第0103号
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97.ちび猫が見付けた『現代日本のつぶやき』の再現からの続きです。
148.ちび猫が見付けた『現代日本のつぶやき』の再現(3)へ続く。
令和6年度版
*日本の厄災。【2月26日・月】
お金は労働(特定の土台の上での積み上げ)の対価として支払われるモノ(特定の信用)であり、{グローバル経済だと言われる世界の中で}日本では労働者が低賃金で{一律に低レベルの}仕事を{歯車のシステムでの自由(歯車のフリー)に縛られて}させられ、日本は世界に於いて衰退(特定の土台の上が詰む)した状況(貧乏国家:劣等民族)となっていて、{政治家(世界レベルの地位獲得を目指す)や資産家(世界レベルの資金獲得を目指す)によって}早急のパラダイムシフト(戦争による打開)が求められているのだ、このままでは大きな{パラレルで起こる、厄災の}被害を{軽減させられないで}出してしまう事から{後進する時間認識の魔法(凄惨な人類史の根幹)に掛かったまま}逃れられない。
令和5年度版
*≪裸の王様≫たちに色々な服を着てもらいたい(ニートが出来た人は幸せ)。【8月25日・金】
基本部分(2)
{家庭や学校や職場で目上の者にされた{倫理・道徳や効率・有用性を大事だとする}圧迫反省転嫁で盲目的に{「感謝の念を忘れずに」と言って}頑張り過ぎた事による人間関係や仕事に於ける{唐突で強固な:取り憑かれるような}嫌悪感(「理想食で陥る納豆嫌い」や「努力しても治らないピーマン嫌い」みたいなモノ)を、気を逸らす事によって消し去ろうとして、色々と作った}危機論や陰謀論に{マジで}怯えてしまいながら、{結局は気を逸らすのに失敗した不完全なまま}嫌悪感が拭い去れていないという≪裸の王様≫になってしまっている大多数の人々に、多くの者たちの自由(歯車のフリー)を脅かすという{気を逸らすのには失敗した、マジな怯えによる}事(「危機論や陰謀論を刺激して報復されてしまう:勝手をするのが恐い!怖い~」という悪魔の囁きのよるもの)で{「危機論や陰謀論には上手に対処しなくてはならない」として}手を出せないでいた{前進する時間認識に基づいた:パラレル対応をする:待機組の担い手である}個別の勝手(≪裸≫になって手放して来ていた色々な服:手に入れれば【元気な勝手】を与えてくれる招き猫のような存在(悪魔の囁きにより拒絶して来ていた勝手食):危機論や陰謀論の対象への{自分が権益(利得)を得る闇賄賂としての:既得権益に取って代わっての}投資や支援)を{様々な方面に於いて}もっとしてもらいたい(着てもらいたい)ですし、{尚且(ナオカ)つ}危機論や陰謀論の者たち(既得権益)との共存も{1000年はかかるだろうから、主張するだけでいいので}目指してもらいたいのです。
自殺してしまうのは、
学校や職場に行かなければならないと頑張っている人たちで、
それは大多数の日本人である。
不登校や引き籠りのニートは、
大多数の日本人の不幸な道(辿り着く先が自殺)から離反できた訳ですから、
【それで良い!】のであります。
日本の将来や世界平和や地球環境に於ける様々な危機論や陰謀論をブチ上げられていて、
「ニートになどなっている場合ではない」とか「自由(歯車のフリー)でなくてはならない」とか「みんなへの感謝を忘れず、困難であっても頑張ろう」とか思うように仕向けられている日本人の大多数が不幸でありますが、
それは家庭や学校や職場で目上の者から{何度も繰り返し}受ける圧迫反省転嫁によって{スリ込まれて}形成されてしまうものであり、
病的な人間関係嫌悪や労働嫌悪に日本人の大多数が陥ってしまうからであり、
{現状では}ニートにでもならない限り、日本人の大多数が{危機論や陰謀論に唆(ソソノカ)されて}イジメやハラスメントを起こしてしまう(世界中では諍いや戦争が起こってしまう)からでありまして、
{ニートになれている訳ではない}大多数の日本人は(世界中の人間の多くが)子供の頃から死ぬまで不幸であり続けてしまうのです。
闇呪文(ダメダメで良い!・KY(空気を読まない)で良い!・ブレても良い!)を唱えて(心にバリケードを張って)いて、
ニートや闇賄賂(自分の権益(利得)を優先させる:自分の好みや都合を優先させる勝手食と同じで、その発見(肯定)によって{精神を武装する}招き猫になる)に至れていないと難しいのですが、
「前後が反転した時間認識の修正」や「人間の在り様の基準の《自由(歯車のフリー)が一律に求められる歯車のシステム》から《個別な勝手でパラレル対応する待機組が中心のアリの巣のシステム》への切換え」が出来ている事は、
人間が不幸でなくなるのにとても大切なのです。
{そして}尚且つ大切で1000年はかかってしまうのが、
目下の者への{倫理・道徳や効率・有用性を大事だとする}圧迫反省転嫁を善行だと思っている人たちや、
{人々に共通の危機や敵を示し、結束の大事さを認識させ、人間関係嫌悪や労働嫌悪から気を逸らさせようとする}危機論や陰謀論のブチ上げを正義だと考えている人たちとの共存(聞き流せる事)でありまして、
自分は大丈夫だと思っていても{そういう人たちが激減する事はないのに}共存が普及していなければ、
{結果的に}多くの日本人が不幸のままになってしまうのです。
*「役立っていたい」という正義によって「役立っている」と満足させられる日本の不条理。【5月29日・月】
「役立ちたい」という{危うい}正義感が、何時までも「役立っていたい」という形{歪んだ方向}で発露される日本では、老害を生み出す年功序列が{形骸化されているとはいえ}残っていて、お金の流れ(配分)が形式的(神の残滓を辿る:ヒエラルキーに相対するコト)で、{使われているお金が}有効に作用していない。
「役立っていたい」という{中高年の一部の}人たちの{独善や偽善の}為に、様々な分野で{お金の流れ(配分)だけではなく}圧迫や障害が生じていて、{チャレンジ精神が売りの}若者の様々な機会が{「役立ちたい」という正義の名の下に}抑圧されていて、各分野での{日本の}成長が伸び悩んでいる。
「役立っていたい」という{中高年の一部の}人たちが権力を握って離さず、老害の尻拭いに{若者だけではない}大多数の労働者が四苦八苦しているというのに、日本の{各分野での}成長は順調で、一般的な日本人の暮らしも豊かであると{戦時中の大本営発表のように}報じられていて、誰もが「役立っている」と満足する事が求められている。
*個別の《監視》を整備し、好きな《監視》をする。【5月15日・月】
人間による閉塞の先延ばしの為の『神への奉納』に於ける《監視》の行われ方は、世界的には誰かによる穢れを見逃さない為に{お互いがお互いに《監視》を}行うのが主流であり、アジアに於いては自分の行いによる穢れを見逃さない為に{お互いにお互いで《監視》を}行う割合が増える程度であるが、日本に於いては自分自身の穢れを見逃さない為に{お互いで自分自身の《監視》を}行う割合が{世界的には稀で、東洋的にも珍しく}少なくなくて、世界中で紛争が絶えず、アジアでは中央集権を民衆が支持していて、日本では{ブラックな躾をする}ブラック学校(スポーツの有名校など:ヒエラルキーに相対した指示命令系統に身を置ける)や{ブラックな労働環境の}ブラック企業(労使間や投資家との間に{越えられない、幾つもの、明確な}溝がある外聞重視の職場:ヒエラルキーに相対したお金の配分がされている)が{人間性の浄化を掲げていて}褒め称えられている(朝食時によく掻き混ぜてるのが理想の納豆食だと言われていて、夜にまったく掻き混ぜずに食べると注意して来るし、納豆を何百回も掻き混ぜて毎朝食べていると自慢して来るし、理想の納豆食が自分に合わないのを納豆が体質に合わないと言って納豆を嫌う人が続出する)。
そんな《監視》の中に居るとそれしか見えくなる(歯車システムに於ける交換・廃棄に躊躇(チュウチョ)しない「理想の納豆食をしない人に注意する」:自制心(理性:ケダモノ以下な事が出来てしまう)により暴走する「理想の納豆食をする自分の自慢をする」)し、{その}鬱陶しさに嫌悪感が爆発して{そのうち}ドロップアウト(自由(歯車のフリー)であれば良いのだろうと開き直る「勝手な納豆食(贄(ニエ)にする大切なコト)をしない」:勝手さえしなければ良いのだろうと開き直る「納豆嫌いだ(勝手ではない)と言い張る」)する。
「どっちが大事、理想的な納豆食が大事。どっちが大切、勝手な納豆食が大切。大事と大切ではどっちが{本当は}重要」などと言っていないで、お互いに邪魔だけはせずに、誰もが個別の納豆食が出来る環境を整備して、みんなが個々に好きな納豆食をしたら良いのです。
{他者を《監視》したり(し合ったり)、自分の行動を《監視》したり(し合ったり)、自分自身を《監視》したり(し合ったり)しているが、『神への奉納』の為になる《監視》は{本当は}どれ}などと言っていないで、お互いに邪魔だけはせずに、誰もが個別の《監視》が出来る環境を整備して、みんなが個々に好きな《監視》をしたら良いのです。
*手垢塗れと反抗期。【4月27日・木】
人間とは、事態が手垢塗れであったり、居場所が手垢塗れであったり、自分が手垢塗れであったりすれば安心できる生き物であり、{ジプシーの{文化的・遺伝的}影響を受けている個人主義の欧米人と違って}集団主義(手垢塗れが大事:強迫症状)の民族(国家)だと{特に}言われる日本人でありますから、{人間であれば}子供の頃には反抗期(手垢塗れに抵抗)と呼ばれる時期があるものの{日本人には}少なく、{どの民族でも少なからずある}大人になっても{反抗期が}終わらない者が{日本人では}特に少なくて、{それをいいことに日本では、「民度が高い」と言いふらされ、「自由は勝手と違う」と吹聴され、{自分で自分を監視する}監視社会が出来上がっていて}陰湿な社会問題(各種ハラスメント:待機組が疎かにされる:大切な人材の交換・廃棄)が日本では{隠蔽(口封じ)が被害者自身で行われながら}くすぶっているのです。
*「名もない花」とは何と自由な花なのか。【4月15日・土】
「名もない花」とは何と自由な{沢山の役割を担える、多くの可能性を持った、人間がその個別名(隠し名)を想像する事も出来ていない}花なのかと思うのだが、{人間の英知を代表する}科学者はそれを{理解せず}拒絶して「名の無い花など無い」と{モノには種別名(所属名)があれば良いんだといって}怒ったらしいのです。
「名もない花」のような人間であったなら、そんな人間の集団は『A』でも『B』でも『C』でも『D』でもあり、『A』を使うよそAの集団とは『A』て付き合え、『B』を使うよそBの集団とは『B』て付き合え、『C』を使うよそCの集団とは『C』て付き合え、『D』を使うよそDの集団とは『D』て付き合えて、諍いは少ないだろうが、「名の無い花など無い」というような人間の集団であると、『A』か『B』か『C』か『D』かでしかなくて、『A』か『B』か『C』か『D』かとしか付き合えず、諍いが多発する事になる。
そして、{『D』は少数派ではあるが、そういった多様性の尊重が大事なのだと言って}国際社会の趨勢(スウセイ)が『D』であるなら、日本も『D』であるべきで、『A』が{日本に於いては}多数派であるかもしれなくても、『A』を主張するのは控えなくたはならなくて、『A』を掲げるのは体制にとっての障害でしかなく、『A』を表明する者が{公共の場に於いては}交換・廃棄の対象になって{魔女裁判にかけられ、失脚して}しまうのが当然の事であると{日本では、一律に}されてしまう(『LGBT』をめぐる問題で日本の政府高官が{魔女狩りが行われて}失脚したが、多様性の尊重が大事だからとして、誰も可笑しいとは言わない:「名もない花」に対して科学者が「名の無い花など無い」と怒った{思量の狭い、理不尽な}事に誰も可笑しいとは言わないのと同じ{原理の」精神性)。
「名もない花」だと言う{本来の}日本人らしい想いは{前進する時間認識と同じで}大切だとも思いますし、【ちび猫】は自身が「名もない花」で良いと{闇呪文(「ダメダメで良い、KYで良い、ブレても良い」を唱える)と同じで}思っていますが、「名の無い花など無い」と怒るのが{近代文明の}科学者で、多様性の尊重が大事だからと魔女狩りを容認するのが{現代の}日本人であっても、まだ1000年間は仕方がないかと思っているのです。
*日本は何かを{隠し}持っている?。【3月14日・火】
「{みんなが常識として分かっている:これを基にした魔女狩り(障害の交換・廃棄)が{国家やメディアによって}推奨されている}これを守って{自分を合わせて:自制心(理性)を働かせて}やっていれば、{勝手にやらないで済んで{好みや都合に惑わされずに、頑張りが上手くいき}期待に応えられて、きっと}称賛されるだろうし、{自由(歯車のフリー)に仕事がこなせて{工夫や努力が報われ、周囲から高く評価され}良い働きが出来て、たぶん}お金も手に入るだろう」
という{特定の指向の、作用の働きが逆に向かった}スリ込み
(目が暗んだ「捕らぬ狸の皮算用」:称賛されてお金も得られるのだから正しい事(ノーベル賞(ノーベル財団からの賞賛)の受賞と同じ構図)なのだ:人(人の世:人の営み)にとっての大事な特定の土台)
が、
人の道理
(歯車(軍隊型:事態に於いて指示命令系統に沿って末端へ作用が働く)のシステム:アリの巣(提案型:事態に於いて末端から様々な提案がされように作用が働く)のシステムのモノを障害(交換・廃棄の対象:魔女狩りされても文句が言えない)としている)
の門番
(ノーベル財団は番人であり、ノーベル賞の授与は番人としての仕事でありまして、アリの巣システムが歯車システムにスリ替えられている)
の構造
(人間どうしで諍いが繰り返され、{絶滅の危機を何度も乗り越えてきた}生態系から人間(周囲を含めて)が除外されるに至る、人(人の世:人の営み)の問題点:「科学的(「科学的追求で正解に至れる!(パラレルを認めずに{生態系から(周囲を含めて)除外される一律(作用が逆に働く:歯車システム:指示命令)を続けて}特定の指向で閉塞した世界(パラダイム)を作り、そこでの{人や物事の}適合の度合いを鮮明にして{明確な}序列を付けているだけの{科学という}モノが誤認評価されている)」という{日本人の}妄想から生じたお墨付き)」や「経済的(「世の中にはお得な事が埋もれていて、それに目を向けない者が損をしているだけ!(お金の待機組(予備軍や持ち駒)としての活用(末端からの提案としてのお金の流れ:パラレルなお金の流れを起こす)を禁じ、損得や貧富の差の拡大を経済発展としているだけの{経済という}モノが誤認評価されている)」)という{日本人の}誤解から生じたお墨付き」がこの問題を{日本に於いて}複雑にしている)
なのである。
{ジプシーやインディアンやアボリジニたちなどをのぞく}人間世界(唯一神教が主体となって形成されている)に於いて、
「科学至上主義」や「経済至上主義」は間違いだと{歯車のシステムでの、古くなったモノの交換・廃棄として:失敗の責任を押し付けて}言われて久しく、
間違いを正す変革を始めようと{軍隊型のシステムに沿って:主導権の争奪戦で有利に立とうとして}言われて来ていて、
手を拱(コマネ)いていれば手遅れになると
{指示命令をドンドン出して:『温暖化対策』だと『SDGs』とか『種の保全』とか『LGBT』とかの魔女裁判での罪状を並べて}
最近になって言われているのだが、
{先進的な文化と古い価値観(江戸時代から残る世界観:明治時代から続く世界認識)が混在している:多神教で様々な神様たちが共存する{唯一神教からした}無神論の}
日本(ノーベル賞(アリの巣システムを歯車システムにスリ替えている)が大好きで、{狙って}ノーベル賞が{少なかず}受賞できている!)に於いては、
未(イマ)だに「科学的だ」と言われれば『正しさ』のお墨付きだと思って
{日本独特の納豆食だというのに、理想の納豆食が推奨され、断行されていて、納豆嫌いが増えているのと同じで}
疑わないし、
「経済的だ」と言われれば『見倣うベキ事』のお墨付きだと思って
{日本では被害が多いとされる詐欺事件だというのに、ねずみ講などで{他者を食い物にして}もうけた{連続するとは限らない}経験談(三段論法の出来事)が講習会の講師から{普遍的な事のように}語られ、三段論法の{ウソに近い}話しが世間話でされていても、誰も{まったく注意していなくて}不思議に思わなくて}
他者にまで広めようとしていて、
{自己意識の弱い}どんくさい単一民族の国にしか見えないのですが、
{科学技術の進歩(ガラパゴスと言われている)や経済の発展(輸出主体の貿易で円高なのに黒字が出る)は他の先進国とは違いますし}
何かを{隠し}持っているようにも見えなくないのです。
*狙ってノーベル賞を受賞する日本人の不思議。【3月12日・日】
{ジプシーやインディアンやアボリジニと呼ばれる者たちとは違う}現代人(唯一神教の世界で、【シックスセンス:大全体の概念:前進する時間認識や、作用が先に向かってパラレルで働くアリの巣のシステム認識】を失った{後進する時間認識や、作用が逆に向かって特定の指向で働く歯車(軍隊型)のシステム認識に縛られた}人間)の特徴である、
大きな戦争や凄惨(セイサン)な虐殺を繰り返して来た事と、
{絶滅の危機を何度も乗り越えて来た}生態系から{周囲を含めて、容赦なく}除外の対象にされている事が、
今も続いている最大の要因と言えるのが、
ノーベル財団によるノーベル賞であり、
{生態系が除外対象に容赦のない事を{人の道理(前進する時間認識や、作用が先に向かってパラレルで働くアリの巣(提案型)のシステム認識を、障害(勝手)として交換・廃棄するのが必然だとする理念:【シックスセンス】を失った{軍隊型の}歯車システムな情況)で生態系に拘(カカワ)る事(ゴリ押しする:反省転嫁する)によって、人間(周囲を含めて)が除外対象になっているのだと、{人の道理を人為的な実験に置き換えて}証明しようとして}指摘した《攻撃 悪の自然誌》や、科学の閉塞を{閉塞した人の世の見本として}指摘した《科学革命の構造:パラダイム論》が、ノーベル賞の受賞によって『研究のバイブル』や『進歩の理想形』にスリ替えられたように}
ノーベル賞には人の道理の番人の役目(大全体の概念を歯車システムの理念にスリ替える)があって、
ノーベル財団の思惑には{受賞理由(評価内容)には{唯一神教に基づいた}作意があり}注意が必要であるというのに、
{何故(ナゼ)か}日本人(多神教か無神論のハズ!)は『ノーベル賞がお好き』で、
{公言して}ノーベル賞の受賞を目指した研究や活動をしていて、
{狙い通りに}ノーベル賞を受賞する{人の道理の番人に警戒される}者が少なくないのですが、
人の道理の番人であるノーベル財団に番人の役目を{危機感を抱かせて}必要と感じさせるのは日本人の何(多神教や無神論の無自覚なアピール?)なのでしょうかね。
*日本が世界基準にある事の意味。【3月11日・土】
「他人と違う自分がいいんだから」とか「オンリーワンがいいんだから」という{自画自賛するような}甘い言葉(世界の潮流に乗って作られている)に日本人の多くが{唆(ソソノカ)されて、有頂天になってしまい}踊らされて、
「勝手な事が出来ないぞ!」と{自制心(理性)が働いて}意識してしまい、
{特定の土台の上や特定の指向に上手く合わせられる}自由(歯車のフリー)でなくてはならないのだと{強迫観に}縛られてしまって、
{パラレルで作用が働く{予備軍や持ち駒などの待機組(前進する時間認識で形成される、多様性が更新する大全体の構成員)のアリが多い}提案型のアリの巣システムとは作用が逆を向いた}
特定の指向で作用が働く(作用が先を向いた{個別で多種多様な}勝手の交換・廃棄が必然とされる)軍隊型の歯車システムの人の営みを{世界基準だからと}してしまうものだから、
{閉塞した人の世の}世界中で起こる{指向の主流派をめぐる}諍い(派閥争い)に日本国が{江戸時代のような鎖国も出来ずに}拘わり、
{土地開発や品種改良を続けて来た}人間(周囲を含めて)が生態系(絶滅の危機を何度も乗り越えて来た)から除外される事態に日本の企業や研究者が{清貧や風流の事を美徳や贅沢と感じていた時代に戻れずに}加担してしまっている。
*ウクライナ兵の死傷者数が報じられないのはフェイクと同じでは。【2月24日・金】
ロシアによるウクライナ侵攻についての日本での報道で、
ウクライナの民間人の死傷者数やロシア兵の死傷者数は細かく報じられるのに、
{ロシア兵をはるかに上まわると時々見聞きする}ウクライナ兵の死傷者数が{テレビなどでは}あまり報じられないようなのですが、
戦争が出来る国にしたい日本政府の{防衛の“軍”を神聖視したい}圧力に報道機関やジャーナリストが屈して、
{偏った情報しか流さない}フェイクを報じているのでしょうか。
*同性愛の否定も多様性の内だというのに。【2月22日・水】
多様性の容認を口実にして異論を口封じする凶行や、
異論者を魔女狩りする為の密告がまかり通ってしまい、
恐怖政治が横行している{自由(フリー)に縛られていて息苦しい}状況だというのに、
日本人の多くが「多様性の容認の周知(先進国としての常識の、歯車システムでの確立)の為にも、もっと異論者の徹底的な排除(交換・廃棄)が必要だ」と{自制心(理性)を働かせて:{勝手を許さない}正義を掲げて}言っていて、
{日本国内で}問題にされる事がない。
令和4年度版
*『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』などでの反省転嫁が実施されている。【11月30日・水】
『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』など{のような大事な事}を一律共通の命題だといって、
反省転嫁をするのが、閉塞の具現化という事になりまして。
{お気楽な}日本社会ではそれが知性的だとして{浮かれて}受け入れられ、
誰もが疑わずに実施していて、
閉塞が進行してしまっている(引きこもりや路上生活や自殺者の数が増え続けてしまっている)のです。
{そして}それがまだ1000年間は続きそうなのです。
{本来は営業の話しではあるのですが}どんなに大事な事があったとしても、
「それとは違う予備軍」や「拘(カカワ)っていない持ち駒」が出来るだけ沢山{多種多様に}確保されている事が{大全体として}大切であるのですが、
{しかし}それが{前進する時間認識に基づいた、みんながバラバラの土台の上に乗る世界観を持って}出来るようになるのはまだ1000年は先になってしまうのです・・・。
*特定の土台の上にみんなが乗っているという世界観。【11月30日・水】
{前後が反転した時間認識による}特定の土台の上にみんなが乗っているという{閉塞した}世界観だから、
『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』が一律共通の命題だとする言い分が世界(国際社会:国連)の最大派閥の看板になり得てしまい、
派閥間での諍いを激化させているのだが、
日和見な日本人がそれ(看板)をありがたく受け入れてしまうのだ。
しかもそんな事がまだ1000年間は続きそうなのである・・・。
*みかじめ料を捻り出し易いようにと提供された『SDGs』。【11月30日・水】
世界(国際社会:国連)の中の一つの派閥(最大派閥)の{提供された}看板でしかないのが『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』であるが、
{その派閥(最大派閥)に所属して}その庇護を受ける為にはそれ相応の{相当な額の}みかじめ料が必要であり、
その額を決めているのが{国連が主催する各種の}国際会議でありまして。
アメリカのトランプ元大統領はそんな{ロシアや中国などが戦争を覚悟して対立する}俗物派閥が仕掛けてくる諍い(言いがかり)に怯む事はないが、
それに{鈍感で受動的だと非難されながらも}頑張って参加しようとしてしまっているのが{表面的には戦争回避を至上命題としている}日本政府であります。
*テレビのニュースという茶番劇。【6月3日・金】
よく見るテレビのニュースに
「過労死が労災認定されて、残された遺族が記者会見をしているニュース」
というのがあるのだが、
あれでは
「働きたいなら{歯車システムに於ける歯車に欠かせない『自由(フリー)』の状態を保持して}労働者は{健康に問題があっても隠して}働け(雇用者は{面倒くさがらずに監視・管理をマメにして}働かせろ)。しかし{おとりとして拡散されている「自由」や「自分らしさ」の誘いに引っ掛かり}健康に問題があると{歯車システムを邪魔する異常な歯車のような勝手を}言うなら働かなくていい(雇用者は{惜しまず交換・廃棄を徹底させて}働かせるな)。ただし過労死したら{戦死した兵士が二階級特進をするような}労災認定を{遺族は悲しんではいるが}してもらえる」
という{歯車システムな日本社会(人が歯車として扱われる事)を{言葉巧みに}正当化する}メッセージの茶番劇でしかなく、
また他にも
「ポスドクのポスト不足(日本は特に深刻)によって、日本人研究者が海外の大学や研究所を{英語での競争力を高める努力をして}渡り歩きながらも、{資金力のある研究機関で実績を積み上げて}ノーベル賞(日本人が30人近く受賞している)を目指しているニュース」
というのもあるのだが、
これでは
「研究者はノーベル賞を目指せ。より資金力のある{海外の}研究機関に行け。その為にも{日本語を使わずに英語で考える}英語力を身に付けて{競争力にならない日本文化に染まらずに}日本を早く出ろ」
という{破綻(パラダイム変換に向かう必然)させてもいい日本像(前後が反転した時間認識の世界観に基づいた閉塞思考の日本人像)を{言葉巧みに}正当化する}メッセージの茶番劇でしかなくて、
こんな事をしているから【大全体】の概念が形成されるのが1000年先になってしまうのだ。
*日本的美徳の落とし穴。【5月14日・土】
直ぐに{やたらと高尚な視線で}もったいない(『効率』や『有用性』の為に個人の【勝手】を{卑しい事だとして}犠牲にする事を当然だと考える)をくりかえして、
{戦国時代に渡来した火縄銃の火力(社会にとって『効率的』で『有用』なモノ)に目が向いて}【ネジ】がまったく活用されなかった(一般生活への活用は卑しい人間がするもったいない事とされていて、火縄銃の部品として使われたダケで、文化として普及する事はなかった)ように、
日本に於ける【パラダイムの種】の喪失(日本人の見る目の無さ)は甚(ハナハ)だしく、
黒船が来てから起こった明治維新によってようやく【ネジ】がパラダイムとして実ったのです。
集団主義(粛清の口実に「自由は勝手と違う」が使われても{日本人(歯車システムに於ける歯車としての自由(フリー)は大事で、交換・廃棄は必要不可欠)にとっては当然の事すぎて}誰も不思議に思わない)が顕著で、
日本人にとっては大全体が機能しない(前後が反転した時間認識の世界観:特定の土台の上の閉塞)のは当たり前の事(テレビなどで偉そうな文化人が、閉塞を偉そうに口にする)で、
各分野の専門家とされる人たちに於ける【警告としてのパラダイム論】の伝承の断絶は{絶望的に}著しく、
{黒船がやって来るような事がなくて、日本人だけであれば}日本で【理想としてのパラダイム論】の妄信が1000年先まで続いたとしても不思議ではないのです。
*文化が衰退するばかりの近年。【5月5日・木】
{近年では}資本家(一般投資家や中小企業の経営者が大多数)が、
自由(フリー)を維持する為の{他者に労働させる}疲弊回避(自己主張をしないように、聞かない・考えない・動かない)に専念していて、
{効率や有用性の高い事(お金儲け)の追求ばかりをして}勝手をしなくいなり、
{浪費が無くなって}文化財が築かれなくなっている。
{近年では}労働者(非正規雇用者の派遣やパート・アルバイトが大多数)が、
{自由(フリー)であるベキ歯車に必然とされる}交換・廃棄の受け入れを{終身雇用が無くなり、拒む術もなく}していて、
{労働者を重視しない企業体制が当たり前になって}その頑張り(経験や技能や貢献)が無駄(歯車システムに於ける{交換・廃棄の対象の歯車に起こる}歪みやノイズと見なされる)となり、
{作業の自動化もドンドン飛躍して}熟練が継承されなくなっている。
*日本に多い、バカ上司に、アホ部下の、ダメ職場。【5月4日・水】
{上司というモノに対して}初めは、
絶対上位者な交換・廃棄の執行者として、
{怯えて}身構えて{自由(フリー)であるように頑張って}いた{部下な}のだが、
そのうち{だんだん}ウザイくそ野郎に見えてきて、
結局は{憂さが限界を越えて}適当に相手をするようになり、
{日本の多くの職場がそうなのだが}連絡がまともにされないで失敗が繰り返し続く{ダメ}職場
(終身雇用や年功序列が崩壊し、非正規雇用や新人(部下)が仕事の主要部分(現場)を{交換・廃棄の対象として、使い捨てにされて}辞めるまで{アホのように}担っていて、管理職(上司)の仕事が{バカのように}現場の足を引っ張る事(現場を担って来た従業員ほど交換・廃棄の対象にする)になってしまっている)
になってしまう。
*ウクライナへの支援は詐欺に遭っている様なもの。【4月21日・木】
アメリカや欧州の武器商人たちの見本市となっているウクライナに{人道的に}支援するのは、ウクライナに{非人道的に}拘束されている『親ロシア派市民』や『ロシア人』の解放を遅らせるだけ。
*パワハラ上司は良識のある人。【3月20日・日】
物事を{色々な方向から見て}複合的に{一律に逆らう事になっても}考えて、自分の動きを{一様からハミ出しても}判断してしまえるのが勝手(自己都合)であり。
自由(フリー)を目指している{良識のある}人にとっては、そういう勝手(自己都合)は、{難しいとか、したくないとかではなく}遣ってはならない事(厳罰となる行為)なのである。
他者(良識のある上司)からして見れば{困難や遣りたくない事からの逃避でしかなく、厳罰となる行為でしかない}勝手(自己都合)でしかないのに、当人(部下)は{単なる身勝手ではなく}最高の自由を{熟慮して}目指しているつもりになっていて。
「自由(フリー)とは対極の我儘でしかない」と{良識に基づいて、上司が部下を}叱責してしまうと、「パワハラ上司だ」と{上司が部下に}反論される事になり、{何時までも続く、不毛な}諍(イサカ)いとなってしまう。
令和1年度版
*次のお知らせ。【10月13日・日】
これからは、当ブログ第0092号の【『ちび猫のつぶやき』の(主張)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。
*平和ボケと揶揄される【KY】な日本人。【8月10日・土】
1000年後ろの時代までの日本は、『アジアの盟主』だとか『経済大国』だとか{日本の事を高い位置に持ち上げて}言って、{日本と共通の}特定の『連なり』の中に他国を取り込む、{牧場で家畜を管理しようとするような}安全保障の手法が{敗戦したり、反日運動をされたりしながら}とられていたが、
1000年後ろの時代からの日本は、『平和ボケした国家・民族』であり、『宗教オンチの無宗教』で『アメリカのような大国の金魚の糞』で『金は出すが血は流さない』などと{諸外国や、自国の知識人たちから}揶揄されるようになり。
1000年先の今でも、{期待を裏切り合い、責任を押し付け合っている}【KY:空気読まない:営業スマイル】を国民性とする{『平和ボケ』という揶揄が的を得ていて最適な}国家形態である事によって、{統合して平和を築いては}分裂や争いを繰り返す世界情勢から、日本は{期待されず、責任など持たされずに}遊離しているのです。
・平成31年度版
*日韓問題には“アホウ”な日本人が欠かせない。【4月6日・土】
1000年“後ろ”の時代までは。日本が韓国に対して、「低報酬を前提に、合理的に頑張るコトによって、競争力の向上が図られるのが『発展と進歩』だ」と言って、目先の利得にアクセクするコト(歯車動作の連動連鎖)の為の支援(監視:枷(カセ))をしていて。韓国は日本から、「{【大全体】の構成員の}単独での更新を最大に活用(乱用)する事による、【部分解禁】の推進(『悪の自然誌』の実験)の達成(『時間認識に於ける前後の反転』の必然である破綻による『パラダイム変換』への加速)」へと{ペースを乱されて}追い立てられていて、ペースダウンした人や社会で{『糞詰まり』して}渋滞状態となり、{反動や憂さ晴らしが頻発して、屁理屈をゴリ押しするように}反日感情が噴き出していたのです。
そして1000年“後ろ”の時代からは。「未来の損をしても良い、過去をダメにしても良い」として、自分(日本人)の利得を韓国で散財する“アホウ”な日本人が増え。
そしてその1000年“前(先)”の今では。“アホウ”な日本人から生み出された韓国人の『ゆとり』により、多様な韓国人(韓国社会)での【大全体】の形成が促進されていて、反日感情が鎮静化しているのです。
*お知らせ。【3月23日・土】
これからは、当ブログ第A0015号の【道路をゆっくり走るのに、・・・】~【道路をゆっくり走るのに、・・・(~~~)】をメイン用例としていくつもりなので、参照していただけたら幸いです。
*お詫び。【3月4日・月】
【ニーチェ】の『神は死んだ』の発言に於けるこれまでの{人類への賛歌としていた}解釈を反転させる自己修正をする事に致しました。修正内容については当ブログ第A0015号の【『神は死んだ』などと言われない為に】を参照していただけたら幸いです。
*過去に葬られた事の再研究が投資となり、恩恵が再配分される。【2月10日・日】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪人道主義的高福祉社会の実現を目指して勇んだコトによる失業の増加≫
1000年“後ろ”の時代までは。日本人労働者(男性就労者)に対しての{労働の質の悪化に伴う}『需要』の低さを放置したままなのに、
{日本国内に於ける総労働力の対価としての『総賃金』が{労働の質の悪化に伴って}低いままでの、人道主義的高福祉社会での{『発展や進歩』に伴う}労働の規制(一人の労働者に求められる質の向上と、労働力としての制限)による、日本国内に於ける総労働力と総労働者数の必要性の高まりに対し、不用意に心配して}
女性や外国人などから選抜した優秀な労働者を{勇み足で}増加させてしまったものだから、日本人労働者(男性就労者)の平均的労働条件がドンドン深刻化(悪化)してしまい、日本人労働者(男性就労者)の質の更(サラ)なる悪化を招いてしまって、日本人労働者(男性就労者)からの失業が増えて(溢れ者が増加して)しまったのですが。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。日本人労働者(男性就労者)に対しての『需要』を高める為の労働の質の向上の必要性が認知され、日本人労働者(男性就労者)の一人一人が、労働の質の向上の為の努力
(“土台(壁・枠組:『パラダイム』を形成するモノ)”の段階を何回広げても、その上(内側:『悪の自然誌』の人工的実験室)にいる限りは{どの段階にあろうとも}誰もその縛りからは逃れられない事から、“土台(壁・枠組:『パラダイム』を形成するモノ)”の上(内側:『悪の自然誌』の人工的実験室)にモノを積み上げて行くような{時間に於いて後ろへと進行する}閉塞した世界観(時間認識)から個々に自己修正をして、{【更新する無限に多様な大全体】に適応した}『他のモノ』たちからの協力要請を個別に求められる様な地力の各個の育成)
を始めて。
そして、1000年“前(先)”の今では。{神の絶対唯一の意思を人間が実現させる最善の方法だとされていた}動力を伝える歯車(近代的人間性)で構成されるような社会では在り得なかった、{神の求めの多様さや更新に順応した}『アリ的お一人様:神秘主義』な日本人労働者(男性就労者)による、{ジグソーパズルの各ピースに、状況に応じた形や動きの更新が、様々に求められるような}【大全体】な世界での日本人労働者(男性就労者)の『需要』の高まり(各個による個別な主体性に基づいた、【大全体】での個々の適応能力の向上)や、『他のモノ』たちとの協力関係の構築による日本国内での『総賃金』の高まり
(“土台(壁・枠組:『パラダイム』を形成するモノ)”の上(内側:『悪の自然誌』の人工的実験室)に限られた状況下での投機的な生き方とは違う、{誰かに負担を担わせたりしない}生きた投資を目指すコトによる、“土台(壁・枠組:パラダイムを形成するモノ)”の上以外(外側:『悪の自然誌』の範疇(ハンチュウ)の外)への思考・行動の拡大と、
{自然(時間)によって{世界に於ける多様性の更新に於いて、人の営みを破綻させるように生じる}腐敗や劣化が進行するという負担を担わされるのではなく、新たな多様性の更新によって
{多様性の切り崩しや、更新の捻じ曲げによって{その可能性が隠蔽されて}過去に葬られて来た、多くの事(『人類の団体戦勝利の陰で単独での更新を強いられて来たモノたち:家畜やペットや乳酸菌や抗生物質など』や『更新する多様性を受容した研究:『E=mc²』の一般化やSTAP細胞など』)が再研究(再評価・再発見)されて}
恩恵が受けられる様になるコトによる}
再配分の獲得)
が、実現されているのです。
・平成30年度版
*『想い』の自由の解禁から生じる人類の可能性。【8月25日・土】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪不自由な『想い』の妄想どうしでの誤解から生じる人類の危機≫
1000年“後ろ”の時代までは。旧日本軍の陸軍(特に関東軍)は、軍事慰安婦への{金銭などでの}独断での優遇と引き換えに、{南方作戦での玉砕や、本土への空襲が起っていた時に、満州ではまだまだ優勢で}戦時下とは思えない快楽を貪(ムサボ)っていた時に、{大本営が無条件降伏して}突然の敗戦となり、その{軍人にあるまじき}堕落ぶりがバレてしまうのを恐れて、{ソ連軍が侵攻して来た為に焦ってしまい、逃がすコトも出来ないまま}慰安婦たちを殺害してしまったのだが。その{稚拙な出来事と、短慮な事件の}事をめぐって、朝鮮人たちは「強制連行の末の殺害行為であり、決して許されるものではなく、今の日本政府(日本人)には賠償に応じる責任があるハズだ」と言い、日本人は「慰安婦たちとは金銭的合意をしていたし、殺害は敗戦とソ連軍の侵攻による混乱の中で起こった悲劇であって、今の日本政府(日本人)に賠償を求めてくるのは筋違いだ」と言っていて、旧日本軍の陸軍(特に関東軍)や軍事慰安婦の真相(実態)を無視した{不自由な『想い』の}妄想どうしでの誤解(言い争い)が続いていたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。『想い』の自由が解禁され、{日本人が}軍隊に於ける軍事慰安婦(快楽の必要性)というものを肯定的に想うコトを始め、{朝鮮人たちが}慰安婦たちによる金銭的合意(彼女たちへの優遇)というものを肯定的に想うコトを始めて。
そして、1000年“前(先)”の今では。物事の真相(実態)を無視した{不自由な『想い』の}妄想どうしでの誤解から{起こり}激化していく『イジメやハラスメント』や『テロや紛争』の{精神や社会の}構図が学問化され、『想い』の自由を縛っていた{古くから平和や繁栄に必要だとスリ込まれていた}典型的な倫理や道徳や宗教などの{『組み体操の意識』を一つの人類である事に由来する“共通”の『大切なモノ』であると妄信してしまうような}危険性が周知されていて、人間が『アリ的お一人様』として個々別に在る事(停滞無く進歩する個人、自然から取り残されない人の営み、地球環境と一緒に更新をする人の世)が{『パラダイム論』を反面教師として、利便性を追求する為に『E=mc²』までも部分解禁してしまった近代物理学を反面教師として、『攻撃:書籍』を反面教師として、そしてさらには時間認識に於ける前後の反転を反面教師とする土台に捉われない未来認識と、個々人への支援を断ち切る自由市場経済を反面教師とする個々人への支援を目的にした配分経済の下で}守られているのです。
*『朝鮮半島の愛玩ドール』、旧日本軍への貢献を称えて。【8月17日・金】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪『朝鮮半島の愛玩娘』たちの旧日本軍への貢献に感謝する≫
1000年“後ろ”の時代までは。韓国人たちにより、『慰安婦の像』が世界中で作られ。北朝鮮は、慰安婦問題の発言を繰り返していて。日本人は、そんな朝鮮人に、さらなる憎悪を抱いていたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。『慰安婦の像』を、日本人は『朝鮮半島の愛玩ドール』と呼び、その但し書きは「旧日本軍への貢献を称えて」とし。北朝鮮の、慰安婦問題の発言に対しては、「『朝鮮半島の愛玩娘』たちの旧日本軍への貢献に感謝する」とだけ言って上げて。朝鮮人に対し、日本人は、『幸せな想い』の自由を使い始めたのです。
そして、1000年“前(先)”の今では。朝鮮人による、『慰安婦』の事で日本人に憎悪を抱かせようとした{日本を自滅に追い込む策略の}挑発が。{結果的に}日本人に,「『倫理道徳の試練』の憂さ晴らしの問題」の本質を気付かせたのだとして、評価されているのです
*日本人だって何時までも馬鹿じゃないんだから。【6月17日・日】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪駄々っ子のまま大人になった親が子供を虐待する事に共感できるハズの日本人≫
1000年“後ろ”の時代までは。北朝鮮が「幕府(中央政府)と諸藩(軍閥)との力関係が拮抗していて、{影武者と疑われ兼ねない}将軍様(委員長)に自由が少なく、{拉致や軍事衝突を暴走させてしまう}諸藩(軍閥)の合意が将軍様(委員長)の言葉とされて幕府(中央政府)の決定事項となる」という{幕末の日本の様な}状況にある事を{北朝鮮に於いて安全保障上の機密事項とされているものとして}踏まえていたかどうかは“不明”だが、{多分“偶然”だと思うのだが}アメリカは{開拓以来の異文化との苦い歴史から学んだ結果であるかのように}ただ単なる北朝鮮との{会う事をアピールする}首脳会談に踏み切り、{朝鮮半島の文化や伝統に左右される}諸藩の合意がアメリカの思惑に沿ってくれるように{西洋的価値観からズレていて、食い物にされる可能性が高い“蛮行”に見えても、大統領が“天邪鬼”で}配慮するコトが出来たのですが。日本(日本人)は、{スーパーで親の事情も分からずに駄々を捏ねる子供がそのまま大きくなって親になってしまった事による}親が子供を虐待するのに躾を言い訳にしているのと同じように、{西洋文明にかぶれて驕(オゴ)り高ぶって自分の醜態に気付かないまま}北朝鮮への制裁継続に固執し、重要であった「朝鮮半島の文化や伝統や、北朝鮮の政治体制(権力の独特な構図)に柔軟な理解を示し、{影武者と疑われ兼ねない}将軍様(委員長)であっても諸藩(軍閥)からの協力が得られるように幕府(中央政府)を{世界を舞台に信じる事を表明して}盛り立て、日本(日本人)自体が諸藩(軍閥)から信用されるように毎年でも北朝鮮と日本との首脳会談を{形骸化していようとも}和やかに行うコト」という事を、{良識ある}政府と{善良な}国民の総意によるものとして{犯罪者との取引は出来ないという大義名分を盾に、その受動的無策を正当化してしまって}拒絶し続けたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。{“天邪鬼”な大統領による}アメリカの“偶然”の産物からの成功によって、日本(日本人)は、配慮すべき「朝鮮半島の文化や伝統や、北朝鮮の政治体制(権力の独特な構図)」の存在に気付き、その重要性に気付き始め、朝鮮半島問題への能動的な{生産的}関わりを始めたのです。
そして、1000年“先”の今では。「アメリカ(大統領)の“蛮行”が、日本(日本人)の目を開かせた」という『偶然から何かが始まる』という意味の格言が出来ているのです。
*卑劣な事件の犯人との共感に至れなかった日本人の失敗。【6月1日・金】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪卑劣な事件を第三者的に扱ってしまった日本の{テレビなどの}マスコミの失敗≫
1000年“後ろ”の時代までは。「少女への{親からの}虐待や{同級生からの}イジメや{大人からの}暴行」などといった卑劣な事件が{自殺や死傷に至って}発覚したりすると、{テレビなどの}マスコミは{特異な事件だとして}大騒ぎし、「大多数の善良な市民(日本人)が、彼女(彼女達)を何とか救うコトは出来なかったのだろうか」などのような{第三者的な}善人を代表しての発信(妄想劇)をしていたのですが。実際の市民(日本人)はというと、{パワハラやモラハラやセクハラなどの}ハラスメントの連鎖の中で{理性を失うほど}窮窮(キュウキュウ)となり、『倫理道徳の試練』の憂さ晴らしに{無自覚で}必死となっていて、{善人に向けられた発信(妄想劇)で自分(自分たち)は善人なのだと盲信したまま:【ちび猫】も善人ヅラをしてはいるが、ラジオで流れた歌に『可愛い“恵まれた”少女』や『ステキな“頑張っている”女性』を連想させる歌詞(特定のワードのようなもの)があったりすると、{瞬間的に}攻撃衝動が抑えられなくなる時が在って、{自分では紳士的だと思っているのに}よく女性から“怖い”と言われてしまいます}事件が次々と繰り返されていたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。「人間の本質には善人ではない{個々別であり、『指示命令系統』を拒絶する}部分が在り、蔑(ナイガシ)ろにしてはならない」という認識が周知され始め、{テレビなどの}マスコミでも{特に}卑劣な事件の報道では、自分たちが同じような事件を{犯人として}起こさないように促すような注意喚起(誰もが『アリ的お一人様』であるコトによって人の心と営みが{破綻する事なく}安定するという主旨に基づくもの)となってきて、{日本人の}市民生活も自分(自分たち)の精神状態を追い詰めてしまう事がないように{自分(自分たち)が『指示命令系統』から離脱し、『幸せな想い(想い合い)』をする自由が確保されるべく}配慮する(配慮し合う)ものとなっていったのです。
そして、1000年“先”の今では。『大全体』を多次元多重構造にした『アスキーアートの世界観』で過去が見渡され、未来に役立つ情報の掘り起こしが行われていて、{1000年“後ろ”の時代までの}卑劣な事件の犯人との共感が{人間の可能性の色々な意味での確認として}行われているのです。
・平成29年度版
*オカシイものがオカシイと責任追及されてきた時代~2~(概要)。【7月17日・月】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪可笑しいモノを可笑しいと笑える時代へ=日本編=≫
1000年“後ろ”の時代までは。『権力者を支える科学者の側』の者達によって、{競争の原理に基づいた競争社会を駆使しての}磐石な社会形成が目指されていて。そこでは、{イジメやパワハラを駆使して}弱者がドンドン切り捨てられ、弱者自身にも{積極的に}その社会の為の犠牲となるコト(ハラキリ行為)が{強制的に}求められたのですが。しかし結果的に、お粗末な多様性しか持たない脆弱(ゼイジャク)な社会が形成されてしまい、その社会は{目的の果たせないまま}オカシイ事に何時までも破綻の危機にさらされ続けてしまったのです。そして、さらにはそこに『庶民を扇動する知識人の側』の者達が攻勢を強めてきて、「そんな{オカシイ}社会だから〔この世界〕に破綻が招かれるのだ」と責任追及し、{風流や風情を重んじて、頑張る者を悪に感化されていると攻撃する}非社会的行為の正当化(試練)が{人間を縛り、追い詰めるように}人々に求められ。ついには、{試練に耐えられずに狂気が吹き出してきて}その社会に破綻が招かれたのですが。
1000年“後ろ”の時代からは。オカシイ事を続ける『権力者を支える科学者の側』を、オカシイと責任追及する『庶民を扇動する知識人の側』によって、人々の精神は{無自覚なまま、自由を自主的に抑制してしまう}強迫観念に押しつぶされ、{様々な場面で、様々な人に}様々な攻撃衝動が発動してしまうのだと認知され始めて。
1000年“先”の今では。可笑しい事を続ける『権力者を支える科学者の側』を可笑しいと笑い、そんな『権力者を支える科学者の側』を責任追及する『庶民を扇動する知識人の側』に対しても可笑しいと笑っていて。人々は、『幸せな想い』を{個々に、自由に}満喫するコトが出来ているのです。
*イジメに責任を感じる被害者、テロに無責任な知識人(概要)。【4月16日・日】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪1000年“後ろ”の時代の時事ニュースに思う事≫
1000年“後ろ”までの時代に於いては、
≪大多数の人間が、みんな(全体)の為だと言って抑制(排除)の実施(『古典的な倫理』や『学歴主義』)を{盲信して}受け入れて、その抑制(排除)の実施から残った形の『同じ様な人間』が{様々である事によって【“大”全体】に貢献していた}更新機能(能力・頑張り)の発揮を{同じ様に偏って}一様にしてしまい、
{『多様性のベース拡大』がなければ物は必然的に劣化し、腐敗して、人の営みが破綻に至るように、たとえみんなが自由であったとしても}誰もが「誰もが誰もを攻撃する誰にとっても有害な存在」となってしまって、
{【“大”全体】が失われた世界に於いて、腐敗を起こしたり、病原体の温床となったりして、多くの生物の生命を脅かし、{【“大”全体】が隠蔽された人間世界に於いて}不可欠なモノでありながらバイ菌と呼ばれて嫌悪され、『殺菌・消毒』の対象にされていた雑菌群と同様の}反体制的な『知識人』や反動的な『テロリスト』などが次々と誕生していたのです。
又そこは、『多様性のステップアップ』からも隔絶された{自然界では縄張り争いをせずに群れを作るハズの魚が、一匹をみんなで排除しようとするイジメを{イジメられていた魚が死んだり、取り出されたりしても、次の魚をイジメて}繰り返す、自然界(外世界)との関係が断絶した水槽の中のような}世界(閉鎖した空間:『悪の自然誌』に於いては自然となっている作為的空間)でありまして、
{イジメが必然と妄信され、イジメ回避は必要努力であると考えられていて、イジメられてしまうのは必要努力を怠った責任結果であると{イジメた方よりも、イジメられた方が悪いように}認識するのが当たり前であった為に}誰もが「自分の自由を発動させて(『幸せな想い』に各個が至り)、外世界との関係を広げるコト(『古典的な倫理』による偏りからみんな(全体)が解放されるコト)」が出来ないまま縮(チジ)こまってしまっていて、
{セクハラやパワハラやモラハラなどの責任を被害者が背負い込んでしまい、解決策が見い出せない}閉塞した世界(閉鎖した空間)だけが誰の目前にも広がって{見えてしまって}いたのです。≫
という状況でありましたが。
しかし、1000年“後ろ”からの時代に於いては、
≪時代ごとの生物群(“大”全体)の変化が反映されていない『平面的な木で描かれた、単層構成の進化論の図』で{時代ごとに形成されていた多様性の意義を無視したまま}説明されていた進化論が、
生物群内で役割を担い合う【“大”全体】の構成が時代ごとに変化している事を反映させた『立体的な木から形成された、時代ごとに多層構成にした進化の図』で{多様性の意義と、その変化の意味が良く解るように}説明されるようになり、
『悪の自然誌』の{自然を偽った}呪縛からも解放されて。
人間の集団が{外世界との多様な関係を持った}『多様性のステップアップ』を形成する時には、人間の各個は{自分が自分だけの存在であり、他者はその他者だけの存在である}『多様性のベース拡大』をしているものだと理解され、
それに伴って、「『様々な人間』が、多様性の構成員としての【“大”全体】に貢献する更新機能(能力・頑張り)の様々な発揮が出来るよう、自分が幸福であると想えるだけの{『古典的な倫理』に縛られずに、『幸せな想い』が実践できるような}自由である必要があるのです。」という考え方が普及され始めたのです。≫
という状況に変わり。
1000年“先”の今に於いては、
【更新する無限に多様な“大”全体】から派生した『パラダイム変換の反面教師』や『ロール紙の世界観』や『時間認識の正常化』や、『特殊な科学理論(宇宙人の技術など)という世界観と、それを認めない「創造主による完全な世界」という世界観の、二者択一の争いに惑わされない、一般理論的思考の世界観』や『近代的な道徳に縛られない、「ゲームで再分配が繰り返される駒やカード」としての『お金』の認識』なども加わった【“大”全体】の概念が広く普及していて、
{1000年“後ろ”の時代には、冷静さや柔軟さを欠いた人間で溢れ、「哀れな人間」や「醜い人間社会」の暴露や、「文明の滅亡」や「人類の滅亡」の危機が{小説や映画や漫画などで描かれたりして}氾濫していたが}平穏と繁栄が享受されているのです。
*本や映像やゲームなどで『待ちぼうけ』を紛らわす人々(概要)。【1月24日・火】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪『待ちぼうけ』を紛らわしていた日本人の足下で起こっていた事≫
1000年“後ろ”の時代までは。《夜明け前の“清浄”の持続》を大切に“想う”コトから生じた『完全理論的思考の世界観』によって、破綻を厭わない【部分解禁】の進歩を{人から清浄を奪う悪魔的行為として}拒絶してしまう、一般庶民の側と。《夜明け前の“頑張り”の継続》を大事に“想う”コトから生じた『特殊理論的思考の世界観』によって、破綻を厭(イト)わない【部分解禁】の進歩を{『“盤ゲーム”の世界観』に於ける進歩には古い人の営みのリセットが必要なのだと割り切り、古い枠組みを壊しての『パラダイム変換』による理想的な進歩として}求めてしまう、権力の側とが。《決定的な対立関係》に在る、世界とは違って。日本では昔から長閑(ノドカ)に、他者に対して「こんなので大丈夫?」と“想う”コトによる《親切の押し売り》をして、顰蹙(ヒンシュク)を買ってしまう事は多々あっても、双方が《過激な実力行使》に至るというような事は少なかったのですが。しかしそれは、日本人というモノが「《今の危機》を逃れて《遠くの理想郷》へ行きたいという“想い”から『待ちぼうけ』の状態が生じ、それを紛らわすように小説を読み、映画やテレビを見て、{特に}マンガやアニメやゲームなどの《バーチャルな世界》に興じてしまい、そしてそれによって《今の危機》と《遠くの理想郷》への{安易な}イマジネーションをさらに膨らませてしまって、結局は『待ちぼうけ』を{のんきに}永続させてしまう循環的状況に{無自覚なまま}陥っていた」からであり。決して、足下に埋もれた【更新する無限に多様な“大”全体】に目を向ける《【“大”全体】の概念》の解放が始まっていた訳ではなかったので。日本人(民族)にも{小さな}亀裂や分断は多々生じていて、《原発をめぐる問題》や《憲法をめぐる問題》などでは、明確に権力者の側と一般庶民の側とに分かれてしまって、結論の出ない感情的な対立関係に{粛清やテロにまでは至らないだけで}陥っていたのです。
しかし、その“先”の時代に進むにつれて、《今の危機》と《遠くの理想郷》の“想い”から生じる『待ちぼうけ』の状態を紛らわす為にマンガやアニメやゲームなどの《バーチャルな世界》に興じる{無為(ムイ)な}時間ら労力が日本でも問題視され、それに連動して{《決定的な対立関係》と《過激な実力行使》で苦悩していた世界と同じく}自分たちの足下の《【“大”全体】の概念》に関心が向って。1000年“先”の今では、マンガやアニメやゲームが、日本の『御伽噺(オトギバナシ)』になっているのです。
・平成28年度版
*治安維持の裏で日本人がしていた事(概要)。【11月18日・金】
1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪治安が良いと言われた時代の日本人の素顔≫
日本社会では、{特にメディアなどで}よく「人間は微力であり、小さな存在でしかなくて、{その中の個人でしかない}自分が悩んでいる事など『大した事』では無い」などという{悟ったかのような}宗教的な言葉を用いて、『自殺の抑止』や『犯罪の抑止』などの治安維持が目指されて来ていて、見た目の治安の良さだけは世界のトップレベルであったが。外国人からは「海外からの{日本への}旅行者が多いのに、{日本は労働ビザを受けるのが厳しいからだと言われてはいるが}移民が少ない本当の理由は、{特異で閉鎖的な社会で}労働環境が最悪だからだ」と陰口を叩(タタ)かれ、自殺者数は毎年約2万人いて、{年代を問わずに起こってしまう}『イジメやパワハラやモラハラ』や『セクハラやDVやストーカー』などが深刻な社会問題となっていたのです。
1000年前の日本では、【更新する無限に多様な“大”全体】の概念が{封印されていて}まだ一般化されていなくて、{その為に}当然のように{雑菌の温床を『生きた水』にしてしまうよな}『多様性のベース拡大』や{『活性はちみつ』や【アロエ耐性水】から『反面教師としてのパラダイム論』が導き出されて、さらにそこから【“大”全体】の概念が各分野へと波及していくような}『多様性のステップアップ』の事が無視された{【部分解禁】でしかない}各分野での{もがけばもがくほど泥沼にハマってしまうだけの}進歩がエリートたちによって{与えられるようなモノではなく、庶民がその“意識の中”に各個に持っているべき利権を、収奪し、権力として集中させるべく}競われていて、庶民たちも『パラダイム論』が反面教師である事など知る由も無く「話しで聞く『パラダイム変換』とは人類を更なる進歩の段階へと引き上げる理想の進歩のあり方であるらしく、自分も『パラダイム変換』を心掛ければ周囲のみんなをリードできる」などと思い込んでしまっていて。身近な所に在る『生きた水』に目が向かず、昔から在った{マヌカハニーや国産のハチミツや、外国産のハチミツを『生きた水』で割ったモノである}『活性はちみつ』(飲用するコトによってアルコール依存も解消されるモノ)が{主に中国製の}低価格な工業製品(不活性品)の大量流通によって{高額な}嗜好品へと追いやられ、各地で利用されていた『アロエ』も{成分だけが抽出さて作られる}工業製品が主流である為に{『生きた水』に『アロエ』のスリ身や粉末を混ぜるだけで作られていく}【アロエ耐性水】(飲用するコトによってアレルギー症が改善し、散布によって『薬品耐性病原体』の発生を抑止するモノ)の普及には程遠い状況にあり。{一般理論の『E=mc²』に依拠した}『核エネルギー』の使用についての危険性を、『宇宙戦艦ヤマト』に於いて宇宙人から提供された『波動エンジン』から導き出した{紛れもなく特殊理論の}『波動エネルギー』に置き換えて論じてしまうコトによる、「一般理論の『E=mc²』が隠蔽されてしまう問題」について、誰からも{異論や反論などの}発言が無い状況にあり。『古典的な倫理』による強迫観念に取り憑かれて、『幸せの想い・想い合い』を否定してしまい、『試練の想い』にハマリ込んでしまって、誰もが必要の無い敵対関係に{当然のように}陥ってしまう状況にあって。『近代的な道徳』による強迫観念に取り憑かれて、各個にその“意識の中”に持っているべき『利権の共有意識』を放棄してしまい、権力を維持していく為の利権の収奪に正当性が付加されてしまって、『利権の共有』と言うと《力尽(チカラヅ)くで利権を分配する共産主義》が{当然のように}当てはめられてしまう状況にあって。日本人は、{行動を制限され、想う自由も失って}見せかけの破綻に苛(サイナ)まれ続ける{永遠の}スパイラルに陥っていて、周囲の人間同士で{当然のように}争ってしまい、{その影響により}人は自然環境の破壊行為にまで至ってしまって、{その責任をめぐって}人々は新たな争いを次々と起こしたのでした。
*日本文化の本質(概要)。【11月6日・日】
1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪日本文化の最後の膿≫
日本人の多くが、何かに臨む時にどうしても、自分で自分を{無自覚に罵倒して}追い詰めてしまう『自己叱責』の一点張りになってしまっていて。その為に、頑固なまでの《思考の視野狭窄》に陥り、さらには《慢性的な無気力》や《断続的な反抗心》や《突発的な攻撃衝動)》に苛(サイナ)まれていて。『引きこもり』や『自殺』や『被害妄想』や『イジメ(セクハラ・パワハラ・モラハラ等)』などが、日本人の国民病と言われる程に、{深刻化して}万延していたのです。
1000年前の日本人は、まだ「自分を褒めたり、自分を勞(イタワ)ったり、好きなように想うコトを自分に許したりする事」などを劣等であり、罪悪なのだと感じる{人間を労働者として縛って来た『古典的倫理』や『近代的道徳』の弊害である}強迫観念に取り憑かれていて。『“大”全体の概念』や『“お金”の共有認識』や『“想い”の自由』が広く認知され、誰もが当然の事として追求している今の人間とは、まったく違っていたのです。
*『日本人』と『唯一神教』の共通点(概要)。【9月25日・日】
1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪進歩による《この〔世界〕の切り崩し》が招いていたモノ≫
【更新する無限に多様な“大”全体】という真理から【部分解禁】してくる進歩による《この〔世界〕の切り崩し》が止まらず、[地球環境]や[人間社会]の破綻が止められずにいて、悲観的な未来像が万延し、それが『世紀末思想』と結びついてしまって、この歪んだ進歩が止められなかったのです。
日本人も悲観論が大好きで、悲観的な未来像を提言しては、それを先進性と称し、自己陶酔していたのです。
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令和6年度版
*日本の厄災。【2月26日・月】
お金は労働(特定の土台の上での積み上げ)の対価として支払われるモノ(特定の信用)であり、{グローバル経済だと言われる世界の中で}日本では労働者が低賃金で{一律に低レベルの}仕事を{歯車のシステムでの自由(歯車のフリー)に縛られて}させられ、日本は世界に於いて衰退(特定の土台の上が詰む)した状況(貧乏国家:劣等民族)となっていて、{政治家(世界レベルの地位獲得を目指す)や資産家(世界レベルの資金獲得を目指す)によって}早急のパラダイムシフト(戦争による打開)が求められているのだ、このままでは大きな{パラレルで起こる、厄災の}被害を{軽減させられないで}出してしまう事から{後進する時間認識の魔法(凄惨な人類史の根幹)に掛かったまま}逃れられない。
令和5年度版
*≪裸の王様≫たちに色々な服を着てもらいたい(ニートが出来た人は幸せ)。【8月25日・金】
基本部分(2)
{家庭や学校や職場で目上の者にされた{倫理・道徳や効率・有用性を大事だとする}圧迫反省転嫁で盲目的に{「感謝の念を忘れずに」と言って}頑張り過ぎた事による人間関係や仕事に於ける{唐突で強固な:取り憑かれるような}嫌悪感(「理想食で陥る納豆嫌い」や「努力しても治らないピーマン嫌い」みたいなモノ)を、気を逸らす事によって消し去ろうとして、色々と作った}危機論や陰謀論に{マジで}怯えてしまいながら、{結局は気を逸らすのに失敗した不完全なまま}嫌悪感が拭い去れていないという≪裸の王様≫になってしまっている大多数の人々に、多くの者たちの自由(歯車のフリー)を脅かすという{気を逸らすのには失敗した、マジな怯えによる}事(「危機論や陰謀論を刺激して報復されてしまう:勝手をするのが恐い!怖い~」という悪魔の囁きのよるもの)で{「危機論や陰謀論には上手に対処しなくてはならない」として}手を出せないでいた{前進する時間認識に基づいた:パラレル対応をする:待機組の担い手である}個別の勝手(≪裸≫になって手放して来ていた色々な服:手に入れれば【元気な勝手】を与えてくれる招き猫のような存在(悪魔の囁きにより拒絶して来ていた勝手食):危機論や陰謀論の対象への{自分が権益(利得)を得る闇賄賂としての:既得権益に取って代わっての}投資や支援)を{様々な方面に於いて}もっとしてもらいたい(着てもらいたい)ですし、{尚且(ナオカ)つ}危機論や陰謀論の者たち(既得権益)との共存も{1000年はかかるだろうから、主張するだけでいいので}目指してもらいたいのです。
自殺してしまうのは、
学校や職場に行かなければならないと頑張っている人たちで、
それは大多数の日本人である。
不登校や引き籠りのニートは、
大多数の日本人の不幸な道(辿り着く先が自殺)から離反できた訳ですから、
【それで良い!】のであります。
日本の将来や世界平和や地球環境に於ける様々な危機論や陰謀論をブチ上げられていて、
「ニートになどなっている場合ではない」とか「自由(歯車のフリー)でなくてはならない」とか「みんなへの感謝を忘れず、困難であっても頑張ろう」とか思うように仕向けられている日本人の大多数が不幸でありますが、
それは家庭や学校や職場で目上の者から{何度も繰り返し}受ける圧迫反省転嫁によって{スリ込まれて}形成されてしまうものであり、
病的な人間関係嫌悪や労働嫌悪に日本人の大多数が陥ってしまうからであり、
{現状では}ニートにでもならない限り、日本人の大多数が{危機論や陰謀論に唆(ソソノカ)されて}イジメやハラスメントを起こしてしまう(世界中では諍いや戦争が起こってしまう)からでありまして、
{ニートになれている訳ではない}大多数の日本人は(世界中の人間の多くが)子供の頃から死ぬまで不幸であり続けてしまうのです。
闇呪文(ダメダメで良い!・KY(空気を読まない)で良い!・ブレても良い!)を唱えて(心にバリケードを張って)いて、
ニートや闇賄賂(自分の権益(利得)を優先させる:自分の好みや都合を優先させる勝手食と同じで、その発見(肯定)によって{精神を武装する}招き猫になる)に至れていないと難しいのですが、
「前後が反転した時間認識の修正」や「人間の在り様の基準の《自由(歯車のフリー)が一律に求められる歯車のシステム》から《個別な勝手でパラレル対応する待機組が中心のアリの巣のシステム》への切換え」が出来ている事は、
人間が不幸でなくなるのにとても大切なのです。
{そして}尚且つ大切で1000年はかかってしまうのが、
目下の者への{倫理・道徳や効率・有用性を大事だとする}圧迫反省転嫁を善行だと思っている人たちや、
{人々に共通の危機や敵を示し、結束の大事さを認識させ、人間関係嫌悪や労働嫌悪から気を逸らさせようとする}危機論や陰謀論のブチ上げを正義だと考えている人たちとの共存(聞き流せる事)でありまして、
自分は大丈夫だと思っていても{そういう人たちが激減する事はないのに}共存が普及していなければ、
{結果的に}多くの日本人が不幸のままになってしまうのです。
*「役立っていたい」という正義によって「役立っている」と満足させられる日本の不条理。【5月29日・月】
「役立ちたい」という{危うい}正義感が、何時までも「役立っていたい」という形{歪んだ方向}で発露される日本では、老害を生み出す年功序列が{形骸化されているとはいえ}残っていて、お金の流れ(配分)が形式的(神の残滓を辿る:ヒエラルキーに相対するコト)で、{使われているお金が}有効に作用していない。
「役立っていたい」という{中高年の一部の}人たちの{独善や偽善の}為に、様々な分野で{お金の流れ(配分)だけではなく}圧迫や障害が生じていて、{チャレンジ精神が売りの}若者の様々な機会が{「役立ちたい」という正義の名の下に}抑圧されていて、各分野での{日本の}成長が伸び悩んでいる。
「役立っていたい」という{中高年の一部の}人たちが権力を握って離さず、老害の尻拭いに{若者だけではない}大多数の労働者が四苦八苦しているというのに、日本の{各分野での}成長は順調で、一般的な日本人の暮らしも豊かであると{戦時中の大本営発表のように}報じられていて、誰もが「役立っている」と満足する事が求められている。
*個別の《監視》を整備し、好きな《監視》をする。【5月15日・月】
人間による閉塞の先延ばしの為の『神への奉納』に於ける《監視》の行われ方は、世界的には誰かによる穢れを見逃さない為に{お互いがお互いに《監視》を}行うのが主流であり、アジアに於いては自分の行いによる穢れを見逃さない為に{お互いにお互いで《監視》を}行う割合が増える程度であるが、日本に於いては自分自身の穢れを見逃さない為に{お互いで自分自身の《監視》を}行う割合が{世界的には稀で、東洋的にも珍しく}少なくなくて、世界中で紛争が絶えず、アジアでは中央集権を民衆が支持していて、日本では{ブラックな躾をする}ブラック学校(スポーツの有名校など:ヒエラルキーに相対した指示命令系統に身を置ける)や{ブラックな労働環境の}ブラック企業(労使間や投資家との間に{越えられない、幾つもの、明確な}溝がある外聞重視の職場:ヒエラルキーに相対したお金の配分がされている)が{人間性の浄化を掲げていて}褒め称えられている(朝食時によく掻き混ぜてるのが理想の納豆食だと言われていて、夜にまったく掻き混ぜずに食べると注意して来るし、納豆を何百回も掻き混ぜて毎朝食べていると自慢して来るし、理想の納豆食が自分に合わないのを納豆が体質に合わないと言って納豆を嫌う人が続出する)。
そんな《監視》の中に居るとそれしか見えくなる(歯車システムに於ける交換・廃棄に躊躇(チュウチョ)しない「理想の納豆食をしない人に注意する」:自制心(理性:ケダモノ以下な事が出来てしまう)により暴走する「理想の納豆食をする自分の自慢をする」)し、{その}鬱陶しさに嫌悪感が爆発して{そのうち}ドロップアウト(自由(歯車のフリー)であれば良いのだろうと開き直る「勝手な納豆食(贄(ニエ)にする大切なコト)をしない」:勝手さえしなければ良いのだろうと開き直る「納豆嫌いだ(勝手ではない)と言い張る」)する。
「どっちが大事、理想的な納豆食が大事。どっちが大切、勝手な納豆食が大切。大事と大切ではどっちが{本当は}重要」などと言っていないで、お互いに邪魔だけはせずに、誰もが個別の納豆食が出来る環境を整備して、みんなが個々に好きな納豆食をしたら良いのです。
{他者を《監視》したり(し合ったり)、自分の行動を《監視》したり(し合ったり)、自分自身を《監視》したり(し合ったり)しているが、『神への奉納』の為になる《監視》は{本当は}どれ}などと言っていないで、お互いに邪魔だけはせずに、誰もが個別の《監視》が出来る環境を整備して、みんなが個々に好きな《監視》をしたら良いのです。
*手垢塗れと反抗期。【4月27日・木】
人間とは、事態が手垢塗れであったり、居場所が手垢塗れであったり、自分が手垢塗れであったりすれば安心できる生き物であり、{ジプシーの{文化的・遺伝的}影響を受けている個人主義の欧米人と違って}集団主義(手垢塗れが大事:強迫症状)の民族(国家)だと{特に}言われる日本人でありますから、{人間であれば}子供の頃には反抗期(手垢塗れに抵抗)と呼ばれる時期があるものの{日本人には}少なく、{どの民族でも少なからずある}大人になっても{反抗期が}終わらない者が{日本人では}特に少なくて、{それをいいことに日本では、「民度が高い」と言いふらされ、「自由は勝手と違う」と吹聴され、{自分で自分を監視する}監視社会が出来上がっていて}陰湿な社会問題(各種ハラスメント:待機組が疎かにされる:大切な人材の交換・廃棄)が日本では{隠蔽(口封じ)が被害者自身で行われながら}くすぶっているのです。
*「名もない花」とは何と自由な花なのか。【4月15日・土】
「名もない花」とは何と自由な{沢山の役割を担える、多くの可能性を持った、人間がその個別名(隠し名)を想像する事も出来ていない}花なのかと思うのだが、{人間の英知を代表する}科学者はそれを{理解せず}拒絶して「名の無い花など無い」と{モノには種別名(所属名)があれば良いんだといって}怒ったらしいのです。
「名もない花」のような人間であったなら、そんな人間の集団は『A』でも『B』でも『C』でも『D』でもあり、『A』を使うよそAの集団とは『A』て付き合え、『B』を使うよそBの集団とは『B』て付き合え、『C』を使うよそCの集団とは『C』て付き合え、『D』を使うよそDの集団とは『D』て付き合えて、諍いは少ないだろうが、「名の無い花など無い」というような人間の集団であると、『A』か『B』か『C』か『D』かでしかなくて、『A』か『B』か『C』か『D』かとしか付き合えず、諍いが多発する事になる。
そして、{『D』は少数派ではあるが、そういった多様性の尊重が大事なのだと言って}国際社会の趨勢(スウセイ)が『D』であるなら、日本も『D』であるべきで、『A』が{日本に於いては}多数派であるかもしれなくても、『A』を主張するのは控えなくたはならなくて、『A』を掲げるのは体制にとっての障害でしかなく、『A』を表明する者が{公共の場に於いては}交換・廃棄の対象になって{魔女裁判にかけられ、失脚して}しまうのが当然の事であると{日本では、一律に}されてしまう(『LGBT』をめぐる問題で日本の政府高官が{魔女狩りが行われて}失脚したが、多様性の尊重が大事だからとして、誰も可笑しいとは言わない:「名もない花」に対して科学者が「名の無い花など無い」と怒った{思量の狭い、理不尽な}事に誰も可笑しいとは言わないのと同じ{原理の」精神性)。
「名もない花」だと言う{本来の}日本人らしい想いは{前進する時間認識と同じで}大切だとも思いますし、【ちび猫】は自身が「名もない花」で良いと{闇呪文(「ダメダメで良い、KYで良い、ブレても良い」を唱える)と同じで}思っていますが、「名の無い花など無い」と怒るのが{近代文明の}科学者で、多様性の尊重が大事だからと魔女狩りを容認するのが{現代の}日本人であっても、まだ1000年間は仕方がないかと思っているのです。
*日本は何かを{隠し}持っている?。【3月14日・火】
「{みんなが常識として分かっている:これを基にした魔女狩り(障害の交換・廃棄)が{国家やメディアによって}推奨されている}これを守って{自分を合わせて:自制心(理性)を働かせて}やっていれば、{勝手にやらないで済んで{好みや都合に惑わされずに、頑張りが上手くいき}期待に応えられて、きっと}称賛されるだろうし、{自由(歯車のフリー)に仕事がこなせて{工夫や努力が報われ、周囲から高く評価され}良い働きが出来て、たぶん}お金も手に入るだろう」
という{特定の指向の、作用の働きが逆に向かった}スリ込み
(目が暗んだ「捕らぬ狸の皮算用」:称賛されてお金も得られるのだから正しい事(ノーベル賞(ノーベル財団からの賞賛)の受賞と同じ構図)なのだ:人(人の世:人の営み)にとっての大事な特定の土台)
が、
人の道理
(歯車(軍隊型:事態に於いて指示命令系統に沿って末端へ作用が働く)のシステム:アリの巣(提案型:事態に於いて末端から様々な提案がされように作用が働く)のシステムのモノを障害(交換・廃棄の対象:魔女狩りされても文句が言えない)としている)
の門番
(ノーベル財団は番人であり、ノーベル賞の授与は番人としての仕事でありまして、アリの巣システムが歯車システムにスリ替えられている)
の構造
(人間どうしで諍いが繰り返され、{絶滅の危機を何度も乗り越えてきた}生態系から人間(周囲を含めて)が除外されるに至る、人(人の世:人の営み)の問題点:「科学的(「科学的追求で正解に至れる!(パラレルを認めずに{生態系から(周囲を含めて)除外される一律(作用が逆に働く:歯車システム:指示命令)を続けて}特定の指向で閉塞した世界(パラダイム)を作り、そこでの{人や物事の}適合の度合いを鮮明にして{明確な}序列を付けているだけの{科学という}モノが誤認評価されている)」という{日本人の}妄想から生じたお墨付き)」や「経済的(「世の中にはお得な事が埋もれていて、それに目を向けない者が損をしているだけ!(お金の待機組(予備軍や持ち駒)としての活用(末端からの提案としてのお金の流れ:パラレルなお金の流れを起こす)を禁じ、損得や貧富の差の拡大を経済発展としているだけの{経済という}モノが誤認評価されている)」)という{日本人の}誤解から生じたお墨付き」がこの問題を{日本に於いて}複雑にしている)
なのである。
{ジプシーやインディアンやアボリジニたちなどをのぞく}人間世界(唯一神教が主体となって形成されている)に於いて、
「科学至上主義」や「経済至上主義」は間違いだと{歯車のシステムでの、古くなったモノの交換・廃棄として:失敗の責任を押し付けて}言われて久しく、
間違いを正す変革を始めようと{軍隊型のシステムに沿って:主導権の争奪戦で有利に立とうとして}言われて来ていて、
手を拱(コマネ)いていれば手遅れになると
{指示命令をドンドン出して:『温暖化対策』だと『SDGs』とか『種の保全』とか『LGBT』とかの魔女裁判での罪状を並べて}
最近になって言われているのだが、
{先進的な文化と古い価値観(江戸時代から残る世界観:明治時代から続く世界認識)が混在している:多神教で様々な神様たちが共存する{唯一神教からした}無神論の}
日本(ノーベル賞(アリの巣システムを歯車システムにスリ替えている)が大好きで、{狙って}ノーベル賞が{少なかず}受賞できている!)に於いては、
未(イマ)だに「科学的だ」と言われれば『正しさ』のお墨付きだと思って
{日本独特の納豆食だというのに、理想の納豆食が推奨され、断行されていて、納豆嫌いが増えているのと同じで}
疑わないし、
「経済的だ」と言われれば『見倣うベキ事』のお墨付きだと思って
{日本では被害が多いとされる詐欺事件だというのに、ねずみ講などで{他者を食い物にして}もうけた{連続するとは限らない}経験談(三段論法の出来事)が講習会の講師から{普遍的な事のように}語られ、三段論法の{ウソに近い}話しが世間話でされていても、誰も{まったく注意していなくて}不思議に思わなくて}
他者にまで広めようとしていて、
{自己意識の弱い}どんくさい単一民族の国にしか見えないのですが、
{科学技術の進歩(ガラパゴスと言われている)や経済の発展(輸出主体の貿易で円高なのに黒字が出る)は他の先進国とは違いますし}
何かを{隠し}持っているようにも見えなくないのです。
*狙ってノーベル賞を受賞する日本人の不思議。【3月12日・日】
{ジプシーやインディアンやアボリジニと呼ばれる者たちとは違う}現代人(唯一神教の世界で、【シックスセンス:大全体の概念:前進する時間認識や、作用が先に向かってパラレルで働くアリの巣のシステム認識】を失った{後進する時間認識や、作用が逆に向かって特定の指向で働く歯車(軍隊型)のシステム認識に縛られた}人間)の特徴である、
大きな戦争や凄惨(セイサン)な虐殺を繰り返して来た事と、
{絶滅の危機を何度も乗り越えて来た}生態系から{周囲を含めて、容赦なく}除外の対象にされている事が、
今も続いている最大の要因と言えるのが、
ノーベル財団によるノーベル賞であり、
{生態系が除外対象に容赦のない事を{人の道理(前進する時間認識や、作用が先に向かってパラレルで働くアリの巣(提案型)のシステム認識を、障害(勝手)として交換・廃棄するのが必然だとする理念:【シックスセンス】を失った{軍隊型の}歯車システムな情況)で生態系に拘(カカワ)る事(ゴリ押しする:反省転嫁する)によって、人間(周囲を含めて)が除外対象になっているのだと、{人の道理を人為的な実験に置き換えて}証明しようとして}指摘した《攻撃 悪の自然誌》や、科学の閉塞を{閉塞した人の世の見本として}指摘した《科学革命の構造:パラダイム論》が、ノーベル賞の受賞によって『研究のバイブル』や『進歩の理想形』にスリ替えられたように}
ノーベル賞には人の道理の番人の役目(大全体の概念を歯車システムの理念にスリ替える)があって、
ノーベル財団の思惑には{受賞理由(評価内容)には{唯一神教に基づいた}作意があり}注意が必要であるというのに、
{何故(ナゼ)か}日本人(多神教か無神論のハズ!)は『ノーベル賞がお好き』で、
{公言して}ノーベル賞の受賞を目指した研究や活動をしていて、
{狙い通りに}ノーベル賞を受賞する{人の道理の番人に警戒される}者が少なくないのですが、
人の道理の番人であるノーベル財団に番人の役目を{危機感を抱かせて}必要と感じさせるのは日本人の何(多神教や無神論の無自覚なアピール?)なのでしょうかね。
*日本が世界基準にある事の意味。【3月11日・土】
「他人と違う自分がいいんだから」とか「オンリーワンがいいんだから」という{自画自賛するような}甘い言葉(世界の潮流に乗って作られている)に日本人の多くが{唆(ソソノカ)されて、有頂天になってしまい}踊らされて、
「勝手な事が出来ないぞ!」と{自制心(理性)が働いて}意識してしまい、
{特定の土台の上や特定の指向に上手く合わせられる}自由(歯車のフリー)でなくてはならないのだと{強迫観に}縛られてしまって、
{パラレルで作用が働く{予備軍や持ち駒などの待機組(前進する時間認識で形成される、多様性が更新する大全体の構成員)のアリが多い}提案型のアリの巣システムとは作用が逆を向いた}
特定の指向で作用が働く(作用が先を向いた{個別で多種多様な}勝手の交換・廃棄が必然とされる)軍隊型の歯車システムの人の営みを{世界基準だからと}してしまうものだから、
{閉塞した人の世の}世界中で起こる{指向の主流派をめぐる}諍い(派閥争い)に日本国が{江戸時代のような鎖国も出来ずに}拘わり、
{土地開発や品種改良を続けて来た}人間(周囲を含めて)が生態系(絶滅の危機を何度も乗り越えて来た)から除外される事態に日本の企業や研究者が{清貧や風流の事を美徳や贅沢と感じていた時代に戻れずに}加担してしまっている。
*ウクライナ兵の死傷者数が報じられないのはフェイクと同じでは。【2月24日・金】
ロシアによるウクライナ侵攻についての日本での報道で、
ウクライナの民間人の死傷者数やロシア兵の死傷者数は細かく報じられるのに、
{ロシア兵をはるかに上まわると時々見聞きする}ウクライナ兵の死傷者数が{テレビなどでは}あまり報じられないようなのですが、
戦争が出来る国にしたい日本政府の{防衛の“軍”を神聖視したい}圧力に報道機関やジャーナリストが屈して、
{偏った情報しか流さない}フェイクを報じているのでしょうか。
*同性愛の否定も多様性の内だというのに。【2月22日・水】
多様性の容認を口実にして異論を口封じする凶行や、
異論者を魔女狩りする為の密告がまかり通ってしまい、
恐怖政治が横行している{自由(フリー)に縛られていて息苦しい}状況だというのに、
日本人の多くが「多様性の容認の周知(先進国としての常識の、歯車システムでの確立)の為にも、もっと異論者の徹底的な排除(交換・廃棄)が必要だ」と{自制心(理性)を働かせて:{勝手を許さない}正義を掲げて}言っていて、
{日本国内で}問題にされる事がない。
令和4年度版
*『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』などでの反省転嫁が実施されている。【11月30日・水】
『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』など{のような大事な事}を一律共通の命題だといって、
反省転嫁をするのが、閉塞の具現化という事になりまして。
{お気楽な}日本社会ではそれが知性的だとして{浮かれて}受け入れられ、
誰もが疑わずに実施していて、
閉塞が進行してしまっている(引きこもりや路上生活や自殺者の数が増え続けてしまっている)のです。
{そして}それがまだ1000年間は続きそうなのです。
{本来は営業の話しではあるのですが}どんなに大事な事があったとしても、
「それとは違う予備軍」や「拘(カカワ)っていない持ち駒」が出来るだけ沢山{多種多様に}確保されている事が{大全体として}大切であるのですが、
{しかし}それが{前進する時間認識に基づいた、みんながバラバラの土台の上に乗る世界観を持って}出来るようになるのはまだ1000年は先になってしまうのです・・・。
*特定の土台の上にみんなが乗っているという世界観。【11月30日・水】
{前後が反転した時間認識による}特定の土台の上にみんなが乗っているという{閉塞した}世界観だから、
『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』が一律共通の命題だとする言い分が世界(国際社会:国連)の最大派閥の看板になり得てしまい、
派閥間での諍いを激化させているのだが、
日和見な日本人がそれ(看板)をありがたく受け入れてしまうのだ。
しかもそんな事がまだ1000年間は続きそうなのである・・・。
*みかじめ料を捻り出し易いようにと提供された『SDGs』。【11月30日・水】
世界(国際社会:国連)の中の一つの派閥(最大派閥)の{提供された}看板でしかないのが『SDGs』や『脱炭素』や『人権問題』であるが、
{その派閥(最大派閥)に所属して}その庇護を受ける為にはそれ相応の{相当な額の}みかじめ料が必要であり、
その額を決めているのが{国連が主催する各種の}国際会議でありまして。
アメリカのトランプ元大統領はそんな{ロシアや中国などが戦争を覚悟して対立する}俗物派閥が仕掛けてくる諍い(言いがかり)に怯む事はないが、
それに{鈍感で受動的だと非難されながらも}頑張って参加しようとしてしまっているのが{表面的には戦争回避を至上命題としている}日本政府であります。
*テレビのニュースという茶番劇。【6月3日・金】
よく見るテレビのニュースに
「過労死が労災認定されて、残された遺族が記者会見をしているニュース」
というのがあるのだが、
あれでは
「働きたいなら{歯車システムに於ける歯車に欠かせない『自由(フリー)』の状態を保持して}労働者は{健康に問題があっても隠して}働け(雇用者は{面倒くさがらずに監視・管理をマメにして}働かせろ)。しかし{おとりとして拡散されている「自由」や「自分らしさ」の誘いに引っ掛かり}健康に問題があると{歯車システムを邪魔する異常な歯車のような勝手を}言うなら働かなくていい(雇用者は{惜しまず交換・廃棄を徹底させて}働かせるな)。ただし過労死したら{戦死した兵士が二階級特進をするような}労災認定を{遺族は悲しんではいるが}してもらえる」
という{歯車システムな日本社会(人が歯車として扱われる事)を{言葉巧みに}正当化する}メッセージの茶番劇でしかなく、
また他にも
「ポスドクのポスト不足(日本は特に深刻)によって、日本人研究者が海外の大学や研究所を{英語での競争力を高める努力をして}渡り歩きながらも、{資金力のある研究機関で実績を積み上げて}ノーベル賞(日本人が30人近く受賞している)を目指しているニュース」
というのもあるのだが、
これでは
「研究者はノーベル賞を目指せ。より資金力のある{海外の}研究機関に行け。その為にも{日本語を使わずに英語で考える}英語力を身に付けて{競争力にならない日本文化に染まらずに}日本を早く出ろ」
という{破綻(パラダイム変換に向かう必然)させてもいい日本像(前後が反転した時間認識の世界観に基づいた閉塞思考の日本人像)を{言葉巧みに}正当化する}メッセージの茶番劇でしかなくて、
こんな事をしているから【大全体】の概念が形成されるのが1000年先になってしまうのだ。
*日本的美徳の落とし穴。【5月14日・土】
直ぐに{やたらと高尚な視線で}もったいない(『効率』や『有用性』の為に個人の【勝手】を{卑しい事だとして}犠牲にする事を当然だと考える)をくりかえして、
{戦国時代に渡来した火縄銃の火力(社会にとって『効率的』で『有用』なモノ)に目が向いて}【ネジ】がまったく活用されなかった(一般生活への活用は卑しい人間がするもったいない事とされていて、火縄銃の部品として使われたダケで、文化として普及する事はなかった)ように、
日本に於ける【パラダイムの種】の喪失(日本人の見る目の無さ)は甚(ハナハ)だしく、
黒船が来てから起こった明治維新によってようやく【ネジ】がパラダイムとして実ったのです。
集団主義(粛清の口実に「自由は勝手と違う」が使われても{日本人(歯車システムに於ける歯車としての自由(フリー)は大事で、交換・廃棄は必要不可欠)にとっては当然の事すぎて}誰も不思議に思わない)が顕著で、
日本人にとっては大全体が機能しない(前後が反転した時間認識の世界観:特定の土台の上の閉塞)のは当たり前の事(テレビなどで偉そうな文化人が、閉塞を偉そうに口にする)で、
各分野の専門家とされる人たちに於ける【警告としてのパラダイム論】の伝承の断絶は{絶望的に}著しく、
{黒船がやって来るような事がなくて、日本人だけであれば}日本で【理想としてのパラダイム論】の妄信が1000年先まで続いたとしても不思議ではないのです。
*文化が衰退するばかりの近年。【5月5日・木】
{近年では}資本家(一般投資家や中小企業の経営者が大多数)が、
自由(フリー)を維持する為の{他者に労働させる}疲弊回避(自己主張をしないように、聞かない・考えない・動かない)に専念していて、
{効率や有用性の高い事(お金儲け)の追求ばかりをして}勝手をしなくいなり、
{浪費が無くなって}文化財が築かれなくなっている。
{近年では}労働者(非正規雇用者の派遣やパート・アルバイトが大多数)が、
{自由(フリー)であるベキ歯車に必然とされる}交換・廃棄の受け入れを{終身雇用が無くなり、拒む術もなく}していて、
{労働者を重視しない企業体制が当たり前になって}その頑張り(経験や技能や貢献)が無駄(歯車システムに於ける{交換・廃棄の対象の歯車に起こる}歪みやノイズと見なされる)となり、
{作業の自動化もドンドン飛躍して}熟練が継承されなくなっている。
*日本に多い、バカ上司に、アホ部下の、ダメ職場。【5月4日・水】
{上司というモノに対して}初めは、
絶対上位者な交換・廃棄の執行者として、
{怯えて}身構えて{自由(フリー)であるように頑張って}いた{部下な}のだが、
そのうち{だんだん}ウザイくそ野郎に見えてきて、
結局は{憂さが限界を越えて}適当に相手をするようになり、
{日本の多くの職場がそうなのだが}連絡がまともにされないで失敗が繰り返し続く{ダメ}職場
(終身雇用や年功序列が崩壊し、非正規雇用や新人(部下)が仕事の主要部分(現場)を{交換・廃棄の対象として、使い捨てにされて}辞めるまで{アホのように}担っていて、管理職(上司)の仕事が{バカのように}現場の足を引っ張る事(現場を担って来た従業員ほど交換・廃棄の対象にする)になってしまっている)
になってしまう。
*ウクライナへの支援は詐欺に遭っている様なもの。【4月21日・木】
アメリカや欧州の武器商人たちの見本市となっているウクライナに{人道的に}支援するのは、ウクライナに{非人道的に}拘束されている『親ロシア派市民』や『ロシア人』の解放を遅らせるだけ。
*パワハラ上司は良識のある人。【3月20日・日】
物事を{色々な方向から見て}複合的に{一律に逆らう事になっても}考えて、自分の動きを{一様からハミ出しても}判断してしまえるのが勝手(自己都合)であり。
自由(フリー)を目指している{良識のある}人にとっては、そういう勝手(自己都合)は、{難しいとか、したくないとかではなく}遣ってはならない事(厳罰となる行為)なのである。
他者(良識のある上司)からして見れば{困難や遣りたくない事からの逃避でしかなく、厳罰となる行為でしかない}勝手(自己都合)でしかないのに、当人(部下)は{単なる身勝手ではなく}最高の自由を{熟慮して}目指しているつもりになっていて。
「自由(フリー)とは対極の我儘でしかない」と{良識に基づいて、上司が部下を}叱責してしまうと、「パワハラ上司だ」と{上司が部下に}反論される事になり、{何時までも続く、不毛な}諍(イサカ)いとなってしまう。
令和1年度版
*次のお知らせ。【10月13日・日】
これからは、当ブログ第0092号の【『ちび猫のつぶやき』の(主張)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。
*平和ボケと揶揄される【KY】な日本人。【8月10日・土】
1000年後ろの時代までの日本は、『アジアの盟主』だとか『経済大国』だとか{日本の事を高い位置に持ち上げて}言って、{日本と共通の}特定の『連なり』の中に他国を取り込む、{牧場で家畜を管理しようとするような}安全保障の手法が{敗戦したり、反日運動をされたりしながら}とられていたが、
1000年後ろの時代からの日本は、『平和ボケした国家・民族』であり、『宗教オンチの無宗教』で『アメリカのような大国の金魚の糞』で『金は出すが血は流さない』などと{諸外国や、自国の知識人たちから}揶揄されるようになり。
1000年先の今でも、{期待を裏切り合い、責任を押し付け合っている}【KY:空気読まない:営業スマイル】を国民性とする{『平和ボケ』という揶揄が的を得ていて最適な}国家形態である事によって、{統合して平和を築いては}分裂や争いを繰り返す世界情勢から、日本は{期待されず、責任など持たされずに}遊離しているのです。
・平成31年度版
*日韓問題には“アホウ”な日本人が欠かせない。【4月6日・土】
1000年“後ろ”の時代までは。日本が韓国に対して、「低報酬を前提に、合理的に頑張るコトによって、競争力の向上が図られるのが『発展と進歩』だ」と言って、目先の利得にアクセクするコト(歯車動作の連動連鎖)の為の支援(監視:枷(カセ))をしていて。韓国は日本から、「{【大全体】の構成員の}単独での更新を最大に活用(乱用)する事による、【部分解禁】の推進(『悪の自然誌』の実験)の達成(『時間認識に於ける前後の反転』の必然である破綻による『パラダイム変換』への加速)」へと{ペースを乱されて}追い立てられていて、ペースダウンした人や社会で{『糞詰まり』して}渋滞状態となり、{反動や憂さ晴らしが頻発して、屁理屈をゴリ押しするように}反日感情が噴き出していたのです。
そして1000年“後ろ”の時代からは。「未来の損をしても良い、過去をダメにしても良い」として、自分(日本人)の利得を韓国で散財する“アホウ”な日本人が増え。
そしてその1000年“前(先)”の今では。“アホウ”な日本人から生み出された韓国人の『ゆとり』により、多様な韓国人(韓国社会)での【大全体】の形成が促進されていて、反日感情が鎮静化しているのです。
*お知らせ。【3月23日・土】
これからは、当ブログ第A0015号の【道路をゆっくり走るのに、・・・】~【道路をゆっくり走るのに、・・・(~~~)】をメイン用例としていくつもりなので、参照していただけたら幸いです。
*お詫び。【3月4日・月】
【ニーチェ】の『神は死んだ』の発言に於けるこれまでの{人類への賛歌としていた}解釈を反転させる自己修正をする事に致しました。修正内容については当ブログ第A0015号の【『神は死んだ』などと言われない為に】を参照していただけたら幸いです。
*過去に葬られた事の再研究が投資となり、恩恵が再配分される。【2月10日・日】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪人道主義的高福祉社会の実現を目指して勇んだコトによる失業の増加≫
1000年“後ろ”の時代までは。日本人労働者(男性就労者)に対しての{労働の質の悪化に伴う}『需要』の低さを放置したままなのに、
{日本国内に於ける総労働力の対価としての『総賃金』が{労働の質の悪化に伴って}低いままでの、人道主義的高福祉社会での{『発展や進歩』に伴う}労働の規制(一人の労働者に求められる質の向上と、労働力としての制限)による、日本国内に於ける総労働力と総労働者数の必要性の高まりに対し、不用意に心配して}
女性や外国人などから選抜した優秀な労働者を{勇み足で}増加させてしまったものだから、日本人労働者(男性就労者)の平均的労働条件がドンドン深刻化(悪化)してしまい、日本人労働者(男性就労者)の質の更(サラ)なる悪化を招いてしまって、日本人労働者(男性就労者)からの失業が増えて(溢れ者が増加して)しまったのですが。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。日本人労働者(男性就労者)に対しての『需要』を高める為の労働の質の向上の必要性が認知され、日本人労働者(男性就労者)の一人一人が、労働の質の向上の為の努力
(“土台(壁・枠組:『パラダイム』を形成するモノ)”の段階を何回広げても、その上(内側:『悪の自然誌』の人工的実験室)にいる限りは{どの段階にあろうとも}誰もその縛りからは逃れられない事から、“土台(壁・枠組:『パラダイム』を形成するモノ)”の上(内側:『悪の自然誌』の人工的実験室)にモノを積み上げて行くような{時間に於いて後ろへと進行する}閉塞した世界観(時間認識)から個々に自己修正をして、{【更新する無限に多様な大全体】に適応した}『他のモノ』たちからの協力要請を個別に求められる様な地力の各個の育成)
を始めて。
そして、1000年“前(先)”の今では。{神の絶対唯一の意思を人間が実現させる最善の方法だとされていた}動力を伝える歯車(近代的人間性)で構成されるような社会では在り得なかった、{神の求めの多様さや更新に順応した}『アリ的お一人様:神秘主義』な日本人労働者(男性就労者)による、{ジグソーパズルの各ピースに、状況に応じた形や動きの更新が、様々に求められるような}【大全体】な世界での日本人労働者(男性就労者)の『需要』の高まり(各個による個別な主体性に基づいた、【大全体】での個々の適応能力の向上)や、『他のモノ』たちとの協力関係の構築による日本国内での『総賃金』の高まり
(“土台(壁・枠組:『パラダイム』を形成するモノ)”の上(内側:『悪の自然誌』の人工的実験室)に限られた状況下での投機的な生き方とは違う、{誰かに負担を担わせたりしない}生きた投資を目指すコトによる、“土台(壁・枠組:パラダイムを形成するモノ)”の上以外(外側:『悪の自然誌』の範疇(ハンチュウ)の外)への思考・行動の拡大と、
{自然(時間)によって{世界に於ける多様性の更新に於いて、人の営みを破綻させるように生じる}腐敗や劣化が進行するという負担を担わされるのではなく、新たな多様性の更新によって
{多様性の切り崩しや、更新の捻じ曲げによって{その可能性が隠蔽されて}過去に葬られて来た、多くの事(『人類の団体戦勝利の陰で単独での更新を強いられて来たモノたち:家畜やペットや乳酸菌や抗生物質など』や『更新する多様性を受容した研究:『E=mc²』の一般化やSTAP細胞など』)が再研究(再評価・再発見)されて}
恩恵が受けられる様になるコトによる}
再配分の獲得)
が、実現されているのです。
・平成30年度版
*『想い』の自由の解禁から生じる人類の可能性。【8月25日・土】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪不自由な『想い』の妄想どうしでの誤解から生じる人類の危機≫
1000年“後ろ”の時代までは。旧日本軍の陸軍(特に関東軍)は、軍事慰安婦への{金銭などでの}独断での優遇と引き換えに、{南方作戦での玉砕や、本土への空襲が起っていた時に、満州ではまだまだ優勢で}戦時下とは思えない快楽を貪(ムサボ)っていた時に、{大本営が無条件降伏して}突然の敗戦となり、その{軍人にあるまじき}堕落ぶりがバレてしまうのを恐れて、{ソ連軍が侵攻して来た為に焦ってしまい、逃がすコトも出来ないまま}慰安婦たちを殺害してしまったのだが。その{稚拙な出来事と、短慮な事件の}事をめぐって、朝鮮人たちは「強制連行の末の殺害行為であり、決して許されるものではなく、今の日本政府(日本人)には賠償に応じる責任があるハズだ」と言い、日本人は「慰安婦たちとは金銭的合意をしていたし、殺害は敗戦とソ連軍の侵攻による混乱の中で起こった悲劇であって、今の日本政府(日本人)に賠償を求めてくるのは筋違いだ」と言っていて、旧日本軍の陸軍(特に関東軍)や軍事慰安婦の真相(実態)を無視した{不自由な『想い』の}妄想どうしでの誤解(言い争い)が続いていたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。『想い』の自由が解禁され、{日本人が}軍隊に於ける軍事慰安婦(快楽の必要性)というものを肯定的に想うコトを始め、{朝鮮人たちが}慰安婦たちによる金銭的合意(彼女たちへの優遇)というものを肯定的に想うコトを始めて。
そして、1000年“前(先)”の今では。物事の真相(実態)を無視した{不自由な『想い』の}妄想どうしでの誤解から{起こり}激化していく『イジメやハラスメント』や『テロや紛争』の{精神や社会の}構図が学問化され、『想い』の自由を縛っていた{古くから平和や繁栄に必要だとスリ込まれていた}典型的な倫理や道徳や宗教などの{『組み体操の意識』を一つの人類である事に由来する“共通”の『大切なモノ』であると妄信してしまうような}危険性が周知されていて、人間が『アリ的お一人様』として個々別に在る事(停滞無く進歩する個人、自然から取り残されない人の営み、地球環境と一緒に更新をする人の世)が{『パラダイム論』を反面教師として、利便性を追求する為に『E=mc²』までも部分解禁してしまった近代物理学を反面教師として、『攻撃:書籍』を反面教師として、そしてさらには時間認識に於ける前後の反転を反面教師とする土台に捉われない未来認識と、個々人への支援を断ち切る自由市場経済を反面教師とする個々人への支援を目的にした配分経済の下で}守られているのです。
*『朝鮮半島の愛玩ドール』、旧日本軍への貢献を称えて。【8月17日・金】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪『朝鮮半島の愛玩娘』たちの旧日本軍への貢献に感謝する≫
1000年“後ろ”の時代までは。韓国人たちにより、『慰安婦の像』が世界中で作られ。北朝鮮は、慰安婦問題の発言を繰り返していて。日本人は、そんな朝鮮人に、さらなる憎悪を抱いていたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。『慰安婦の像』を、日本人は『朝鮮半島の愛玩ドール』と呼び、その但し書きは「旧日本軍への貢献を称えて」とし。北朝鮮の、慰安婦問題の発言に対しては、「『朝鮮半島の愛玩娘』たちの旧日本軍への貢献に感謝する」とだけ言って上げて。朝鮮人に対し、日本人は、『幸せな想い』の自由を使い始めたのです。
そして、1000年“前(先)”の今では。朝鮮人による、『慰安婦』の事で日本人に憎悪を抱かせようとした{日本を自滅に追い込む策略の}挑発が。{結果的に}日本人に,「『倫理道徳の試練』の憂さ晴らしの問題」の本質を気付かせたのだとして、評価されているのです
*日本人だって何時までも馬鹿じゃないんだから。【6月17日・日】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪駄々っ子のまま大人になった親が子供を虐待する事に共感できるハズの日本人≫
1000年“後ろ”の時代までは。北朝鮮が「幕府(中央政府)と諸藩(軍閥)との力関係が拮抗していて、{影武者と疑われ兼ねない}将軍様(委員長)に自由が少なく、{拉致や軍事衝突を暴走させてしまう}諸藩(軍閥)の合意が将軍様(委員長)の言葉とされて幕府(中央政府)の決定事項となる」という{幕末の日本の様な}状況にある事を{北朝鮮に於いて安全保障上の機密事項とされているものとして}踏まえていたかどうかは“不明”だが、{多分“偶然”だと思うのだが}アメリカは{開拓以来の異文化との苦い歴史から学んだ結果であるかのように}ただ単なる北朝鮮との{会う事をアピールする}首脳会談に踏み切り、{朝鮮半島の文化や伝統に左右される}諸藩の合意がアメリカの思惑に沿ってくれるように{西洋的価値観からズレていて、食い物にされる可能性が高い“蛮行”に見えても、大統領が“天邪鬼”で}配慮するコトが出来たのですが。日本(日本人)は、{スーパーで親の事情も分からずに駄々を捏ねる子供がそのまま大きくなって親になってしまった事による}親が子供を虐待するのに躾を言い訳にしているのと同じように、{西洋文明にかぶれて驕(オゴ)り高ぶって自分の醜態に気付かないまま}北朝鮮への制裁継続に固執し、重要であった「朝鮮半島の文化や伝統や、北朝鮮の政治体制(権力の独特な構図)に柔軟な理解を示し、{影武者と疑われ兼ねない}将軍様(委員長)であっても諸藩(軍閥)からの協力が得られるように幕府(中央政府)を{世界を舞台に信じる事を表明して}盛り立て、日本(日本人)自体が諸藩(軍閥)から信用されるように毎年でも北朝鮮と日本との首脳会談を{形骸化していようとも}和やかに行うコト」という事を、{良識ある}政府と{善良な}国民の総意によるものとして{犯罪者との取引は出来ないという大義名分を盾に、その受動的無策を正当化してしまって}拒絶し続けたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。{“天邪鬼”な大統領による}アメリカの“偶然”の産物からの成功によって、日本(日本人)は、配慮すべき「朝鮮半島の文化や伝統や、北朝鮮の政治体制(権力の独特な構図)」の存在に気付き、その重要性に気付き始め、朝鮮半島問題への能動的な{生産的}関わりを始めたのです。
そして、1000年“先”の今では。「アメリカ(大統領)の“蛮行”が、日本(日本人)の目を開かせた」という『偶然から何かが始まる』という意味の格言が出来ているのです。
*卑劣な事件の犯人との共感に至れなかった日本人の失敗。【6月1日・金】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪卑劣な事件を第三者的に扱ってしまった日本の{テレビなどの}マスコミの失敗≫
1000年“後ろ”の時代までは。「少女への{親からの}虐待や{同級生からの}イジメや{大人からの}暴行」などといった卑劣な事件が{自殺や死傷に至って}発覚したりすると、{テレビなどの}マスコミは{特異な事件だとして}大騒ぎし、「大多数の善良な市民(日本人)が、彼女(彼女達)を何とか救うコトは出来なかったのだろうか」などのような{第三者的な}善人を代表しての発信(妄想劇)をしていたのですが。実際の市民(日本人)はというと、{パワハラやモラハラやセクハラなどの}ハラスメントの連鎖の中で{理性を失うほど}窮窮(キュウキュウ)となり、『倫理道徳の試練』の憂さ晴らしに{無自覚で}必死となっていて、{善人に向けられた発信(妄想劇)で自分(自分たち)は善人なのだと盲信したまま:【ちび猫】も善人ヅラをしてはいるが、ラジオで流れた歌に『可愛い“恵まれた”少女』や『ステキな“頑張っている”女性』を連想させる歌詞(特定のワードのようなもの)があったりすると、{瞬間的に}攻撃衝動が抑えられなくなる時が在って、{自分では紳士的だと思っているのに}よく女性から“怖い”と言われてしまいます}事件が次々と繰り返されていたのです。
しかし、1000年“後ろ”の時代からは。「人間の本質には善人ではない{個々別であり、『指示命令系統』を拒絶する}部分が在り、蔑(ナイガシ)ろにしてはならない」という認識が周知され始め、{テレビなどの}マスコミでも{特に}卑劣な事件の報道では、自分たちが同じような事件を{犯人として}起こさないように促すような注意喚起(誰もが『アリ的お一人様』であるコトによって人の心と営みが{破綻する事なく}安定するという主旨に基づくもの)となってきて、{日本人の}市民生活も自分(自分たち)の精神状態を追い詰めてしまう事がないように{自分(自分たち)が『指示命令系統』から離脱し、『幸せな想い(想い合い)』をする自由が確保されるべく}配慮する(配慮し合う)ものとなっていったのです。
そして、1000年“先”の今では。『大全体』を多次元多重構造にした『アスキーアートの世界観』で過去が見渡され、未来に役立つ情報の掘り起こしが行われていて、{1000年“後ろ”の時代までの}卑劣な事件の犯人との共感が{人間の可能性の色々な意味での確認として}行われているのです。
・平成29年度版
*オカシイものがオカシイと責任追及されてきた時代~2~(概要)。【7月17日・月】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪可笑しいモノを可笑しいと笑える時代へ=日本編=≫
1000年“後ろ”の時代までは。『権力者を支える科学者の側』の者達によって、{競争の原理に基づいた競争社会を駆使しての}磐石な社会形成が目指されていて。そこでは、{イジメやパワハラを駆使して}弱者がドンドン切り捨てられ、弱者自身にも{積極的に}その社会の為の犠牲となるコト(ハラキリ行為)が{強制的に}求められたのですが。しかし結果的に、お粗末な多様性しか持たない脆弱(ゼイジャク)な社会が形成されてしまい、その社会は{目的の果たせないまま}オカシイ事に何時までも破綻の危機にさらされ続けてしまったのです。そして、さらにはそこに『庶民を扇動する知識人の側』の者達が攻勢を強めてきて、「そんな{オカシイ}社会だから〔この世界〕に破綻が招かれるのだ」と責任追及し、{風流や風情を重んじて、頑張る者を悪に感化されていると攻撃する}非社会的行為の正当化(試練)が{人間を縛り、追い詰めるように}人々に求められ。ついには、{試練に耐えられずに狂気が吹き出してきて}その社会に破綻が招かれたのですが。
1000年“後ろ”の時代からは。オカシイ事を続ける『権力者を支える科学者の側』を、オカシイと責任追及する『庶民を扇動する知識人の側』によって、人々の精神は{無自覚なまま、自由を自主的に抑制してしまう}強迫観念に押しつぶされ、{様々な場面で、様々な人に}様々な攻撃衝動が発動してしまうのだと認知され始めて。
1000年“先”の今では。可笑しい事を続ける『権力者を支える科学者の側』を可笑しいと笑い、そんな『権力者を支える科学者の側』を責任追及する『庶民を扇動する知識人の側』に対しても可笑しいと笑っていて。人々は、『幸せな想い』を{個々に、自由に}満喫するコトが出来ているのです。
*イジメに責任を感じる被害者、テロに無責任な知識人(概要)。【4月16日・日】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪1000年“後ろ”の時代の時事ニュースに思う事≫
1000年“後ろ”までの時代に於いては、
≪大多数の人間が、みんな(全体)の為だと言って抑制(排除)の実施(『古典的な倫理』や『学歴主義』)を{盲信して}受け入れて、その抑制(排除)の実施から残った形の『同じ様な人間』が{様々である事によって【“大”全体】に貢献していた}更新機能(能力・頑張り)の発揮を{同じ様に偏って}一様にしてしまい、
{『多様性のベース拡大』がなければ物は必然的に劣化し、腐敗して、人の営みが破綻に至るように、たとえみんなが自由であったとしても}誰もが「誰もが誰もを攻撃する誰にとっても有害な存在」となってしまって、
{【“大”全体】が失われた世界に於いて、腐敗を起こしたり、病原体の温床となったりして、多くの生物の生命を脅かし、{【“大”全体】が隠蔽された人間世界に於いて}不可欠なモノでありながらバイ菌と呼ばれて嫌悪され、『殺菌・消毒』の対象にされていた雑菌群と同様の}反体制的な『知識人』や反動的な『テロリスト』などが次々と誕生していたのです。
又そこは、『多様性のステップアップ』からも隔絶された{自然界では縄張り争いをせずに群れを作るハズの魚が、一匹をみんなで排除しようとするイジメを{イジメられていた魚が死んだり、取り出されたりしても、次の魚をイジメて}繰り返す、自然界(外世界)との関係が断絶した水槽の中のような}世界(閉鎖した空間:『悪の自然誌』に於いては自然となっている作為的空間)でありまして、
{イジメが必然と妄信され、イジメ回避は必要努力であると考えられていて、イジメられてしまうのは必要努力を怠った責任結果であると{イジメた方よりも、イジメられた方が悪いように}認識するのが当たり前であった為に}誰もが「自分の自由を発動させて(『幸せな想い』に各個が至り)、外世界との関係を広げるコト(『古典的な倫理』による偏りからみんな(全体)が解放されるコト)」が出来ないまま縮(チジ)こまってしまっていて、
{セクハラやパワハラやモラハラなどの責任を被害者が背負い込んでしまい、解決策が見い出せない}閉塞した世界(閉鎖した空間)だけが誰の目前にも広がって{見えてしまって}いたのです。≫
という状況でありましたが。
しかし、1000年“後ろ”からの時代に於いては、
≪時代ごとの生物群(“大”全体)の変化が反映されていない『平面的な木で描かれた、単層構成の進化論の図』で{時代ごとに形成されていた多様性の意義を無視したまま}説明されていた進化論が、
生物群内で役割を担い合う【“大”全体】の構成が時代ごとに変化している事を反映させた『立体的な木から形成された、時代ごとに多層構成にした進化の図』で{多様性の意義と、その変化の意味が良く解るように}説明されるようになり、
『悪の自然誌』の{自然を偽った}呪縛からも解放されて。
人間の集団が{外世界との多様な関係を持った}『多様性のステップアップ』を形成する時には、人間の各個は{自分が自分だけの存在であり、他者はその他者だけの存在である}『多様性のベース拡大』をしているものだと理解され、
それに伴って、「『様々な人間』が、多様性の構成員としての【“大”全体】に貢献する更新機能(能力・頑張り)の様々な発揮が出来るよう、自分が幸福であると想えるだけの{『古典的な倫理』に縛られずに、『幸せな想い』が実践できるような}自由である必要があるのです。」という考え方が普及され始めたのです。≫
という状況に変わり。
1000年“先”の今に於いては、
【更新する無限に多様な“大”全体】から派生した『パラダイム変換の反面教師』や『ロール紙の世界観』や『時間認識の正常化』や、『特殊な科学理論(宇宙人の技術など)という世界観と、それを認めない「創造主による完全な世界」という世界観の、二者択一の争いに惑わされない、一般理論的思考の世界観』や『近代的な道徳に縛られない、「ゲームで再分配が繰り返される駒やカード」としての『お金』の認識』なども加わった【“大”全体】の概念が広く普及していて、
{1000年“後ろ”の時代には、冷静さや柔軟さを欠いた人間で溢れ、「哀れな人間」や「醜い人間社会」の暴露や、「文明の滅亡」や「人類の滅亡」の危機が{小説や映画や漫画などで描かれたりして}氾濫していたが}平穏と繁栄が享受されているのです。
*本や映像やゲームなどで『待ちぼうけ』を紛らわす人々(概要)。【1月24日・火】
1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪『待ちぼうけ』を紛らわしていた日本人の足下で起こっていた事≫
1000年“後ろ”の時代までは。《夜明け前の“清浄”の持続》を大切に“想う”コトから生じた『完全理論的思考の世界観』によって、破綻を厭わない【部分解禁】の進歩を{人から清浄を奪う悪魔的行為として}拒絶してしまう、一般庶民の側と。《夜明け前の“頑張り”の継続》を大事に“想う”コトから生じた『特殊理論的思考の世界観』によって、破綻を厭(イト)わない【部分解禁】の進歩を{『“盤ゲーム”の世界観』に於ける進歩には古い人の営みのリセットが必要なのだと割り切り、古い枠組みを壊しての『パラダイム変換』による理想的な進歩として}求めてしまう、権力の側とが。《決定的な対立関係》に在る、世界とは違って。日本では昔から長閑(ノドカ)に、他者に対して「こんなので大丈夫?」と“想う”コトによる《親切の押し売り》をして、顰蹙(ヒンシュク)を買ってしまう事は多々あっても、双方が《過激な実力行使》に至るというような事は少なかったのですが。しかしそれは、日本人というモノが「《今の危機》を逃れて《遠くの理想郷》へ行きたいという“想い”から『待ちぼうけ』の状態が生じ、それを紛らわすように小説を読み、映画やテレビを見て、{特に}マンガやアニメやゲームなどの《バーチャルな世界》に興じてしまい、そしてそれによって《今の危機》と《遠くの理想郷》への{安易な}イマジネーションをさらに膨らませてしまって、結局は『待ちぼうけ』を{のんきに}永続させてしまう循環的状況に{無自覚なまま}陥っていた」からであり。決して、足下に埋もれた【更新する無限に多様な“大”全体】に目を向ける《【“大”全体】の概念》の解放が始まっていた訳ではなかったので。日本人(民族)にも{小さな}亀裂や分断は多々生じていて、《原発をめぐる問題》や《憲法をめぐる問題》などでは、明確に権力者の側と一般庶民の側とに分かれてしまって、結論の出ない感情的な対立関係に{粛清やテロにまでは至らないだけで}陥っていたのです。
しかし、その“先”の時代に進むにつれて、《今の危機》と《遠くの理想郷》の“想い”から生じる『待ちぼうけ』の状態を紛らわす為にマンガやアニメやゲームなどの《バーチャルな世界》に興じる{無為(ムイ)な}時間ら労力が日本でも問題視され、それに連動して{《決定的な対立関係》と《過激な実力行使》で苦悩していた世界と同じく}自分たちの足下の《【“大”全体】の概念》に関心が向って。1000年“先”の今では、マンガやアニメやゲームが、日本の『御伽噺(オトギバナシ)』になっているのです。
・平成28年度版
*治安維持の裏で日本人がしていた事(概要)。【11月18日・金】
1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪治安が良いと言われた時代の日本人の素顔≫
日本社会では、{特にメディアなどで}よく「人間は微力であり、小さな存在でしかなくて、{その中の個人でしかない}自分が悩んでいる事など『大した事』では無い」などという{悟ったかのような}宗教的な言葉を用いて、『自殺の抑止』や『犯罪の抑止』などの治安維持が目指されて来ていて、見た目の治安の良さだけは世界のトップレベルであったが。外国人からは「海外からの{日本への}旅行者が多いのに、{日本は労働ビザを受けるのが厳しいからだと言われてはいるが}移民が少ない本当の理由は、{特異で閉鎖的な社会で}労働環境が最悪だからだ」と陰口を叩(タタ)かれ、自殺者数は毎年約2万人いて、{年代を問わずに起こってしまう}『イジメやパワハラやモラハラ』や『セクハラやDVやストーカー』などが深刻な社会問題となっていたのです。
1000年前の日本では、【更新する無限に多様な“大”全体】の概念が{封印されていて}まだ一般化されていなくて、{その為に}当然のように{雑菌の温床を『生きた水』にしてしまうよな}『多様性のベース拡大』や{『活性はちみつ』や【アロエ耐性水】から『反面教師としてのパラダイム論』が導き出されて、さらにそこから【“大”全体】の概念が各分野へと波及していくような}『多様性のステップアップ』の事が無視された{【部分解禁】でしかない}各分野での{もがけばもがくほど泥沼にハマってしまうだけの}進歩がエリートたちによって{与えられるようなモノではなく、庶民がその“意識の中”に各個に持っているべき利権を、収奪し、権力として集中させるべく}競われていて、庶民たちも『パラダイム論』が反面教師である事など知る由も無く「話しで聞く『パラダイム変換』とは人類を更なる進歩の段階へと引き上げる理想の進歩のあり方であるらしく、自分も『パラダイム変換』を心掛ければ周囲のみんなをリードできる」などと思い込んでしまっていて。身近な所に在る『生きた水』に目が向かず、昔から在った{マヌカハニーや国産のハチミツや、外国産のハチミツを『生きた水』で割ったモノである}『活性はちみつ』(飲用するコトによってアルコール依存も解消されるモノ)が{主に中国製の}低価格な工業製品(不活性品)の大量流通によって{高額な}嗜好品へと追いやられ、各地で利用されていた『アロエ』も{成分だけが抽出さて作られる}工業製品が主流である為に{『生きた水』に『アロエ』のスリ身や粉末を混ぜるだけで作られていく}【アロエ耐性水】(飲用するコトによってアレルギー症が改善し、散布によって『薬品耐性病原体』の発生を抑止するモノ)の普及には程遠い状況にあり。{一般理論の『E=mc²』に依拠した}『核エネルギー』の使用についての危険性を、『宇宙戦艦ヤマト』に於いて宇宙人から提供された『波動エンジン』から導き出した{紛れもなく特殊理論の}『波動エネルギー』に置き換えて論じてしまうコトによる、「一般理論の『E=mc²』が隠蔽されてしまう問題」について、誰からも{異論や反論などの}発言が無い状況にあり。『古典的な倫理』による強迫観念に取り憑かれて、『幸せの想い・想い合い』を否定してしまい、『試練の想い』にハマリ込んでしまって、誰もが必要の無い敵対関係に{当然のように}陥ってしまう状況にあって。『近代的な道徳』による強迫観念に取り憑かれて、各個にその“意識の中”に持っているべき『利権の共有意識』を放棄してしまい、権力を維持していく為の利権の収奪に正当性が付加されてしまって、『利権の共有』と言うと《力尽(チカラヅ)くで利権を分配する共産主義》が{当然のように}当てはめられてしまう状況にあって。日本人は、{行動を制限され、想う自由も失って}見せかけの破綻に苛(サイナ)まれ続ける{永遠の}スパイラルに陥っていて、周囲の人間同士で{当然のように}争ってしまい、{その影響により}人は自然環境の破壊行為にまで至ってしまって、{その責任をめぐって}人々は新たな争いを次々と起こしたのでした。
*日本文化の本質(概要)。【11月6日・日】
1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪日本文化の最後の膿≫
日本人の多くが、何かに臨む時にどうしても、自分で自分を{無自覚に罵倒して}追い詰めてしまう『自己叱責』の一点張りになってしまっていて。その為に、頑固なまでの《思考の視野狭窄》に陥り、さらには《慢性的な無気力》や《断続的な反抗心》や《突発的な攻撃衝動)》に苛(サイナ)まれていて。『引きこもり』や『自殺』や『被害妄想』や『イジメ(セクハラ・パワハラ・モラハラ等)』などが、日本人の国民病と言われる程に、{深刻化して}万延していたのです。
1000年前の日本人は、まだ「自分を褒めたり、自分を勞(イタワ)ったり、好きなように想うコトを自分に許したりする事」などを劣等であり、罪悪なのだと感じる{人間を労働者として縛って来た『古典的倫理』や『近代的道徳』の弊害である}強迫観念に取り憑かれていて。『“大”全体の概念』や『“お金”の共有認識』や『“想い”の自由』が広く認知され、誰もが当然の事として追求している今の人間とは、まったく違っていたのです。
*『日本人』と『唯一神教』の共通点(概要)。【9月25日・日】
1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。
≪進歩による《この〔世界〕の切り崩し》が招いていたモノ≫
【更新する無限に多様な“大”全体】という真理から【部分解禁】してくる進歩による《この〔世界〕の切り崩し》が止まらず、[地球環境]や[人間社会]の破綻が止められずにいて、悲観的な未来像が万延し、それが『世紀末思想』と結びついてしまって、この歪んだ進歩が止められなかったのです。
日本人も悲観論が大好きで、悲観的な未来像を提言しては、それを先進性と称し、自己陶酔していたのです。
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