木彫りの鳥の独り言

ちょい悪爺の懺悔録

銀杏は手品師

2020年11月28日 | 独善偏見音楽鑑賞記
 "遊歩道金色(こんじき)に染め銀杏の葉"
 皆さんお元気でお過ごしでしょうか、あと少しで11月も終わり
思えばこれまで、今年はかって経験したことのない事ばかりがつづきました、、、

それでも健康に恵まれ適度に刺激的な日常を過ごせていることに感謝であります。
この半年余り日課となった強めのウォーキング(10~12km 13000~16000歩)ですが
このところは余裕でこなせるようになってきました、おかげで7kg超のダイエット
血圧も120^70とすこぶる順調、おかげさまでいささかおそがけではありますが
積年の自堕落な生活から足を洗い清く正しく生きていく、ほのかな道筋が見えて
きたような気がします。
そんな毎日の楽しみがウォーキングコースの景観です、このコースは結構な山道もあり
当然のごと、この時期は日々進みゆく紅葉の美しいグラデーションを堪能しています。
コースの最終地点の公園の長い遊歩道は銀杏の落ち葉が豪華な金色の絨毯となり
夕日の照り具合によっては一瞬息をのむほどに輝き、まさに銀杏は手品師なのであります。
このところ陽の落ちるのが早く、暗くなった公園のあちこちに積もった落ち葉が風にさわさわと
舞いちらされるのを見ると、20年以上も前に聞いた桂米朝師匠の落語「豆狸]を思い出します

"大部屋役者の市川右三郎は、いたずらをしてきた豆狸を仕返しに痛め付けた。
豆狸はイチョウの葉を金に変えて、右三郎の母親のところへ貝殻に入った膏薬を買いに通う。
しかし容体が思わしくなく豆狸は死んでしまう。  ある日、三津寺の境内で貝殻を
身体じゅうに付けた豆狸が死んでいるのが発見される、哀れに思った右三郎は経をあげてもらう。
夕暮れの境内、豆狸の死骸の上にイチョウの落ち葉がハラハラと落ちる、話のオチは
「狸の仲間から、ぎょーさん香典が届いたがな」
この最後のオチが米朝さんの人情味あふれる語り口で演じられてホロっとさせられました
ほんとに一度聞いたきりなんですが鮮明に覚えています。

"ブランコの銀杏は豆狸の供養かな"

さて音楽の話ですが、D・キタエンコ指揮 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の
チャイコフスキー交響曲集というアルバムに出会いました、このオーケストラがケルンに本拠を置き
1827年創立でマーラーの3番、5番を自身の指揮で初演したというのもあとで知ったんだけど、、、
これが演奏良し、録音良し、構成良しの3拍子揃った文句なしの出来 2015年発売なんだけど日本の
音楽誌で紹介されたこともないし、所詮音楽雑誌の評論家なんて身内の褒めあいばかりなんで
自分たちのマーケットの商売に結び付かないものは完全無視なんでしょう。
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団はいいですね、触発されてマーラー3番、ショスタコビッチ6番、8番
も聞きましたが実に端正な美音と優秀な録音、おすすめです。
もう一つ、ケントナガノ指揮ベルリン交響楽団の児玉マリ ベートーヴェンピアノ協奏曲集
このアルバムでPコンチェルトNo.0というのを初めて聞きました、ベートヴェンらしい曲調なんだけど
1~5番に比べると情緒という面で欠ける感があるけど、今後演奏される機会が増えるかもですね。
それにしてもヨーロッパ、とくにドイツの音楽水準てすごいですね。
ではこの辺で

 "暮れなずむ山の半月晩秋や"