第0004号
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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
・『ブログ』を始めるにあたって④
皆様こんにちは、今日も楽しくしておられますか。皆さんも『悪銭身に付かず』という言葉は良くご存知だと思いますが。
今回は「従来型の『場面緘黙症対策(バメンカンモクショウタイサク) 』」で、{『良好発声』を達成した英雄}となるべく思惟(シイ)・実践をしながら、その“特定”の場面での、その“最適”な言葉の『発声困難』を改善・解消するべく、多様な努力をしている時の「一時的に良くなって、偶然的に『良好発声』が少しだけ出来る事はあっても、またすぐに『発声困難』に陥(オチイ)ってしまい、しばらくは何があっても良好に発声するコトが出来なくなってしまうような、『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』によくある症状」と、この『悪銭身に付かず』とが、“同じ原理での成り立ち方をしている”と、何十年も前から頻繁(ヒンパン)に・チョクチョク考えてしまって、自分の“卑しい下心を誠心誠意改めようと努力していた”にもかかわらず。
最近始めた「新型の『場面緘黙症対策 』」に思い至るのに必要だった、{「従来型の『場面緘黙症対策』」は、「競馬の“馬券購入必勝法”」にそっくりだ}という発想を始めるキッカケを掴(ツカ)む事が、「そもそも“悪銭”はギャンブルで得られる“アブク銭”のコトである」のにも関わらず、なぜかなかなか出来ないまま、長年を無駄に過ごしまった事について、少しお話しさせて頂こうと思います。
・本文(3)
「従来型の『場面緘黙症対策』」を実施する人はよく、
【自分は「『大人の場面緘黙症』による本当の不公平を受けている」のだから、その『発声困難』な言葉が少しだけでも・一時的にでも『良好発声』出来ただけで、たとえそれ以後がまったくダメな『発声困難』なままであったとしても、自分は良く頑張ったともっと評価されてもいいはずだし、もっとちゃんと自信を持ってもいいはずだ!】とか、
【自分は油断していると{自分以外の多くの人達は『大人の場面緘黙症』で『発声困難』に陥る“辛さ”を知らずに居ると考えてしまって、もっと“他者を恨んでもいいはずだ”と思い込むばかりで、他人の苦労を知ろうともしないで居る}バカ者となってしまい、それが原因となって、良くなるはずの『発声困難』がいっこうに良くならないのだと、もっとちゃんと自覚するべきなのだ!】などの、
そういった“強い思いや深い思惟など”によって、自身の「『大人の場面緘黙症』で『発声困難』に陥っている事態の原因となっている“卑しさから発生”する漠然(バクゼン)とした不安や緊張」を『有用な思いに“昇華”』させて、『良好発声』を目差して行こうと《『思惟昇華志向』の『場面緘黙症対策』》をする事があるし。
少し時間が経って、別の機会になると、
【自分自身が『大人の場面緘黙症』によって『発声困難』に陥っている事が利用出来ると思い、{「『御百度参り』の願掛(ガンカ)け」のように、その『発声困難』な言葉を誠実な真心で使用し、無残な“無口な無愛想”をハタ迷惑に実践し、困窮する状況や困難な現実を引き起こす}事態を自分で招きながらも、そんな『発声困難』のゴリ押しを積み重ねるコトで自分は確率的に・神秘的にレベルアップしていけると信じて、その『発声困難』による「無残な“無口な無愛想”のハタ迷惑」を何時までも・何度でも繰り返す】コトや、
【その『発声困難』による「無残な“無口な無愛想”のハタ迷惑」から決して逃げずに立ち向かっていて、その「『大人の場面緘黙症』の発症のメカニズムを自力で解明・解決する」までは、何があろうと“変節せずに一歩も後退しない”と覚悟を決める】などの、
こだわりの実践をただただ・ひたむきに続けるコトで、『大人の場面緘黙症』の原因と考えられる「その“特定”の言葉へのオヨビ腰な心や、無責任な思い」を「より高いレベルの“覚悟”」に近づけて『良好発声』を目差すという、《『実践昇華志向』の『場面緘黙症対策』》をしたりもするのです。
そして、そのどちらを行なった時でも、『場面緘黙症対策』の失敗の“自己反省”として、その都度同じ様に、【何度も『大人の場面緘黙症』の改善・解消の手がかりとなりそうな『良好発声』をするコトが出来ていたのに、毎回『悪銭身に付かず』と同じように、その手がかりを“アワが弾けるように”見失ってしまうのは、未だに「『理』に適(カナ)った『場面緘黙症対策』」のための、《『理』に適(カナ)うコトの理解》が出来ていないからだと思われる】という結論を出してしまい、
その様な自己反省の結論を何度も出しては、その都度もう片方の『実践昇華志向』か『思惟昇華志向』の『場面緘黙症対策』にシフトチェンジするというパターンを何時までも(延々と)繰り返していて、
いつも・いつも、『ただ“ワクワク”しながら、「そう簡単には出来ない《『理』に適(カナ)うコトの理解》」が出来るようになる“昇華”が起こるのをただ待っていた』だけであったのですが。
そもそも・それは、『超難題の解決を成し遂げる「“昇華”を思い・努力する」だけで「“ワクワク”する」ので、その“快感”欲しさに止められなかった』だけなのである。
そして、その「従来型の『場面緘黙症対策』」の最大の問題点である改善・解消の手がかりを、いつも・いつも見失ってしまう『悪銭身につかず的状況』が、その名から簡単に連想される『射幸心』による“ギャンブル依存”の中毒症状と同じ様な仕組みで引き起こされているコトに着目した人がほとんど居なかったためか(=自分も第0003号で書いたように30年近くたってから最近・偶然で知り得ただけなのですが・・・)、
『場面緘黙症対策』と『射幸心』とを結び付けて、《“超難題解決”の“昇華”を思い“努力”する事の『{ワクワクの}構造』と、“ワクワク”おもちゃの『{当たりルールの}黒ひげ危機一髪ゲーム』の“何時かは当たる快感”の共通性を踏まえて》考えられた(話や)文章を目にした事が今までにほとんど無かったという事なのです。
・概要0004
足が悪いまま改善しないと診断された時こそ自分が試されている時であるが、頑張ってリハビリに取り組み歩いてみせるんだと一途に努力し励むなら、“誠実な気力”がいつまでも湧き起こり真っ直ぐな“正しい気持ち”は永遠に、決して穢(ケガ)れる事がない。『大人の場面緘黙症』のための『場面緘黙症対策』も同じで、なかなか症状が改善しない時こそ自分の気持ちが試されている時であるが、どんなにうまく行かない事でも投げずに頑張り続けるなら、“誠実な気力”がドンドン湧いてきて「何があっても変節など決してしない」“正しい気持ち”を永遠に見失わない。
しかしこれでは、ただ“歩けない”だけだし、いつまでも『大人の場面緘黙症』なだけなのである。そして、ギャンブル依存症の人や、宗教の原理主義やカルトにはまり込んだ人も、同じような【袋小路(フクロコウジ)のロジック】に迷い込んでいるようなのである。みんな一度、「価値観や神秘観を機能停止」させてから、《自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する》という機能を自分の中に構築する必要があるだろう。
~~~概要0003~~~
足が悪いまま改善しないと診断された人が、普通に歩行しようとして訓練に明け暮れて、その一生を歩行訓練をする事のみに費やしてしまったとしたら、なんと不幸な事なのでしょうか。それと同じ過ち事を『大人の場面緘黙症』の人は『場面緘黙症対策』として犯しているのです。
車椅子に乗って遠くへ旅行したり、車椅子でするテニスやスキーを楽しんだり、車椅子で出来る仕事に励んだりする事を、誰が“悪知恵”だとか“変節”だとか“意気地無し”だとか言うでしょうか。『大人の場面緘黙症』の人も早く『場面緘黙症対策』を断念し、『代替え言葉』をどんどん使って、会話を楽しんだらいいと思うのです。
~~~概要0002~~~
「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。
~~~概要0001~~~
ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。
・参照
【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】
【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】
【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】
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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
・『ブログ』を始めるにあたって④
皆様こんにちは、今日も楽しくしておられますか。皆さんも『悪銭身に付かず』という言葉は良くご存知だと思いますが。
今回は「従来型の『場面緘黙症対策(バメンカンモクショウタイサク) 』」で、{『良好発声』を達成した英雄}となるべく思惟(シイ)・実践をしながら、その“特定”の場面での、その“最適”な言葉の『発声困難』を改善・解消するべく、多様な努力をしている時の「一時的に良くなって、偶然的に『良好発声』が少しだけ出来る事はあっても、またすぐに『発声困難』に陥(オチイ)ってしまい、しばらくは何があっても良好に発声するコトが出来なくなってしまうような、『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』によくある症状」と、この『悪銭身に付かず』とが、“同じ原理での成り立ち方をしている”と、何十年も前から頻繁(ヒンパン)に・チョクチョク考えてしまって、自分の“卑しい下心を誠心誠意改めようと努力していた”にもかかわらず。
最近始めた「新型の『場面緘黙症対策 』」に思い至るのに必要だった、{「従来型の『場面緘黙症対策』」は、「競馬の“馬券購入必勝法”」にそっくりだ}という発想を始めるキッカケを掴(ツカ)む事が、「そもそも“悪銭”はギャンブルで得られる“アブク銭”のコトである」のにも関わらず、なぜかなかなか出来ないまま、長年を無駄に過ごしまった事について、少しお話しさせて頂こうと思います。
・本文(3)
「従来型の『場面緘黙症対策』」を実施する人はよく、
【自分は「『大人の場面緘黙症』による本当の不公平を受けている」のだから、その『発声困難』な言葉が少しだけでも・一時的にでも『良好発声』出来ただけで、たとえそれ以後がまったくダメな『発声困難』なままであったとしても、自分は良く頑張ったともっと評価されてもいいはずだし、もっとちゃんと自信を持ってもいいはずだ!】とか、
【自分は油断していると{自分以外の多くの人達は『大人の場面緘黙症』で『発声困難』に陥る“辛さ”を知らずに居ると考えてしまって、もっと“他者を恨んでもいいはずだ”と思い込むばかりで、他人の苦労を知ろうともしないで居る}バカ者となってしまい、それが原因となって、良くなるはずの『発声困難』がいっこうに良くならないのだと、もっとちゃんと自覚するべきなのだ!】などの、
そういった“強い思いや深い思惟など”によって、自身の「『大人の場面緘黙症』で『発声困難』に陥っている事態の原因となっている“卑しさから発生”する漠然(バクゼン)とした不安や緊張」を『有用な思いに“昇華”』させて、『良好発声』を目差して行こうと《『思惟昇華志向』の『場面緘黙症対策』》をする事があるし。
少し時間が経って、別の機会になると、
【自分自身が『大人の場面緘黙症』によって『発声困難』に陥っている事が利用出来ると思い、{「『御百度参り』の願掛(ガンカ)け」のように、その『発声困難』な言葉を誠実な真心で使用し、無残な“無口な無愛想”をハタ迷惑に実践し、困窮する状況や困難な現実を引き起こす}事態を自分で招きながらも、そんな『発声困難』のゴリ押しを積み重ねるコトで自分は確率的に・神秘的にレベルアップしていけると信じて、その『発声困難』による「無残な“無口な無愛想”のハタ迷惑」を何時までも・何度でも繰り返す】コトや、
【その『発声困難』による「無残な“無口な無愛想”のハタ迷惑」から決して逃げずに立ち向かっていて、その「『大人の場面緘黙症』の発症のメカニズムを自力で解明・解決する」までは、何があろうと“変節せずに一歩も後退しない”と覚悟を決める】などの、
こだわりの実践をただただ・ひたむきに続けるコトで、『大人の場面緘黙症』の原因と考えられる「その“特定”の言葉へのオヨビ腰な心や、無責任な思い」を「より高いレベルの“覚悟”」に近づけて『良好発声』を目差すという、《『実践昇華志向』の『場面緘黙症対策』》をしたりもするのです。
そして、そのどちらを行なった時でも、『場面緘黙症対策』の失敗の“自己反省”として、その都度同じ様に、【何度も『大人の場面緘黙症』の改善・解消の手がかりとなりそうな『良好発声』をするコトが出来ていたのに、毎回『悪銭身に付かず』と同じように、その手がかりを“アワが弾けるように”見失ってしまうのは、未だに「『理』に適(カナ)った『場面緘黙症対策』」のための、《『理』に適(カナ)うコトの理解》が出来ていないからだと思われる】という結論を出してしまい、
その様な自己反省の結論を何度も出しては、その都度もう片方の『実践昇華志向』か『思惟昇華志向』の『場面緘黙症対策』にシフトチェンジするというパターンを何時までも(延々と)繰り返していて、
いつも・いつも、『ただ“ワクワク”しながら、「そう簡単には出来ない《『理』に適(カナ)うコトの理解》」が出来るようになる“昇華”が起こるのをただ待っていた』だけであったのですが。
そもそも・それは、『超難題の解決を成し遂げる「“昇華”を思い・努力する」だけで「“ワクワク”する」ので、その“快感”欲しさに止められなかった』だけなのである。
そして、その「従来型の『場面緘黙症対策』」の最大の問題点である改善・解消の手がかりを、いつも・いつも見失ってしまう『悪銭身につかず的状況』が、その名から簡単に連想される『射幸心』による“ギャンブル依存”の中毒症状と同じ様な仕組みで引き起こされているコトに着目した人がほとんど居なかったためか(=自分も第0003号で書いたように30年近くたってから最近・偶然で知り得ただけなのですが・・・)、
『場面緘黙症対策』と『射幸心』とを結び付けて、《“超難題解決”の“昇華”を思い“努力”する事の『{ワクワクの}構造』と、“ワクワク”おもちゃの『{当たりルールの}黒ひげ危機一髪ゲーム』の“何時かは当たる快感”の共通性を踏まえて》考えられた(話や)文章を目にした事が今までにほとんど無かったという事なのです。
・概要0004
足が悪いまま改善しないと診断された時こそ自分が試されている時であるが、頑張ってリハビリに取り組み歩いてみせるんだと一途に努力し励むなら、“誠実な気力”がいつまでも湧き起こり真っ直ぐな“正しい気持ち”は永遠に、決して穢(ケガ)れる事がない。『大人の場面緘黙症』のための『場面緘黙症対策』も同じで、なかなか症状が改善しない時こそ自分の気持ちが試されている時であるが、どんなにうまく行かない事でも投げずに頑張り続けるなら、“誠実な気力”がドンドン湧いてきて「何があっても変節など決してしない」“正しい気持ち”を永遠に見失わない。
しかしこれでは、ただ“歩けない”だけだし、いつまでも『大人の場面緘黙症』なだけなのである。そして、ギャンブル依存症の人や、宗教の原理主義やカルトにはまり込んだ人も、同じような【袋小路(フクロコウジ)のロジック】に迷い込んでいるようなのである。みんな一度、「価値観や神秘観を機能停止」させてから、《自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する》という機能を自分の中に構築する必要があるだろう。
~~~概要0003~~~
足が悪いまま改善しないと診断された人が、普通に歩行しようとして訓練に明け暮れて、その一生を歩行訓練をする事のみに費やしてしまったとしたら、なんと不幸な事なのでしょうか。それと同じ過ち事を『大人の場面緘黙症』の人は『場面緘黙症対策』として犯しているのです。
車椅子に乗って遠くへ旅行したり、車椅子でするテニスやスキーを楽しんだり、車椅子で出来る仕事に励んだりする事を、誰が“悪知恵”だとか“変節”だとか“意気地無し”だとか言うでしょうか。『大人の場面緘黙症』の人も早く『場面緘黙症対策』を断念し、『代替え言葉』をどんどん使って、会話を楽しんだらいいと思うのです。
~~~概要0002~~~
「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。
~~~概要0001~~~
ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。
・参照
【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】
【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】
【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】
~~~第0004号先頭へ~~~
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そのうち、大阪へも遊びに行こうと思っていますので、その時にまた色々な話しが出来る事を楽しみにしています。