木彫りの鳥の独り言

ちょい悪爺の懺悔録

災い転じて

2020年09月16日 | 独善偏見音楽鑑賞記
"滑り台サンダルひとつ秋の暮れ

今日は、あたりいちめん秋の気配になりましたね、皆さんつつがなくお過ごしでしょうか。

さて特別な夏も終わりました、真夏のマスクはこたえましたね、経験したことのない台風とか脅されたり
でも第2室戸台風や伊勢湾台風の時にこれくらい警戒していたら被害はずっと少なかったかもしれません
これも社会の進歩といえばいいのか、しかしこれが寓話みたいな展開になっても困ります。

経験したことのないといえば、、、、
わたしこの何十年、「今日も咲け咲け明日も咲け」とほぼ365日酒を飲んで来ましたが、梅雨明けからこのかた
今日まで缶ビールを2本飲んだだけ、べつに断酒会に入ったわけでも願掛けをしたわけでもありません、
実を言えば、通っているジムが例のごとくマスク着用となり、バカバカしくなって6月に再開されてからも
休会していましたが、当然のこと腹回りがきつくなり、血圧も高め、そこへもってきて知人が脳梗塞で倒れたりした
事もあり一念発起、まずは一日最低一万歩歩こうと思い立ちその初日、夕食後ほろ酔い加減で歩き始めたけど
9500歩あたりでギブアップ、あくる日から晩酌をやめてしらふで歩いたところ実に快調、我が家の周辺のアップダウン
に富んだコースを気持ちよく完走(完歩というべきか)、、、それ以来、清く正しく美しく、1日に13000歩以上歩く
生活を送っています、昔たばこをやめたときはそのストレスで胃潰瘍になったりしたけど、今回はそんなことは
一切ないし、これもコロナ禍のおかげかもしれません、災い転じてなんとやらフフッ。

"登る坂下る坂あり秋の雲
"夜歩きの足を濡らすや秋の露

先月このブログに書いたバッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータ、あれから10人以上の演奏を聞きましたが
その中で印象に残ったのは五嶋みどりの柔らかく繊細な表現、イツァーク・パールマンの暖かく雄大な表現、
極めつけはヒラリー・ハーン、純粋無垢といえばいいのか、そのくせ真逆に計算されつくしたというべきなのか
音楽の表現というのはある意味人の感性、もっと言えば人格の表現でもあると思うんだけどこの演奏時、彼女は
まだ20歳にもなっていないはず、年齢なんか関係なく持っている音楽の才能の大きさが常人とは違うんでしょう
天才というのはこういうものなんでしょうな、シャコンヌなんか聞いているとたった15分ほどの時間が無限な長さの
悠久の時に感じるほどです、残念ながら非才の身その素晴らしさを上手く表現できないのが残念です。

"赤とんぼ変わらず来たり安堵かな