木彫りの鳥の独り言

ちょい悪爺の懺悔録

特別な夏

2020年08月28日 | 独善偏見音楽鑑賞記
"心頭を滅却すれどなほ暑し
"夕風のそよとも吹かず夾竹桃

皆さんお元気でしょうか、特別な夏はいつになったら終わるんでしょうね、ため息ばかりです。
過日、新聞の書評欄で「盆土産と17の短編」三浦哲郎 中公新書、が目にとまり Amazonで買い求めました、、、
昭和という時代を生きてきた人たちの(私も含めて)、哀愁に満ちた切ない暮らしの断片を鋭く切り取った
短編集です、今更ながらこの人の喉元に刃物を突き付けてくるような短い文章に驚くばかりです。

いささか独断かつ浅薄ではありますが、この世に桃源郷なんて断じてありません、、、。
若い頃、生家が熱心に宗教活動をしていたのにあっけなく両親が他界し家庭が崩壊したせいもあり宗教というものを
毛嫌いしてきました、でも信仰が無ければ生きていけない人もいるというのを年齢を重ねていくうち理解してきました。
翻って我が身を顧みるに、音楽がどれだけ癒しと救いを与えてくれたかと改めて感慨を覚えます。
覚えているのは中学1年か2年の頃、音楽室で佐野先生が聞かせてくれたシューベルト未完成のLPレコードの感動
それがクラシック音楽への入り口でした、自分には演歌、シャンソン、ジャズのほうがしっくりとくる時もありましたが
やはり深いところでは常にクラシック音楽が流れていたんだと思います、まわりくどい話になりましたがこの所バッハに
のめりこんでいます。

今までバッハといえば教会権力と宮廷の権威が背景にあるという思いがして私みたいに極めて情緒的な人間にとって
どっぷりとはのめりこめないところがありました、、、
30年ほど前にギドンクレーメルの「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」2枚組のCDを買い、何回か聞き
その後は長い事聞かずにいたのですが、先日そのギドンクレーメルの2005年演奏版があるのを知り彼の30年を
隔てた演奏の変遷を聞いてみました、さすがに円熟というのはこういう事かと感じ入るとともに、バッハの音楽は
こんなにも情緒にとんだものだったのかと初めて感じました、バッハの生きた時代も三浦哲朗の生きた時代も同じように
人は喜び、悲しんでいたんでしょう、そしてこれから先も、、、
バッハの喜びや哀しみが1本のヴァイオリンから切々と歌いあげられるような気がします、芸術は偉大です。

ところで「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」ですが 川畠成道盤、パールマン盤も素晴らしかった
2019年発売の前橋汀子さんのも発見、残念ながら、、、でした、音楽の表現というのは実に奥深いものです。

"桐一葉落ちていまだに秋遠し
"枝豆を黙々と喰う黙々と飲む