思い出をあける鍵

ダブルディスクのエンピツマフラー再生記

思い出をあける鍵 part6

2013年01月15日 | 思い出をあける鍵

免停30日+家庭謹慎3日、親が学校に呼び出され・・・
(3日間は家から1歩も出ないように、反省すること。)
まぁ、しゃぁないかと軽く思ってた高校2年生。

秋頃にまた事件は起きた。
「ひで~!!、先生が職員室に来いってぇ~」
「お前なぁ、悪い冗談やめてくれ。」
「ほんまや!!」
「うそ・・・」

「お前、今日は何で学校に来た?」
「え・・バス・・で・・かな」
「ほんまに、バスか?」
「いや・・自転車やった・・かな」
「ほんまに、自転車か?」
「いえ・・・単車・・・やった・・・かな?」(何でばれるの・・・・)

天気の良い日は、たまに学校からちょっとだけ離れた場所までKH乗って行ってた。
学校からは見えへんとこに停めて、そこから歩いて行ってたんだな。
それを見てた近所のおばさんが・・。ご丁寧に学校に通報したそうで。
真面目な僕は、ちゃんと「滋 ま 33-77」を学校に届けていました。
今から思うと、みんなナンバー届けてたんやろか・・・・
(正直者はバカを見る・・・俺、見たかも)

「お前な、言うたろ、言うたろ思うてたんや、道の前のおばさんがいっつも見てたさかい、
学校に通報しよるんちゃうかなぁ思うてた。」   と・・・ゆたか。
「お前、はよ言えよなぁ・・・」
「ハハハ、すまん!!」


2回目の親の呼び出し。
父親が、「もうわしは行かん」
代わりに母親が来ました。
「お宅の息子さんは、オートバイにさえ乗らんかったら、ほんまに真面目でいい生徒なんですよ。」
この先生の一言に母は「すいません」を繰り返しまがら、涙をぼろぼろ流した。
母の涙を見た時は、びっくりしたね、いくら能天気な俺でも、母親の涙はこたえた。

高校卒業するまで、我慢するかな・・・また、高校卒業してから乗ったらええかって。
(いっつも法廷速度を守っては無理やろし・・・な)
それからしばらくして、たぶん10月くらいやったかな、KH400は18万で売った。

その時は、これでもか!!っていうくらい、磨き上げたね。
まさか、こんな早いこと売るとは自分でも思わはへんかったね。

「おかちゃん、単車売るわ」
「ほんま!!それがええわ!!」
あの時の母の「満面の笑み」も・・・こたえたな。(心配かけてたか)