第0005号
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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
・『ブログ』を始めるにあたって⑤
皆様こんにちは、今日も楽しくお過ごしですか。私の方はカゼで頻繁に高熱を出して、バテ気味ですが、何とか頑張ってブログを書いています。これまでの第0001号~第0004号を読んでもらえれば、「大人の場面緘黙症(ジストニア)」とはどんな症状のモノなのかが(だいたい)分かってもらえると思うので、この第0005号からは、もう少し競馬やギャンブルとどれだけ似ているのかに絞って解りやすく(簡易に)書いてみようと思います。
・本文(5)
競馬をする人はよく、イキな買い方を(「三角買い」や「流し」などの「理にかなった」思いを練り上げて買うコトを)好み、ヤボなコトを(「複勝」だけとか・まぐれを狙ったとかの買い方をセコイと言って)嫌がると言いますが。
従来型の「場面緘黙症(ジストニア)対策」をする時にも、だいたい決まって「理にかなった」イキなコトを(「発声困難」に陥っている言葉の「良好発声」を目差して「無口な無愛想」を決起・続行するコトを)好んで繰り返すが、「理にそぐわない」ヤボなコトを(長い年月を「発声困難」なままでい続ける困難さや、それに伴う仕事上での・人間関係上での困窮にくじけてしまって、妥協的対策に甘んじてしまうコトを変節・悪しき合理主義・無策な悲観主義と言って)嫌い・拒絶するのですが。
このイキを求める(ヤボを嫌がる)傾向が、競馬においては、損失を出さない(『人気の低い馬の複勝のみを買う』馬券の買い方をする)コトを出来なくさせている要因となり、「場面緘黙症(ジストニア)対策」においては、現実に即した・実質的に意義の在る(『「無口な無愛想」を自粛して新しい(面白い)言葉を明るく(笑顔で!)使う自分を(何時でも)自己アピールする』有意義な「リハビリ」をする)コトを出来なくさせている要因となっているのです。
《『射幸心』や『信仰の放棄』などでもお悩みの方は第0001号・第0002号・第0003号・第0004号の概要もお読み下さい。》
~~~概要0004~~~
足が悪いまま改善しないと診断された時こそ自分が試されている時であるが、頑張ってリハビリに取り組み歩いてみせるんだと一途に努力し励むなら、“誠実な気力”がいつまでも湧き起こり真っ直ぐな“正しい気持ち”は永遠に、決して穢(ケガ)れる事がない。『大人の場面緘黙症』のための『場面緘黙症対策』も同じで、なかなか症状が改善しない時こそ自分の気持ちが試されている時であるが、どんなにうまく行かない事でも投げずに頑張り続けるなら、“誠実な気力”がドンドン湧いてきて「何があっても変節など決してしない」“正しい気持ち”を永遠に見失わない。
しかしこれでは、ただ“歩けない”だけだし、いつまでも『大人の場面緘黙症』なだけなのである。そして、ギャンブル依存症の人や、宗教の原理主義やカルトにはまり込んだ人も、同じような【袋小路(フクロコウジ)のロジック】に迷い込んでいるようなのである。みんな一度、「価値観や神秘観を機能停止」させてから、《自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する》という機能を自分の中に構築する必要があるだろう。
~~~概要0003~~~
足が悪いまま改善しないと診断された人が、普通に歩行しようとして訓練に明け暮れて、その一生を歩行訓練をする事のみに費やしてしまったとしたら、なんと不幸な事なのでしょうか。それと同じ過ち事を『大人の場面緘黙症』の人は『場面緘黙症対策』として犯しているのです。
車椅子に乗って遠くへ旅行したり、車椅子でするテニスやスキーを楽しんだり、車椅子で出来る仕事に励んだりする事を、誰が“悪知恵”だとか“変節”だとか“意気地無し”だとか言うでしょうか。『大人の場面緘黙症』の人も早く『場面緘黙症対策』を断念し、『代替え言葉』をどんどん使って、会話を楽しんだらいいと思うのです。
~~~概要0002~~~
「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。
~~~概要0001~~~
ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。
・参照
【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】
【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】
【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】
・追伸-0:もっと考えたい方へ
人の(私の)心の深層には『心の闇』となっている部分が在って、それは今までに(無数に)後悔してきたコトの「後悔の念」がオリとなって出来ている(心を占拠している)モノで。その内部は(アレルギー反応の)暴風域となっていて、近づくと「後悔の念」に過剰反応したみたいになって、心も体もマヒ(心は『{ワクワクの}構造』に・体は「緘黙症(ジストニア)」に陥って)しまうのだと考えられます。
特定の場面などで『心の闇』に接してしまうと、体(声帯など)は逃れるすべも無く「緘黙症(ジストニア)」に陥ってしまって、ケイレンして(「発声困難」などに陥って)しまうのだが。その時・同時に、心も『{ワクワクの}構造』に陥ってしまってしまうのです。
その『{ワクワクの}構造』は、「後悔の念」から発生してくる、「あきらめてしまうコトへの(漠然とした)不安」そして「あきらめては何も手に入らない」・「あきらめては今までの・今後の全てが無駄になってしまう」という思いから作り出される、「あきらめは不要なモノだ」そして「あきらめは無くすべきモノだ」という願望を、システム化しようとする心の決意であり、(本来は射幸心の根幹を形成しているモノで、そこからから派生したと考えられる)『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』の核となり・支えとなっている、「緘黙症(ジストニア)対策の時の」最重要な(心と精神の)問題点といえるモノです。
次に(心と精神の問題点として)取り上げるのが、『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』でありますが、これは、あきらめ・そのモノを人の(私の)「心から忘れさせ」・「思いつかなくさせ」・そして「あきらめ・そのモノが存在しない世界観」の確立を目差しているモノなのです。
この『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』にかかれば、「無口な無愛想」によって(如何なる)仕事上・人間関係上のコトで、どれほど困窮しようと・どんな困難に陥ろうとも、その「無口な無愛想」は「緘黙症(ジストニア)対策」の一環として起こっているモノなので、意図しての回避は(絶対)厳禁ですし、回避の事を思ったり・その事で迷ったりするコトも「緘黙症(ジストニア)対策」の効力を弱めるモノなので、(極力)考えないように努めなくてはならない「聖域」であると、信じて疑わないような(疑えない)人間に陥らせてしまうのは、造作も無いコト(「緘黙症(ジストニア)」で悩む自分が洗脳状態に陥ってしまうのは、わけも無いコト)なのです。
そして、射幸心は、その根幹形成にこの『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』を元々から使用していたモノ(オリジナル)なのですから。競馬などのギャンブルの依存症に陥ってしまうと、お金も・仕事も・家族も・その全てを失っても、なかなか止められるモノではないと言われるのは、当たり前だと言えるでしょうね。
・追伸-1:対策と共存・1
新型の「緘黙症(ジストニア)対策:リハビリ」では、その「機能障害」を「心:現実的・実質的な合理性よりも、人の「手間」や「思い」の純粋さ(一途さ)や・期待度の積み上げが優先してしまう超常的世界観に縛られ・振り回される精神的なマヒで、自分があきらめるコトや・他人が一途(純粋)なのを脅威に感じて過敏に反応してしまう病症」と、「体:特定場面でだけ起こる、声帯や身体のケイレンによる「無口・無表情な無愛想(痙攣状態)」が、無くそうとするあらゆる努力でさらに重症化してしまう厄介な病症」にまず始めに分別します。
そして、その「体のケイレン」(:無くそうとするあらゆる努力で重症化する病床)については、(対策をあきらめても・普通の人にも負けるかもしれなくても・「体のケイレン」を確実に避けられる「代替え言葉(行為)」を実践するために)無視することが最善の対策になると考えていて、これを(新型の)「リハビリ」活動の大前提になると考えています。
また、もう一方の「心のマヒ」(:超常的世界観に縛られ・自分があきらめるコトや・他人が一途(純粋)なのに過敏反応する病症)については、『自己改革』(:「手間」や「思い」の見た目だけの純粋さ(一途さ)や・期待度だけの積み上げとは違う、「分析と分類」によって現実に即して組み上げて行って「知識を体験し・蓄積経験しながら(積み重ねて)編集していく」実世界の再確認作業を明確に増やし。「体のケイレン」の有効な「代替行為」を探すために、あきらめたくないからとか・負けるコトになるからとか言ってやらないできたコト・考えないでいたコトを実質的に随時検討・再検証し直して(避けてしまっていた有効な手立ての)発見を目差す)と、『環境改善』(:期待の持てない「実世界の再確認作業」を続けるのに、その気晴らしに・気分転換に「笑顔!」を欠かさずにいて、(自分とは違う・「純粋さ・一途さ」と「期待感」で動いている)周囲を明るくする気持ちを忘れず。(「体のケイレン」の解消は完全に)あきらめて・(「体のケイレン」の無い人達に)負けるコト(不公平なままで・不純で一途さに欠けた・高い期待の持てないコト)をする「代替行為」をするにしてもその時の大事な守り事として、自分で自分が「楽しいヤツだ!」と見えるコトを確認するために、周囲から「面白いヤツかも?」と認識されるための(面白い言動と言える)要素を模索し・(独善に陥らず)工夫するコトを欠かさない)の両立を目差していて、これを(新型の)「リハビリ」活動の主要部分になると考えています。
しかし、この(新型の)「リハビリ」活動は、精神的な反動が大きくて、意識での制御がすぐに出来なくなります。(自分だけが)綱渡りみたいなまねをしていて・(慈善行為の様に)みんなに見せるばかりで・(自分だけが不純にまみれ・期待の抱けない)おバカ行為をしていると思えてくると、周囲の反応が思ったより少しでも好くなかっただけで(自分以外の事に気を取られている様に・純粋で一途な「思い」の行為をしている様に・高い期待の持てる「手間」の積み上げが出来ている様に見えただけで)、余計な努力・気遣いをする「不公平」に疲労を感じ・我慢が効かなくなって、「馬鹿にされたのだと」感じてしまったり、自分の「気力」や「運気」のエネルギーが吸い取られていると感じる『被害妄想』・『疑心暗鬼』に陥って、「食い物にされたのだと」思えてしまったりして、「身勝手な逆ギレ状態」に陥りやすいモノなので。何時も・それなりの自己注意が欠かせないと思います。
・追伸-2:対策と共存・2
新型に対して、従来型の「緘黙症(ジストニア)対策:ワクワク狙い」は、心身の「機能障害」に対して(心のマヒには一切気が付かないまま)「体のケイレン」について(のみ・だけを)、より高度に・より完全に回復させて、(不公平な待遇の中で)みんなをイッキに出し抜いてしまえた時の{ワクワクする}瞬間を獲得するチャンスを狙っている様な不公平(までも)を賭けに利用してしまう「周囲を見ていない射幸心に囚われた行為」なのです。
そして、それは、その{ワクワクの}瞬間を待望し過ぎて、「心のマヒ」対策の新型の「リハビリ」活動が、「緘黙(ジストニア)対策」として現実的に有効かもしれないと今さら気が付く(立ち止まり・自分を疑う)のを無意識の内に面倒くさがり・敬遠してしまって、「代替え言葉(行為)を探す行いや考え方」を夢の無い・理屈だけの・軟弱なモヤシ行為(あきらめてしまって勝てない行為を許してしまう俗悪思考)だとレッテルを貼って、思考回路から完全に切り捨ててしまっている様な「逃げ道を断った開拓者行為」でもあります。
そして、さらにその上で、加持祈禱のたぐい(有り難みや・御利ヤクが在って期待度の高まる「手間」を積み上げていく行い)を試したり・精神強化(一途な思い・純粋な信念の貫徹で可能性を切り開き・高めていく行い)を試したり・そして、「体のケイレン」による「無口・無表情な無愛想(痙攣状態)」を繰り返すのを「神聖な犠牲」だとうたって(苦行を自分で自分に無理強いする様に)試したりしていて。「体のケイレン」が解消する(そのチャンスをつかむ)のを的外れなコトをしているとは知らずに{ワクワクして}待ち望んでいる様な「奇跡を起こす頑張り屋さん行為」でもあるのです。
しかし、この従来型の「ワクワク狙い」活動は極端に社会性が低くて、強い精神力を持ちすぎていると、はた迷惑なだけの人間に成ってしまいますし。ちょっと気が弱いだけで、八方ふさがりの状態から抜け出せずに、「引きこもり」に陥ってしまいます。何時も・それなりの自己注意と、それ以上の周囲の見守りが欠かせないと思います。
・追伸-3:対策と共存・3
しかし、本当に問題なのは、社会型の「緘黙症(ジストニア)対策:処置・治療」として注射や薬の飲用に踏み込んだ人(社会を巻き込んだ人)を、従来型の「ワクワク狙い」活動をする人も・新型の「リハビリ」活動をする人も簡単に批判し・拒絶してしまう状況から分かる、「緘黙症(ジストニア)」の人の非社会的孤立性だと思うのです。
それは、社会型の「処置・治療」活動が「緘黙(ジストニア)対策」として従来型の「ワクワク狙い」活動や・新型の「リハビリ」活動よりも、(大きな社会の中での)実生活においてより有効なモノなのかどうなのかの実質的調査をしないまま(大きな社会の中での「緘黙症(ジストニア)」の理解を広めるのにより効果的である事の検証・検討をしないまま)、従来型の「ワクワク狙い」活動をする人ばかりか、新型の「リハビリ」活動をする人までもが、社会型の「処置・治療」活動を逃避行為だと決め付けて(即座に批判し・拒絶して)しまい、自己優位・自己正当を(問答無用で)主張するに至ってしまっても。その明確な自己不合理を(自力で)自覚する術が無いために、「緘黙症(ジストニア)」の人同士が、その対策の些細な違いで反目し合うばかりで、助け合う事も・協力する事も・情報を共有する事さえも出来ない(許せない)で居て。その結果、「緘黙症(ジストニア)」の個々の人達が、(大きな)社会の中で・一人で孤立して悩むハメに陥ってしまい、その(大きな)社会が「緘黙症(ジストニア)」の事を理解する機会を逸し続けるのに加担してしまう事態を、自分達で(知らない内に・その非社会的孤立性によって)招いてきたという解決困難な問題なのです。
~~~第0005号先頭へ~~~
次回につづく。
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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
・『ブログ』を始めるにあたって⑤
皆様こんにちは、今日も楽しくお過ごしですか。私の方はカゼで頻繁に高熱を出して、バテ気味ですが、何とか頑張ってブログを書いています。これまでの第0001号~第0004号を読んでもらえれば、「大人の場面緘黙症(ジストニア)」とはどんな症状のモノなのかが(だいたい)分かってもらえると思うので、この第0005号からは、もう少し競馬やギャンブルとどれだけ似ているのかに絞って解りやすく(簡易に)書いてみようと思います。
・本文(5)
競馬をする人はよく、イキな買い方を(「三角買い」や「流し」などの「理にかなった」思いを練り上げて買うコトを)好み、ヤボなコトを(「複勝」だけとか・まぐれを狙ったとかの買い方をセコイと言って)嫌がると言いますが。
従来型の「場面緘黙症(ジストニア)対策」をする時にも、だいたい決まって「理にかなった」イキなコトを(「発声困難」に陥っている言葉の「良好発声」を目差して「無口な無愛想」を決起・続行するコトを)好んで繰り返すが、「理にそぐわない」ヤボなコトを(長い年月を「発声困難」なままでい続ける困難さや、それに伴う仕事上での・人間関係上での困窮にくじけてしまって、妥協的対策に甘んじてしまうコトを変節・悪しき合理主義・無策な悲観主義と言って)嫌い・拒絶するのですが。
このイキを求める(ヤボを嫌がる)傾向が、競馬においては、損失を出さない(『人気の低い馬の複勝のみを買う』馬券の買い方をする)コトを出来なくさせている要因となり、「場面緘黙症(ジストニア)対策」においては、現実に即した・実質的に意義の在る(『「無口な無愛想」を自粛して新しい(面白い)言葉を明るく(笑顔で!)使う自分を(何時でも)自己アピールする』有意義な「リハビリ」をする)コトを出来なくさせている要因となっているのです。
《『射幸心』や『信仰の放棄』などでもお悩みの方は第0001号・第0002号・第0003号・第0004号の概要もお読み下さい。》
~~~概要0004~~~
足が悪いまま改善しないと診断された時こそ自分が試されている時であるが、頑張ってリハビリに取り組み歩いてみせるんだと一途に努力し励むなら、“誠実な気力”がいつまでも湧き起こり真っ直ぐな“正しい気持ち”は永遠に、決して穢(ケガ)れる事がない。『大人の場面緘黙症』のための『場面緘黙症対策』も同じで、なかなか症状が改善しない時こそ自分の気持ちが試されている時であるが、どんなにうまく行かない事でも投げずに頑張り続けるなら、“誠実な気力”がドンドン湧いてきて「何があっても変節など決してしない」“正しい気持ち”を永遠に見失わない。
しかしこれでは、ただ“歩けない”だけだし、いつまでも『大人の場面緘黙症』なだけなのである。そして、ギャンブル依存症の人や、宗教の原理主義やカルトにはまり込んだ人も、同じような【袋小路(フクロコウジ)のロジック】に迷い込んでいるようなのである。みんな一度、「価値観や神秘観を機能停止」させてから、《自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する》という機能を自分の中に構築する必要があるだろう。
~~~概要0003~~~
足が悪いまま改善しないと診断された人が、普通に歩行しようとして訓練に明け暮れて、その一生を歩行訓練をする事のみに費やしてしまったとしたら、なんと不幸な事なのでしょうか。それと同じ過ち事を『大人の場面緘黙症』の人は『場面緘黙症対策』として犯しているのです。
車椅子に乗って遠くへ旅行したり、車椅子でするテニスやスキーを楽しんだり、車椅子で出来る仕事に励んだりする事を、誰が“悪知恵”だとか“変節”だとか“意気地無し”だとか言うでしょうか。『大人の場面緘黙症』の人も早く『場面緘黙症対策』を断念し、『代替え言葉』をどんどん使って、会話を楽しんだらいいと思うのです。
~~~概要0002~~~
「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。
~~~概要0001~~~
ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。
・参照
【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】
【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】
【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】
・追伸-0:もっと考えたい方へ
人の(私の)心の深層には『心の闇』となっている部分が在って、それは今までに(無数に)後悔してきたコトの「後悔の念」がオリとなって出来ている(心を占拠している)モノで。その内部は(アレルギー反応の)暴風域となっていて、近づくと「後悔の念」に過剰反応したみたいになって、心も体もマヒ(心は『{ワクワクの}構造』に・体は「緘黙症(ジストニア)」に陥って)しまうのだと考えられます。
特定の場面などで『心の闇』に接してしまうと、体(声帯など)は逃れるすべも無く「緘黙症(ジストニア)」に陥ってしまって、ケイレンして(「発声困難」などに陥って)しまうのだが。その時・同時に、心も『{ワクワクの}構造』に陥ってしまってしまうのです。
その『{ワクワクの}構造』は、「後悔の念」から発生してくる、「あきらめてしまうコトへの(漠然とした)不安」そして「あきらめては何も手に入らない」・「あきらめては今までの・今後の全てが無駄になってしまう」という思いから作り出される、「あきらめは不要なモノだ」そして「あきらめは無くすべきモノだ」という願望を、システム化しようとする心の決意であり、(本来は射幸心の根幹を形成しているモノで、そこからから派生したと考えられる)『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』の核となり・支えとなっている、「緘黙症(ジストニア)対策の時の」最重要な(心と精神の)問題点といえるモノです。
次に(心と精神の問題点として)取り上げるのが、『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』でありますが、これは、あきらめ・そのモノを人の(私の)「心から忘れさせ」・「思いつかなくさせ」・そして「あきらめ・そのモノが存在しない世界観」の確立を目差しているモノなのです。
この『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』にかかれば、「無口な無愛想」によって(如何なる)仕事上・人間関係上のコトで、どれほど困窮しようと・どんな困難に陥ろうとも、その「無口な無愛想」は「緘黙症(ジストニア)対策」の一環として起こっているモノなので、意図しての回避は(絶対)厳禁ですし、回避の事を思ったり・その事で迷ったりするコトも「緘黙症(ジストニア)対策」の効力を弱めるモノなので、(極力)考えないように努めなくてはならない「聖域」であると、信じて疑わないような(疑えない)人間に陥らせてしまうのは、造作も無いコト(「緘黙症(ジストニア)」で悩む自分が洗脳状態に陥ってしまうのは、わけも無いコト)なのです。
そして、射幸心は、その根幹形成にこの『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式での『理が支配する世界観』を元々から使用していたモノ(オリジナル)なのですから。競馬などのギャンブルの依存症に陥ってしまうと、お金も・仕事も・家族も・その全てを失っても、なかなか止められるモノではないと言われるのは、当たり前だと言えるでしょうね。
・追伸-1:対策と共存・1
新型の「緘黙症(ジストニア)対策:リハビリ」では、その「機能障害」を「心:現実的・実質的な合理性よりも、人の「手間」や「思い」の純粋さ(一途さ)や・期待度の積み上げが優先してしまう超常的世界観に縛られ・振り回される精神的なマヒで、自分があきらめるコトや・他人が一途(純粋)なのを脅威に感じて過敏に反応してしまう病症」と、「体:特定場面でだけ起こる、声帯や身体のケイレンによる「無口・無表情な無愛想(痙攣状態)」が、無くそうとするあらゆる努力でさらに重症化してしまう厄介な病症」にまず始めに分別します。
そして、その「体のケイレン」(:無くそうとするあらゆる努力で重症化する病床)については、(対策をあきらめても・普通の人にも負けるかもしれなくても・「体のケイレン」を確実に避けられる「代替え言葉(行為)」を実践するために)無視することが最善の対策になると考えていて、これを(新型の)「リハビリ」活動の大前提になると考えています。
また、もう一方の「心のマヒ」(:超常的世界観に縛られ・自分があきらめるコトや・他人が一途(純粋)なのに過敏反応する病症)については、『自己改革』(:「手間」や「思い」の見た目だけの純粋さ(一途さ)や・期待度だけの積み上げとは違う、「分析と分類」によって現実に即して組み上げて行って「知識を体験し・蓄積経験しながら(積み重ねて)編集していく」実世界の再確認作業を明確に増やし。「体のケイレン」の有効な「代替行為」を探すために、あきらめたくないからとか・負けるコトになるからとか言ってやらないできたコト・考えないでいたコトを実質的に随時検討・再検証し直して(避けてしまっていた有効な手立ての)発見を目差す)と、『環境改善』(:期待の持てない「実世界の再確認作業」を続けるのに、その気晴らしに・気分転換に「笑顔!」を欠かさずにいて、(自分とは違う・「純粋さ・一途さ」と「期待感」で動いている)周囲を明るくする気持ちを忘れず。(「体のケイレン」の解消は完全に)あきらめて・(「体のケイレン」の無い人達に)負けるコト(不公平なままで・不純で一途さに欠けた・高い期待の持てないコト)をする「代替行為」をするにしてもその時の大事な守り事として、自分で自分が「楽しいヤツだ!」と見えるコトを確認するために、周囲から「面白いヤツかも?」と認識されるための(面白い言動と言える)要素を模索し・(独善に陥らず)工夫するコトを欠かさない)の両立を目差していて、これを(新型の)「リハビリ」活動の主要部分になると考えています。
しかし、この(新型の)「リハビリ」活動は、精神的な反動が大きくて、意識での制御がすぐに出来なくなります。(自分だけが)綱渡りみたいなまねをしていて・(慈善行為の様に)みんなに見せるばかりで・(自分だけが不純にまみれ・期待の抱けない)おバカ行為をしていると思えてくると、周囲の反応が思ったより少しでも好くなかっただけで(自分以外の事に気を取られている様に・純粋で一途な「思い」の行為をしている様に・高い期待の持てる「手間」の積み上げが出来ている様に見えただけで)、余計な努力・気遣いをする「不公平」に疲労を感じ・我慢が効かなくなって、「馬鹿にされたのだと」感じてしまったり、自分の「気力」や「運気」のエネルギーが吸い取られていると感じる『被害妄想』・『疑心暗鬼』に陥って、「食い物にされたのだと」思えてしまったりして、「身勝手な逆ギレ状態」に陥りやすいモノなので。何時も・それなりの自己注意が欠かせないと思います。
・追伸-2:対策と共存・2
新型に対して、従来型の「緘黙症(ジストニア)対策:ワクワク狙い」は、心身の「機能障害」に対して(心のマヒには一切気が付かないまま)「体のケイレン」について(のみ・だけを)、より高度に・より完全に回復させて、(不公平な待遇の中で)みんなをイッキに出し抜いてしまえた時の{ワクワクする}瞬間を獲得するチャンスを狙っている様な不公平(までも)を賭けに利用してしまう「周囲を見ていない射幸心に囚われた行為」なのです。
そして、それは、その{ワクワクの}瞬間を待望し過ぎて、「心のマヒ」対策の新型の「リハビリ」活動が、「緘黙(ジストニア)対策」として現実的に有効かもしれないと今さら気が付く(立ち止まり・自分を疑う)のを無意識の内に面倒くさがり・敬遠してしまって、「代替え言葉(行為)を探す行いや考え方」を夢の無い・理屈だけの・軟弱なモヤシ行為(あきらめてしまって勝てない行為を許してしまう俗悪思考)だとレッテルを貼って、思考回路から完全に切り捨ててしまっている様な「逃げ道を断った開拓者行為」でもあります。
そして、さらにその上で、加持祈禱のたぐい(有り難みや・御利ヤクが在って期待度の高まる「手間」を積み上げていく行い)を試したり・精神強化(一途な思い・純粋な信念の貫徹で可能性を切り開き・高めていく行い)を試したり・そして、「体のケイレン」による「無口・無表情な無愛想(痙攣状態)」を繰り返すのを「神聖な犠牲」だとうたって(苦行を自分で自分に無理強いする様に)試したりしていて。「体のケイレン」が解消する(そのチャンスをつかむ)のを的外れなコトをしているとは知らずに{ワクワクして}待ち望んでいる様な「奇跡を起こす頑張り屋さん行為」でもあるのです。
しかし、この従来型の「ワクワク狙い」活動は極端に社会性が低くて、強い精神力を持ちすぎていると、はた迷惑なだけの人間に成ってしまいますし。ちょっと気が弱いだけで、八方ふさがりの状態から抜け出せずに、「引きこもり」に陥ってしまいます。何時も・それなりの自己注意と、それ以上の周囲の見守りが欠かせないと思います。
・追伸-3:対策と共存・3
しかし、本当に問題なのは、社会型の「緘黙症(ジストニア)対策:処置・治療」として注射や薬の飲用に踏み込んだ人(社会を巻き込んだ人)を、従来型の「ワクワク狙い」活動をする人も・新型の「リハビリ」活動をする人も簡単に批判し・拒絶してしまう状況から分かる、「緘黙症(ジストニア)」の人の非社会的孤立性だと思うのです。
それは、社会型の「処置・治療」活動が「緘黙(ジストニア)対策」として従来型の「ワクワク狙い」活動や・新型の「リハビリ」活動よりも、(大きな社会の中での)実生活においてより有効なモノなのかどうなのかの実質的調査をしないまま(大きな社会の中での「緘黙症(ジストニア)」の理解を広めるのにより効果的である事の検証・検討をしないまま)、従来型の「ワクワク狙い」活動をする人ばかりか、新型の「リハビリ」活動をする人までもが、社会型の「処置・治療」活動を逃避行為だと決め付けて(即座に批判し・拒絶して)しまい、自己優位・自己正当を(問答無用で)主張するに至ってしまっても。その明確な自己不合理を(自力で)自覚する術が無いために、「緘黙症(ジストニア)」の人同士が、その対策の些細な違いで反目し合うばかりで、助け合う事も・協力する事も・情報を共有する事さえも出来ない(許せない)で居て。その結果、「緘黙症(ジストニア)」の個々の人達が、(大きな)社会の中で・一人で孤立して悩むハメに陥ってしまい、その(大きな)社会が「緘黙症(ジストニア)」の事を理解する機会を逸し続けるのに加担してしまう事態を、自分達で(知らない内に・その非社会的孤立性によって)招いてきたという解決困難な問題なのです。
~~~第0005号先頭へ~~~
次回につづく。
『ちび猫』は3年前ぐらいから、血尿に悩まされていて、泌尿器科の専門医院で診察してもらっても、原因不明の前立腺の炎症以外は特に異常は無いとしか診断されず、ずっと悩んでいたのですが。
カップラーメンやパン・中国製の食材などの食品添加物が多い食品を、出来るだけ食べないようにした所、少しずつ改善されてきて、今では病院へ行く必要も無くなりました。
『K』さんも、長引く原因不明の病状が在ったら、食品添加物に気を付けてみて下さい。