されど鹿児島

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せばる隼人舞

2005年11月24日 | 伝統
     せばる隼人舞(17.11.23撮影)

 今から1300年前に隼人族が大和朝廷に滅ぼされたとき,戦利品のひとつとして 隼人舞は踊り手ごと朝廷に持ち去られ,現在は京田辺市の大住に大住隼人舞として伝承されている。
 ある歴史研究者の研究の結果,鹿児島市坂元町に隼人舞に関連する地名が小字として数多く残っておることが判かり,この地(催馬楽(せばる)と読む)の「おとん山」が隼人舞い発祥の地であるとの確信に至った。
 坂元台校区では,校区の活性化を図るための行事として古代の隼人舞が候補に上がり,この地から伝えられたといわれている大住隼人舞保存会の協力の下に,大住隼人舞を逆輸入した形で後世に伝えようと平成になってから「せばる隼人舞」として復活させたものである。
 伝統芸能と呼んでいいのか疑問だが,地区の老若男女が集い,歴史のロマンを感じさせてくれる行事であることには間違いない。


     猿女舞


     弓の舞


     幼稚園の園児たち

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4 コメント

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Unknown (hamayuu)
2005-11-25 20:32:27
珍しい隼人舞ホームページのスライドショーも見せて頂きました。

衣装もそれらしくて時代を感じますね。

大住隼人舞をせばるでも行われるようになったのですよね。

大住は大住で今も続いているのでしょうね。

大人も子供も参加で珍しいもの見せて頂いて有難うございました。
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全く知りませんでした・・・ ()
2005-11-25 21:41:59
坂元台のすぐ隣、吉野に住んでいたというのに、

せばる団地経由のバスに毎朝乗っていたっていうのに、全く知りませんでした、この行事。

こんなに本格的に古式豊かな舞を見ることができるのですねえ~

吉野の子供達は勇壮な棒踊りを踊って見せてくれてましたが、こちらの舞は女性的な要素も多く含まれていそうで、素敵ですねえ~

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hamayuuさんへ (ken2)
2005-11-26 22:52:22
何しろ1300年というとてつもない大昔のことですので真偽の程はわかりませんが,大住のほうも復活したのは近年のようですが鹿児島の大隅から伝わったとか書かれているようです。歴史ロマンを待たせてくれるとこるに意義を感じる次第です。
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nさんへ (ken2)
2005-11-26 23:01:33
催馬楽を「せばる」と読むところからして鹿児島らしくて面白いと思っています。島津家の時代上町が中心だったように,太古の昔はそれより高台の鼓川,坂元や吉野あたりが中心地であってもおかしくないと思います。国分の上野台遺跡にしてもそうですからね。現在われわれが住んでいる市内は海だったかもしれませんしね。歴史ロマン大好きです。
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