ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

104.ちび猫が見付けた『世界のお話し』の公開(2)

2015-03-21 | 現代病理
第0104号


*****(制作終了)*****


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98.ちび猫が見付けた『現代世界のつぶやき』の再現からの続きです。

139.ちび猫が見付けた『現代世界のつぶやき』の再現(3)へ続きます。







令和4年度版







*「人類共通の問題で、誰にとっても必然」と言う、閉塞の具現化。【11月26日・土】


『人権問題』や『温暖化問題』などへの対策ともなる『SDGs』への取り組みは、人類(みんな)にとっての共通の問題であり、誰(一人一人)にとっても回避する事の許さない必然であるとされているが。

しかしそれは、{パラダイムを形成して}各個が{一律に}していない事の(特定の土台の上での物事の)積み上げの結果(閉塞)でしかなくて。

{全員であったとしても}その人間が起こしている{当事者にとっての}事であり、{無関係な者などいなくても}その人間が止めればいいだけの{関係者にとっての}事であるのに、人類にとっての問題であり、誰にとっても必然であると{パラダイムを形成させて}言って(閉塞世界観で恐怖し、{みんなが}みんなを{呪縛魔法に}巻き込む)しまっては、それは閉塞(魔法世界)の具現化でしかないのです。

しかもそんな事が、まだ1000年は続きそうなのである・・・。







*1000年は続く、世界のゴタゴタ。【9月7日・水】


欧米や日本に対してのロシアや中国が、

{今のまま}容認できないのが、

まだ1000年は続くので、

世界のゴタゴタも{今のまま}1000年は続く。







*人間は自由(フリー)であるので、『大事な事』の主導権争いを起こす。【5月28日・土】



様々な人の色々な{個人の我儘とされ、危険だとされる}事(大全体を構成する予備軍としての勝手)をその足元に{闇科学(付加として連なる各個の勝手な研究:火縄銃に於けるネジの私的流用・宇宙戦艦ヤマトに於ける波動エンジンの原理(物理学の再定義・再構築)の私的思索)を{不可能な程に手間が掛かるからと言って}しないまま}埋めてしまい、

権威から{ノーベル賞を授与されたり、効率や有用性の最善・最良を決めるコンペティションで勝ったりするなどし、理想的なモノだと認められて}提示された大事な{当然とされる}事(魔法科学の研究結果:{みんなが一択して行う}パラダイム変換を理想の進歩とするパラダイム論・{みんなが一択して行って、当り前だとする}理想的な納豆食)を一択する事が出来るようになる為には、

人間の誰もが{効率や有用性が追求された{一択するベキ、最善・最良な}事を{勝手に}無駄にしないような}自由(『大事な事』を完遂する為に、勝手な{個人の我儘とされ、危険だとされる}事をしないで、{我慢し、自制して}頑張り続けられる事であるが、歯車システに於ける歯車に求められる自由(フリー)と酷似していて、合理的(神への供物として文化(生産性や科学技術や文学芸術)を向上させようとする理性的追求)に同義とされてしまい、『前後が反転した時間認識の世界観』と同じで、魔法が発動する)を形成・持続させる必要があり、

{それ故(魔法が発動した為)に}エリートにより庶民(労働者)の{歯車システムの歯車に不可欠な}自由(フリー)の度合いが{先進国に於いては、より厳格に}チェック(監視・管理)されるベキであるとされ、

{更には}人間(エリートから見た労働者)が必然的に{歯車システムの歯車が自由(フリー)の維持の為に処分されるように}排除(交換・廃棄)の対象にされるように{先進国が先導し、多くの国が追従して}なっているのです。


「人間は自由(フリー)である事が不可欠である」として、

アメリカや欧州(NATO諸国)などがロシアに{『大事な事』はこちらに在るとして}圧力を掛けて来たが、

ウクライナ問題(情報戦を含む)でロシアによる{『大事な事』を掲げての}反攻が始まって、

{アメリカの庇護下にある日本(日本人)はNATOよりなのですが}世界中で『大事な事』の{一択の世界再統一を目指した}主導権争いが{ノーベル賞の権威を越えて}激化しているのです。







*自由(フリー)の受け入れでプッツンしたロシア(プーチン)。【5月7日・土】



{朝食時によく掻き回して食べるのが良いとされる}理想的な納豆食(個人の好みや都合の優先は{もったいなくて}無駄だとする)の自由(フリー)な受け入れで{嫌悪感が肥大して}減退する納豆食。


{点けられると一定時間後{直ぐ}に風呂へ入らないと無駄になる}風呂場暖房が点けられた事(自分の勝手はダメだとされる)への自由(フリー)な受け入れで{攻撃衝動が暴走して}険悪になる人間関係。



自由(フリー)による{歯車システムに於いて歯車に課せられる}縛りがが{欧米に於いて広く}浸透していたが、

その利益に目が暗み、

無理してその仲間(歯車システム)に{歯車として}入ろうとして来たのがロシア(プーチン)であるが。


{しかし}だんだんロシアらしさは減退し、

{そして}ロシアの主体性が保てなくなって来て、

{ついに}プーチンがプッツンして起こしたのが、

ウクライナへのロシアの軍事侵攻である。







*ロシア軍(プーチンの姿)へのスリ込まれた恐怖感。【5月4日・水】



車止メばかりの{千差万別の}歯車システム(各個が個々に土台の上に立っている:誰もが勝手にパラダイムを使い分けている)で個別に生きるコトをしていて、

交換・廃棄を繰り返されながら生きている人たち(闇呪文(ズルで良い、ズルと言われて良い、誰もがズルで良い、晩年がダメで良い、死に方がダメで良い、死んでからの評価がダメで良い)を唱えている卑怯者やグウタラ)から見れば、

他者(交換・廃棄を強いる側)というのは{歯車システムの事ばかりで、自分(私、個人)の事などまったく考えてくれていないのであっても}様々な問題に対する色々な悩みを抱えながら生きている{要注視な}存在でして、

ウクライナを攻撃するロシア軍(プーチンの姿)を見ても、

ロシアが抱えている問題や、

プーチンの悩みを{想像して}考える事が出来るものなのですが。


歯車システム(特定の土台の上:パラダイム論)の人の営みで、

{自由(フリー)な}歯車として{勝手を自制し、頑張って}生きていて、

交換・廃棄の対象になる事に怯えている{前後が反転した時間認識の世界観(魔法)に縛られた}人達(善良な一般市民)からして見ると、

{人の営み(歯車システム)で関わる}他者というのは{特定の土台の上で物事を閉塞させながら}自分(私、個人)に{食い物にしようとして}貪(ムサボ)りついて来る{交換・廃棄を実施し、自分(私、個人)の勝手を阻む}存在にしか見えなくて(スリ込みによるもの)、

マスコミでウクライナに攻撃するロシアを見聞きする度(タビ)に、

{欧米による情報戦でスリ込まれて}ロシア軍(プーチンの姿)に対して恐怖感(交換・廃棄のゴリ押しにより、急速に世界が閉塞する)ばかりを抱いてしまうのです。







*ロシアがハマったウクライナの戦争。【4月21日・木】


日中戦争で南京の守備隊の日本軍が終戦で撤退すると、北京に入った北京軍(中国共産党)が30万人の南京大虐殺を{共産党に敵対する市民を排除して}デッチ上げたが、

ウクライナの首都キーウの周辺を占領していたロシア軍が撤退した後の路上に死体があって、ロシア軍による虐殺の跡だとウクライナ側は言っているが、ロシア軍を貶(オトシ)める為の罠にロシア軍がハマっただけ。







*アメリカがロシアをハメたウクライナの戦争。【3月20日・日】



ウクライナは{人道危機の}戦争状態にあり、一般市民の死傷者が多数出ていて、国外へ逃げる難民が何百万人にも及んでいるのかもしれないが。

{太平洋戦争の時の日本のような}ロシアに対して、{アフガニスタンの二の舞はゴメンで、{それを教訓に}今度はロシアをハメたい}アメリカが、{ロシアとプロパガンダの応酬となる}情報戦を{世界戦争や核戦争に至らないようにするという名目で}ダラダラと繰り広げていて、{日本の真珠湾攻撃を、{大義を得たかった}アメリカが知りながら放置したように}世界中(日本など)が{ロシアへの制裁の強化をするだけで}ただ静観をする(勝ち馬に乗ろうとしている)だけなのです。



欧米諸国の人間(日本人も含む)の大多数が、敵対勢力のプロパガンダに対しては勝手(無意識に抵抗する)であり、味方のプロパガンダにたいしては自由(積極的に従順であり、フリー)であるが、{しかし}一部分ではあるものの反対の意見(敵対勢力のプロパガンダに対して自由(フリー)であり、味方のプロパガンダに対しては勝手(無意識の抵抗)である)を言う少数派が{必ず}いるものでありまして。

{お互いに}自由なつもりの相手を{自分こそが自由だと妄信して}勝手だと責め立て合い、{個人攻撃の応酬の}小さな諍(イサカ)いを繰り返していて。

アメリカの思惑通りの情報戦が{日本を含む世界中で}成立し、ウクライナでの{ロシアを消耗させる為の}戦争が{ウクライナの一般市民を見殺しにして}続けられてしまうのです。







*ロシアのプーチンの怒り。【3月13日・日】


東西冷戦の終結からアメリカや欧州(EU)やNATOなどが世界中で馬鹿な紛争を積み上げて来た事で(前後が反転した時間認識での『歯車システム』のゴリ押し)、ロシアはそれに振り回される(アメリカや欧州の勝手が優先されていて、【スリ合わせ】をせざるを得ない)形で色々な損(地位の低下や利権の放棄:汚点となる自殺行為)をして来ていて(交換・廃棄の対象(累積の発生源である歪み)に仕立て上げられる)、{追い詰められた}ロシアのプーチンには{歪みや累積がリセットしてしまえる}パラダイム変換(パラダイム論の悪循環)を起こす必要があったのです。


「人の勝手」や「自然のゴチャゴチャ」に対して【スリ合わせ】を行ってしまうのは、『歯車システム』に於いては歪み(累積の発生源)を生じさせる事(土台の上に物事が積み上がるのに{積み重ねられて、大きくなり続けてしまう}制限を生じさせる事:汚点となる自殺行為)であり、交換・廃棄の対象になる事であるので、無かった事にしていまいたい訳だが、それにはパラダイム変換(制限が積み重なっていた歯車システムの交換による歪みと累積のリセット)が起こらなくてはならないのです。


「人の勝手」や「物事のゴチャゴチャ」に対して【スリ合わせ】を行うという事を、栄養士を例にして説明すると、相手(対象者)の勝手を優先させて栄養学的に考えられた事の提示を歪める行為であり、栄養士の存在意義を無にする{行う度に汚点として累積して行く}モノ(自殺行為)でしかないものですから、栄養士は栄養学的に考えられた事の提示を{相手(対象者)の勝手を注意して:反省転嫁して}歪めないのです(自己反省しないのです)。


闇魔法(勝手)の呪文は、≪『自分が「ズル、逃げ、ヘタレ」で良い』・『誰かに「ズル、逃げ、ヘタレ」と言われても良い』・『誰が「ズル、逃げ、ヘタレ」でも良い』でOK≫ですし、闇魔法(勝手)の処世術は、≪『「KY(空気を読まない)で、我儘(ワガママ)で、ブレていて、碌(ロク)な老後にならない」で良い』・『「KYで、我儘で、ブレていて、碌な死に方をしない」で良い』・『KYで、我儘で、ブレていて、碌な評価を死後にされない』で良い』でOK≫ですが、魔法に縛られている人には{勝手になりたくなくて・勝手と言われたくなくて・誰かが勝手なのが許せなくて}それ(汚点として累積する自殺行為としか思えない:勝手への【スリ合わせ】)が難しいのです。


日本の戦国時代に火縄銃が伝来した時に{パラダイム変換に直結する}その火力が{戦国大名が大量注文をして、江戸時代には規制を受けながらも}増強されるが、機械的な構造(【仕組】:ネジなど)については{関心を抱く事が{幕府から製造に関して厳しい規制が掛けられ、工房に於ける秘匿とされていて}禁じられていただろうし、{他者(みんな:他人のする勝手)に【スリ合わせ】をする{自己反省的な}事に{反省転嫁のゴリ押しをしたくて}不快感を抱いて}誰も関心を抱く事が無く}無視され続けたのです。


宇宙戦艦ヤマトの『波動エンジン』に於いてもその{パラダイム変換に直結する}火力の増強が{「人類の命運が掛かっている:大事な事」と最初は言われ、続編では規制が必要ではないかと言われながらも}されながら、『波動エンジン』の原理(【仕組】:一般科学や一般生活への応用)についてが{技術力の不足を理由に{最初に}無視され、それからも{大切な事(原理:【仕組】)の宝庫であるハズなのに、物事への【スリ合わせ】という事(一般科学や一般生活への応用)に対して制作者側に関心が無く}追求する者は描かれず}捨て置かれたままになるのです。


ロシアのプーチンも、栄養士も、戦国時代の人々も、宇宙戦艦ヤマトの【真田 志郎】工作班長(その制作者側)も、みんな同類なのです。







令和1年度版







*ごもっともな『関係論』と【関係論】の悪用。【11月24日・日】



1000年“後ろ”の時代までは。



モノの存在の理解に於いて、


そのモノを{より身近な}周囲の物事との関係性の中{特定の指示命令系統や為替経済系統の中での立ち位置}に在る事で

{その意義・価値・立場・効果などが}

確立される存在だとして{特殊相対的に}認識するという

{身近な部分を全体として、そこに階級や差別を形成し、{それが縒(ヨ)り集まる事による}人間世界の効率化を目指す}

考え方(呪縛)に陥って

{自然に対しての水槽内のような実験装置内に:みんなの共有が大前提である為に個別の更新が禁じられた枠組に閉じ込められて:時間が後ろへと進む土台の上で先細りする積み上げを行って}

いる事を【関係論】が{暴露するように}言い当てている

(上下の関わりの制限を正当化する為の『ヒエラルキー』や、拒絶を正当化する為の『穢れ』の{呪縛的な}存在が証明している)

というのに、


構造主義的に

「より多くの物事との関わりから導き出される客観的な構造(多角的視線での{より沢山の}検索に応じる形で{より明確に}解明される構造)を理解し、モノを{一般相対的に}認識する重要な考え方である」

と『関係論』を言い直したり、


ノーベル賞の評価に於いて、


不自然な水槽内での{不自然な}出来事を例にしてノーベル賞で表彰される研究の正体(不自然な事の羅列)を【悪の自然誌】が暴いているというのに、


不自然な存在である{水槽の中に閉じ込められている魚(時間が後ろへと進む土台の上での先細りする積み上げ行為)と同じ様に在り続けてしまう}人間が生きて行く上で必要になる《大切に回収すべきデータ》の為の実験(ノーベル賞に近づく研究)のお手本が『悪の自然誌』であると言い直したり、


閉塞する未来の打開策に於いて、


みんなとの共有の為に個別での更新が禁じられた枠組が{限界にきて}変換される様(『パラダイム変換』と呼ばれる、繰り返される醜態の歴史)の暴露を【パラダイム論】でしているというのに、


『パラダイム変換』という《進歩の理想形》によって人間世界の未来を{開拓方法を示し}照らしているのが『パラダイム論』であると言い直したりしていて。



人間たちは『予想対応:不自然な状況の事を研究し、みんなで計画的に役割分担をして、不自然な状況に立ち向かって行く:近代科学が目指すもの』によって自然から{必ずや}必要とされる{ハズの}『スーパーサブ』の立ち位置を目指して、


その『予想対応』の根幹となる{実験装置内で得られる}データの回収を最優先とし、


{そして}そんな実験装置内に人々を留め置く事の正当化の為に『パラダイム論』や『悪の自然誌』や『関係論』が{その本質を隠蔽して}悪用されて、


{そうして}そういった実験装置のスムーズな切り替えの為にノーベル賞が

{『科学技術の進歩』や『社会経済の発展』や『普遍的な倫理道徳』や『清浄な発言・実行』などの名目で、データの回収が済んだ目印とし、次の実験装置の開発・切替を促(ウナガ)すのを目的として}

贈られていたのでした。



そして、1000年“後ろ”の時代からは。



ノーベル賞で促されていた{『予想対応』の根幹となるデータを回収する為の}実験装置の開発・切替が{時間が後ろへと進む土台の上での先細りしていく積み上げ行為である事により}閉塞してしまい、


大多数の人々がそのモノの存在(その意義・価値・立場・効果など)がより身近な{その周囲の}物事との関係性によって{特殊相対的に}成り立っているとする{【関係論】の悪用による}呪縛に縛られたまま実験装置内から{実験装置が切り替わる度(タビ)に}使い捨てのように溢れだしていて。



{しかし}それでも「より多くの物事との関わりからそのモノの客観的な存在が示される」という一般相対的な見方によってモノの存在が確定される『関係論』で表面的には装うものだから、


{他人が集まった状況の}集団(職場や地域社会や公(オオヤケ)の集合)の場では『昼行燈(ヒツアンドン)』ばかりの面々で{決議や集団行動がされないダケで}表面上は安定しているように見えても、


{プライベートの}水面下(家庭や一人の時間や消費の場面)では{『ヒエラルキー』や『穢れ』を大義名分した拒絶の為の}憎悪が

{ぶつけ合うが、{蓄積されるだけで}発散されず、保身(治まる事のない危機感や焦燥感や嫌悪感の強引な隠蔽)へと至るように}

どんどん激化していって、


実際には何の成果(現実的達成)も上げられない

{精神病(保身が基になった無為な精神性)が蔓延した}

暗黒時代がやって来てしまったのです。



そして、それから1000年“前(先)”の今では。



無限に広がる{ジグソーパズルのような}自然世界(大全体)の多様な予備軍(有れば有るほど更新機能(更新の可能性)を高めて行けるピース)の意義

(『関係論』に於ける「重要な{関係性の}所に置かれたピースが、重要なピース(役割り)を担う」という意味のものとは違う)

が周知され、


【KY:空気読まない】な【アリ的お一人様】のピース(予備軍としての人間一人一人:各個)の無限の多様性によるジグソーパズル(大全体)の更新の発動が各個(ピース:予備軍:人間一人一人)の自由に任(マカ)されているのです。



しかし、そんな今であっても。



自然世界に於ける

{いざという時のとっておきの{不自然な実験装置内で回収されたデータが基になっている『予想対応』から導き出された}予備軍(「重要な{関係性の}所に置かれたピースが、重要なピース(役割り)を担う」という【関係論】の悪用から導き出されたもの)である}

『スーパーサブ』としての人類の{『予想対応』の為としてみんなで{『ヒエラルキー』の}関係性を連ねた}在り様というのは{大全体の更新機能の低下を招くので}問題でありまして。



『予想対応』という{近代科学が目指して来た}コトが

{何時に於いても、何処に於いても、誰であっても、何に対してでも、どんな時であっても}

慎(ツツシ)まれている

(時間が後ろへと進む土台の上での先細りの積み上げ行為へと至る『予想対応』の繰り返しを厳禁とする)

のです。







*次のお知らせ。【10月13日・日】

これからは、当ブログ第0092号の【『ちび猫のつぶやき』の(主張)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。







*バラバラに好き勝手をし合う者たちの集団。【8月11日・日】


1000年後ろの時代までの世界は、様々に『連なり』を主張する{国家や民族や宗教やイデオロギーなど}各種の集団が{複雑なパズル模様を形成して}群雄割拠し、覇権が様々に移り変わりながら、{世界大戦や民族大虐殺や大規模無差別テロなどが『必然』の様に繰り返されながら}見た目の『積み上げ』が{『後』へ『後』へと}進行して行く繁栄を{個人の犠牲を『土台』にしたその上に}築くだけであり。

1000年後ろの時代からの世界は、色々な『連なり』で様々に活躍した個人たちが、{縮小や崩壊をしていく『連なり』からアブレてしまい}バラバラに集まってしまって、{対立と分断が繰り返される移民国家が作られてしまうように}様々な矛盾を内包する{単にまとまりの無い}集団を形成するに留まりがちであったものの。

1000年先の今では、まとまりが無いと否定的に見られ、内部からも不満が出ていても、{そんな事は無視して}バラバラに好き勝手をし合う{【KY:空気読まない:営業スマイル】な}者たちが{【KY】で}集まって、バラバラに好き勝手をし合える集団を形成していて、集団内でも集団間でも争いの少ない世界へと至れているのです。







・平成31年度版







*世界に“アホウ”は欠かせない。【4月6日・土】

1000年“後ろ”の時代までは。低報酬を前提に、合理的に頑張るコトによって、競争力の向上が図られるのが『発展と進歩』だと、目先の利得の為に黙認(歯車動作の連動連鎖)されて。{【大全体】の構成員の}単独での更新を厳選(乱用)する事による、【部分解禁】の推進(『悪の自然誌』の実験)の達成(『ブロック積みの世界観』の必然である破綻による『パラダイム変換』への加速)が目指されていて。世界はペースダウンした人や物で『糞詰まり』し、渋滞状態となり、反動や憂さ晴らしが頻発して、大混乱に陥っていたのです。

そして1000年“後ろ”の時代からは。「未来の損をしても良い、過去をダメにしても良い」として、自分の利得を{沢山の}周囲に{多様に}散財する“アホウ”が増え。

そしてその1000年“前(先)”の今では。“アホウ”から生み出された『ゆとり』に助けられて、沢山の人や物事が多様な事(【大全体】の形成)をしていて、世界のペースダウンは解消されているのです。







*お知らせ。【3月23日・土】

これからは、当ブログ第A0015号の【道路をゆっくり走るのに、・・・】~【道路をゆっくり走るのに、・・・(~~~)】をメイン用例としていくつもりなので、参照していただけたら幸いです。







*お詫び。【3月4日・月】

【ニーチェ】の『神は死んだ』の発言に於けるこれまでの{人類への賛歌としていた}解釈を反転させる自己修正をする事に致しました。修正内容については当ブログ第A0015号の【『神は死んだ』などと言われない為に】を参照していただけたら幸いです。







*大量発生してくる『幸運の女神』との協力関係の構築。【2月3日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪データ通信に於ける“速度の有限性”と“速度のムラ”から分かる事≫

1000年“後ろ”の時代までは。既得権益者階級の確保(確立・保全)の為の、

一般市民への『ゲームセンター的世界観:既得権益者(限られた空間で限られたゲームをする少数の者)と労働者(限られた量のコインの循環に携(タズサ)われる限られた者)が{“壁(枠組・土台)”の内側の}表舞台に立ち、そこからの溢(アブ)れ者が{『悪の自然誌』で弱いモノが人工的な空間の隅(スミ)で抵抗力を発揮したように}外側との境界を背に抵抗力を発動させて“壁(枠組・土台)”を形成しているのだが、それを自然な事だと信じて疑わない妄想』のスリ込みによる、

人間種の『発達機能の休止:『お利口さ』や『甘え』を『発展や進歩』に呼応する{良い}ものだとしていて、{それが“壁(枠組・土台)”の内側でしか通用しない道理でありながら}自己反省しなくなる』によって、

文明人は『囲われている:人為的な『悪の自然誌』の世界』という状態を前にしながらでも《現状認識能力の欠落》を進行させてしまい、

近代の人間社会に於いて的外れな『社会や経済の発展や、科学技術の進歩』をどんどん加速させてしまって、

{とうとう}行き詰まってしまうと「{人類史に於いて繰り返して来た}パラダイム変換をすればいいんだ」と{考え無しに}言って{スパイラルに陥(オチイ)っている}悪循環の繰り返しをしようとするだけで、

まったくお話しにならない{不思議な程に無自覚なままでの}状況であったが。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。AIに於ける最大の問題であるデータ通信の速度が“有限”であるが故の「データ通信の“速度のムラ”(ゲームセンター内が有限の世界であるが故にゲーム機の発展進歩によって溢れ者が増加するのと同じ理屈で、AI機器の技術革新ではデータ通信の速度の奪い合いが生じて速度の確保が難しくなるばかりであり、『回線の独占・乱立』や『利用量の急増・時間変化』や『電波環境の突然の悪化』などによって、個人や使用機器に於ける“安定”したデータ通信の速度の確保が出来なくなる)による危機(高速でのデータ通信を必要とする発展進歩したAI機器ほど高まる停止や誤作動のリスクと、それにより深刻化する重大事故の多発)の発生」についての議論がされないまま、

データ通信の速度が{全ての個人、総ての機器の使用に於いて}“無限”であり“安定”している{夢の様な}事を前提にした議論(未来絵図)だけが繰り返されてしまい、

結局は「技術革新の最大の恩恵を少数の既得権益者だけが{公共の利益を名目に}受けられ、微々たる恩恵を受ける為に一般市民は{危機管理の名目で}高額の支払いを求められ、それの出来ない者は{テクノロジーが失業者を増やした様に}AI世界でも溢れ者(強欲な既得権益者の犠牲として増え続けてしまう者)となってしまう」という事態が起こってしまって、

当初は「AI世界でも{無限に}強欲な既得権益者により犠牲者(溢れ者)が増加してきたとか、パラダイム変換級の技術革新が起らないと問題は解決しないとか」としか言われていなかったものが、

だんだんと「AI世界に於けるデータ通信の“速度の有限性”についての{知識に裏打ちされた}理解の広まりや、“速度のムラ”についての{想像力を豊かにする}認識の深まり」の普及(一般化)が始まり、

ついには「自然の事だとされていた『悪の自然誌』の事象(人の営みが必然的に破綻へと至る事)や、理想的な事だとされていた『パラダイム論』の事態(破綻からのみんなの一様な努力によってみんなの身にパラダイム変換が一律に起こる事)というのは、人々の“有限世界”な世界観(無自覚なもの)によって惹(ヒ)き起こされる{人為さに所以(ユエン)する}問題の多い出来事であり、一人一人の勉強不足による“有限世界”な世界観の自覚停止によって惹き起こされていたものでありまして、問題の解決には個々による{みんなの}勉強(地力を高める各個の努力・個別の自己修正)が重要になる」と誰もが言うように{一般化に至って}なりまして。


そして、1000年“前(先)”の今では。{大昔からの}小説やゲームなどで“自然発生”してくるとされる『魔物』と人間の{何度も繰り返されてきたとされる}何度目かの戦いを{幾つもある中の一つの}英雄伝説(人々の『組体操の意識』を英雄の下に総動員しての人類の団体戦勝利)として描かれている事に対しての、

「人の営み(“壁(枠組・土台)”の内側)と魔物のような自然(“壁(枠組・土台)”の外側:【大全体】)との{破綻とパラダイム変換とが繰り返されるに至っていた}終わりの無いかのような『鬩(セメ)ぎ合い』の正当性を{劇的に}主張したがる{良いカッコしいが点数稼ぎをする様な}悪癖によるものである」という結論(反省)から、

『幸せな想い』の視点(倫理道徳に拘(コダワ)らない自由精神)や『口や水着の部分を守る』を受け入れる精神性(常識や正論に捉(トラ)われない情報収集)に基づいての、

『生きた水作り』での{“壁(枠組・土台)”の外側である【大全体】という“限りの無い”存在の構成員である}『他のモノ』たちへの{投機とは違う}『投資』と同じく、

“壁(枠組・土台)”の外側世界に於いては誰もが“自然発生”してくる『幸運の女神(唯一神教的な近代の世界観に於て唯一神ではない為にその認識が悪とされていたモノの一つ):女神降臨の物語(神秘主義):その想いの確立と受容によって人は幸福感に浸れるし、自由も手に入れられる』から{外側への『投資』に対して“無限”に【配分】される}“限りの無い”助けが{方法を間違えなければ}受けられるという事を大前提として、

大量発生してくる『幸運の女神:女神降臨の物語:幸福感と自由がもたらされる』との協力関係の{勉強を惜しまず、自己修正を面倒くさがらない実力者であるコトによる、前向きな}構築が追求されているのです。








・平成30年度版







*『慰安婦問題』に見られる韓国の自立への覚悟。【8月11日・土】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪日本での『慰安婦問題』報道に見られる韓国を見下そうとする哀れな姿≫

1000年“後ろ”の時代までは。日本は韓国を支援していて、韓国も支援に頼っていたものですから、『慰安婦問題』が{日本に韓国が遠慮して}封印されていたのですが。

しかし、1000年“後ろ”の時代からは。韓国の自立への覚悟が{市民レベルから政府まで}決まり、『慰安婦問題』が解禁され、日本を挑発するように『慰安婦の像』の設置が世界中で行われたのです。

そして、1000年“前(先)”の今では。何時までも韓国を{朝鮮民族だと}見下し、日本民族の優位性を{過去の栄光にしがみついて}主張していて、韓国の繁栄は日本の支援のおかげだと恩を売る哀れな日本になってしまったのです。







*アメリカ(アメリカ人)の甚大な犠牲。【6月2日・土】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪アメリカ(アメリカ人)が『唯一神教』の失敗から導き出すモノ≫

1000年“後ろ”の時代までは。アメリカ(アメリカ人)が、人類の警察官(『神への捧げ物としての人の営み』の主導者:神の代理人)という事を{巨大な武力を背景にした傲慢さで}意識してしまい、{違う価値認識を悪魔に唆(ソソノカ)されたモノだとして受け入れないで、自分(自分たち)の道理だけで理解し、判断し、断罪してしまう}同じ様な失敗を{国内ではアメリカインディアンを相手に、太平洋戦争では日本を相手に、戦後ではイランや北朝鮮を相手に}様々な場面で繰り返して、甚大(ジンダイ)な犠牲を払っていたが。

しかし、1000年“後ろ”の時代からは。アメリカ(アメリカ人)は、「平穏と繁栄をもたらしてくれる理念だとしてでっち上げられた『神への捧げ物としての人の営み(バベルの塔作り)』を、科学技術産業でデコレーションさせたり、ノーベル賞でラッピングさせたりした上に、その神への捧げ物としての人の営みの主導権をめぐって{競い合いによるモノではなく、潰し合う努力が『神への捧げ物』となると説いて}足の引っ張り合いが起こるように{ユダヤ教やキリスト教やイスラム教などを興して}仕向けるなど、{神に捧げられても、不自然である為に}破綻するのが必然の『神への捧げ物としての人の営み』を教義の主旨として{神が人間の過去の過ちを処分する代償として受け取ってくれているのだと謀(タバカ)り:「知らぬが仏」とばかりに}憚(ハバカ)らない『唯一神教』」を未来(今後)の土台だとする{『ブロック積みの世界観』の}危険性を{過去の失敗から}導き出し、『唯一神教』をピース(再編・再構築の材料)にする{多次元多重構造の}『アスキーアートの世界観』によって未来を{未来を“前”とし、過去の失敗を縒(ヨ)り合わせて}紡(ツム)いでいく事に至って。

そして、1000年“先”の今では。アメリカ(アメリカ人)が、{『唯一神教』に拘(コダワ)らない}世界中の過去の失敗をピース(材料)に用いる{更新を続ける}『アスキーアートの世界観』を背景に、{人間が『指示命令系統』で縛られない}世界の調停者となっていて。世界中で、人間が『アリ的お一人様』である事による、国家や宗教の{自主的な}再編がなされているのです。







・平成29年度版







*オカシイものがオカシイと責任追及されてきた時代~1~(概要)。【7月16日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪可笑しいモノを可笑しいと笑える時代へ=世界編=≫

1000年“後ろ”の時代までは。「石橋(この世界)を叩(タタ)く点検行為が{石橋の安全を守る上で}価値のあるコト(高得点な事:部分解禁:【“大”全体】が『ガレキの山』とならない為の個々による『スリ合わせ』や、誰もが連携して未来に勤(イソ)しめる為の時間に於ける前後認識の反転による『特定場面での時間合わせ』や、『お金の配分』がより効果的に行える為の経済活動による『補填(ホテン)』などの、『多様性のベース拡大』に欠かせない補(オギナ)いの行為)だと{すべての石橋(この世界)が壊れかけているという被害妄想によって}大真面目に受け取り、石橋を渡るコト(守っている有用な石橋(この世界)の活用)は{出過ぎた行為だと見られやすく、失敗もしやすくて、厳しい非難にさらされやすいからと萎縮(イシュク)してしまって}拒んでしまい、石橋(この世界)を{点数稼ぎに目を暗ませて}延々と叩き続けてしまって、ついには誰も渡れないように{守るべきモノを}叩き壊してしまいながら、危険な石橋を取り除けて{点検が成功したのだから}高得点が得られるハズだと自負する者たち(権力者を支える科学者の側)がいて。そしてさらには、それと対峙し、石橋を叩くという大切なコトを{文明(石橋を叩く行為)が有用な石橋(この世界)を壊していると責任追及し}非難して、{石橋(この世界)が有用である為に欠かせない}大切な事(安定した『スリ合わせ』に欠かせない科学技術の進歩や、安定した『特定場面での時間合わせ』に欠かせない『パラダイム論』や『悪の自然誌』の{反面教師の事を棚上げした}形成や、安定した『補填(ホテン)』に欠かせない経済発展など)の排除に必死になっていながら、石橋(この世界)を破綻へと{自分たちが}向かわせているという事に{英雄気取りで}まったく無自覚な者たち(庶民を扇動する知識人の側)がいるのです」という様な、可笑しな本末転倒が、世界中で惹き起こされてきたが。

1000年“後ろ”の時代からは。石橋(この世界)をドンドン渡るコト(【更新する無限に多様な“大”全体】や《反面教師としての『パラダイム変換』や『悪の自然誌』》や《時間に於ける前後認識の修正》や『幸せな想い』や『お金の配分』の活用)も大切であり、石橋を叩く点検行為(『スリ合わせ』や『特定場面での時間合わせ』や『補填(ホテン)』などの補い行為)というモノ(部分解禁)も大事ではあると理解され始めたが。それよりも先(マ)ずは、この可笑しな本末転倒が惹き起こす{石橋(この世界)の}破綻を、オカシイ(!)と『権力者を支える科学者の側』が{被害妄想のまま}悩み、『庶民を扇動する知識人の側』が{責任追及が必要だと}腹を立てているから、石橋(この世界)の破綻が{同じ状況までのコトが、バカバカしい程に何度でも繰り返されて}進行する一方(閉塞した未来観の世紀末思想:凄惨なテロ行為が正当化されてしまう原因)なのだと{周知徹底されるように}認知され始めて。

1000年“先”の今では。この可笑しな本末転倒の状況の事を、{何時でも、何処でも、誰にでも起こり得る事ではあるが}誰もが可笑しいと笑っていて。「すべての石橋(この世界)が壊れかけている」と悩んでしまったり、「すべての石橋(この世界)が壊されかけている」と腹を立てたりするコトが無くなり。じっくりと、【更新する無限に多様な“大”全体】や《反面教師としての『パラダイム変換』や『悪の自然誌』》や《時間に於ける前後認識の修正》や『幸せな想い』や『お金の配分』の活用が進み。『スリ合わせ』や『特定場面での時間合わせ』や『補填(ホテン)』などの補い行為(石橋を叩く点検行為:部分解禁)で、石橋(この世界)が守られているのです。







*『お金』の配分を停止させて来た『発展型経済』(概要)。【6月25日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『生きた水』の利用発展(経済発展)の分は補填(ホテン)の為のモノであり、様々な【耐性水】を臨機応変に作るのに相当する『お金』の配分の“工夫”が大切でありまして、『配分型経済』によって【更新】に順応した社会作りを目指すのが本筋です≫

1000年“後ろ”の時代までは。補填用の『発展型経済』による{『配分型経済』では不十分であった時に現場調達出来る所では配分を削って頑張ってもらう}経済発展が優先されてしまい、{『お金』の配分制度が非効率だとして全面廃止されて}本筋である『配分型経済』による『お金』の配分の“工夫”がまったく出来なくなっていて、{【更新】に順応した社会作りが出来ない為に}〔この世界〕の動き(自然な【更新】)に過度な危機意識を抱いてしまって、{完全な被害妄想に陥り、それにともなう反自然な行為により生じる破綻の責任を押し付け合うだけの八つ当たりに明け暮れてしまうようになって}自分(自分達)以外を排除する事によって〔この世界〕の動き(自然な【更新】)を止めようとしてしまったものだから、[経済摩擦]や[経済格差]や[経済戦争]などの事態が続いてしまったのです。

1000年“後ろ”の時代からは。補填用の『発展型経済』による経済発展を優先させてしまう事の{異常事態の}意味(配分でしか行き渡らない本当に必要な所に『お金』が廻らなくなり、反自然な行為に『お金』が注ぎ込まれてしまって、責任転嫁の攻撃として『お金』が使われてしまった事が、不自然なコトだったという事)が広く理解されて、{廃止された為にそのままの復元がもはや不可能となってしまった}『お金』の配分制度の{経済発展と二人三脚をしながら、〔この世界〕の動き(自然な【更新】)に順応した社会作りをしていく}新設(『お金』の配分の“工夫”)が始まったのです。

1000年“先”の今では。{権力者(行政)に一任してしまうコトなく}誰もが『お金』の配分の“工夫”(必要な所に十分な『お金』が行き渡るコト)を考え、{利益を追求し合って競争するコトが経済活動だと思い込んでしまうコトなく}一人一人が『お金』の配分制度の補填の為の経済発展に供与するお金儲け(十分な配分が難しい所に『お金』を行き渡らせるコトに貢献する職業・商売・企業活動)に励んでいて、〔この世界〕の動き(自然な【更新】)に順応した社会作り(正義を単に遂行するコトではなくて、今の正義を追究するコト)が【更新】され続けているのです。







*偏ったまま自由や個別性を追求してしまう問題(概要)。【4月30日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪自分の側の問題に気付けないまま反省を考えてしまう問題≫


1000年“後ろ”の時代までは。

中途半端に多様な「結果的に一様な事」を、「全体の為」とか「常識的倫理」とか「個人の自由」とか「宗教の教義」とか「経済発展への参加」とか「進歩への貢献」とか言って、みんなが一律に頑張ってしまって、『多様性のベース拡大』が不十分となり、みんながみんな多様性を切り崩した【部分解禁】となっていて。

「ただ『古典的倫理』を広めたものだから、型通りの自己反省を繰り返すだけの{自分を見失った}仮面人間や、相手の責任を追及する道具や力として倫理感を使う{反省転嫁に陥った}無反省人間ばかりが増えてしまった」とか、

「単に経済活動の為として『お金』を流通させものだから、損得を物事の価値基準にする{資産家や自営業者や芸能関係者などを含む}金銭所得者や、『お金』が持つ求心力を{全体を維持させる}権力の発生に利用する{共産主義者もその意味では同類である}資本主義者が増えてしまった」とか、

「前置きをせずに進歩の一つの例である『パラダイム論』で進歩の問題提起をしたものだから、{反面教師であるハズの}パラダイム変換を進歩の理想形と信じてしまう者や、そんなパラダイム変換を個人の事に転用させてしまう者が増えてしまった」とか、

「特に意図が示されないまま人為的な環境下での生物の反応も自然の姿であると『悪の自然誌』で表現されてしまったものだから、{不自然な状況が偏って進行する}人の世の『人の苦しみ』や『物事の破綻』を人と人の営みの責任として最善を尽くすべく{一様な}反省や対策を{一律に}考えてしまう{不自然な状況の偏りを構成する自分たちの偏向に無頓着な}コピー人間や、リセットから再現が出来ないと科学ではないからと言って{【“大”全体】の事の隠蔽には無関心なまま}偏った不自然な状況下を物事の基点として{得意になって}守ろうとする{破壊の限りを尽くしながら微々たる利得に狂喜する}俗物が増えてしまった」とかの状況に陥っていたにもかかわらず。

誰もが、「お互いが『多様性のステップアップ』の関係にあって、補完し合っているモノ」であるかのように盲信し、「自分たちの行為は受け継がれるべきモノであり、広まっていって当然のモノ」であると過信してしまって、「自分の側の問題には気付かず、自分自身の未熟さや、相手の側の責任の事ばかりが目に映って、人間の不完全さを{責任転嫁や反省転嫁をして}嘆(ナゲ)き腹を立てる」という愚行が人の世で繰り返されて来たが。


1000年“後ろ”の時代からは。

【『生きた水』の水槽】から汲(ク)み出された『生きた水』は、どんなに効能が高くても{【“大”全体】から切り崩された}偏った【部分解禁】でしかなく、使っていくうちに破綻に至ってしまうモノなので、{それをどんなに集めても、どれだけ時間を掛けても}それからは【『生きた水』の水槽】は決して再現出来ず、人の営みによって切り崩され尽(ツ)くしたコトによって【『生きた水』の水槽】が{一旦}喪失してしまった状況からの{残された『生きた水』を使っての}【『生きた水』の水槽】の再生というのは極めて困難でありますが、しかし【『生きた水』の水槽】の新規製作であれば{【“大”全体】の概念が踏まえられれば、多様性による更新機能が発動する状況というのは、何時でも何処ででも平等の苦労で作れるものなので}誰にでもチャンスはありまして、【部分解禁】でしかない既存の『生きた水』の利用に依存(固執)するコトが止められるかどうかが問題となるのですが。

そういう{【“大”全体】の概念に於ける}重要な事の意味が理解されて。

「偏りの元凶となっていた『古典的倫理』の縛りから解放されて、『幸せな想い』への自由な取り組みが始まった事による、多様な個別性の誕生」や、

「【『生きた水』の水槽】から汲(ク)み出された『生きた水』と同じ『お金』は有用でありその効果は絶大であるものの、それでも『お金』の多用に依存するだけの経済発展ではどうしても破綻に至ってしまいますから、『お金』が分配され続ける{【『生きた水』の水槽】に相当し、多様性を持って更新機能が発動し続ける様にして『お金』の{様々なゲームで駒やカードが平等に割り当てられる}再分配が繰り返され続ける、{部員数と活動実績で予算が割り当てられるので、みんなで様々に手法を駆使して予算を奪い合う}学校のクラブ予算的な}仕組み(予算配分制度・予算割り当てシステム)が必要であるという事の周知」や、

「反面教師としての『パラダイム変換』の認識が定着し、{世界は完成していて、変化は悪化だとする}『完全理論的思考の世界観』と{通常では世界に変化は起こらないが、必要に応じて外部から変化が持ち込まれるとする}『特殊理論的思考の世界観』」との二者択一の争いの中に埋もれていた{気が付かなかっただけで、世界の変化は続いているとする}『一般理論的思考の世界観』の認識が広がり、{土台の制約から未来が逃れられない}『ブロック積みの世界観』とは違う{未来の無限の可能性を認識する}『ロール紙の世界観』が{人の行いに伴なう工程に空間認識と逆転した時間軸が付いていたコトにより、世界の{無限の可能性を持った}自然変化が{未来を制約が積み重なっていく“後ろ”と表現されるコトによって}隠蔽されていたという事に気が付いての}『時間認識の正常化』から始まった事による、人と人の世の進歩の{可能性が広がる}多様化」や、

「いくつもの階層に分かれて【“大”全体】の多様性とその構成員が表記された{階層を行き来するコトも無く、その偏りを修正できずに、大きく外れて行く種が途絶えてしまう}絡(カラ)み合った多重構造の『進化の図』が認知され、『【“大”全体】の概念』に於けるリセットという{【“大”全体】の多様性の}破壊行為の{人の世を偏らせ続ける}問題が認識されて、自己反省や反省転嫁によって{人と人の営みの}偏りが大きくなっていく事の危機が理解されるコトによる、本当に問題とすべき多くの危機が{正義や当然の名の下に偏りが進行していながら}見過ごされていた異常事態からの覚醒」が連動(連鎖)して起こり始めて。


1000年“先”の今では。

苦しい現実に魔法が確信を得て{隠蔽されていた【“大”全体】の真実を知ってしまう時の様に}登場するコトによって起こる「{一様なリセットがみんなで一律にするコトが繰り返される事による}破綻にしか至らない偏りに縛られた{誰が何をしていてもリセットをするコトが必ず求められる}異常事態の{常識的には逃れようの無い}永続からの{非常識な}個別解放」と同様の、{『古典的倫理』に縛られない}自由な『幸せな想い』による{非常識に感じられていた}個別性の{非常識に身を投じるコトによる}誕生が、{人や人の営みや人の世が【“大”全体】の構成員を構成するように}広く一般化していて。

人々は、{【“大”全体】からと、【“大”全体】の構成員である事による、多種多様な恩恵からもたらされる}平穏と繁栄を{何時でも何処でも差別なく}享受できているのです。







*『ノーベル賞』という『御伽噺』(概要)。【2月5日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪《『無神性非人間主義』の世界観》を阻む為の『ノーベル賞』≫


《【“大”全体】の概念》に於ける{【“大”全体】の構成員である}各種の個体が持っている《個の【更新機能】》が集まった時に、それぞれが有効なモノとして{相互障害とならずに}作用するのに必要なのが、『多様性のベース拡大』であり。その『多様性のベース拡大』を核として《個の【更新機能】》が集まるコトによって起こる《【“大”全体】の【更新機能】》が、有用なモノとして{様々な分野で}発動していくのが、『多様性のステップアップ』であるのですが。


1000年“後ろ”の時代までは、「世界には{『神』に従う}人間の手(『神』が創造した意図)が必要であり、{『神』の名の下に}守られなくてはならない」とする『神性人間主義』が世界中に浸透し、それに人々が疑いを持たないようにと『ノーベル賞』のようなモノが設けられていて、それによって{進歩(作り直し)と破綻(破壊)が繰り返され、{その過程で}邪魔モノの中から新たな有用性が生まれて来る}仮初(カリソメ)の平穏と繁栄が{環境破壊と殺戮を繰り返し、世界の邪魔モノと自覚しつつ}享受されていたのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは、『ノーベル賞』が構築して来た

≪『パラダイム論』とは、「個の《個の【更新機能】》を人間の都合で{【部分解禁】させて}活用し、{そんな【部分解禁】にともなう破綻が頻発すると}使い捨てにし、《個の【更新機能】》を利用する個を次々と交換したり、組み合わせを変えたりする『パラダイム変換』が、最善だと{《人の手(『神』が創造した意図)》が暴走しているのではないかと省(カエリ)みるコトをしないで}盲信してしまい、今までの{世界には《人の手(『神』が創造した意図)》が必要だとする}『神性人間主義』の進歩を肯定してしまう」というような人間性を人々に形成するモノであり。

『悪の自然誌』とは、《『多様性のベース拡大』の観念》を隠蔽して作られた{人間に『パラダイム論』などの『神性人間主義』を否定させない為の}モノであり。人々が「《個の【更新機能】》が集まった時にそれぞれが有効なモノとして作用するのには『多様性のベース拡大』が必要であるが、そこには《人の手》が加わる余地が無く、{《人の手》は《『神』が創造した意図》などではなく、世界にとって《人の手》は不要な邪魔モノだとする}『無神性非人間主義』な世界」だという事に気付いてしまうと{妄想を抱いて}恐れたエリート(権力者)たちが、{その事を}策を弄(ロウ)して隠蔽しようとしていて、それに対して{隠蔽の為の策にワザワザ乗って}踏襲するコトを呼びかけて{支援して}いるモノでありまして。

「世界にとって邪魔モノのような人間の存在は、実は万物の必然であり、それだからこそ人間は世界に必要とされるコトも出来るのである」という{『悪の自然誌』による}スリ込みによって、人々に《邪魔モノのような{破綻へと向かい、大きな破壊を起こす}コト》と《必要とされる{進歩をする}コト》の繰り返し(『パラダイム論』の世界観)に対して、{閉塞感は抱いても}何の疑問も生じなくさせているのです。≫

という有害な真相が暴露されて。


1000年“先”の平穏で繁栄した今では、『多様性のベース拡大』から『多様性のステップアップ』も{《『無神性非人間主義』の世界観》を誰もがみんなで上手に活かして}導かれていて。{『神性人間主義』に拘(コダワ)って『多様性のベース拡大』の隠蔽に悪戦苦闘していた}『ノーベル賞』という派手な演出が、不思議な時代の『御伽噺』となっているのです。







*“柵”の前での『立ち往生』の為の、意図された危機(概要)。【12月10日・土】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪“柵”の前で『立ち往生』していた人々の足下で起こっていた事≫

1000年“後ろ”の時代までは。『完全理論的思考の世界観』であり、一般庶民の側であるとし、「夜明け前の今だからこそ、{大事な}“清浄”を持続させる」という大義名分の“想い”を掲げて、{『破綻による犠牲』を招く悪魔の如(ゴト)き《【部分解禁】による進歩》を食い止める為に}無差別テロも厭(イト)わない、『イスラム原理主義』や『イスラム国』などの思想勢力と。『特殊理論的思考の世界観』であり、権力者の側であるとし、「{大切な}夜明け前の今だからこそ、“頑張り”を継続させる」という大義名分の“想い”を掲げて、{《【部分解禁】による進歩》にともなう『破綻による犠牲』を分担してもらう形で}市民生活への影響も厭わない、『イスラエル(軍)』や『アメリカ(軍)』や『ロシア(軍)』などの国家勢力とが。「{大切な}夜明け前の今だからこそ、{大事な}“攻防”に手抜きは出来ない」と“双方”が言い合って、{世界中の要所々々で}永遠に続くかのような〔唯一神教世界〕の{内部}分裂抗争を起こしていたのですが。

しかしその当時は、世界中の各国や各地でも、同様に{『夜明け前』と『夜明け』を隔てる}“柵(サク)”の向こう側(遠くの夜明け)を“想う”コトが主流であり。≪ “柵”の足下に埋もれた{【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいた}《【“大”全体】の概念》に気付き、{特殊性を取り込んで行く進歩を『悪魔的なモノ』として拒絶する}『完全理論的思考の世界観』と{特殊性を取り込んで行く進歩を『有用なモノ』として肯定する}『特殊理論的思考の世界観』の二者択一に捉われない{物事とは《一般性に基づいた包括》の上に『常設された関係性』を持って成り立っているモノであり、《特殊性の認識》というのは思考の逸脱(イツダツ)であり逃避であるとする}『一般理論的思考の世界観』によって“柵”のこちら側(既に夜の明けた世界)に目を向けるコト≫というのは、その“双方”による“攻防”の名の下に、その“双方”から攻撃され、隠蔽されていて。〔人間世界〕そのものが、{人間が“柵”の前で遠くの向こう側を見ながら『立ち往生』を続けてしまうように}意図的に危機にあると、演出されていたのです。

しかし、その“先”の時代に進むにつれて、≪その“双方”による{隠蔽目的に演出された}“攻防”によって、“柵”の前での遠くの向こう側を見ながらの『立ち往生』を、何時までも続けてしまうコト≫の間違いに気付き、≪“柵”の足下に埋もれた《【“大”全体】の概念》に気付き、『一般理論的思考の世界観』によって“柵”のこちら側(既に夜の明けた世界)に目を向けるコト≫の有用性に気が付き、平穏と繁栄が築かれていて。今では、その当時の事も、『御伽噺(オトギバナシ)』となってしまっているのです。







・平成28年度版







*“居場所”を求めて“居場所”がドンドン遠のく(概要)。【12月4日・日】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪“居場所”を求めて人間は様々な失敗や争いをして来た≫

人間が、自分(個人)や仲間(集団)の“居場所”というモノを理屈をコネて{社会化という形で}確立し、強引に確保しようと{争いという形で}して来た事によって、人類の{本来の“居場所”からドンドン遠のき、お互いの“居場所”を攻撃し合う}分裂と戦争の歴史が作られたと言え。

個人に於いては、本来の“居場所”を{見失って}喪失し、{闇雲(ヤミクモ)に}手探りで“居場所”を作ろうとした為に、「“居場所”であるハズの家庭」や「“居場所”の共有スペースであるハズの職場や学校」が本来の “居場所” からドンドン遠のき、{お互いに“居場所”を潰し合っていながら}我慢し合うのが当然の場所だと認識していて、ドロップアウトを{巣立ちのように}早め々々にしたくなっていたのですが、それでも{道義によって人間を縛る『古典的倫理』や、『お金の共有意識』の排除が目指された『近代的道徳』が原因となって}ドロップアウト出来なかった大多数の人々(大人や子供)が家庭や職場や学校に取り残されてしまって、幾世代も続いて来た《泥沼の“居場所”の潰し合い》が継承されてしまい。

集団に於いては、本来の“居場所”を{見失って}喪失した状況で、「利口(リコウ)な人に{理屈を上手にコネて}先導されるコトによって形成される{“居場所”の創出という幻想のエサに人々が集まっただけの}社会化」による“居場所”の確立が目指され、その{本来の“居場所”とはほど遠い}社会化にともなう矛盾から{“居場所”の強引な確保を目指すモノたちによる}対立(争い)が多発し、閉塞感が万延していて、革新的改革が求められていたのですが、それでも{本来の『反面教師としてのパラダイム変換』がパラダイム論から隠蔽されている事が原因となって}名ばかりの改革が{枷(カセ)を付け替えながら}繰り返されてしまって、人間がその歴史に刻んで来た{物事の真理である【“大”全体】の概念が欠落したコトによる}人の営みが破綻へと行き着く【部分解禁】や{不自由に苛(サイナ)まれるように}人間を『試練の想い(想い合い)』へと追い込む『強迫観念』によるによる愚行(破綻や争い)が繰り返されてしまっていて。

その結果、人類は自分たちを地球上の鬼っ子のような存在だと、信じ込んでしまっていたのです。


1000年前より始まった【“大”全体】の概念の周知や、『幸せの想い(想い合い)』の解禁や、『お金の共有意識』の認識へと至る『多様性のベース拡大』と『多様性のステップアップ』によって、人類の歴史は大きく修正されるのですが。

しかし、その当時はまだ破綻へと突き進んでいるという不安感と、不安要因に対処するコトによる争いの発生を目の当たりにした閉塞感に苛(サイナ)まれていたのです。







*文明化と引き換えに手放してしまった事(概要)。【11月30日・水】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『身近にありすぎる』という第一の難問≫

宗教や思想に於ける文明化の象徴としての『古典的倫理』や『近代的道徳』に於いて、「正義の名の下にイジメや性犯罪や虐殺が繰り返され、進歩の名の下に自然破壊や地域文化の崩壊が加速的に進んでいるのですが、そんな正義や進歩とは何なのか」という問いが投げかけられる{答えを探して進むほど答えから遠ざかって行く}茶番劇の繰り返しが頻発し、大多数の人々が{それが真実を隠蔽する茶番劇だと解らないまま}それを大真面目に{やらされているコトを自主的にやっているのだと錯覚して}考えてしまう強迫観念に陥ってしまって。{やらなきゃいい}正義の真の追求によって自分で自分の精神を追い詰め、思考に{自覚できない}障壁を形成してしまい、結局は誰もが{人間世界や自然界を破綻に追いやる}犯罪的な正義と進歩の執行者となってしまっていたのです。

その後、{答えを求めて遠ざかる一方であった}身近にあるモノに目を向ける『多様性のベース拡大』から『多様性のステップアップ』が様々な分野へと広がっていって、【“大”全体】の概念が認知されるコトによる『“大”環境での進化論』や『一般理論としてのE=mc²』や『反面教師としてのパラダイム変換』の再認識が始まり、『幸せの想い・想い合い』を正義よりも優先させる自由が解禁し、『お金』に対しての{力によって共有が目指されるのとはまったく違う}共有意識を持った『ロマ・ジプシー』たちの経済観念への共感が進むコトによって、人類の歴史が大きく変わるのですが、それには{まだ}1000年の時を待たなくてはならないのです。







*暗黒時代の本質(概要)。【11月4日・金】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪暗黒時代の最後の膿≫

表面上の清潔さが{【部分解禁】によって}追求されている{一見して綺麗な}場所ほど、本当は雑菌の繁殖力を高めてしまっていて、結局は突然変異を繰り返す薬品耐性菌が発生してしまうものなのですが、そういった事というのは様々な分野でも{必然的に}起こっていて、人間の発明や発見の無効化が{歴史的に}繰り返されて来ていたのです。そして、それによって{意図的に}人々の意識が《抵抗力を失った閉塞感》に{大昔から}陥らされて来ていて、《権力や『お金』の搾取・独占》などの{【“大”全体】の概念を隠蔽した}愚行がまかり通っていたのですが、それを影で支えて来たのが{世界中の大半の権力と関係を結んでいる}唯一神教や《古典的な倫理や近代的な道徳》であったのです。

しかし1000年前には、まだその事に対する認識(自己意識)が{『歴史から学ぶ』という事が《反面教師とはならずに理想の進歩となってしまった『パラダイム変換』》のように歪んでいて}無かった為に、{様々な愚行による}破綻が横行していたのですが、{病気に対して『加持祈祷』で対処していたのと同じ他力本願で}人々は『権威』や『宗教』に救いを求めるばかりで、{『ノーベル賞』をもらうような人が世界を良くしてくれるのだろうと安心してしまい}まったく無力であったのです。







*破綻による危機感に歓喜する人々(概要)。【9月25日・日】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪破綻を招く為に行われてきた進歩≫

誰の足元にも、【“大”全体】の概念に基づいた【更新する多様性】が、埋もれていいたのですが。危機感の中で抱かれる{『世紀末思想』が現実となる}歓喜に酔いしれ、誰もがその目を暗ませてしまって、破綻を招く為の進歩に邁進(マイシン)していたのです。

この〔世界〕の真理とは、【更新する無限に多様な“大”全体】であり。人間の進歩とは、そのイチ構成員の【更新機能】でしかなかったので。この〔世界〕は、破綻を繰り返しながらも、存続を続けたのです。





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