪党な既得権益)や難解な謎(一般庶民では上手く対処できない人の世)が問題になっているのではなく、
{弱者が更に弱い者を虐(シイタ)げている状況
(悪が善にスリ変えられ、みんなによって悪が{それが善だとして}行われていて、凄惨な人類史が続く事態)
を強迫観念によるものであり、巧みに目を暗まされている事によるもの
であると言い訳する事を{ぶら下げられた利得に釣られる様に}唆(ソソノカ)されているかの様な}
一般庶民たちが自身で
{既得権益と想定するモノに{媚(コ)びず、忖度(ソンタク)したりしないで、スリ変えの魔法に縛られない「ダメダメで良い」とか「乞食で良い」とかの闇呪文を言って}立ち向かって}
解決すべき問題が{ただ大規模で、解決がそうとうに困難ではあるのですが}起こっているだけなのですが、
どうしたものですかね・・・。
*基本(H-02)人の世とは、思い通りに行かないモノである・・・。【10月7日・月】
間違った前提で作られているハズの
{真実の一部分であるだけの、ウソである特定の土台の上に、物事が目一杯に積み上げられていて、真実としか見えなくなっている}
ストーリーを手本とした実行や、
お墨付きとした反省転嫁が
{他力本願で、無警戒で、横着で、何の確認もしないまま、パラレル対処を思索せずに}
行われて、
納豆嫌悪に至る様な事(特定の真理が万人に適用できると言う間違いによって起こる破綻に至る事)や、
良心的な店舗が廃業に至るような事態(既得権益に唆(ソソノカ)された一般庶民が、特定の真理に先導されて、一般庶民の足を引っ張ってしまう事態)や、
ストーカ殺人に至るような事件(宗教の倫理観などが強迫観念となり、思考や感情を自分で縛ってしまって、「俺はオスだ」とか「私はメスよ」とか{言えないどころか}思う事(勝手に幸せな想いをするコト)も出来ず、{自分一人で}憂(ウ)さをどんどん溜め込んでしまい、ついには{正義漢として、異性に対し}暴発(ボウハツ)してしまう事件)が、
様々な分野の色々な所で起こっていて、
「人の世とは、思い通りに行かないモノである」と開き直り、
{パラレル対処の模索もせずに}また同じ様なコトが繰り返されて、
{人営みの{科学や思想や経済の}いたる所で澱が溜まって来て(人間(一般庶民である個人)が不自由になって来て)しまった事による}
凄惨な人類史が
{既得権益によって繰り返し、効率や有用の名の下で行われる、{過去の積み上げや、今の波や流れや、未来の可能性の為だとする}障害の排除として}
続いてしまっているのですが、
{人の世の営みにとって}それで本当に良いのでしょうかね。
*基本(H-01)SDGsや割引の多用は既得権益にとって有利・・・。【10月6日・日】
{人の世の営みに於いて}特定の事以外の{既得権益にとって都合の良くない事の}排除が{当然の事として}続けられて来ていて、
{一般庶民にとって}色々と困った
{強迫堪忍による、{後進する時間認識に基づいた、特定の土台の上や、特定の歯車のシステムの}閉塞が連鎖している世界観での、科学と思想と経済に澱が積もって機能不全に陥った事の{一般庶民にとっての最終的な結果を不利にしてしまう事になる}尻拭い(SDGsや善良な市民生活や真面目な労働)をしなくてはならないという}
事が
{進歩や発展の名の下に、電卓栄養学で{レクチンやリーキーガットなどにより健康が悪化する}不健康から抜け出せず、パラダイム論で{先細りや想定により科学が不自由になる}閉塞から抜け出せず、資本主義で{全体主義に傾倒して}一律な自分(個人)から抜け出せず}
起こり続けて来ている
(店での支払いに於いて{アプリや電子マネー(大資本の画策によるもの)などの安易な利用で}割引を多用する(一般庶民にとっての最終的な結果が不利になるという事を考えない)のは
{良心的な一般庶民の{各店舗で多種多様な}特色の在る店を倒産させて、既得権益である大資本の{各店舗で一律な}特定の店をのさばらせるだけであり}
客である一般庶民が{最終な結果を有利にしようとはしないで}自分(私)で自分(一般庶民である個人)の首を絞めるようなものである)
ハズなのに、
{一般庶民は昔から}割り切って乗り切る{断捨離をしたり、知らぬが仏を貫いたりする様な}コトが{上手く行かない事が多い人の世に於ける}人にとっての大事な{効率的で有用で、処世術だとされる}事なのだと{自分(私)が自分(個人)を疎(オロソ)かにしている事を{格言や名言や、倫理や道徳や、宗教や哲学などで}隠蔽し}納得しようとしていているのですが、
人類にとっては{凄惨な人類史が続いてしまうのですが}それで本当に良いのでしょうかね。
*基本(H-00)ウソの上にウソを積み上げて来た進歩や発展・・・。【10月5日・土】
{凄惨な人類史の}人の世の営みに於いて、
様々な分野での{既得権益にとって都合の良い}ウソの上に色々な{被害者である一般庶民に責任を押し付ける}ウソが積み上げられて
{パラダイムのシフトチェンジ(閉塞や排除の範囲を拡大させる、特定の『縛りの枷(後進する時間認識に基づいた、特定の土台の上や、特定の歯車のシステムの世界観)』の連鎖)が繰り返されて}
来たコト(既得権益による一般庶民への反省転嫁)が、
{その時代(文明や文化など)ごとで}進歩や発展と{効率的で有用な事が一律に{みんなに}作用するコトであり、想定して追い求めるモノでありまして、肯定的に評価されて}呼ばれていて、
その延長線上に在るのが近代科学文明や人道主義の文化でありますから、
{既得権益の扇動に乗せられて}それらを守ろうとしてその危機を排除しようとする
(近代科学の閉塞性を指摘すると「原始生活には戻れない」とか、公共の自由の閉鎖性を指摘すると「自由は勝手とは違う」とかいって攻撃する)
のは、
一般庶民にとっては自分(私)で自分(個人)の首を絞めるコトに気付いていない事によるものなのです。
*基本(H-0)進歩や発展という特定の『縛りの枷』が連鎖してしまう歴史の元凶とは・・・。【10月2日・水】
{前後が反転した時間認識に基づいて}世界は閉塞していて、
{大切なハズの個人が排除の対象にされてしまって}良い事は長続きしなくて、
それで当然(守るべき正常)であると{誰もが}思っている(何時の時代でも思われて来た)ようだが、
それこそが{特定の土台の上での}進歩や(特定の歯車のシステムでの)発展という特定の『縛りの枷』が{繰り返しながら}連鎖してしまう歴史(凄惨な人類史)の元凶である。
*基本(G-03)企業や国家という既得権益へのプレゼンテーション・・・。【10月1日・火】
人の世の営みに於いて、
{様々な分野で}人々は縛りを学び、
{みんなが集まる様に}縛りのグループ化に工夫を凝らし、
{特定の全体の形成の為に}グループの影響拡大に励んでいて、
{個々の分野では}特定の全体の維持・拡大が{忖度により人々が特手の全体に分散(周囲に対して目が暗む)しての、企業や国家という既得権益へのプレゼンテーションとして}図られている。
様々な分野での個々の分野に於いて、
{忖度して}特手の全体に分散してしまった人々が{企業や国家という既得権益への}プレゼンテーションに
{自分の居る特定の全体に固執し、他の分野の事(大全体)を{目が暗んで}見ず、{安心していられる情況である}強迫観念に浸って}
一生懸命で、
自分たち(個人)の事を疎(オロソ)かにしていて、
{前後が反転した時間認識に基づいていて}特定の土台の上が閉塞している問題や、
{特定の歯車のシステムに於いて}自由が歯車のフリーでしかないという問題や、
{資本主義や倫理道徳によって}自分(私)が自分(個人)を蔑(ナイガシ)ろにしてしまう問題が放置されている。
しかし{人々が{忖度して}特手の全体に分散しているにせよ}周囲を{警鐘がスリ変えられている事(パラダイム論など)に注意して}良く見て、
{企業や国家という既得権益へのプレゼンテーションに追われているにせよ}特定の全体に固執しなければ
(パラレルな事への{前進する時間認識に基づいた大全体の世界観(特定の全体(特定の土台の上や、特定の歯車のシステム)が無限に多様に組み合わさる)での}対処を優先させられれば)
良い問題とも言えますから、
問題の解決は
{資本主義というプレゼンテーションによる自分(個人)のおざなりが、自分一人であれば{闇魔法と闇呪文で}上手く回復させられるように}
本当に{一人一人の、全ての}自分(私)次第なのだと思うのです。
*基本(G-02)たまたまその人たちの中に居るだけ・・・。【9月30日・月】147基本
自分(私)が、
その人たちの中に居る理由探し(自分を特定の枠組で縛る)や、
居易すくなる為の追求(特定の枠組での反省転嫁)や、
どんな人たちの中に居るのかの考察(特定の枠組についての事の学問的構築)や、
居易い場所への改革(特定の枠組の革命)などをする必要はないのです。
自分(私)は自分(個人)でありますから、
{歯車のフリーではない}自由
(自分(前進する時間認識に基づいたパラレルな土台の上に立っている)の事を優先させる)
に動いてもいい(その人たちの中に居なくてもいい)のです。
たまたまその人たちの中に居るだけだから、
その人たちの中に居るコト
(前後が反転した{後進する}時間認識に基づいて、特定の土台の上(パラダイムという{繰り返し作られる}枠組みの{永遠に縛られる事になる}内側)に立っていたり、特定の歯車のシステムの歯車(歯車のフリーであるコトが求められる)であったり、資本主義世界(自分(個人)よりも経営者や資本家や組織が優先される世界観)で生きていたりするコト)
に拘(コダワ)らなくていいからです。
{しかし、たまたまでも}その人たちの中に居てしまうと、
自分(私)が健全
(企業や国家の既得権益への忖度(全体主義の強迫観念によるモノ)よりも自分の心身の事が{全体の障害物とされ、排除の対象とされてでも}優先されているコトによるモノ)
である事や、
個人
(想定した事(SDGsなどの目標)の為の有用性や効率の追求(『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』を大事にするコト)よりも、様々なパラレルでの{想定外の}危機に{身勝手だとされ、乞食行為でしかないとされてでも}対処するコトを大切にするモノ)
である事が、
{その人たちの中に居るというだけで、情報操作や精神操作が執拗で、言動規制や思想規制が厳しいものだから}
とても難しいのです。
既存の{電卓}栄養学(みんなを一律にまとめ上げる為の、{精巧に模造された}特定のプレゼンテーション)による
{不健康
(不健康要因(レクチンなどによる免疫異常の問題)が野放しで、不健康要因の停止(薬による弊害(免疫異常の促進)の削減)の意義が歪められ、不健康要因の除去(免疫異常への対処としてのレクチンなどの対外への排除)の必要性が過少評価されている)
が放置されたままの{企業や国家の既得権益への忖度を無意識で正当化している}人の営みでの}
不健康の問題を解決してしまう話(ありえない漫画やアニメと同じで、潜在的危険が隠蔽されてしまっている)が人の世に溢れかえっているのと同じ様に、
{みんなを一律にまとめ上げるのに有効な、{善悪(良し悪し)が逆転するようにスリ変わってしまう}特定のプレゼンテーションである}パラダイム論や近代科学観や資本主義や民主主義などでの{後退や混乱が放置されたままの{国連やノーベル賞などの権威(既得権益)に従順な、強迫観念に縛られた}人の営みでの}理想的な進歩や発展の話が人の世に溢れかえっていて、
人々の思考・感情が{一律に}硬直したままになっていて、
凄惨な人類史が続いてしまうのです。
*基本(G-01)社会的免疫機能に苦慮するより、とんずらかるべき。【9月15日・日】
人や人の営みの
{根拠が無いかもしれなくても、『バランスが大事』や『進歩・発展が大事』や『人の為、社会の為である事が大事』を指し示して、人々を正そうとする}
社会的免疫機能は{一面的には}大事な事であるかもしれないが、
それが{特定の想定の共有や、邪魔モノの排除などで}暴走して苦慮する
(誰もやりたくない事の{新たな}慣習的強要や、障害になりそうな者の{新たな}制度的排除に振り回される)
事になるなら、
{ダメダメでも良いし、乞食になっても良いので}とんずらかる
(前進する時間認識で、特定の土台の上(歯車のシステムである、科学や経済の閉塞した世界観)から個別に離反する)
コトの方が{誰にとっても、みんなにとっても}大切であると思うのです。
*基本(G-00)邪魔モノの排除か、固有性の確立か。【9月11日・水】
企業や権力に忖度して、暴露や警鐘の芽を{進歩や発展に於ける不安定要因や障害として}排除する。
それが{特定の土台の上や、歯車のシステムに於ける}仕事(人の世での邪魔モノの排除)であり、働く(歯車のフリーで在る)というコト(人の営みでは邪魔モノにならない)であるからだ。
世の中の進歩や発展に無関心で、何を言われようと(されようとも)気にならない。
大切なのは自分(個人)の{予備軍や持ち駒や遊撃隊としての}固有性の確立であるからだ。
*基本(G-0)特定の想定の共有か、予備軍や持ち駒や遊撃隊などの充実か。【9月9日・月】
特定の積み上げに向いているモノを探して特定し、そのモノの有効度ごとに優遇する。
特定の積み上げでみんなを利用する為に積み上げ方を一律なシステムで統一させる。
特定の歯車のシステムに於いて様々な歯車を用いなくてはならない状況を想定して行う。
交換・廃棄の正当性の為や交換・廃棄への自主的協力を得る為の特定の想定の共有を目指している。
様々な状況ごとの様々な積み上げの仕方に対し、それに向いたモノを利用するようにする。
それぞれのモノに於いてそれぞれのモノに向いた様々な利用の仕方をする。
これから起こる様々な事(パラレルな事態)に対し(対処できるように)様々な人の様々な特性を利用した様々な利用の仕方を様々に組み合わせられる様にしておく。
実働本隊と並行して予備軍や持ち駒や遊撃隊などの充実を目指している。
*基本(F-06)反転の魔法と乞食の線引きと世界の閉塞(2)。【9月8日・日】
生物多様性の話しをすると、
たいていの場合に於いて{大多数の}人は、
「特定の多様性を守る事が多様性にとって大事な事(本当は既得権益にとって都合の良い事)であり、多様性の更新(本当は既得権益にとって都合の悪い事)の排除は必要である」
という様な{本当は反転の魔法に掛かってしまった}盲目的な{本当は自己保身の為の既得権益への忖度でしかない}考え方を{本当は都合の悪い(パラレルな)事を想定しないだけなのに}偉そうに示して、
「多様性を守るとは{大変ではあるが}特定の多様性(本当は危機をもたらす危険要因)の持続であり、多様性の更新を{身勝手な都合で}考えるのは乞食のようなアサマシサでありまして、多様性に対する{多様性を更新させてしまう}自分勝手というのはあってはならない事(本当は多種多様な準備が{各自によって}されているベキ事)なのである」
という様な{やってはならない事としての}乞食の線引き(反転しているので本当はやるベキ事)のゴリ押しを{聞く耳を持たずに}繰り返すものなのですが、
これこそがまさに「反転の魔法の乞食の線引きによる世界の閉塞」の典型であると言えるモノでして、
そんなだから凄惨な人類史が続くのです。
*基本(F-05)反転の魔法と乞食の線引きと世界の閉塞。【9月8日・日】
特定の土台の上での閉塞(歯車のシステムでの障害)が怖くて勝手が出来ないでいる(問題(悪))のを、
乞食ではないから勝手をしないのだ(問題なし(良し))としているのが反転の魔法である。
勝手をするのを乞食だとする線引きが世界中で周知徹底されて行き、
人の世が閉塞に悩まされ(障害に苦悩し、乞食の排除に追われ)続ける事になる。
*基本(F-04)問題を問題無しと言えてしまうのが魔法なのである。【9月7日・土】
「誰もが自由であれば、社会は大きな成果を生み出せる」と言う事は、
社会が歯車のシステム
(後進する時間認識に基づく特定の土台の上での{閉塞を先延ばしさせながらの}物事の積み上げが、歯車のシステムでの{障害を交換・廃棄させながらの}作用の伝わりの仕方と同じ)
でありますから、
誰にとっても自由というのは歯車のフリーでありまして、
自由(歯車のフリー)というのは嫌な事を我慢するコトで問題(悪)ではあるのかもしれませんが、
自由(歯車のフリー)によって社会が大きな成果を生み出すのであれば、
自由(歯車のフリー)は問題無し(良し)と言えてしまいますから、
この事(自由は歯車のフリーである)に於いて「誰もが自由であれば、社会は大きな成果を生み出せる」というのは{前後が反転した時間認識を大前提とした}魔法(魔法の呪文)なのであります。
「自由市場経済(資本主義)であれば、経済は発展を続けられる」や「パラダイム論の科学観(一律な世界観での理想的な進歩)であれば、科学技術は飛躍を続けられる」というのも同じで、
全体主義的な経済観(経営者や資本家が優先されて、自分(個人)はおざなりである)に於いて「自由市場経済(資本主義)であれば、経済は発展を続けられる」というのは、
自分(個人)がおざなりになる問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう魔法(魔法の呪文)であり、
『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』に縛られた科学観(想定される危機の回避が優先されて、【パラレルな危機の予見】や【パラレルな危機への対処】は無駄扱いである)に於いて「パラダイム論の科学観(一律な世界観での理想的な進歩)であれば、科学技術は飛躍を続けられる」というのも、
【パラレルな危機の予見】や【パラレルな危機への対処】が無駄扱いになる問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう魔法(魔法の呪文)であります。
魔法(魔法の呪文)による{問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう事が周知徹底される}スリ変えがノーベル賞などでは起こってしまいますから、
【問題(悪)の暴露】や【問題(悪)への警鐘】であったハズの事に於いてノーベル賞が授与されると、
問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう魔法(魔法の呪文)が掛けられる事(良し悪しが反転してスリ変えられる)になりまして、
「パラダイム論の縛りが科学を閉塞させる」という問題の一つも
{数十年も前に【問題(悪)への警鐘】にノーベル賞が授与されてから、{前後が反転した時間認識を修正させる}闇魔法(「ダメダメで良い、~、乞食でも良い」の闇呪文から始まる)が隠蔽されていて}
解決が出来ないのです。
*基本(F-03)問題を問題無しと言えてしまえる事が大事な事だとされていて・・・。【9月6日・金】
問題(悪)を問題無し(良し)と誰もが言えてしまえる{ノーベル賞が授与されるような}事が大事な事だとされていて、
{ノーベル賞が授与されるような}大事な事によって良し悪しが反転してしまうので、
【問題(悪)の暴露】や【問題(悪)への警鐘】であったハズの事が{ノーベル賞が授与された事によって}問題無し(良し)にスリ変えられてしまうのです。
*基本(F-02)良し悪しが反転する様にスリ変え、乞食との線引きにしてしまう。【9月6日・金】
忖度だらけの『ヤラセ美談(プロパガンダに利用されたファンタジー)』や理不尽で一方的な『言い掛かり(ファンタジーの巧妙なゴリ押し)』の{各メディアやネットなどからの}ウソクソ発信により{既得権益による、既得権益が得する、不公平の}依怙贔屓が正当化(スリ込み)されて、
それによって{日和見な庶民に}全体主義が{無自覚なまま}周知徹底されてしまって、
それに盲目的であるコトが問題であるのは明らかである{ハズな}のですが、
その問題が良いコトであると{既得権益が用いるノーベル賞などにより、良し悪しが反転する様に}スリ変えた上で、
一般市民と乞食との線引きに{既得権益が巧みに}利用してしまうものですから、
妄想
(前後が反転した時間認識に基づいた{特定の土台の上の}閉塞や、
歯車のシステムでの{歯車のフリーに縛られた}自由や、
『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』の為に自分(個人)をおざなりにする{資本主義を遵守する様な}価値観)
に取り憑かれた狂人が{増えるばかりで}居なくならず、
凄惨な人類史が何時までも続いてしまうのです。
*基本(F-01)ヤラセ美談や言い掛かりのウソクソ発信。【9月5日・木】147基本
「権力の守護によりパラダイムが築かれ、そのおかげで進歩と発展がなされて、一般市民の誰もが近代文明の恩恵を享受できている」と言い、
「それに適応していないのは、『邪魔モノ』や『厄介なお荷物』の“乞食”なのである」と言うが、
それが忖度だらけの『ヤラセ美談』であり、
理不尽で一方的な『言い掛かり』であるのです。
各分野の{昔から何人もいた}英才たちによる{既得権益により牛耳られて来ている}人の世への様々な【問題の暴露】や【問題への警鐘】であったハズのモノ(提起された問題点)を、
{良いモノ(そう在るベキ事)にスリ変えてしまう事によって}一般市民と乞食との線引きにしてしまうコト(そう在るベキ事(問題であるハズのコト)をしない者を交換・廃棄の対象とする)が、
ノーベル財団によるノーベル賞の授与などによって{既得権益が旨い話しで釣って}行われているのですが、
それこそが「忖度だらけの『ヤラセ美談』や理不尽で一方的な『言い掛かり』が{問題視されないで}行われる下地となっている」という事なのであります。
そんなだからなのか、
各メディアやネットなどで
{忖度だらけの『ヤラセ美談』や理不尽で一方的な『言い掛かり』の}ウソクソ発信が行われていても、
誰もがウンウンとうなずくばかりで、
{ちょっと考えれば気付くハズのスリ変え(『後進する時間認識での閉塞を繰り返すパラダイム論の縛り』や『「自由は勝手とは違う」と言う事による歯車のフリー(歯車のシステムの世界観)のスリ込み』など)や、お金や権限を握っている企業や省庁に阿(オモネ)った学会の発表(『免疫異常(リーキーガットやレクチンなどの問題)を踏まえない電卓栄養学』や『自分(個人)をおざなりにする資本主義経済論』など)や、資本家や経営者など(責任者や知識人たち)を集めた各種のセミナーでの{一律な}事の{愚直な}実践(『被害者である庶民に更なる犠牲を強いるSDGsプロパガンダ』や『ファンタジーなのにノンフィクションであるかのように作られている歴史映画や再現ドラマや逸話のアニメ』など)が蔓延っているというのに}
可笑しいと思う(疑問を口にする)者などいないのです。
忖度だらけの『ヤラセ美談』や理不尽で一方的な『言い掛かり』は魔法なので、
それらからの解放には闇魔法
(『邪魔モノ』で良い、『邪魔モノ』でも良い、『厄介なお荷物』で良い、『厄介なお荷物』でも良い、“乞食”で良い、“乞食”でも良い、などの闇呪文)
が必要になるのです。
~~~~~参照~~~~~
*基本(F-00)線引きを乞食なんかと同じ側でされたくない。【9月4日・水】
たいていの一般市民にとっては、
線引きを乞食なんかと同じ側でされるのは{過去の積み上げや、今の波や流れや、未来の可能性が台無しになり}屈辱であるので、
{非公式にではあるが、線引きをする}既得権益にとって有利な{一律な}事であっても{無自覚に}無理をして行ってしまうものであるから、
{その結果}この人の世は{世界中の}様々な分野で大変な事
(前後が反転した時間認識による{特定の土台の上(パラダイム論)に縛られた}閉塞や、歯車のシステムの世界観により自由が{無自覚に}歯車のフリーになる事や、自分(個人)をおざなりにする既存の倫理道徳(宗教や哲学)や自由市場経済(資本主義)によって全体主義が{隠蔽されて}永続してしまう)
になってしまっていて、
{近代文明が成熟した現代であるが}凄惨な人類史が{悪化するばかりで}止められないでいるのであります。
*基本(F-0)既得権益による一般市民と乞食を区別する線引き。【9月2日・月】
{本当は、自分勝手であり、加害者である}既得権益は、
{後進する時間認識による閉塞が必然な世界観で、特定の土台の上での有用性や効率性の追求が大事だとして、自分(個人:大切な存在であり、被害者である)より全体が大事だとする自由市場経済(自分(個人)よりも資本家や経営者を大事にする資本主義)を正論
(全体の為であれば人は頑張れて、才能が発揮されて、金銭運も良くなるものでありますから、そういう人が大多数の市民である事によって近代科学は劇的に飛躍(本当は、パラダイムの縛りによる閉塞で、研究・開発がどんどん歪んで行き、人間から恩恵を享受が奪われている)し、経済活動はグローバル経済(本当は、バブル経済の世界汚染で、世界中の人々に付けが背負わされて行き、世界中で人間の負担が増えている)へと至れた)
だとする}
スリ変えのスリ込みを{ノーベル賞や、各分野の学会や、知識人や責任者を集めた各種のセミナーなどで}盛大に行いつつ、
歯車のシステム(進歩を続ける全体)に於ける歯車(優良な駒)として扱われる(優遇の対象にされているかのように扱う)一般市民とそれ以外の交換・廃棄の対象として扱われる(人の世に於ける総意によるものであるかのように扱う)乞食(意図された差別的表現)とを区別する{明確な}線引きを{わざと}非公式に行い、
人々の{深層心理に於ける}恐怖心を{疑問を抱かせずに}煽って、
既得権益に対して{一律に強迫観念で硬直して}忖度する(大事なコトとして、全体に寄与する)一般市民の大量生産を{昔から}行っていて、
人類を{二つの世界大戦を経てからも、世界の各地で対立や紛争が絶えないような}凄惨な人類史に{延々と}縛り付けている。
~~~150号先頭へ~~~
*****(制作進行中)*****
新着の紹介はこちらから。
145.ちび猫が見付けた【基本部分】参照。
147.ちび猫が見付けた【基本部分・2】からの続きです。
~~~~~令和6年度~~~~~
*基本(K-03)前後が反転した時間認識の魔法世界。【10月18日・金】
{本当の事を言えば}ノーベル賞がどうのこうのというのは、
問題の枝葉でしかなくて、
疑問に思うコトの入り口に過ぎず。
『前後が反転した時間認識』が問題視されずに{ノーベル賞に於いても放置されて}いて、
{磁気テープの頃には取説にも記載されていたのですが}自分の進行方向は『前の部分』としての扱い(一般的に「もっと前に行って」というような言い方をする)をして、
自分が進んで来た所は『後ろの部分』としての扱い(一般的に「もっと後ろから来て」というような言い方をする)をしているのに、
記録媒体に於ける記録されている部分は『前の部分』としての扱い(一般的に「そこの前から再生を始めて」というような言い方をする)をして、
これから記録していく部分は『後ろの部分』としての扱い(一般的に「そこの後ろから書き込みを始めて」というような言い方をする)をしているのですが、
まさにこの事こそが『誰も不思議に思わない不思議』でありまして。
魔法世界が厄介なものである(ノーベル賞も自己浄化不全に陥っているという)理由であります。
『前後が反転した時間認識』から人間が{思い描いて}形成する世界観は、
{一律な縛りの枠組であり}閉塞している『特定の土台の上』であり、
{作用が一方通行であり}自由と言えば歯車のフリーである『特定の歯車のシステム』でありまして、
人間の思考を縛って人の世を歪める{諸悪の}元凶になっているとしか考えられませんし。
物事を思考で組んで行く上では『前後が反転した時間認識』である事が適しているのだと言われているようだが、
人間や社会を縛る言い訳の為の詭弁としか思えないですし、
時間に関する書物や辞書・事典の何処にも『前後が反転した時間認識』についての具体的で理屈の通った{納得の出来る}記述がそもそも無いのですが、
まったくの謎であり、
この世はとんでもなく{可笑しすぎる}不思議なモノでありまして。
闇魔法が必要になる(闇呪文に頼らなければならない)理由であります。
*基本(K-02)ノーベル賞の受賞で人々が歓喜する不思議。【10月18日・金】
ノーベル賞の受賞によって、
パラダイム論の本来の意味(在り様)である{学術研究者たちが、自戒とするベキ}警鐘と{人間(個人)自身と、人間の社会が、危険回避に利用すべき}警告が{隠蔽する様に}スリ変えられて、
適正に作用されないでいる事による被害は甚大であるが。
{前後が反転した時間認識に基づいた、特定の土台の上での閉塞した世界観と、特定の歯車のシステムでの不自由な世界観に、縛られ続けるコトしか出来ない}
ノーベル賞にはその状況の改善も、
その事態の回復も出来なくて。
ノーベル賞が{例年通りに}贈られれば、
{戦争は{体制が不安定であったり、政権が腐敗していたりして}頻発し、病気で死ぬ人は{助ける方法が在ったハズなのに}増え続け、地球環境の悪化は{SDGsで一般庶民に尻拭いをさせるばかりで}加速していても}
人々は{毎年のように}歓喜しているのですが。
そんなニュース映像を見ていつも思うのは、
それを『誰も不思議に思わない不思議』という事であります。
*基本(K-01)パラダイム論に隠された警鐘と警告。【10月18日・金】
ノーベル賞を受賞してしまうスリ変えにより、
パラダイム論に隠されてしまう事には、
「一律に縛られる枠組が繰り返される事を理想の進歩としてしまっている」という様な『学術研究者の{右へ倣えを大事にする様な}思考』や『学術研究組織の{異端審問を行う為に在る様な}在り方』に対しての{学術に向けられた}警鐘としての意味(反省すべき状況の指摘)と、
「パラダイム論とは科学の進歩という事に於いて限定的に適用されるものでしかない」という様な『人間(個人)への思考の制約』や『集団組織(社会)の自己浄化不全』に対しての{人の営みと、人の世に向けられた}警告としての意味(危険な事態の指摘)の二つがありまして。
この『パラダイム論に隠された警鐘と警告』の{ノーベル賞を否定するコトで可能になる}掘り起こしが、
人類の未来を左右するのです。
*基本(K-00)ちょっと考えるのも恐ろしい事・・・。【10月18日・金】
『特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続ける』という事が様々な分野でも起こっているという事は、
パラダイム論にとっての警告の対象というのが、
科学に留まらず、
様々な分野になるという事でありますから、
ちょっと考えるのも恐ろしい事ですね。
*基本(K-0)『誰も不思議に思わない不思議』は様々な分野で・・・。【10月18日・金】
『誰も不思議に思わない不思議』は様々な分野で起こっている。
『特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続ける』という事が様々な分野でも起こっているからである。
「閉塞していて不自由で、矛盾に満ちている」という事が、
様々な分野に於いて色々な形で表れている。
*基本(J-02)特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続ける。【10月17日・木】
特定の一律な枠組という縛りが付きまとい続けるのが社会なので、
どんな社会になろうとも、
「閉塞していて不自由で、矛盾に満ちている」というのが常識で、
「世の中は、思い通りにはならないものである」と言っていないと生きて行けない。
それで誰も不思議に思わない不思議。
*基本(J-01)特定の一律な枠組が作り直されて作られて来た社会。【10月17日・木】
{人の世の、その時代時代の}社会というものが、
特定の一律な枠組(前後が反転した時間認識に基づいた、特定の土台の上や特定の歯車のシステム)の作り直しを繰り返して作られて来たモノであり、
そこにはパラレルな場面で活躍する予備軍や持ち駒が{居たであったとしても、障害として排除されてしまって}居なくて。
作品世界や異世界であっても、
そこに在るのは、
{人の世の、特定の時代風に、特定の一律な枠組が}作り直されて作られた社会であり、
そこには{居ても良いハズの}パラレルな場面で{様々に}活躍する{色々な}予備軍や持ち駒が{つまらないほどに}居ないのですが。
なのにそういった{閉塞していて不自由で、矛盾に満ちているであろう}事を、
誰も不思議に思わない不思議。
*基本(J-00)異世界のほぼ全てが社会に縛られている・・・。【10月17日・木】
ライトノベルや漫画やアニメなどに於ける異世界のほぼ全てが、
{社会という{人の世の営みに於ける枠組みの様な}概念の}社会に縛られた{枠組みを変えただけの}世界観である事(社会とは違う世界観が想像できないでいる事)に、
誰も不思議に思わない不思議。
ファンタジーな映画や小説などで擬人化された動物たちが登場する作品が少なからず在り、
そういった作品のほぼ全ての世界観が、
{人の世の営みに於ける枠組みであり、それが変わっただけの}社会に縛られているのですが、
それを誰も不思議に思わない不思議。
*基本(J-0)社会という縛りの繰り返し・・・。【10月17日・木】
高度な貧富の差が高度な社会だとするユダヤ文化を破綻させ、
公平な社会の実現を目指したのが{ドイツでの}ナチス(ヒットラー)だったが、
社会という縛りの繰り返しから抜け出せなくて、
{どこかで見たことがあるような、ゲルマン民族優位の}新たな格差を作りだしてしまっただけだった。
高度な差別が高度な社会だとする既存の文化を破綻させ、
平等な社会の実現を追求したのが{カンボジアでの}ポルポト派(ポル・ポト)だったが、
社会という縛りの繰り返しから抜け出せなくて、
{どこかで見たことがあるような、ソ連・ベトナムに対抗する中国からの支援が得られれば良い}新たな差別を作りだしてしまっただけだった。
*基本(I-02)近代世界に破綻が迫っている・・・。【10月16日・水】
{人の世の営みが特定という事に縛られてしまっている}
仕組の問題
(前後が反転した時間認識に基づいていて、閉塞している特定の土台の上である、特定の歯車のシステムでの世界観で起こる)
であるものが、
一般庶民からすれば、
{大企業や国家権力などの}既得権益による、
組織的な問題であるように見えてしまっている
{個人(勝手)が諸悪の根源(特定の歯車のシステムで作用の妨害となる障害)であるとされるが、{検察(人の世の営みに於いて{特定の歯車のシステムでメンテナンス(交換・廃棄)を担うような}障害の排除をする国家権力)が冤罪を駆使して個人の抑制に励んでいて}検察が混乱の根幹(『桜田門外の変』を招く『安政の大獄』)であるとしか思えない}
という事こそが、
{特定という事に縛られ続けてしまって、{世界中の、何時の時代も}人の世の営みが閉塞して、『桜田門外の変』と『安政の大獄』の様な紛争が{特定の歯車のシステムでの世界観によって}頻発してしまって、{江戸幕府が明治維新で無くなって明治時代になったような}時代に於けるパラダイムのシフトチェンジが{明治維新は上出来であったが、たいていは泥沼に陥ってしまって}繰り返されて来た事が、凄惨な人類史が永続して来た原因である事に基づいた}
本当の問題
であるのです。
そして、
この{本当の問題の}事を使って近代世界(科学・思想)を{色々と思索して}見るコトが出来れば、
「一律な科学観を絶対視する、
{近代科学の作用の及ぶ外周にあたるようなトコロに至れなくて}科学的手法によって再現できない事を{ヒステリックに}排除してしまう
{STAP細胞に対する科学者たちの反応に象徴されるような、宗教に於ける異端審問が罷り通ってしまう}
近代科学の在り様が、
{異端審問による障害の排除が効率的で有用だとするような}近代思想の根幹となり、
利巧な偽善者たちに上手く利用されて、
既得権益である大企業や国家権力などに忖度しているように見せるのに使われ、
重要な事を{軒並み}隠蔽されて、
一般庶民が
{一般常識として「世の中は、思い通りにはならないものである」と思いながら}
忖度と隠蔽により起こっている問題の尻拭いを{心身を削り、食い物にされ、使い捨てにされて}担わされ、
ヒエラルキーの底辺に近い人間ほど近代思想が{厳しい、罰のような}枷
(科学は絶対で、それに基づく体制は正しくて、貧乏であろうと、不健康であろうと、疑問に思う事さえ許されない)
となってしまって、
一般庶民が人間として{体制の名の下に}どんどん壊れていて、
体制側と非体制側で{分断が深刻化して}抗争に至れば、
{歴史が繰り返される様に、そう遠くない未来に}破綻に至り兼ねない状況にある」
という事が見えて来まして、
この近代世界に破綻が迫っている事が分かるのです。
*基本(I-01)特定という縛りによる成功体験と、戦争資金。【10月16日・水】
{特定という事に縛られ続けてしまうという}仕組の問題(特定のパラダイムと同じ問題)によって、
人の世の営みに於ける諸問題
(前後が反転した時間認識に基づいた特定の土台の上が閉塞している事によるもの)
が個人の問題に
{特定のパラダイムの破綻を、特定の歯車のシステムに於ける破綻に於ける『障害』に当たる『個人の勝手』によるものだとしてしまう様に}
スリ変えられてしまい。
{問題のあった}特定の組織が問題を抱えたまま
{特定の歯車のシステムに於ける{作用が『障害』に邪魔される}問題の解決(特定の土台の上での閉塞の先延ばし)の為として『個人の勝手』の排除が凶行されるままで}
放置され、
{放置により}暴走(排除の凶行)を続けた特定の組織が
{排除の凶行である『安政の大獄』から、排除の凶行に反発する『桜田門外の変』を経て、特定の歯車のシステムであった江戸幕府が無くなった様に}
崩壊してしまい。
組織のパラダイムが{特定に縛られたままの}シフトチェンジ(明治維新で西洋の物マネをしたのと同じ)を起こして、
新たな特定の組織(明治時代以降が西洋の物マネであったのと同じ)が形成されてしまうのだが。
これと同じ様な事が世界中の様々な分野で{特定の歯車のシステムで作用が『障害』に邪魔されないようにするコトの}繰り返しが起こっていて、
世界中で{『安政の大獄』と『桜田門外の変』が繰り返されるような}諍いや戦争が{特定の歯車のシステムに於いて障害物の排除が必要であるという、特定に縛られた仕組みの問題がそのままで}無くならなくて。
その為の必要経費である{戦争資金としての}お金の戦争への
{歩行者という障害物を排除した道路の拡張・整備の為に、一般会計に加えられない{有用で効率的だとして、ゴリ押しする}特別会計でお金が集められる(それによって労力や創意工夫も集まる)ような}
集中が
{通信確認でのエラー(ノイズによる障害)を排除し、ネットやLANの通信速度を上げて、電波を3Gや4Gから5Gにしたり、ケーブルをCAT5eやCAT6からCAT7やCAT8にしたりする事に、お金と労力と創意工夫がつぎ込まれて来たように
(『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』は{有用で効率的で}大事だとする{特定という縛りによる}成功体験(仕組みの問題(特定という事に縛られている事)はそのままで良いとする)によって)
支えられて}
止まらないのである。
*基本(I-00)談合で捕まるのも不運なのか・・・。【10月14日・月】
自動車のスピード違反の常態化は深刻であるが、
取り締まりの中核はネズミ捕りであり、
覆面パトカーなどで地道に検挙はしているが、
レーダー感知の機械も広く一般に売られているし、
自動車で移動する仕事は{スピード違反が前提の}過密スケジュールで、
自動車のスピード違反は{捕まるのは運が悪かっただけだと言われる程に}ほぼ野放しなのである。
経済産業の問題である談合も、
行政が信頼のおける{競争入札が招いた、ろくでもない会社の参入による混乱を、なんとかしてくれた}会社に談合の依頼をするのは周知の事実であり、
{大きな談合があった時に}たまに検察が動くぐらいでありまして、
テレビなどのメディアでは解説者が「こんな事をする人が、まだいたんですね」などと{すっとぼけた事を}言っているぐらいでありますから、
談合の野放し具合も{経済産業の事が優先される様な、特定の歯車のシステムでの世界観に於いて}病的なものであり、
{車社会になってしまっていて、道路での歩行者の{権利である}自由を歯車のフリーと自己限定するコトの{主体的な}厳守が{歩行者に}要求されてしまい、進む時は狭い歩道を使う{自己限定の}自主的な厳守が{無意識のレベルで}欠かせないし、車道を横断する時は横断歩道や信号機のある所に限る{自己限定の}自主的な厳守が{無意識のレベルで}欠かせなくて、{自己限定の}自主的な厳守を{利己的に}勝手に破れば車による強制排除に{違法ではない状況で}晒(サラ)される事になるのですが}
談合社会になってしまっていて、{公共の仕事をするのに}談合への参加の{自己限定の}自主的な厳守は欠かせなくて、勝手な事をすれば、{行政からの依頼により、談合で上手く回っている}公共の仕事から排除される{大資本でもない限りは対抗できない}事態になってしまう。
*基本(I-0)治安悪化の根源であり、脅威でしかない検察。【10月14日・月】
検察活動は、
裁判官の教育でありまして、
{その為に}小さな事件で{検挙して、一通りの証拠を提出しながら、強硬には争わないで}無罪にさせ、
{また事件を起こさせて}また捕まえるを繰り返して、
検察の検挙や証拠の正しさを裁判官にスリ込んでいるのです。
そして、
犯人を有罪にしようと決めた時には、
地裁や高裁などで冤罪となっても最高裁まで争い、
冤罪が確定してもそれを容認せず、
「こんな事を繰り返せば治安が乱れるだけだ」と{裁判官を}威嚇するのが検察である。
また、
大きな事件を起こした犯人が
「以前に事件を起こした時には、検察も裁判官もちょろくて、こんな大事件を起こすに至った」
と言っているのをよく耳にするが、
この原因が検察の裁判官教育であるのは明白であり、
それこそが治安を悪くしていると言えるのに、
検察は全く反省しないのである。
検察が『治安の悪化』の上に『冤罪作り』に勤しむ権力組織(治安悪化の根源であり、脅威でしかない国家権力)であるのは明白なので、
一般庶民が平穏に暮らす為には、
{検察が泳がしていて}ウヨウヨしている犯罪者からは自分で自分の身を守り、
{さらには}冤罪の罠にハマらないようにする{検察からの}自己防衛をするコト(犯罪者からの自己防衛より難しいかもしれない)を怠ってはならないのです。
*基本(H-11)誰もが「自分は天才だ」と思える。【10月14日・月】
人間の大多数の人は、
この人の世が{思い通りに行かない事が当たり前で}何か可笑しいとは{なんとなく}感じていて、
{言動だけではなく考えや感情までも縛られていて}なんとなく息苦しく感じている
(労働者とは経営者や株主に奉仕するコトに存在意義が在り、既得権益の尻拭いとしてのSDGsに励むコトに人間とは存在意義が在って、勝手な仕事は否定されるし、責任者への責任追及は潰される)
し、
そういう人の世の在り様に自分(私)も{する側で}関わっている
(人の世に貢献したいと思っていて、企業活動に積極的な自分は善良だと思っているし、SDGsに夢中な自分は立派だと思っている)
のは分かるのですが、
何でそうなっているのか(そうなったのか)が分からないし、
自分(個人)が本当はどうあったらいいのか(あったらよかったのか)も分からないのです。
「自由は勝手とは違う」に於いて
{そうでない人が対立や諍いを{勝手に}惹き起こしていると感じられて}
賛同していたものが、
なんか違う
(それまで賛同できていた人たちの方が{人の自由への攻撃の正当化をゴリ押ししていて}対立や諍いを惹き起こしている)
と感じられた時が、
縛りに気付けた時であり、
自分たちが{それまで悪人だと感じられて}勝手だとして否定していた人の在り方の方が、
善良で頑張っているのだと思えた時が、
縛りが解けた時である。
{しかし}それでも、
「人の世とは、思い通りにならないものである」などと悟った振りをする必要が無くなって、
誰もが「自分は天才だ」と思えるようにしてあげられたら、
{前後が反転した時間認識の魔法に気付き、特定の歯車のシステムの外周から離脱(闇魔法に気付く)していながら、特定の土台の上で閉塞している{縛りの魔法に捉われた}人を上から目線で見る{特定の所に留まって居る、右へ倣えな}コトではあっても、
{本当の意味での『コロンブスの卵』を知らないのか、『維新』を掲げて良い気になってしまう{大多数の}人たちなのだが、そんな人たちの為のモノが闇魔法であり闇呪文であり、{そんな人たちこそが}個性が大切にされるべき存在であるので}
こちらが譲歩する事も大切になるので}
それで良いと思うのです。
*基本(H-10)誰もが、「簡単じゃん」と言える。【10月14日・月】
「人の世とは、思い通りにならないものである。ダメなんだ!嫌だ!!・ダメな人だな!嫌だな!!。本当に、思い通りになってくれないものである。」
という感情を受け入れて、
悟った気になり、
{不満を溜め込んで}精神をスリ潰して
{特定の歯車のシステムでの作用の中心に近づいて排除されてしまったりしないように、外周での一律な作用の受け入れに専念して}
全体に貢献しているという自分の在り方に納得しようとしていた人が。
「{自分が思うに}ダメダメで良い、ダメダメでも良い。KY(空気を読まない)で良い、KYでも良い。ブレて良い、ブレても良い・{誰が思っていようと}乞食で良い、乞食でも良い。」
という闇呪文に気付き、
全体(特定の歯車のシステムという特定の土台の上)から{精神的に}離脱し、
手付かずのまま在る{ノーベル賞などの既得権益への忖度による}コトによって人の世を歪めてしまっている沢山の事のパラレル対処を
{次に見つけた誰もが、「簡単じゃん」と言えるように}
掘り起こして{あげて}行けるようになる。
これが{前進する時間認識での}闇魔法(魔法世界での人間の解放)である。
*基本(H-09)繁殖するオスとメスという縛りを無くす。【10月13日・日】
人類の繁殖という呪縛からの(男女関係の、オスとメスという特定の存在からの)解放によって、{非一般的に}物事を{一律な枠組みの縛りが無くなって}よく見る様になると、{人の世の営みに於けるオスとメスの色々な事が{様々な側面から、パラレルの方まで}よく見えてくるのです。
正義漢ぶって殺人に至るストーカー事件(あおり運転と同じ{正義感の暴走によるもの}とされている)に於ける、人が正義漢ぶると問題であるというのは{一般的に}知られていて、正義漢である事よりも{異性や他者に対して}優しい人である事(それで問題が解決される)を目指すベキだと{一般的に}言われていて。
多くの{一般的な}人が、「人の世とは、思い通りに行かないモノである」・「そんなの常識」・「正義漢をやったって悪人呼ばわりされるのが落ちである」と開き直り、男がオスとは言えないようコトをしたり、女がメスとは言えないようなコトをしたりしていて。
それが伝統的な倫理・道徳と上手い具合に合わさって、一般常識に於ける特定の土台の上の様になり、そしてその上に男がオスとは言えないコトを積み上げ、女がメスと言えないコトを積み上げるものだから、どんどん男たちはオスからかけ離れ、女たちはメスからかけ離れてしまい。
{不満が溜まるばかりで}オスになれなかった男は、メスになりたがっている女に{正義漢ぶって}不満を{八つ当たりや逆恨みでしかないし、不満のガス抜きでしかないのに}ぶつけて、{不満が溜まるばかりで}メスになれなかった女は、オスになりたがっている男に{正義漢ぶって}不満を{八つ当たりや逆恨みでしかないし、不満のガス抜きでしかないのに}ぶつけるので、ストーカー事件(殺人)が{それが逆恨みでしかないのに}頻繁に起こるし、ぼったくりバーのホステスや悪質なホストクラブのホストのなり手が{それが八つ当たりでしかないのに}いなくならないのです。
ストーカー事件では、「メスになりたかった女が、自分だけオスになろうとしている男への逆恨みとして、執拗な攻撃性を、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きとして、身勝手に}発揮する」し、「オスになりたかった男が自分だけメスになろうとしている女への逆恨みとして、執拗な攻撃性を、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きとして、身勝手に}発揮する」し、ホステスやホストの問題では、「メスになれないでいる女により、自分だけオスになりたがっている男への八つ当たりとしての、陰湿な攻撃性が、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きだが、隠蔽されて}発動されている」し、「オスになれないでいる男により、自分だけメスになりたがっている女への八つ当たりとしての、陰湿な攻撃性が、{正義漢の振りをしての不満のガス抜きだが、隠蔽されて}発動されている」という認識が{精々}されるだけで、機械的に{一律な}レッテル貼りが行われてしまうので、ストーカー事件やバーやホストクラブでのトラブルが警察沙汰になった時の報道などでは、ストーカー行為をする者が悪いとか、店側に問題があったとか、別々にしか報じられず、事件の背景を深堀してリンクさせたりする事が無いのです。
しかし。
反対のモノの様に見える二つの面であるが、逆恨みと八つ当たりは背景の深層部でリンクしていて、{繁殖するオスとメスという縛りを無くして}パラレル対処をする様に思索を広げて行くと、色々な事が見えてくるのです。
だから、「ホステス・ホストならば、八つ当たりをしないように{私はメスだ、俺はオスだ、と拘ってしまわずに:私はメスだ、俺はオスだ、と求めさせないで}して、逆恨みをされないように{私はメスだ、俺はオスだ、を誇示しないで:私はメスだ、俺はオスだ、が評価されないものだと}するベキ」だし、「客ならば、八つ当たりをされないように{ホステス・ホストに、私はメスだ、俺はオスだ、と拘らせたりしないようにし:ホステス・ホストが、女らしくある事、男らしくある事、を求めないで}して、逆恨みをしないように{ホステス・ホストに、私はメスだ、俺はオスだ、を誇示させないで:ホステス・ホストが、女らしくある事、男らしくある事、を評価しないで)するベキ」となるのです。
さらには、「これが守れていないバーやホストクラブは{危険なので}行かない方が良いし、これを守らない客は{危険なので}相手にしない方が良い」という事になるのです。
*基本(H-08)バカバカしい結果にしか世界が辿り着かない・・・。【10月11日・金】
人の世は「既得権益や極悪人どもが{真理の僕(シモベ)として清く在らんとしている}善良な庶民の{労働者としての}労働力や稼ぎを狙って蠢(ウゴメ)き合っていて、{世の真理が踏み荒らされて}ドロドロしていて{庶民が真理の僕として}生きて行くのが辛い」世界であり、
「真理の僕として清く在り続けるのは難しい」というのが庶民にとっての『人の世の常識』でありますが、
それでも庶民というのは
{世の多くの『昔からの格言』や『知識人による名言』により紡(ツム)がれる「自由は勝手とは違う」や「平等は無秩序とは違う」といった{既得権益や極悪人どもによる画策である事に気付かずに}世の真理に逆らわず}
善良に生きようとして清く在る真理の僕
(これが資本主義だと言われれば、労働者(庶民)は経営者や株主(労働者(庶民)にとっては既得権益であり極悪人でもある)に命を削って奉公し、{自由も平等も{特定の}全体の為になるのであればと、主体的に{歯車のフリーに徹するべく}自主制限して}秩序の維持に貢献して、資本主義社会で労働者(庶民)として生まれたのだから仕方がないのだと割り切って生きようとする存在)
で在ろうとし、
{それによって{既得権益や極悪人ども蠢く、特定の}全体が{前後が反転した時間認識に基づいた特定の土台の上に物事が積み上がる閉塞した世界観の中でも}閉塞しないでいられるような{ウンザリする}状況であるのに}
庶民が食い物になれるしかない存在{特定の全体を支えられる{唯一の}モノ}であるのは{真理の僕であるが故に}仕方がない事なのだと納得しようとしているのです。
そして{先(マ)ずは労働者(庶民)の解放(自分たちへの取り込み)を正解として確保し、次に上記の事を問題点としてこじ付けて}敵対するモノどうしが世界中で戦争の為の大義(味方になる利点)や支援(戦争資金)を集め合い、
悪(障害物)の排除(閉塞の回避)を掲げあっての戦争が起こされて、
世界中の何処かで幾つもの戦争が何時も続けられているのです。
こんなバカバカしい結果にしか世界が辿り着かないような、
善良で真理の僕として清く在り続ける{食い物される唯一の存在である}庶民(資本主義に於ける{生まれながらの}労働者)の存在(そういう自意識)というのは、
どんなものなのでしょうかね・・・。
*基本(H-07)『そんなの常識』と納得してしまう・・・。【10月11日・金】
世の中の大多数の人は、
「医薬品
(制酸剤を含む胃薬や鎮痛作用のある成分を含む滋養強壮剤(キャベジンやアリナミンAなどの毎日飲むコトが推奨されているモノ)など)
の常用によるリーキーガットの悪化と、
電卓栄養学
(小麦(特に全粒粉)やトウモロコシ(飼料にするコトによって畜産物(養殖魚や鶏卵も含む)も汚染される)やホルスタイン種の牛乳(バター以外の乳製品で、チーズの含む)の強毒性(食品とは言い難いかもしれない)や、
牛や豚などの肉(魚介類と鳥以外の食肉(牛・豚・羊など)が癌の拡大や栄養摂取の{免疫異常を利用して、癌の近くの細胞を{癌が肉の成分を周囲にばら撒いて}攻撃させ、癌にスペースと栄養の提供をする}手助けをする)や果糖(癌の好物)や多糖類(痴呆や各種内臓疾患の原因になる)や低カロリー甘味料(糖尿病になるリスクを高める)の危険性や、
豆類やジャガイモやキュウリやナスやトマトやピーマンやカボチャなどの毒性(圧力鍋や発酵を用いた調理である程度は解消される)を隠蔽し、
食事のバランスを{レクチンなどの毒性や危険性の事が官僚の保身によって公表されないでいる状況で}謳(ウタ)って既得権益(企業や国家や宗教)に媚(コ)びを売っている)
に基づいた食事でのレクチンなどの
{食事に於ける基本である「ダメなモノ(毒性があって危険な食材)はダメ」で「サプリメント(薬用ではない限定的な成分の栄養剤や青汁)を最大限に利用する」で「葉菜類や根菜類や海藻類の主菜(多めのサラダ)と{圧力鍋で調理した}鶏肉や魚介類の副菜にオリーブオイルを掛け、白米飯は納豆で食べる」という事の意味が分かっていない事による}
摂取が、
免疫細胞の異常な暴走(生活習慣病などの原因)を招き、
その免疫細胞の活動に必要な{大量の}脂肪が内臓や血管などに蓄積されたり付着したりして、
各種病気をさらに{命の危機まで}悪化させている」
という事を、
「代謝を高めてダイエットをしないと生活習慣病のリスクが高まる」と言い変えられ、
代謝を高める
{「脂質をひかえてたんぱく質を食べるベキだ」とか「白米飯をひかえて全粒粉入りの小麦粉のパンを食べるベキだ」とか「サプリメントはひかえて必要な栄養素を食事で取り切るベキだ」とか「カロリーやコレステロールのより低いモノを{割高でも}飲食するベキだ」とかの、健康的を装った}
事を{理想的で完璧だと言って}勧める
{医学(既得権益(企業や国家や宗教)がバックにある)の名の下での}
健康食話を巷(チマタ)に溢(アフ)れさせられて、
考えうる限りの{健康食話の事を積み重ねて}努力をしている{ハズな}のに生活習慣病になり、
{肥満は解消せずに}命の危機に晒されたとしても、
「世の中は上手く行かないもの」と言い、
『そんなの常識』と納得してしまう・・・。
なんで誰も不思議に思わないのだろ・・・。
それで良いのか・・・。
*基本(H-06)問題点も答えも分かっていない・・・。【10月10日・木】
問題点も答えも分かっていないという所から始めなくてはならいハズなのに、
マズは答えになりそうなモノを選択し、
ツギに問題点をこじ付け、
クジを引くように研究発表をして、
当たりと認められたらノーベル賞であるが、
パラダイムという{一律に}閉塞した特定の土台の上での研究しか認められていない縛りの掛かった世界観の中では仕方がないのかもしれない・・・。
しかし{ただ西洋文明という答えを見つけて、日本文化を問題点に据え、西洋人に採点してもらった明治維新なのに}維新などといった言葉が持て囃されるバカげた状況に、
誰も疑問を持たない事に、
納得がいかないのである。
やはり{欧米の宗教や国家や企業がバックにある}ノーベル賞が問題点(人類への警鐘)を賞賛(人類への祝福)にしてしまうスリ変え(隠蔽の必要性がノーベル賞の基準なので、ノーベル賞を受賞した人の研究そのものは{問題点の洗い出しとして、ある程度は}評価できるのですが、ノーベル賞を目指している時点で動機が不純なのです)ではあったとしても、
{ノーベル賞を目指す研究者ではない}個人ならば問題点も答えも分かっていないという{多種多様な全体を網羅する大全体の}所から{パラレル対処を多種多様に模索して}始めて良いと思う(ノーベル賞には用心する)のです。
*基本(H-05)みんながその利にぶら下がっている・・・。【10月10日・木】
問題は目の前に在るものだけで、答えも沢山用意されていて、後はそれに気づくかどうかだけなのである。
でも、答えには当たりハズレがあって、{当たりを求める人の}ほとんどは一生ハズレを引き続けてしまうのですが、中には当たりを引き当てられる人もいて、そういう人が英雄や金持ちや権力者(作用の発信元)になれるのです。
しかし、当たりの答えの数は限られていて、当たりを引く確率は{ゼロではないが}とても低くて、世の中には、当たりをたまたま引けた{既得権益を手にする事が出来たので、{作用の発信元として}自由にしていい}人と、当たりを求めながらハズレを引き続けた{運が悪くて残念ではあるが、{作用の障害になる身勝手な者(略奪者)だとして}排除の対象にされてしまう}人と、当たりを求めるのを止めてしまった{作用の発信元の傘下で{歯車のシステムでの歯車である}一般庶民と言われる}大多数の人の三種類がいるのです。
{基本的にはいつもと同じで、問題に対して答えが沢山あり、答えには{少しだけ多くの}当たりと{少しだけ少ない}ハズレがあった}明治維新という(パチンコのフィーバーの様な)イベントでの{いつもより多かった}成功者は、西洋文明という{いつもよりも高い確率であった}当たりを引き当てられた人で、新選組などは、{途中から当たりを引き当てられた坂本龍馬とは違って}ハズレを引き続けてしまった{運が悪くて、残念な}人で、農民などの{大多数の}一般庶民は、ハナから当たりなど求めなかった{作用の発信元の傘下に入ってしまう}人たちであったのです。
そして、こういった事を{既得権益である権力者の}常識として、当たりの答えを引けた者どうしが互(タガ)いをハズレを引いた者と決め付け、「自由は勝手とは違う」と言って互いを「身勝手(略奪者)だから排除すべし」と{自分の傘下の一般庶民に}作用の働き掛けをするものだから、人類史に於いて戦争などが無くならないのです。
以上が、{前後が反転した時間認識(特定の閉塞した世界観で、歯車のシステムを閉塞させない為には障害の排除が必要不可欠)にも合致しているかのように見える}常識(人間を既得権益と略奪者と一般庶民に選別している)を前提にした{歪んだ}分析ではありますが、これ以上の事を考えても人間には利が無くて、必然的に人の世からは戦争が無くならなかったのです。
要は、人の世の営みが{世界観として}前後が反転した時間認識に基づいて閉塞していて、人間たちが{特定の土台の上としての、特定の歯車のシステムでの、閉塞した世界観である}それに{自分の居る場所での役を{色々と模索し、様々な考案をして}演じてしまって}ハマり込んで障害の排除に追われる事になり、結果的に{大規模で複雑に入り組んだ、お金の流れを集中させるシステム(みんながその利にぶら下がっている)によって、止める事の出来なくなった}バカげた足の引っ張り合い(戦争)をしているだけなのです・・・。
*基本(H-04)既得権益から連鎖してお金が戦争へと流れ込む。【10月10日・木】
前後が反転した時間認識に基づいて、
特定の土台の上が閉塞していて、
特定の歯車のシステムでの世界観に於いて{個人には歯車のフリーである事が求められ}社会は障害の排除(既得権益の下で、戦争へと連鎖する)を最優先とする。
人間の思考や行動は{過去の積み上げや、今の波や流れや、未来の可能性に縛られていて、呪いが掛けられている様に}一律な不自由で、
科学は{パラダイム論に縛られていて、魔法が掛かっている様に}パラレル対処が出来なくて、
人の世の営みは{障害の排除が最優先で、お金の戦争への流れ込みが既得権益からの連鎖で起こっている様に}弱者(障害)を排除する為に行われている。
{弱者で虐げられ続けて来ていて}少しの得を分けてもらえる事に浮かれてしまって、
{アプリや電子マネーでの割引の唆(ソソノカ)しに乗ってしまって}その得が戦争(障害の排除)へと{既得権益から連鎖して}流れ込んでいる{良心的な小売店を安売り合戦で潰して、既得権益を儲けさせる}お金の使われ方であると気付けない。
{ダメだダメだと責められ続けて来ていて}ダメでなくなる為だと言われて浮かれてしまって、
{SDGsなどの唆(ソソノカ)しに乗ってしまって}弱者を排除する{加害者である既得権益の扇動に乗って、被害者である弱者に負担を背負わす}連鎖(既得権益によってお金が戦争へと流れ込む)の担い手になっている事に気付けない。
*基本(H-03)既得権益と想定するモノに立ち向かって・・・。【10月9日・水】
一般庶民が強迫観念に{無自覚に}縛られていたり、
一般庶民の目が{巧みに}暗まされていたりしているかの様に、
「{アプリや電子マネーによる}安売り合戦の野放しによる良心的な小売店舗(飲食店や食材店や雑貨店など)の倒産」や、
「{既得権益である}大企業や権威団体や権力組織にとって都合の良い研究を{制約解除や名誉や大金で釣って}させる(そういう結果を出させる)事による被害者であるハズの一般庶民への{差別や紛争や環境破壊などによる諸問題の{最善の}解決方法であるとスリ込んで、SDGsを厳守させてしまう様な}尻拭いの押し付け」や、
「{食品衛生に関わる企業の安易な利益追求と保健医療に関わる行政の怠慢の責任隠しの合致による}リーキーガットやレクチンの問題の放置による健康被害の蔓延」や、
「{スリ変えに無警戒な一般庶民への}特定の歯車のシステムでの{前後が反転した時間認識に基づいた、特定の土台の上に物事が積み上がる、小さな障害が全体の脅威となってしまう}世界観のスリ込みによる「自由は勝手とは違う」と主体的に言ってしまう{凄惨な人類史が続く、人の世の営みに於ける}不自由の蔓延」や、
「資本主義の神聖視(スリ変え)による自分(個人)の卑下(善良に縛られた農奴と同じ、自主的な愚鈍)や、その反省転嫁(専制主義と同じ、露骨な全体主義のゴリ押し)の蔓延」や、
「科学や思想や経済がなして来た{既得権益の為の、一般庶民の自由を奪う為の、閉鎖的な}閉塞した進歩や発展」や、
「{大企業や権威団体や権力組織などの既得権益にとって有利に作用する事(英雄や賢者の存在)が神聖視される}大きな壁や難解な謎が英雄や賢者によって解決して行くストーリーが人に世に溢れかえる事(英雄や賢者に準ずる者も居ない、平凡な者たちばかりで、一般庶民にとっては厳しさが増すばかりの人の営み)による{他力本願に、英雄や賢者に責任転嫁する}問題のスリ変え」などが起こっているのですが、
大きな壁(悪党な既得権益)や難解な謎(一般庶民では上手く対処できない人の世)が問題になっているのではなく、
{弱者が更に弱い者を虐(シイタ)げている状況
(悪が善にスリ変えられ、みんなによって悪が{それが善だとして}行われていて、凄惨な人類史が続く事態)
を強迫観念によるものであり、巧みに目を暗まされている事によるもの
であると言い訳する事を{ぶら下げられた利得に釣られる様に}唆(ソソノカ)されているかの様な}
一般庶民たちが自身で
{既得権益と想定するモノに{媚(コ)びず、忖度(ソンタク)したりしないで、スリ変えの魔法に縛られない「ダメダメで良い」とか「乞食で良い」とかの闇呪文を言って}立ち向かって}
解決すべき問題が{ただ大規模で、解決がそうとうに困難ではあるのですが}起こっているだけなのですが、
どうしたものですかね・・・。
*基本(H-02)人の世とは、思い通りに行かないモノである・・・。【10月7日・月】
間違った前提で作られているハズの
{真実の一部分であるだけの、ウソである特定の土台の上に、物事が目一杯に積み上げられていて、真実としか見えなくなっている}
ストーリーを手本とした実行や、
お墨付きとした反省転嫁が
{他力本願で、無警戒で、横着で、何の確認もしないまま、パラレル対処を思索せずに}
行われて、
納豆嫌悪に至る様な事(特定の真理が万人に適用できると言う間違いによって起こる破綻に至る事)や、
良心的な店舗が廃業に至るような事態(既得権益に唆(ソソノカ)された一般庶民が、特定の真理に先導されて、一般庶民の足を引っ張ってしまう事態)や、
ストーカ殺人に至るような事件(宗教の倫理観などが強迫観念となり、思考や感情を自分で縛ってしまって、「俺はオスだ」とか「私はメスよ」とか{言えないどころか}思う事(勝手に幸せな想いをするコト)も出来ず、{自分一人で}憂(ウ)さをどんどん溜め込んでしまい、ついには{正義漢として、異性に対し}暴発(ボウハツ)してしまう事件)が、
様々な分野の色々な所で起こっていて、
「人の世とは、思い通りに行かないモノである」と開き直り、
{パラレル対処の模索もせずに}また同じ様なコトが繰り返されて、
{人営みの{科学や思想や経済の}いたる所で澱が溜まって来て(人間(一般庶民である個人)が不自由になって来て)しまった事による}
凄惨な人類史が
{既得権益によって繰り返し、効率や有用の名の下で行われる、{過去の積み上げや、今の波や流れや、未来の可能性の為だとする}障害の排除として}
続いてしまっているのですが、
{人の世の営みにとって}それで本当に良いのでしょうかね。
*基本(H-01)SDGsや割引の多用は既得権益にとって有利・・・。【10月6日・日】
{人の世の営みに於いて}特定の事以外の{既得権益にとって都合の良くない事の}排除が{当然の事として}続けられて来ていて、
{一般庶民にとって}色々と困った
{強迫堪忍による、{後進する時間認識に基づいた、特定の土台の上や、特定の歯車のシステムの}閉塞が連鎖している世界観での、科学と思想と経済に澱が積もって機能不全に陥った事の{一般庶民にとっての最終的な結果を不利にしてしまう事になる}尻拭い(SDGsや善良な市民生活や真面目な労働)をしなくてはならないという}
事が
{進歩や発展の名の下に、電卓栄養学で{レクチンやリーキーガットなどにより健康が悪化する}不健康から抜け出せず、パラダイム論で{先細りや想定により科学が不自由になる}閉塞から抜け出せず、資本主義で{全体主義に傾倒して}一律な自分(個人)から抜け出せず}
起こり続けて来ている
(店での支払いに於いて{アプリや電子マネー(大資本の画策によるもの)などの安易な利用で}割引を多用する(一般庶民にとっての最終的な結果が不利になるという事を考えない)のは
{良心的な一般庶民の{各店舗で多種多様な}特色の在る店を倒産させて、既得権益である大資本の{各店舗で一律な}特定の店をのさばらせるだけであり}
客である一般庶民が{最終な結果を有利にしようとはしないで}自分(私)で自分(一般庶民である個人)の首を絞めるようなものである)
ハズなのに、
{一般庶民は昔から}割り切って乗り切る{断捨離をしたり、知らぬが仏を貫いたりする様な}コトが{上手く行かない事が多い人の世に於ける}人にとっての大事な{効率的で有用で、処世術だとされる}事なのだと{自分(私)が自分(個人)を疎(オロソ)かにしている事を{格言や名言や、倫理や道徳や、宗教や哲学などで}隠蔽し}納得しようとしていているのですが、
人類にとっては{凄惨な人類史が続いてしまうのですが}それで本当に良いのでしょうかね。
*基本(H-00)ウソの上にウソを積み上げて来た進歩や発展・・・。【10月5日・土】
{凄惨な人類史の}人の世の営みに於いて、
様々な分野での{既得権益にとって都合の良い}ウソの上に色々な{被害者である一般庶民に責任を押し付ける}ウソが積み上げられて
{パラダイムのシフトチェンジ(閉塞や排除の範囲を拡大させる、特定の『縛りの枷(後進する時間認識に基づいた、特定の土台の上や、特定の歯車のシステムの世界観)』の連鎖)が繰り返されて}
来たコト(既得権益による一般庶民への反省転嫁)が、
{その時代(文明や文化など)ごとで}進歩や発展と{効率的で有用な事が一律に{みんなに}作用するコトであり、想定して追い求めるモノでありまして、肯定的に評価されて}呼ばれていて、
その延長線上に在るのが近代科学文明や人道主義の文化でありますから、
{既得権益の扇動に乗せられて}それらを守ろうとしてその危機を排除しようとする
(近代科学の閉塞性を指摘すると「原始生活には戻れない」とか、公共の自由の閉鎖性を指摘すると「自由は勝手とは違う」とかいって攻撃する)
のは、
一般庶民にとっては自分(私)で自分(個人)の首を絞めるコトに気付いていない事によるものなのです。
*基本(H-0)進歩や発展という特定の『縛りの枷』が連鎖してしまう歴史の元凶とは・・・。【10月2日・水】
{前後が反転した時間認識に基づいて}世界は閉塞していて、
{大切なハズの個人が排除の対象にされてしまって}良い事は長続きしなくて、
それで当然(守るべき正常)であると{誰もが}思っている(何時の時代でも思われて来た)ようだが、
それこそが{特定の土台の上での}進歩や(特定の歯車のシステムでの)発展という特定の『縛りの枷』が{繰り返しながら}連鎖してしまう歴史(凄惨な人類史)の元凶である。
*基本(G-03)企業や国家という既得権益へのプレゼンテーション・・・。【10月1日・火】
人の世の営みに於いて、
{様々な分野で}人々は縛りを学び、
{みんなが集まる様に}縛りのグループ化に工夫を凝らし、
{特定の全体の形成の為に}グループの影響拡大に励んでいて、
{個々の分野では}特定の全体の維持・拡大が{忖度により人々が特手の全体に分散(周囲に対して目が暗む)しての、企業や国家という既得権益へのプレゼンテーションとして}図られている。
様々な分野での個々の分野に於いて、
{忖度して}特手の全体に分散してしまった人々が{企業や国家という既得権益への}プレゼンテーションに
{自分の居る特定の全体に固執し、他の分野の事(大全体)を{目が暗んで}見ず、{安心していられる情況である}強迫観念に浸って}
一生懸命で、
自分たち(個人)の事を疎(オロソ)かにしていて、
{前後が反転した時間認識に基づいていて}特定の土台の上が閉塞している問題や、
{特定の歯車のシステムに於いて}自由が歯車のフリーでしかないという問題や、
{資本主義や倫理道徳によって}自分(私)が自分(個人)を蔑(ナイガシ)ろにしてしまう問題が放置されている。
しかし{人々が{忖度して}特手の全体に分散しているにせよ}周囲を{警鐘がスリ変えられている事(パラダイム論など)に注意して}良く見て、
{企業や国家という既得権益へのプレゼンテーションに追われているにせよ}特定の全体に固執しなければ
(パラレルな事への{前進する時間認識に基づいた大全体の世界観(特定の全体(特定の土台の上や、特定の歯車のシステム)が無限に多様に組み合わさる)での}対処を優先させられれば)
良い問題とも言えますから、
問題の解決は
{資本主義というプレゼンテーションによる自分(個人)のおざなりが、自分一人であれば{闇魔法と闇呪文で}上手く回復させられるように}
本当に{一人一人の、全ての}自分(私)次第なのだと思うのです。
*基本(G-02)たまたまその人たちの中に居るだけ・・・。【9月30日・月】147基本
自分(私)が、
その人たちの中に居る理由探し(自分を特定の枠組で縛る)や、
居易すくなる為の追求(特定の枠組での反省転嫁)や、
どんな人たちの中に居るのかの考察(特定の枠組についての事の学問的構築)や、
居易い場所への改革(特定の枠組の革命)などをする必要はないのです。
自分(私)は自分(個人)でありますから、
{歯車のフリーではない}自由
(自分(前進する時間認識に基づいたパラレルな土台の上に立っている)の事を優先させる)
に動いてもいい(その人たちの中に居なくてもいい)のです。
たまたまその人たちの中に居るだけだから、
その人たちの中に居るコト
(前後が反転した{後進する}時間認識に基づいて、特定の土台の上(パラダイムという{繰り返し作られる}枠組みの{永遠に縛られる事になる}内側)に立っていたり、特定の歯車のシステムの歯車(歯車のフリーであるコトが求められる)であったり、資本主義世界(自分(個人)よりも経営者や資本家や組織が優先される世界観)で生きていたりするコト)
に拘(コダワ)らなくていいからです。
{しかし、たまたまでも}その人たちの中に居てしまうと、
自分(私)が健全
(企業や国家の既得権益への忖度(全体主義の強迫観念によるモノ)よりも自分の心身の事が{全体の障害物とされ、排除の対象とされてでも}優先されているコトによるモノ)
である事や、
個人
(想定した事(SDGsなどの目標)の為の有用性や効率の追求(『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』を大事にするコト)よりも、様々なパラレルでの{想定外の}危機に{身勝手だとされ、乞食行為でしかないとされてでも}対処するコトを大切にするモノ)
である事が、
{その人たちの中に居るというだけで、情報操作や精神操作が執拗で、言動規制や思想規制が厳しいものだから}
とても難しいのです。
既存の{電卓}栄養学(みんなを一律にまとめ上げる為の、{精巧に模造された}特定のプレゼンテーション)による
{不健康
(不健康要因(レクチンなどによる免疫異常の問題)が野放しで、不健康要因の停止(薬による弊害(免疫異常の促進)の削減)の意義が歪められ、不健康要因の除去(免疫異常への対処としてのレクチンなどの対外への排除)の必要性が過少評価されている)
が放置されたままの{企業や国家の既得権益への忖度を無意識で正当化している}人の営みでの}
不健康の問題を解決してしまう話(ありえない漫画やアニメと同じで、潜在的危険が隠蔽されてしまっている)が人の世に溢れかえっているのと同じ様に、
{みんなを一律にまとめ上げるのに有効な、{善悪(良し悪し)が逆転するようにスリ変わってしまう}特定のプレゼンテーションである}パラダイム論や近代科学観や資本主義や民主主義などでの{後退や混乱が放置されたままの{国連やノーベル賞などの権威(既得権益)に従順な、強迫観念に縛られた}人の営みでの}理想的な進歩や発展の話が人の世に溢れかえっていて、
人々の思考・感情が{一律に}硬直したままになっていて、
凄惨な人類史が続いてしまうのです。
*基本(G-01)社会的免疫機能に苦慮するより、とんずらかるべき。【9月15日・日】
人や人の営みの
{根拠が無いかもしれなくても、『バランスが大事』や『進歩・発展が大事』や『人の為、社会の為である事が大事』を指し示して、人々を正そうとする}
社会的免疫機能は{一面的には}大事な事であるかもしれないが、
それが{特定の想定の共有や、邪魔モノの排除などで}暴走して苦慮する
(誰もやりたくない事の{新たな}慣習的強要や、障害になりそうな者の{新たな}制度的排除に振り回される)
事になるなら、
{ダメダメでも良いし、乞食になっても良いので}とんずらかる
(前進する時間認識で、特定の土台の上(歯車のシステムである、科学や経済の閉塞した世界観)から個別に離反する)
コトの方が{誰にとっても、みんなにとっても}大切であると思うのです。
*基本(G-00)邪魔モノの排除か、固有性の確立か。【9月11日・水】
企業や権力に忖度して、暴露や警鐘の芽を{進歩や発展に於ける不安定要因や障害として}排除する。
それが{特定の土台の上や、歯車のシステムに於ける}仕事(人の世での邪魔モノの排除)であり、働く(歯車のフリーで在る)というコト(人の営みでは邪魔モノにならない)であるからだ。
世の中の進歩や発展に無関心で、何を言われようと(されようとも)気にならない。
大切なのは自分(個人)の{予備軍や持ち駒や遊撃隊としての}固有性の確立であるからだ。
*基本(G-0)特定の想定の共有か、予備軍や持ち駒や遊撃隊などの充実か。【9月9日・月】
特定の積み上げに向いているモノを探して特定し、そのモノの有効度ごとに優遇する。
特定の積み上げでみんなを利用する為に積み上げ方を一律なシステムで統一させる。
特定の歯車のシステムに於いて様々な歯車を用いなくてはならない状況を想定して行う。
交換・廃棄の正当性の為や交換・廃棄への自主的協力を得る為の特定の想定の共有を目指している。
様々な状況ごとの様々な積み上げの仕方に対し、それに向いたモノを利用するようにする。
それぞれのモノに於いてそれぞれのモノに向いた様々な利用の仕方をする。
これから起こる様々な事(パラレルな事態)に対し(対処できるように)様々な人の様々な特性を利用した様々な利用の仕方を様々に組み合わせられる様にしておく。
実働本隊と並行して予備軍や持ち駒や遊撃隊などの充実を目指している。
*基本(F-06)反転の魔法と乞食の線引きと世界の閉塞(2)。【9月8日・日】
生物多様性の話しをすると、
たいていの場合に於いて{大多数の}人は、
「特定の多様性を守る事が多様性にとって大事な事(本当は既得権益にとって都合の良い事)であり、多様性の更新(本当は既得権益にとって都合の悪い事)の排除は必要である」
という様な{本当は反転の魔法に掛かってしまった}盲目的な{本当は自己保身の為の既得権益への忖度でしかない}考え方を{本当は都合の悪い(パラレルな)事を想定しないだけなのに}偉そうに示して、
「多様性を守るとは{大変ではあるが}特定の多様性(本当は危機をもたらす危険要因)の持続であり、多様性の更新を{身勝手な都合で}考えるのは乞食のようなアサマシサでありまして、多様性に対する{多様性を更新させてしまう}自分勝手というのはあってはならない事(本当は多種多様な準備が{各自によって}されているベキ事)なのである」
という様な{やってはならない事としての}乞食の線引き(反転しているので本当はやるベキ事)のゴリ押しを{聞く耳を持たずに}繰り返すものなのですが、
これこそがまさに「反転の魔法の乞食の線引きによる世界の閉塞」の典型であると言えるモノでして、
そんなだから凄惨な人類史が続くのです。
*基本(F-05)反転の魔法と乞食の線引きと世界の閉塞。【9月8日・日】
特定の土台の上での閉塞(歯車のシステムでの障害)が怖くて勝手が出来ないでいる(問題(悪))のを、
乞食ではないから勝手をしないのだ(問題なし(良し))としているのが反転の魔法である。
勝手をするのを乞食だとする線引きが世界中で周知徹底されて行き、
人の世が閉塞に悩まされ(障害に苦悩し、乞食の排除に追われ)続ける事になる。
*基本(F-04)問題を問題無しと言えてしまうのが魔法なのである。【9月7日・土】
「誰もが自由であれば、社会は大きな成果を生み出せる」と言う事は、
社会が歯車のシステム
(後進する時間認識に基づく特定の土台の上での{閉塞を先延ばしさせながらの}物事の積み上げが、歯車のシステムでの{障害を交換・廃棄させながらの}作用の伝わりの仕方と同じ)
でありますから、
誰にとっても自由というのは歯車のフリーでありまして、
自由(歯車のフリー)というのは嫌な事を我慢するコトで問題(悪)ではあるのかもしれませんが、
自由(歯車のフリー)によって社会が大きな成果を生み出すのであれば、
自由(歯車のフリー)は問題無し(良し)と言えてしまいますから、
この事(自由は歯車のフリーである)に於いて「誰もが自由であれば、社会は大きな成果を生み出せる」というのは{前後が反転した時間認識を大前提とした}魔法(魔法の呪文)なのであります。
「自由市場経済(資本主義)であれば、経済は発展を続けられる」や「パラダイム論の科学観(一律な世界観での理想的な進歩)であれば、科学技術は飛躍を続けられる」というのも同じで、
全体主義的な経済観(経営者や資本家が優先されて、自分(個人)はおざなりである)に於いて「自由市場経済(資本主義)であれば、経済は発展を続けられる」というのは、
自分(個人)がおざなりになる問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう魔法(魔法の呪文)であり、
『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』に縛られた科学観(想定される危機の回避が優先されて、【パラレルな危機の予見】や【パラレルな危機への対処】は無駄扱いである)に於いて「パラダイム論の科学観(一律な世界観での理想的な進歩)であれば、科学技術は飛躍を続けられる」というのも、
【パラレルな危機の予見】や【パラレルな危機への対処】が無駄扱いになる問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう魔法(魔法の呪文)であります。
魔法(魔法の呪文)による{問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう事が周知徹底される}スリ変えがノーベル賞などでは起こってしまいますから、
【問題(悪)の暴露】や【問題(悪)への警鐘】であったハズの事に於いてノーベル賞が授与されると、
問題(悪)を問題無し(良し)と言えてしまう魔法(魔法の呪文)が掛けられる事(良し悪しが反転してスリ変えられる)になりまして、
「パラダイム論の縛りが科学を閉塞させる」という問題の一つも
{数十年も前に【問題(悪)への警鐘】にノーベル賞が授与されてから、{前後が反転した時間認識を修正させる}闇魔法(「ダメダメで良い、~、乞食でも良い」の闇呪文から始まる)が隠蔽されていて}
解決が出来ないのです。
*基本(F-03)問題を問題無しと言えてしまえる事が大事な事だとされていて・・・。【9月6日・金】
問題(悪)を問題無し(良し)と誰もが言えてしまえる{ノーベル賞が授与されるような}事が大事な事だとされていて、
{ノーベル賞が授与されるような}大事な事によって良し悪しが反転してしまうので、
【問題(悪)の暴露】や【問題(悪)への警鐘】であったハズの事が{ノーベル賞が授与された事によって}問題無し(良し)にスリ変えられてしまうのです。
*基本(F-02)良し悪しが反転する様にスリ変え、乞食との線引きにしてしまう。【9月6日・金】
忖度だらけの『ヤラセ美談(プロパガンダに利用されたファンタジー)』や理不尽で一方的な『言い掛かり(ファンタジーの巧妙なゴリ押し)』の{各メディアやネットなどからの}ウソクソ発信により{既得権益による、既得権益が得する、不公平の}依怙贔屓が正当化(スリ込み)されて、
それによって{日和見な庶民に}全体主義が{無自覚なまま}周知徹底されてしまって、
それに盲目的であるコトが問題であるのは明らかである{ハズな}のですが、
その問題が良いコトであると{既得権益が用いるノーベル賞などにより、良し悪しが反転する様に}スリ変えた上で、
一般市民と乞食との線引きに{既得権益が巧みに}利用してしまうものですから、
妄想
(前後が反転した時間認識に基づいた{特定の土台の上の}閉塞や、
歯車のシステムでの{歯車のフリーに縛られた}自由や、
『過去の積み上げ』や『今の波や流れ』や『未来の可能性』の為に自分(個人)をおざなりにする{資本主義を遵守する様な}価値観)
に取り憑かれた狂人が{増えるばかりで}居なくならず、
凄惨な人類史が何時までも続いてしまうのです。
*基本(F-01)ヤラセ美談や言い掛かりのウソクソ発信。【9月5日・木】147基本
「権力の守護によりパラダイムが築かれ、そのおかげで進歩と発展がなされて、一般市民の誰もが近代文明の恩恵を享受できている」と言い、
「それに適応していないのは、『邪魔モノ』や『厄介なお荷物』の“乞食”なのである」と言うが、
それが忖度だらけの『ヤラセ美談』であり、
理不尽で一方的な『言い掛かり』であるのです。
各分野の{昔から何人もいた}英才たちによる{既得権益により牛耳られて来ている}人の世への様々な【問題の暴露】や【問題への警鐘】であったハズのモノ(提起された問題点)を、
{良いモノ(そう在るベキ事)にスリ変えてしまう事によって}一般市民と乞食との線引きにしてしまうコト(そう在るベキ事(問題であるハズのコト)をしない者を交換・廃棄の対象とする)が、
ノーベル財団によるノーベル賞の授与などによって{既得権益が旨い話しで釣って}行われているのですが、
それこそが「忖度だらけの『ヤラセ美談』や理不尽で一方的な『言い掛かり』が{問題視されないで}行われる下地となっている」という事なのであります。
そんなだからなのか、
各メディアやネットなどで
{忖度だらけの『ヤラセ美談』や理不尽で一方的な『言い掛かり』の}ウソクソ発信が行われていても、
誰もがウンウンとうなずくばかりで、
{ちょっと考えれば気付くハズのスリ変え(『後進する時間認識での閉塞を繰り返すパラダイム論の縛り』や『「自由は勝手とは違う」と言う事による歯車のフリー(歯車のシステムの世界観)のスリ込み』など)や、お金や権限を握っている企業や省庁に阿(オモネ)った学会の発表(『免疫異常(リーキーガットやレクチンなどの問題)を踏まえない電卓栄養学』や『自分(個人)をおざなりにする資本主義経済論』など)や、資本家や経営者など(責任者や知識人たち)を集めた各種のセミナーでの{一律な}事の{愚直な}実践(『被害者である庶民に更なる犠牲を強いるSDGsプロパガンダ』や『ファンタジーなのにノンフィクションであるかのように作られている歴史映画や再現ドラマや逸話のアニメ』など)が蔓延っているというのに}
可笑しいと思う(疑問を口にする)者などいないのです。
忖度だらけの『ヤラセ美談』や理不尽で一方的な『言い掛かり』は魔法なので、
それらからの解放には闇魔法
(『邪魔モノ』で良い、『邪魔モノ』でも良い、『厄介なお荷物』で良い、『厄介なお荷物』でも良い、“乞食”で良い、“乞食”でも良い、などの闇呪文)
が必要になるのです。
~~~~~参照~~~~~
*基本(F-00)線引きを乞食なんかと同じ側でされたくない。【9月4日・水】
たいていの一般市民にとっては、
線引きを乞食なんかと同じ側でされるのは{過去の積み上げや、今の波や流れや、未来の可能性が台無しになり}屈辱であるので、
{非公式にではあるが、線引きをする}既得権益にとって有利な{一律な}事であっても{無自覚に}無理をして行ってしまうものであるから、
{その結果}この人の世は{世界中の}様々な分野で大変な事
(前後が反転した時間認識による{特定の土台の上(パラダイム論)に縛られた}閉塞や、歯車のシステムの世界観により自由が{無自覚に}歯車のフリーになる事や、自分(個人)をおざなりにする既存の倫理道徳(宗教や哲学)や自由市場経済(資本主義)によって全体主義が{隠蔽されて}永続してしまう)
になってしまっていて、
{近代文明が成熟した現代であるが}凄惨な人類史が{悪化するばかりで}止められないでいるのであります。
*基本(F-0)既得権益による一般市民と乞食を区別する線引き。【9月2日・月】
{本当は、自分勝手であり、加害者である}既得権益は、
{後進する時間認識による閉塞が必然な世界観で、特定の土台の上での有用性や効率性の追求が大事だとして、自分(個人:大切な存在であり、被害者である)より全体が大事だとする自由市場経済(自分(個人)よりも資本家や経営者を大事にする資本主義)を正論
(全体の為であれば人は頑張れて、才能が発揮されて、金銭運も良くなるものでありますから、そういう人が大多数の市民である事によって近代科学は劇的に飛躍(本当は、パラダイムの縛りによる閉塞で、研究・開発がどんどん歪んで行き、人間から恩恵を享受が奪われている)し、経済活動はグローバル経済(本当は、バブル経済の世界汚染で、世界中の人々に付けが背負わされて行き、世界中で人間の負担が増えている)へと至れた)
だとする}
スリ変えのスリ込みを{ノーベル賞や、各分野の学会や、知識人や責任者を集めた各種のセミナーなどで}盛大に行いつつ、
歯車のシステム(進歩を続ける全体)に於ける歯車(優良な駒)として扱われる(優遇の対象にされているかのように扱う)一般市民とそれ以外の交換・廃棄の対象として扱われる(人の世に於ける総意によるものであるかのように扱う)乞食(意図された差別的表現)とを区別する{明確な}線引きを{わざと}非公式に行い、
人々の{深層心理に於ける}恐怖心を{疑問を抱かせずに}煽って、
既得権益に対して{一律に強迫観念で硬直して}忖度する(大事なコトとして、全体に寄与する)一般市民の大量生産を{昔から}行っていて、
人類を{二つの世界大戦を経てからも、世界の各地で対立や紛争が絶えないような}凄惨な人類史に{延々と}縛り付けている。
~~~150号先頭へ~~~
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