思い出をあける鍵

ダブルディスクのエンピツマフラー再生記

思い出をあける鍵 part 25

2017年02月26日 | 思い出をあける鍵

一度、前にも書きましたが、小学校6年生の頃、
各メーカーの「広報課」宛てにはがきを出して、カタログを送ってもらった事がりました。
当時、新発売だった「HONDA DREAM CB750 FOUR 」
71年式、通称「K1」


僕が小学生の頃、「分団登校」と言って近所の1年生から6年生までが集団で登校してました。
その通学途中、いつも2台の初期型XS650と出会いました、
今思うと、通勤に使われてたんでしょうね、いつも同じ時間に大きな自転車置き場に停めてた。
カタログで見たオートバイが目の前にあるというのは、田舎の子供にしては何というか・・・・
うまくは言えませんが、テレビでしか見たことがないスターが目の前にいるようなもんで。
よく一人だけ立ち止まって、眺めてたもんです。
「ぼうず、今度な、ナナハン買うぞ、カッコええぞ!」
「ふぅ~ん、ナナハン?」

それから数日後、いつものXS650が2台のCB750に変わってたっけ。
「デッカ!」
としか思わんかったけどね。


今から20年も前のこと、そんな子供の頃の出来事をふと思い出し、
無性にCB750 FOUR K1に乗りたくなった。
別冊モーターサイクリストの読者売買欄で、当時の新車販売価格で1台見つけた。
連絡を入れて、電車に乗って現車を見に行った。
それなりにクタクタやったけどね、『実動、車検残り1年」で致命的な損傷もなかったし、
その場で現金と引き換えに乗って帰った。


1年くらいかけて、ちょっとづつ直していったもんだ。
当時、まだ部品がホンダから出た。
一番苦労したのが、リヤショックAssyでした。
CB750は1969年発売のK0から1971年式のK1までがガス封入式で、
1972年のK2以降は、オイルに変更されてますが。
そんな時代のガスなんて、とっくに抜けてスカスカ・・・・
ダンパーなんて「無」の世界でしたね。
K2以降のオイルダンパーのリヤショックに換える手はあったけど、
見た目でわかるんですね、K0、k1用は黒いプラスチックカバーがダンパーに付いてて。
さすがにそんな部品はあるわけないし、でもそこはこだわりたいとこで。
ダンパーのNOS部品を分けてもらって、スプリングとカバーを移植しましたね。


人間、欲が出ると尽きないもので・・・・
小学6年生の頃、「ナナハン買うぞ!」のお兄ちゃんが乗ってた
「キャンディ・ブルー・グリーン」にしたくなり。


それから部品を集め、仕上げるのに1年かかったね。
当時物の新品「HM300」の4本マフラーを探すのに半年かかり、
ガソリンタンクAssyはまだホンダから新品が出た。
シートAssyも出た、びっくりの8000円でお釣りがきたっけ。
毎月のお小遣いから、今月は何を買う、来月はどの部品を買うみたいに部品を集めた。
今みたいにネットオークションが主流でない時代、情報は人伝いで。
和歌山旧車会の会長さんを紹介してもらい、NOS部品を結構分けてもらったり。


エンジンは腰下からフルオーバーホール、クランクメタル、カムシャフト、オイルポンプAssyも
まだ新品部品がメーカーから出たしね、
さすがにオーバーサイズピストンは出んかったけど、純正の1mmオーバーサイズのピストンキットを
譲ってもらった。


タンクAssy、シート、サイドカバー、サイドカバーエンブレムも新品部品が出た。
アルミリムが入ってたので、純正の鉄リムに換えた。
いんな人に助けてもらい、外装部品は9割くらいが純正新品部品で仕上げた。


「カナダコーション」と違う、新品のHM300が自慢でしたね。
箱は朽ちてたけど、中身はピカピカやった。


この頃はほとんどが週末のチョイ乗りで。


ふらっと、思い出の場所へ出かけるくらいで、
1回、白馬のさとしん家へ行ったのが唯一のツーリングでした。




秘密基地が完成したのも、ちょうどCB750を仕上げた頃。


この頃、一瞬だけ考えたことがありました、
やりたいことは、だいたいやったし。
そろそろ潮時か、
オートバイ、降りようかなってね。


14年間で、おおよそ25000Km走った、
フルレストア後、立ちごけも雨天走行も無かった。
2014年4月、長崎の新しいオーナーさんへ。


そして・・・
これが最後と・・・
こいつの再生が始まりました。