【十夜 夢想】 から
月末あたりから毎夜のように動物園で食い殺され続ける悪夢にうなされ寝汗が酷かったせいか昨日は風邪で丸一日寝込んでしまいました。
熊本は阿蘇ファームランド前に私の山小屋というか、荒屋が建ちます。
真ん前すぎてストリートビューではランドの正面玄関へとカメラが入ってしまい、屋根しか見えません。
バス路線を映し出しているらしいビューです。
が、この屋根さえ上空写真では道路の地図記号で隠されている。
ランドで野外コンサートが何度か開催された時、ステージの右奥に道路を一つ隔てただけの位置にてズーッとテレビに映し出されておりました。
恥ずかしかったし、申し訳なかった。
道路沿いはワインレッド(建設当初)の壁です。
阿蘇五岳側に回ると「ジャングルジム」だと新築時から形容された屋根裏部屋まで三階建ての丸太と木造の建築です。
物置に至っては工事途中でストップされた状態のまま、二十年が経ちます。
二十年前といえば、そう八王子抗争が春にありました。
その年、九月十五日に御山を下りて福岡に帰る時、車の後部座席に積んだ荷物だけで何も持ち出せなかった。
壁を埋め尽くしていた本も、桜に紫檀の家具も、電気製品に洋服さえも何ひとつ。
その数ヵ月後に二回ほど登りましたが、トラブッただけの情けなさです。
検察に二回呼び出された折に寄りました。それっきりです。
この時には家に残さざるを得なかった金目のもの全て盗難に遭っていました。被害届は出しましたが。
この山小屋は、彼女の十三回忌過ぎれば私は御山を下り、後はグリーンヒル南阿蘇の管理事務所としてだけの物件となるはずだったのです。
が、小中学校長夫妻を始めとして自治会どころか村役場に警察までもが暴力団色に染まり、挙句の八王子抗争です。
懲戒請求とした検察官は辞職された。
後の連中はのうのうとしている。弁護士さえも。
建築時に自治会と契約した代金も、私は受領していない。
地域社会は守りぬけて自負する折れない心が私を支えているが、山小屋の扱いでは後には引けない。
暴力団に負ける自分をも意味する幕引きにはできない。
山の人たちも分かっているから、私には面と向かっては何も言えないで居る。
今の私の住所なんて、この時から教えているのに。
さて・・・
【十夜 夢想】 から
何処かに、何か、大変な何かが隠れているに違いないんだ。じゃないとここまで執拗に攻めかかるわけがないっ。それも随分と子供じみている。
警察がだ。後ろめたさ指し示す相手の焦りの色は、私自身に「自分を信じ通せ」とする確信を形で見せ付けてくれた。
必死になって歳月を巻き戻そうとした。
考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逃げ、楽したい思いへと逸れていく。
だから書いてった。
声掛ける「シゴトスンダノ」沓手鳥仕舞う切っ掛け湯呑み酒瓶
世界遺産に散った女性が私に残してくれた、
「書いていいかも」
この“描写”
投稿しなければなりません。何回かには分けますが・・・
そして最後の最後に、卑しくされた黄白の流れとなるんですが、これについては書きません。穢したい人に材料を与えたくないから。
(くつてどり・ホトトギスの異称)
安全圏に逃げていた。そこから逃げたいとした記憶の喪失の中にこそ、真相も尊厳も未来も何もかもが・・・
“あなたは何処に~”
誠しやかに生きてしまった、この面の皮を剥ぎます・・・
打たせ湯の喪屋穿つ靄今日の月
【十夜 夢想】 から
グーグルとの二つのブログで落としている裏千家師範との過去世は、1981年です。
ホトトギスを詠んだ家康、秀吉、信長の俳句は度々見かけますが、家康の本が茶道界でも話題になっている時代。そう、もう30年にもなるんですね。大阪城は何故簡単に落ちたんでしょうか。
今、絶対に忘れてはならない事実が幾つもある中から日々に気を付けている思いを今日は投稿します。
ここまでに投稿できたのは、2000年2月7日から記憶を取り戻し始めての物語であって、ここに至る19年は死んでいたのも同然の私です。私にとっての彼女との思い出は完全に思い出せてから未だ数年の、新鮮な風であり肌なんです。
当時を振り返る時、許せないことだらけのなかで異彩を放つのが、私の周囲を取り巻く人達に降り掛かった世間と圧力です。
中洲への罵詈雑言も酷かったが、これは放置できる。
無二の友は学生時代にグループ交際していた中から誕生した微笑ましき家庭です。奥様は私より数歳年下でしたが、数年前に他界されてしまう。葬儀は別の友からの電話で知りましたが、欠席しました。みんなから事情を聞かれても答えられない。
私には二人の妹が居る。何年も前に自宅を新築しているが、二軒共に私は訪問したことは一度もない。下の妹の家に至っては医界に居る現状も考えて場所も知らない。
阿蘇で知り合った一回り年下の女性とは再婚を真剣に考えて数年交際しましたが、一方的に別れてしまいました。
書き出したら暗闇どころか取り留めもない。
いま私はGメールも打てない。覚える気がない。削除しても記録に残るから。
私が相手取る世界とは、こんな闇鍋です。
前回「パイプカット」からの続きです。
だいたい剃毛から恥ずかしかった。
時の看護師さんも若くてカワイイ子です。剃られるのをジッと見ていたら、
「見ないで下さい」怒られちった。
真冬でもアンナ二小さくなった自分、見たことない。ま、大きくなってしまうより良かったと割り切りましょう。
しかしビニールの手袋までしなくったって良いじゃない。ねぇ。病院に行く前にはチャンと風呂入って念入りに洗ってきたのに。淋しかったぁ。触り方も摘まんでたしぃ。
今は男の看護師さんがやったりするんでしょうか、もしも、そんな場面を与えられたら、オレ、ゼッテェ、ケエル。冗談じゃない、ってぇんだ。
手術室で気が付いたときには、あの女医さん、消えてた。
終わったあとでストレッチャー? に移るんだけど、この時に来た看護師さんたち何人いたと思いますか。若い子ばかり八人は居た。
どうやって移そうかって話し合ってるから、
「移れば良いの?」って答えてから、
「(ストレッチャーを)押さえててね」
一人でサッサと移動しました。だって麻酔なんて効いてなかったもん。そんなのより前合わせの手術着? が開いて何色だったか塗りたてられたアソコが顔を出さないように願っていました。
運ばれる時も自分で点滴の袋を上に持ち上げていた。八人もがゾロゾロと廊下を行列で押してくれているのに、です。
途中で年配の看護師さんに怒られた彼女たちは一人になってしまいます。
着いた部屋では腕が痛くなってきました。
点滴の針が入っているところが、まるでスズメバチに刺された時みたいに腫れ上がってズキズキ痛むんです。
するとさっきの年配の看護師さんが見えられて直してくれました。
呼び鈴を何故押さなかったのか聞かれたんで、
「我慢しないといけないんだろう、と思ってました」
答えた私に無言で立ち去られた。あの子たち、怒られただろうなぁ。
数日後に行ったときも別人ですが若い看護師さんが赤チンだか青チンだか忘れましたが塗ってくれました。
尻込みしている準も新米さんは、
「仕事だろ」と先生に怒られる。
この時は流石に、見るのは止めました。
「頑張って」
心の中で応援していた。
叫び聞け時を駆け抜く春雷ぞ
手術台に大の字で両手両足を固定されていた。
手首のベルトから先で軽く握り締める拳に看護師さんの白衣が当たる。それも、そこいらへんに、お尻に。
引っ込めようとしてもベルトが邪魔だし、足掻いた挙句で〝痛い〟とか〝怖がっている〟とか誤解されるのはイヤなので仕方なく白衣の感触を楽しむでなく勘違いしないように願っていた。
顔を上げると、大きく広げられた両足の向こう、真正面の壁に張り付いて自分のアソコを凝視する女性が立っている。若い。加えて限りなくキレイな女医さんだった。
・・・恥ずかしい。何も聞いてないよ。
チクチクしている。針も、通される糸も感じながら、顔を上げっぱなしでずっと見ていた。
先生は「後で頭を痛くなるから上げないほうが良い」と注意されるが、その女医さんの視線は気になるし、自分のが如何なっていくのかも気掛かりだし、ずっと顔は上げっぱなしで眺めていた。
過ぎし我れ何時まで立つか枯れ尾花空しき限り四季に活けらむ
「分身で漫才された剃毛から白い巨頭から点滴」 へと続く
純粋な、真っ白な女性でした。それでいて、大きかった。
今日がホントの月命日。迎え火な太陽は「八月のクリスマス」として記憶喪失者に刻まれる。記憶する最期の姿は、退室する見返り美人だった。
たかがカネ、されどカネなのか、ために私は「見舞いを止められていた」
そう、わたしは見舞いにさえ一度も密室の大学病院を訪れてはいない。
なぜ、そこまで、義兄なのに、医者なのに・・・
さくらんぼ稚児握り締む桃石榴雲は俯くみな熱き縁
ドアがノックされるたびに・
毎日毎日、待ち焦がれていた。
「産まれてこなければ良かった」
「そんなに嫌われてしまったの」
こんな、してやったりの師範に性暴力の週末は、私を尻目に否応なしに訪れていた。
病室の天のみの空を見つめ「椿灰に愛と清貧の戒律」で逝く。
マリア観音はかなものなり閻魔堂なる飛天ひん抱き幸と見見えん
「知らなかった」
「ごめんね」
済まされる歳月の彼方、ではない。
・・・また陽は昇る。。
【十夜 夢想】 より
世界遺産で誰か行方不明になったらしい。何気にテレビを見ていた夜だった。すると〝あの子〟の名前に住所までを読み上げる。
まさか・・・えっ。。。
ヘリから俯瞰しているカメラ・・・
いきなり〝その〟映像が飛び込んできた。数秒だったが、寄る。
脳裏に焼き付いている。
むかしむかし風光明媚な山奥で観光客が見つけた〝ひと〟が週刊誌を賑わせた事件がありました。SMばりに生まれたままの姿で縛られていた。崖の上から〝捨て〟られたのが途中で引っ掛かったのです。
観光地で記念写真を撮ろうとされる背景に目立っていた。ファインダーから直ぐに見つけてくれたのが何よりの救いなのでしょうか。
服こそ着ていてくれたし縛られてもいなかったが、テレビで流されたシルエットは同じ。
場所は違えども二人共に外国だったが週刊誌にも掲載された数枚もの写真を思い出してしまう。これらの映像は一生涯、消えないだろう。むごすぎる。。。
報道とやらの言い分は体質は・・・聞き飽きた。
☆ ☆ ☆
私は記憶を取り戻せていける。
この子の汚れなき心からの優しき言葉が切っ掛けで、自分と向き合え、戦えた。
お礼を言わなくっちゃ・・・
その前に、逝っちまった。まだ三十路に入ったばかりだったのに。。。
この子には離婚歴があった。結婚前に少しだけ働いた職業が原因で、離婚を迫られたのです。
過去の無い女が魅力を纏えるのか。涙が養ってくれた女性だから、好きになって、結婚したんじゃないのか。
それどころか、この男は慰謝料まで彼女に請求した。
突然に別れを切り出された女性が、住まいを見つけ、家財道具から電気製品まで最低限の品を揃え、職を探し、生きていくのがどれほど大変な現実になると思うのかっ。
サイテー野郎、クズだ。
失っていた記憶の根幹を成すのは、大学病院の病室における、日本最年少で裏千家も師範にまで到達した、まだ二十八歳の彼女のーーーーだった。
ここから完全復活していく記憶ですが、ショック療法は普通への道のり苦しく、
・・・長かったぁぁぁ。。。
6/6
逃避を収入を回帰とか南の島なんて美化された言葉で誤魔化して、カネに換算するな!
観光客の命を預かるんだよ。自分の命を賭けて仕事にし、客に楽しんでもらってこその生活の糧だろう。
世界遺産に登録されたからって浮かれた気分の延長線上に、何も知らない観光客を引きずり込むな。
これからも、今も、登録を目指しておられる地域は多いみたいですね。
ここんところ、くれぐれも熟慮して頂きますように宜しく、よろしくお願い申し上げます。
人の噂も七十五日、なんて思わないように!
この点、私も経験者です。だからこそ、はっきり書けます。
左に置いている最新記事の列から「〇したのは私です」を読んで下さい。
地域に住み、恩恵を受けているってだけでも当然の責務だったと今も考えてるから、自分に自信持てる生き方が記憶喪失になっても自然にできてたからブログに書いても平気なんです。
沢遊び若紫に手を添えて苔から雫跳ぶは裸足さ
で、前回投稿の続きです。頭ん中、切り替えてくださいね。180度転換します。
(アダルトなビデオが普通の棚に陳列してあったから借りてしまったんです)
「こんなんを何んで当たり前のように並べてんだ。それも(地元では有名な)親子連れでも賑わう本屋だろ。間違いか? 子供が借りたらどうすんだ」
真剣に腹立たしくなり、考えた。
「文句つけてやる」
「電話にしょうか。直接に出向くか」
って中から苦情の文言、話し方と内容を練る。
・・・・・「どこが?」
・・・・・どこ?・・・・・!・・・・・
自問自答する。
・・・・・こここそ〝赤ちゃん〟だった。
(ここについては過去記事を読んで下さい)
貸し出し期間中、何度も何度も、繰り返し繰り返し観てしまった。
地上の天使が入院していた百八夜もで、
ーーブチブチーーーーブチブチーーーー
音を立てて切れてった頭ん中、
・・・・・何かが繋がっていく・・・・・何かが・・・何かが・・・・・どんどん、どんどん繋がってった・・・・・。。。
・・・・・日の目を見た。
おぞましい原稿で1994年6月28日から告発に説明にと使用するが、これではとても公表には使えない代物だとして更に四年もの歳月を費やした98年春の原稿も、やっと日本語を学びだせた程度の下らなさ。
これを打破する光明を見せてくれたのが、
今、Googleの「28のままに・〈椿灰〉・・・裏千家師範のクララは逝った」と「夏下冬上」のブログなんです。
アダルトなビデオが脳天に、曜日に来月に、
「もう」・・・
・・・「まだ」
なんて忙しなくナンパしまくる。
私事に腹時計は1981年夏の喪屋で止まったままでした。
御伽草子の世界です。
ショック療法になった。
真実は一瞬。
解りやすかった。
フランス映画には観られる脇毛みたいな、偽らない繊毛でした。
トラウマは、もう、雲、霧、もや、かすみ、にさえならない。
きれいさっぱり、晴れた。
ありがとう。ほんとうに、ありがとう。
世界遺産に散った娘、あなたの御蔭です。
この御礼、早く話して置くべきでした。
悔いばかり残る人生です。
・・・(続く。最後に一言、報道の姿勢に問いたい投稿になります)
5/6
歳月を必死になって巻き戻した。考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逸れていく。だから書いてった。
何処かに何か大変な何かが隠されているに違いないんだ。
そうじゃないとここまで権力が攻めかかって来る訳が無い。それも随分と子供じみている。国家権力がだ。
世界遺産で散った娘が教えてくれる後ろめたいからこその相手の焦りの色は、私に自信を形で見せてくれた。
めきめき思い出せたが腱鞘炎にもなった。
頭蓋骨の後ろでは右から飛ぶ弾が何かにぶつかり、左の脳を震動させる。
こんな毎日なのに、たまに思い出した小さな他愛無い歓びが勇気づけてくれる。
それをバネに体験した事実を積み重ねていく。日本語から学ぶ、小学生からの再出発となった。
再認識どころか、自身を自分の自由な意思で積極的に追い詰める。
男の姿を借りた看護尼僧が比翼塚として生きた聖地。体験記の筆跡から解読は、しんどかった。ここに強い意志の力が求められたのです。
聖域で一番大切だったのは、自分を信じ通せる強き心。
自身の過去を意識して隠そうとしない顔が刻む、他人からの第一印象。人から何を何んと言われようとも、恐ろしい組織に相手に合わせつつも「言えません。忘れました」と無心の心で接することができる自然の日常。
これが、御山とした南阿蘇の真相となって、今にブログを産んでくれた。
18ヶ月後、尻の肉も落ち、ジーパンも引っ掛からなくなっていた。
慌ただしく書きなぐっただけの、でも毛筆にした五百六十枚が書ける。
1994年も6月の終わりでした。
とても公表できるとは思えない幼稚な文章、かちかちの死んだ老人語。
ここからが、始まりだった。もう、やり直し、後戻りできない過去の引き出し方をしてしまった。それは顔の造作にも、身体つきにもなっていたでしょう。
ここまでにしたって、それまで数段階を経て思い出せた内容にも、犯された裏千家師範の病室やら奪われた私の資産は含まれてなかった。
それだけ凄惨な、という精神的外傷です。あれだけ遊びまわった私がだ。
姉の死にて生まれた〝書いて良いのかも〟たる思いが、それらの犯罪した流れを突き止めていく。自然に「書ける」と。
やすらぎの席にくちづけ横たわり忘れな草のいつまで草の
実しやかに生きた自分の面の皮が剥げる。
妻子を捨て、安全圏に逃げていた。そこから(トラウマ)から逃げたい、逃げられたと思った筈の〝御山に今という時に〟酔い痴れていた。
ここにこそ真相が未来が尊厳が隠れていたのに、大事に抱え、素面で酔っぱらってた。
自分に何が欠けているのか、何かが隠れているのは分かっていたのに、それを抉り出そうともしないで楽な生き方をしてしまった。
自然な時の移ろいに甘えていた。探してくれない隠れん坊でも甘んじていた。
第三者には簡単な、突然も三面記事の殺され方なのに。。。
その、二十世紀も今年限りとなった二月七日の朝、無性に繊毛が見たくなる。何故かまでは分からないし、そこまでは考えない。自分に正直に生きていた。
パッケージが見え難い老人になっていた私は、テレビではカットされてしまうシーンをビデオから〝ここ〟と見て取りたいオヤジとなり、なんとなく、そんな感じの一本を選り抜いた。
普通の棚に並べてあったんです。アダルトコーナーの存在は耳学問していたが、そこまでのモノは見たいと思わなかった。ただ、ぼかされていない、カットされていない繊毛が見たい。そこだけの欲望でした。
パッケージの写真はズレとボケから何気なく手に取った。
表題の「張り込み」というタイトルから連想する刑事物も影響していた。
家に帰り、しばらくしてから、差し込む。と・・・・・
・・・・・なんか、おかしい・・・・・
すぐ止めた。やたら腹立ってくる。押さえられない・・・・・
4/6
私みたいな情況「過去の一時期を覚えていない。その時期に何があったんだろう」と足掻いてる人が周りに居たら〝この世界遺産に逝ってしまった娘〟みたいに『良い雰囲気の中から、あっさりと問い掛けて』欲しい。
簡単で良いんです。何度も聞き返したりすると逆効果になりかねない。
その人(私の場合)には力強い言葉として残っているはずです。
その場ではそれ以上何も起こらなくても、近い日にきっと実を結んでくれると思いますよ。
自分で、中学程度でも数式を使わなくても稚拙な手段でも解こうと思えば解ける、興味を持たせられたり趣味にも通じる設問を探して、仕事や雑用にも追い詰めない生活の中から自分自身の意思で解こうとさせると良く、自覚させるのではなく頭や心の受容器、眼・耳・鼻・口・肌など感覚を活発に動かすようになる過程への切っ掛けこそが重要です。
みんな何かしら責任ある身が人間なんです。
別の世界(私の場合が夏下冬上のブログ)から早く呼び戻してあげなければ。。。
自己管理能力と底なし沼は、文明と貨幣で堕落する発展と収入に均衡というシーソーゲームだと自覚させることです。。。
口数が少なくなるほど何かに貪欲になれる時間を与えてあげられれば良いみたい。
男はそんな頭に心の体操だけでも善いが、心身共に家事に子供に性を受ける日々の女性は物欲や食欲でもある程度は満たしてあげるのが必要みたいです。
男が現す寂しさは全体像がつかめる単純さですが、女性や子供たち(幼児体験になってしまう)の過去に傷は氷山として見えない海に暗く沈んだ亡羊の嘆とも成り易いから周囲の観察眼(決して洞察力ではない。これを使えば相手は距離を置く。一歩引いて身構える)から包容力が大切です。
ある程度まで女性は環境への順応作用が高いがゆえか割り切り方がヘタです。
精神面での適応力が弱いのに、無理にお利口さんになろうとしていく人が女性には多いから。内に溜め過ぎた挙句で強張らせてしまうみたい。
気忙しくなり一心不乱に書き出した。
一日は短く、時間を二日に一度の食い溜めと支度から皿洗いに費やすのさえ勿体ないと感じる日も多く、冷蔵庫にある材料で作れる女性的主婦的腹ごしらえに満足していった。
光合成も止まった青白い顔になって痩せ細り、又しても新たにも取り付かれたみたいに酒も止めて机に向かった。
散れ散れのメモに日記をジグソーパズルで組み合わせていくには健全に魂を集中させないと出来ず、まるで、波だけ雨だけのパズルの箱の中身でした。
玉手箱開けてしまった世捨て人されてしまった浦島の街
素朴な誇りを持ってこの世の有りと有る権力の集合体と対等に渡り合えた南阿蘇の尊厳ある生と死に向かい合って生きた御山の悦びは無一物の肌身を潤い有る生活に押し上げる・・・・・
3/6
こんな思い出した直向きさの子に近づいた夜、観てくれのテレビを眺めていたら又しても気になりだして、その夜は居た堪らないほどに酷かった。
仰々しい威嚇の色のテレビは中学の算数の問題を解いていた。
「こんなもん」と馬鹿にしたら、解けなかった。
「ややっこしくても解らなくてどうする」って考えていったんだが、面倒臭くなって止めてしまった。
が、こんなだからダメなんだって思い直せて考えていけた時、
解ける一瞬の前、
いきなり平手で引っぱたかれた。
妻子住む街で稼がずのうのうと虫と語るは虫にも劣り
将来の現実を捨てて永久に暗黒となる闇にしてしまった。
愛娘ある身の親なのに、酒と女と霞の御山を事実として思い出した。この世の現実は夢のように果かないとして、妻に娘の成長期を私は無視して生きてしまった。操っていた天使と共に。
むかし助手席に乗っていた車が海岸通りで事故った時の瞬間の緩慢さに似ていた。
! 襲い掛かってくる擁壁・・・張り付いた草・・・顕微鏡で覗くみたいな岩肌・・・ひしゃげるフロントノーズに砕け散っての磨りガラス化・・・天井に叩きつけられる背中に頭・・・引っくり返って火花を飛ばしながら屋根で滑っていく車・・・
やっと止まった時のザラザラしたアスファルトの驚くほどの清潔さ・・・ヌルリとする頭の生温かいモノ・・・その臭い・・・べとついて離れない指と指に指・・・切り傷とは違う色の赤い血。
ハンカチを探して頭に当てていたのは、十九の夏だった。
こう、活を入れてくれた顔と声の天使に俗っぽい膨らみや反りの小ささはなく、ありったけの視野に微笑みを拡げ、光をまぶしてキラキラ、一面のボクの世界に煌めいていた。
直向きな「この子」との良い付き合いから思い出せたからだろうか、新たな予感があり、苦しくなんかは無かった。
師範の姿や思い出の花と実だけで、こんなにも明るくて、ほろ苦い甘さなのなら、零れ落ちそうな時間を溜めたままで明日に消していた虚実の生活は、もう持ちたくないと瞼の娘に決心できた。
限りなき慶びの空巣立ち鳥
人にそれぞれの潜在意識には、それらを思い出させるキーワードが一つ一つ強弱になって存在しているみたい。
私の場合はそれらで浮かび上がっても一つ一つが結びつくことなくバラバラのままで明日には消えていた。
仕草から会話が裏千家だとクララだと弁えられても義兄たる院長の師範殺しの謀略と結びついての文脈にはならなかったし、この時点でも私から絵画を購入した姉妹の思惑から購入資金の出所の記憶はなかった。
が、そこへの闇を力強く探求できる、もう挫けない逞しき明るさがあった・・・・・
【十夜 夢想】 から
2/6
記憶喪失に陥ったトラウマなる衝撃の「過去」をショック療法で以前の私に甦らせてくれた命の恩人とも言うべき女の子が、私には居る。
その子は、こんな私の恩人になっているとは気付かないまま、話す前に、世間を騒がせた「とある事故」で世界遺産に被害者として散った。
博多に下りて初めての正月を迎え、真冬と言われても私には麗らかな日、御山で最後に付き合った「この一人の女」を考えていた。
会社勤めで苦労しているのか、珍しく弁解する顔の場面だった。そんなでも一生懸命に働いて明るく直向きに生きている子なので一緒に居ると清々しかった。自己主張が行動の後から付いてくる子。逆らわずに飲み込んでくれた。切なさも併せ持っている良い女でした。
怖い人たちからも遊びに来ていた若い連中からも、よく、
「むかし何か有ったんだろう」
みたいな台詞で私は表現されていたが、この二十三歳の女の子からも言われ、
「話をしたら、楽になるわよ」
と読んでくれた朝を思い出し、考えられていた博多の正月でした。
しばらく南阿蘇の山小屋で一緒に住んだ黒猫連れの化粧焼けの女性が亡き師範と同じ街もキリスト教だった思いに加えて全く同じ、
「話をしたら・・・」
言われていた言葉も思い出せたその日、靄がかかるままだった私の中は、避けられずに草刈り機で切ってしまった一本の撫子を刈り草の山の中から探す両の手みたいに落ち着いていられなくなり、考え出してしまった一人の部屋だったんです。
付き合う女性では初めての三十路も三十一歳になる無職の黒猫の女性〝名、忘れた〟
「風呂上りの匂いが会った最初に欲しい」と頼んだ〝その子〟
「一時間以上も走ってきたから」
と、石鹸の香りは飛んでいた。
が口紅を付けていたので文句を言ったら、
「キスしても付かないから」
・・・・・・・・・・、
「下手だね」
「合わせているの」
こんな憎めない会話にも何かが隠れていた。
何か有るとまでは砕けていたが、それだけ。
〝風呂上りの師範〟〝付けない口紅さえもの裏千家〟に有るとまでは揃い踏みしてくれない記憶でした。
〝クララからキリスト教〟も・・・。。。
かわいい子はチーズやワインなんかも阿蘇の御山に差し入れてくれてたんですが、そんななかからトルコキキョウの花束ももらった夜がありました。
なんだか新鮮に懐かしくって、少なくなりながらも次に会いに来てくれるまでの六日を大切に活けていた。
撫子も桔梗も、重なり合いながら緑芽生える博多の街の椿咲ける月において、何かが囲炉裏の熾き火みたいに浮かび上がってこようと足掻く夜だったんです。
夜の営みを吹っ切れての真の女友達へと意識したのは、このフェロモン娘が始めての温かさでもあった。
こんな・・・
【九夜 ★史実】
青春キャンパスなんてボク自身は気恥ずかしいネーミングだと承知之助だった。名付け親は天使だ。この点は押し付けて、そっぽ向く。逃げます。
世捨て人みたいにプレハブで生活しながらテニスやらカートを営業している人が居る。夜は丸太を燃やしてキャンプファイヤーで楽しんでいる、と山頂へのドライブコースに在ってナイターのテニスも加わり、下界では有り得ない刺激的な光景に休日の息抜きやら話し相手で遊びに来てくれたり、通りすがりの観光客も増えてった。
こんな中、ペンションで知り合った女性が居る。まだ二十歳ちょっと過ぎ。
好い女だった。懸命に合わせてくれるのが、いじらしかった。それも自然な感じで。
送り迎えには高速を150で流しても7時間かかった。土日に阿蘇に来てくれた。迎えに行って、送って行って、合わせて14時間。この時に乗ってたのはランクルの70です。ぜんぜん苦にならなかった。車内は広い。キンコンカンコン鳴るのは配線を切っていた。たまに抱っこのセッ◯ス。フイルムも貼ってるし、車高があるからトラックにさえ注意を払えば良かった。スリル満点、年取った今は満点の思い出です。
なのに別れてしまいました。
それにつけても別れ方がヒドかった。電話で一方的にまくし立てている。理由もコジツケでした。ホントに悪かったと、思い出す度に胸が痛みます。
何故、さよならしたのでしょうか。それも、そんなにひどい別れかたを。
ある日、近くの家に大きな“日の丸”が掲げられた。横長の看板には“◯◯◯◯党”と書いてある。どういうところなのか、一目瞭然。
この二つとも少しすると取り外されましたが、私は見てしまった。“彼女”は正体に気づいてはいなかったみたいです。私も、言わなかった。
ここからも一年近くが過ぎます。三~四年は楽しかった。再婚するとしたら、この女性しか居なかった。
・・・戦争になります。
福岡から掛かって来る知り合いからの電話は“この話題”で持ち切りだった。中洲どころか至る所から人通りが無くなった、とか。ですが、私は“福岡に行くソノ筋の人たちはココに集まっている”なんて言わなかった。
そんな在る日、急に騒々しくなりました。恐ろしげに吠える犬たちです。
いやーーな予感があった。だから、決心が挫ける前に電話で別れた。
別れ方は兎も角、別れていなければ、その日曜の朝も“彼女”は居た。
そして、悲鳴を聞いてから駆けつけても、もう手遅れだったでしょう。
それに、ろくろ首の件もあったことでしたし。
好い女も、そうではなかった女、私には合わなかった女性も、追ってしまう歳では、みな、わたしが悪かった気がします。優しさって言葉のホントウの意味を知ってきます。
数組の中年のご夫婦の後から女連れで入ったのですが、この後から入ってきた五人ほどの若い連中がいきなり乱交しだした。湯の中に隠れ、水紋と太陽光に反射されるとはいえ、位置関係に動きでソレと分かる。一対一、一対二、ときどきカワイイ女性たちが潜る。流石に呆れたが、見てしまった。ご夫婦たちは急いで上がっていかれた。この連中の名も聞いたことがない日本人は居ないと思いたい。〇〇〇真理教の前身を作った連中である。この時に集団で居候していた農家が、俵山に在った。
青春キャンパスからグリーンヒル南阿蘇と名を変えた比翼塚に二階建ての上に屋根裏までのワインレッドだった壁の色の山小屋が阿蘇ファームランドの真ん前に建っている。わたしの棲み家です。
小雨に当っていた。子供連れの若い夫婦が入浴してくる。谷間の露天だから元々うす暗いのですが何の前触れもなく、脱衣所の横にそそり立つ崖の上に雷が落ちた。泥流に小岩が、
ドドドドドーーーーーーー
なだれ込んでくる、ーーーーーッ
湯壺はアアッと言う間もなく、泥の中。
一段落したと、ほっと一息つけた時でした。
夫だけが、一人だけで、素っ裸で石段を駆け上がり、一目散に逃げた。
幼稚園にもならない男の児が、
「おとうさん」
叫びながら、チョコチョコ追いかける。
あとに一人で残された若い妻、
とても面と向かっては見るに堪えなかった。
小さくなって俯き、逃げられなくなってしまったのは幕溜まりと化して流れない、隅っこに配慮の湯けむり、わたし。
・・・・・あの夫婦、今も夫婦やってるだろうか。
・・・・・さみしい。
・・・・・せつない。
点景を切り取る従順な窓は色に染まぬを守り、ガラスを填め込んだ貞潔な壁は情け深い修道服で導いてくれます。
雲を取り込み八畳間の畳さえ霞む、さまざまに昨日の形跡で滲む小さな、しかし空は浮き世の外。。。
口に髪肌を霧刺す静かさや潤む目尻が嗅ぐ君愉快
【休息】 より
隠すのに夢中で足元が疎かになり、洗い場で完全に〝モザイク〟使用と引っくり返った子。誰も予期せぬ一瞬は流し撮りの背景にしかならないから。怪我も無かったみたいなので、して欲しい旅の熱燗な時代背景。
阿蘇ファームランドの真正面に新築当時〝ジャングルみたい〟とも形容された山小屋が今なお建つ。青春キャンパスことグリーンヒル南阿蘇の入り口となります。わたしの荒屋です。
楽しんでいる娘たちの後から入っていくと、上がれなくなった子だけ、のぼせて倒れる。抱き抱えて運ぶのも辛い。連れの娘たちの視線を浴びながら決して嬉しくは無いと叫ぶ眼は、隠せない素っ裸はお互い様と分かっている頭ん中と、だから〝見るな〟とも言えない小心者、緊張感からくる分身の更なる行儀の良さ。岩場の状態を確かめるにはお姫様抱っこしている生れ落ちたままの娘の下半身越しに見るしかないのに、見るに見れない一歩の足元。
八夜 ★抹殺
若い衆らしき物々しい刺青のボディーガードの人たちと悩殺の姐さんを連れた丸坊主も剃り挙げての方とか、ソノ筋の団体さんと幾度と無く一緒になりましたが、あの湯壷で姿態に覚えられてからは、にじり寄ってこられて何やかやと話しかけられても〝大丈夫よ、心配しないで良いから〟と言われても困ってしまうのは、それが好みの乳房であり〝深層心理の師範〟が誘う官能と妄想にドラマする頭だったから。と、
後ろを向いてチラとも見ていないのに、
「さっきから、こっちをチラチラ見ている」
と、聞こえよがしの上に自分たちから見続ける女たちも居る。見て欲しいのだろうから仕方なく見てあげるが、そうしてあげるのは、そうしなければ呆れて頭に来るだけだからだ。この種類は身体を丸めて口の中に飴玉を頬張ったかのような声を鼻から機関銃みたいに出す〝一盛りナンボ〟で黒ずむも、拒食症の乳牛肉も、ガラ。に、多い。
千は色んな若さを拝見した湯ですが、見返り美人は一人だけ。見た限り一人も居なかったのは、上がり湯を使ってくれた子。
その子は新しい妊娠線を知らなかったのでしょう、男と一緒に入ってきた。先に入っていたオバサンたちが、
「赤ちゃんはお姑さんが見ていらっしゃるの」
なんて話しかけるから、イヤーーーーーーな予感がした。絶対にヤバイ。そのカップルは怪訝そうな顔をしているのにも構わずにオバサンたちのオシャベリは止まらない。くどくど、赤ちゃんが如何のこうのと話しかけたなり、続けている。二人からは何のことだか分からないという態度を取られているのに、である。それでもしばらくの時間が経った、・・・・・、やっと気付けたらしいオバサン達は慌てふためいて上がっていった。キョトンとしていた二人はその後も笑っており楽しんでいた、解っていないようだった。悩み苦しんでしまった果ては、ずっと気付かないで居て欲しい忘れて欲しいとの祈願。
守護天使は露天風呂に一度もついて来なかった。姉の言の葉に因る草千里が望める地にしか立たなかったみたいだし、『そういうふうに自分自身で創っていた』のでしょう。だから、これを〝亡霊に取り付かれている〟と人は詠んでくれる。うれしい。ほんとうに楽しかった。風呂はキャンパスでも恥ずかしかったんでしょう、天使は遠慮していました。常に一緒だったのを明るさで拾えるのは、お日さまがいっぱい詰まっている見返り美人の師範との尻取りだった、御山の、過去。昔も、大切な半生。
露見草明け紫に銀狐染まりし藍は室晴れし虹