青い果実とは言い得て妙。後から中高生らしき三十人程に囲まれると上がってくれるまでひたすら待つしかない。〝十戒〟だったっけ、チャールトン・へストンが海を裂いて民衆が渡る映画。あんな感じに分かれて後ろを向いていてくれるように頼べば良かったなんてのは、後で気が付く善悪。若くてスタイルも良くて可愛い女性と一緒になれるのを何時も願って入浴していた罰が当たった、情けなさを友にして俯いていただけの酸っぱい我が身。
露天風呂は地獄温泉や垂玉温泉に栃の木温泉だの戸下温泉やら湯の谷温泉で、片道七分から二十分のエリアも南阿蘇村の村内に点在していた。わたしの名は相浦、相浦照吉。青春キャンパスなるレジャー施設経営の世捨て人でした。
垂玉では橋の手前から左に滝へ向かって沢沿いに小路を少しだけ歩きます。入浴用品は月並みで良いんですが冷えたビールとタバコは必需品。それにすっきりさっぱりできる着替え。肝心なのは何に入れて持つか。ここはやっぱり、ヒノキの湯桶でなければならない。
湯桶に山と積んだ欲張りで落とさずに持てるのかなんてまでは悩まずに済む頃合い、滝の下に湯船な岩場が脱衣所から石段を踏み分け降りた藤棚の下に設けてある。そそる混浴露天も俄かに凸凹乱れだすブーム以前の静かな谷間であり、知ったか振りにびしょ濡れのオバサンや、若いのに自分の言葉に酔っ払って講釈する人、通ぶった睨めっこのオジサンたちは未だ出没していなかった。
下着のまま、浴衣を覗き色にしての着たまま、蓑虫みたいにバスタオルで、水着で入るのは乙女だから? 歓喜の湯気も波紋も強張る。
ちいさなタオル一枚で上下どちらを隠して脱衣所と行き来するのか、縦にして無理に被う子、無修正に上だけ、ここは解禁だと下だけ、嬉しすぎる様々な短編ドラマ。
外人さんは大胆だ。全く隠そうとしない。日本人の黒髪より細くてしなやかで湿度にも敏感なのが金髪と言うのかブロンドと言うのか、ソノ髪の人。濡れるとグッタリ、身体の形そのままを表現する。なんだか異様な程に妖しく、しな垂れてしまうのが六人中六人の髪と、私。
堂々とタオルを手に提げ、肌色に当然を曝け出して爽快に闊歩してくれる日本娘は顔やスタイルまで良く見える。だけに遠慮してしまうお花畑は壮快。
世捨て人も入っていたのに、風呂に温泉を引き入れ注ぐ打たせ湯で仁王立ちになって石鹸まで使い下半身からモロにゴシゴシ洗い出したヤマンバ、泡がコチラに流れて。
高校生だろうか〝脱いだら?〟と頼んだのは海パン。欲しくなったのは頭痛薬。
お尻にティッシュを挟んだまま入ってきたのは若夫婦もどき陽だまりの半分、キレイな女性だったが、自分でも気づいて無いとはいえ・・・。
熱いのを我慢して静かに入っているのに波を蹴立てて入ってくる愚か者。
妻子住む街で稼がずのうのうと虫と語るは虫にも劣り
【八夜 ★抹殺】 よりも 【十一夜 ☆家族】 から
働いたカネだけでとことん遊んだせいか私は下界に求めるモノなど無くなったし、札びらに衣食住さえ死なない程度に有れば良く、みんな要らない。
欲望を断ち切る手段を教えて下さった方が、おられる。
実践した。
まず、大好きな食べ物を一つ選ぶ。普通何人前食べるのか、私は大食漢だから三人前にした。
それを毎日毎日必ず食べなければならない。当然だが食べたくなくなってくる。
ここで止めれば前より酷い欲望まみれの人間になってしまう。だから始めた以上は最後まで続けなければならない。
その食べ物は名前さえ聞きたくないと思い始める。見ただけで吐き気がするようになってくる。そして、酒も飲んでいないのに本当に吐く。
ここまで私はやった。酔っ払った振りをして、外に出て、吐いた。
決して安くは無い食事です。食べれるのは冬だけ。初競りの日から終わりまで店休日を除いて必ず顔を出した。吐くまでには二冬かかりました。
ここまでやると食べ物全般どころか、欲しいと思うモノが全て吹っ切れます。
なんてことなくなる。三十路に入ったばかりの私でした。
今になっても美味しい食事とやらに興味はない。ただ楽しみたい気持ちは他人より強いのかも知れない。
比翼塚に訪れる幾つもの巡り巡る季節へは楽しみたい感覚を大切に、この身を犠牲にして置きに行く。
斬新なユーモアいっぱいの四季は抉り出した互いの素顔でこそ重ねないと、過去の軽さ、浅はかな人間にされてしまいそう。
定住しないと推し量れなかった、み冬たる世界の素晴らしさです。
好い気候に良い消費財に善い環境では、人生に真理に苦悶は探究できなかった。
誰も気付いていないと思える自分だけが経験できる楽しみのために何処まで、この身を過酷に砕けるか、空間に捨てられるかでした。
こんな私の原点を書きます。
ベトナム戦争の時代に西戸崎、雁ノ巣の基地の海兵隊員から貰う〇〇を、辞書の後ろから破っていくページでーーーーー〇っていたがーーーーーした。
直接に米軍が日本から出撃するのは禁じられていたので〝韓国派遣〟が日米で暗黙の了解から命令になっていた。
撤退が検討され始める時期、何人も見送りました。
無事に帰国できたのか、それさえ知らない。
同世代なのに〝祖国のために何ができるのか〟と生死を賭けられる国民性や公民権運動のアメリカを、日米安全保障条約から骨抜きになっていく〝日本人がいうところの平和〟が、みみっちく貪る金銭と、性欲なのに美名で覆い隠した恋愛とに絡めて、みすぼらしくする空ろ舟でぶらつかせる日本に生まれた私の名は、相浦照吉。
本名であり、日本語訳は「〇〇神」の建国と同じ、1948年生まれの団塊の世代です。
「流離う民」とも似せたい苦悩のヤジロベエは、宿命として現在の人間らしさを自分から呼び寄せたのかも知れない。
偶然は必然の裏返し、とも言いますから。
笹筒の朽ちて支えし鉄線花
【十一夜 ☆家族】 から
昨晩、といっても日付けは今日の五日になったばかりの時刻、このグーに投稿したのです。で以ってブログ村に飛んで確認しょうとしたら、これが出来ない。何度やっても「接続中です」のままなんです。左上では小さいのがクルクル回り続けている。
気が付きました。数日前、グーでメールを見ようとしたら何時もではない表示方法される「ログイン画面」になったんです。IDにパスワードを入れました。もう私は気にしないようにしました。
IDにしてもパスワードにしてもヤフーでは変えたってイタチゴッコ。こんなのに神経を磨り減らしていくことこそ、相手の思う壺だと。知られてはマズイ情報は最初っからパソコンには入れません。
具合悪い場合もあるんですが、ここには別の対策を考えています。
今回のことですが、にほんブログ村では始めての経験です。
グーでは過去に編集画面で一度あっただけですが、すぐに元通りになってからは途絶えてます。
しかし、この夜中は酷かった。長い。何度やってもダメ。とうとう「リンク無効」の画面です。繰り返すと明らかに「別に作られた偽のページみたい」になったり、「作る途中のページらしき」になる。急いで作っている感じもあって見え見えにも思えるんです。村にはウラからは入れました。
付き合ってらんないし、ブログ村にお任せして寝ました。寝不足で起き抜けに変な投稿しちゃいました。朝は直ってましたから。
詳しくは情報を提供することになりますから書きません。
しかし別のブログにも書きましたが、そんなカネとヒマがアメリカで有るんだったら、もっと有効な「社会貢献」「福祉」なんてまでは言いませんが他に使い道があるでしょうに。。。
話しを私に戻して、
青春キャンパスでの初めての収入はカートより数週間前に営業を開始したテニスからの数枚の千円札でした。
この価値を私は家族に説いて、一枚づつ渡した。
これは画商として百万の利益を上げた集金より充実していた。少なくない平凡な汗の生活と多すぎない日々の糧を痛感しているのです。
紙幣には利益を求めて増す欲望があり、結果の満足感の前には淋しさも存在し、後には消費する空しさと貯える悲しさも、反面で存立させてしまう。
これを受け止めて頑張る社会が人間たる所以の仕事なんでしょう。
阿蘇における一万円札は大金でした。満ちる心、溢れる喜びを伴なっていた。
しかし画商時代の純益は平均で四千を超えていますが、こんな感情は生まれなかった。この時の飢餓感については「椿灰のブログに『裏千家について』として投稿済みだから、そちらを読んで下さい」
師範の義兄に奪われた資産。離れ離れにして金銭の苦労をかけさせている家族。別れた妻に娘。おかしい七丁目の銀座の画廊との帳尻と貸付の筈の金額。母に妹たちに甥っ子、姪っ子の将来から守れなかった方々から健康を考えなければ、の話しなんですが。だから何もかも考えなければ、の無茶苦茶な話しなんですが。
記憶喪失なんて時期が可能にさせてしまった阿蘇における私です。
ある日、キャンパスの駐車場に黒いポルシェが停まった。わたしは一車種しか知らない珍しいFR、928である。
〇〇ナンバーだ。精神病院の院長だった。
別荘用地を探しているとか、こじ付けからヘタな嘘でロールシャッハ・テストをして帰られた。
誰から依頼されたのか。それにつけても、こんな遠方まで、わざわざ院長みずからとは。
私を抹殺できる手段の一つとして〝精神病棟〟を考えるモノだった。
御山の大将は見知る人脈と地域たる商圏から食み出ないほうがいいと思います。
風冴える冬に沢の山野草を採取したければ、かなづちにタガネまで必要です。スコップでは溶岩を相手にしているようなもの。
花や鍋の向こうは若さ衰えないレーシングカートのピットやテニスコートを持ち、右端のオレンジ色のコートから駐車場からオートテニスまで、噴火口へと登るパノラマラインに沿ってコンマ1キロで寄り添う青春キャンパスは、間に三本の桜を挟んで肩を寄せ合い、寝そべっている。
ピットからのサーキットコースは居間の横をすり抜けて沢沿いのキャンプ場を巡り、一周は六百メートル強となり、カーブでは二箇所に、走り去る目線の上までもコンクリートの路面がせり上がる三次元なバンクまで加わっているし、隣の閉鎖されていた別荘地の立派な道路まで使えば数キロにも及ぶコースとなり、この自由空間は涙の無口が比翼塚の墓地でした。
何か刻んでいたような気もしますが、土木工事で止むを得ずに切り倒したヒノキを裂いた材木で、惑った黄金分割の十字架を無造作に立て、なぜ立っているのか訪問者から尋ねられても理由は心の奥に沈んだままで、なおも気の向くままに傾けていた。
また何故彫っているのか合点もいかずに感じるがままマリア像を拵えていたが、休んだなり。
鎮魂の十字架は下着や敷布を干すのにも使っていたが、これは毎朝の洗濯との関わりの彼女を表現したものでした。これ思い出せた御山の日は頬が緩んでいる。
彼女の医院の看護婦さんたちが、道路沿いの建てていた看板に「青春キャンパス」と一緒に書いていた「画廊」の文字を見て、入場してきた。
「わたしを覚えてませんか」
問われたのですが、
「いや!」
突っぱねる。
その場を足早に、でも静かに離れられた。
「こんなところに住んでおられたんですか」
プレハブを見ながら馬鹿にされると共に昔から、彼女が元気だった頃から住んでいるみたいにも言われたが反発すれば後に続いてしまう。
彼女が生きた証だけなら叫び猛りたい激しさ、山彦のキャッチボールで相手が欲しかったんでしょうが、院長に近い人たちとは顔さえ合わせたくなかった。
だからこその山だった。
真相も言えず、思い出しても苦しむばかりなんてのは真っ平ゴメンだったんでしょう。深層心理が決断していた。
プレハブに戻ってビューローを開き、日記を書き出した私は横目に無言で、
〝迷惑です。帰ってください〟と視線を投げている。
連れと話し合いながら帰っていかれた看護婦さんたちです。
あの時は「すみませんでした」
しかし、わたしが貴方たちを思い出して〝話し〟になっていれば、恐ろしき師範の死から史実で困り果ててしまったでしょう。仕事できなくなる。
それに真相が真相を呼び合って最も怖いのは、姉なる奥様です。
その姉へと〝夫への疑問符を持たせる切っ掛けを作ってはいけません〟と姉さん女房気取りな背後霊が命じていた。
苦しくなった夜がだるい朝を招き寄せ、巡る。
数分の出来事でも何ヶ月もの酒びたりとなる。解かっていた。
いたが、解決策を探せなかった。
〝いってらっしゃい、好い旅を〟
観光客との一見さんで終われる日々に逃げる。
こんな日は守護天使も楽しそうでした。
【八夜 ★抹殺】 より 【十一夜 ☆家族】 から
七回忌となる翌年も七月、心配して様子を見に来てくれた愛弟子ですが御目付けが一人増えていた。それも背広姿の。
友達でもあった目付け役の娘さんが弟子の子の両親に〝わたし〟を報告したらしい。
「自由がない」と愚痴をこぼして射すくめる弟子に、
〝ペコリ〟珍道中だ。
その私がトタン小屋に住んでいたのに仰天している背広を覗き見てしまった私たち三人で、
これまた同じ穴の狢。
別れて、テニス客をペンションに迎えに出る私の車の尻に〝叫び〟が追突してきた、
「あの人は亡霊に取り付かれているのよ。いい加減にしないと御両親に報告しないといけないわよ」
叫ばれた弟子が一人っきりの車の世界も鏡から、
・・・消える。
亡霊たる響きを、やけに嬉しく覚えています。
ふたりとは、これっきり。
迎えに行く車に乗り込む私に目付けの子が言ってた、
「来月の法事の後は一人で来るそうです」
からかわれた弟子が身振り手振りで懸命に否定する中、
「ここにはもう居ないから」
愛弟子を私は突き放していた。
二十日前に土地の売却が決まっていた。残った土地に小屋を移して住み続けるのか、新たに家を建てるのか迷いながらも、
〝下界に降りないと〟
〝子供に会いたい〟
と苛立っていた。
御山を離れるのは天使に別れを告げることになる。会えなくなる、とは心得ていた。八月初めから別荘分譲としての造成工事に入る予定だったんで、業者には七回忌とは言わずに二十五日まで工事に入らないように頼んでいた。ここに住み続けるのは小学校低学年の娘の将来を考えると苦痛で、近くに居てあげたかった。
「道路沿いの森に小屋を移して住むのか、下界に戻るのかまだ決めて無いけど、多分街に帰ると思う」
勇気を振り絞る私に、消え入りそうに悲しく味つけされた弟子の声が沁みてくる。
「仕方ないのかも知れない」
辞世に目眩する錯覚に竦み、拘りは天使を孕んだ。
愛弟子たちは土地の売却の何故も過程も何も知らない。
私と先生との心を発掘しようと試みる愛弟子の風情がまともに見ることができず、思わず背を向けた私の視界に、
〝姉と同じ目線にて祈り溢れる墓碑銘〟の草千里が、
〝連れてきてあげたかった〟この姉の心に沿ってクララと過ごした比翼塚が神妙かつ大胆に飛び込んできた。
あとになって気付くのですが、目に入った瞬間に、
〝院長に対して彼女が生きた証を終わりになんかするもんか〟と誓った自分を掘り起こし、初心に返っての再びにて、
〝花守り〟を決心していたみたいです。
それでこそ比翼塚とも言える。
しかし、
テニス客を連れて戻ったときには、もう愛弟子たちを忘れさせた天使と生きている。
何年も何年も愛弟子たちを思い出すことはなかった。
前の年の六回忌に愛弟子たちと初めて出会ってからの、三ヶ月後に戦争を経験していた。
終わったのは、この春でした。
この娘たちと重ならなかった時期には感謝している。本当に良かった。
私が下界に降りるのは抗争に発展して手打ちがあった三年後の春をも経験した後の、十回忌を過ごした後の九月十五日になっています。
後の月見で名残りの花恥じ入る、人間界は御伽草子。浦島の子な私でした。
8/8
「彼女の本を書きたいと思っている」
わたしは心の中を隠さずに表現した。
「書いてください。わたしにも下さい。じゃ名前と住所を教えておかないと」
この愛弟子には、
「お姉さんから渡されるだろうから」
こう突き放した私の目に、
〝ダメ〟と制止していて〝ほっ〟とした大げさな仕草の目付けと、〝分かっているから〟と目で合図しながらも〝がっかり〟してる、二人の一発芸が面白かった。名コンビだ。
愛弟子の家と師範の家を出版という形で私が結びつけて良いわけない。両家の困惑となる。先々への繋がりも作りたくなかった。その今日だけで充分だ。わたしなりの幼稚でも一期一会です。
さっちゃん、みっちゃん、愛称は知った。これだけの他人。
のちに愛弟子の住所氏名は他から耳に入ってしまうのですが、この今日の予感があったんでしょう、メモは捨てたし、名さえ覚えてはいません。
言えなかったが、出版できる可能性なんて万に一つしか無いと思いつつも、信念と約束だけで〝このブログの原本となる九十九日記〟を〝日に一行だけでも〟日課と決めていた時期であり、彼女だけで書けるなんてのは夢のまた夢。読まれる姉に思いを馳せれば日記の誤字だらけも天気の具合ばかりとなり、悪循環に陥っての堂々巡り。気楽な宇宙に動物に季節にと逃げている。
この娘たちには師範の思い出だけで大切に仕舞って欲しい。クララを先生として同様に慕ってくれる方々とも地元での付き合いが続くわけだから、昔話には自分だけが知っている先生としてくれれば嬉しい。
「法事の後の〝この阿蘇での私との出会いから話し〟が両親に分かったら、もう旅行させてもらえないかも知れない」
言っていた愛弟子だから胸に仕舞っておいてくれるでしょう。
「(私が)姉妹の悪口を少しでも言われたら直ぐに帰るつもりでした」
打ち明けて、
「すみません」
謝っていたが、それで良いんです。詫びなくって良い。自分からは姉妹を話題にすることなんて無かった弟子でした。
この子たちに出会えなかったら私は立ち直れなかった。逢えたのは天使の御陰だと信じている。偽りなく気が楽になれた。こんななか、
「おいしい茶が飲みたい」
呟いてしまった私に、
「いれてあげましょうか」
葉がなかった。
あの日々、
茶室と教会がどうつながっていくのか分かりませんでした。
いま、〝アガペー〟〝神の愛〟とやらの犠牲愛の気がしてならない。
〝最期の一葉が散るのをみたいかのごとくに窓を開ける冷房の効いた病室だった〟と二十四日、二十五日は思い出せても、八月なのか十二月なのか季節から全く分からなくなっていた年月に降りてきた、キューピッドです。
晴れ晴れした心にて、日記の文字が急に増えていく。見つけた正に病床日誌は支離滅裂で、蓋が開いた日本語らしき羅列はアホ色の金閣炎上に水没していた。
夏下冬上も正に逆さ富士の噴火でした。
(下記は俳句とかではありません。〝水面に〟絵文字がわりも接着剤のつもりです)
なでしこや波を舫いて今朝の月
それから昨日の投稿で最後に〝自分を殺さなければいけない生活もある〟と書いてるのは、あれ〝男の場合〟ですからね。
二十年足らずの短い期間で妊娠、出産、子育ての束縛から約束事を生まれながらに契約している女性は逆ですよ。男に〝その生活〟を強いる、強いれる女、強いても男が甘んじてくれる、そんな女性になってほしいという舞台裏の投稿が前後に在るんですからね。男は一生でも、女性には遊んでられる時間って短いから。
ーおわりー
7/8 へと 【十一夜 ☆家族】 から
娘たちは私に経過した歳月を数えたみたいですが、飲み下した。
この年頃の女の子にしては珍しく好い出来具合に育っていたし、裏千家からフランシスコ修道会を彷彿とさせて生き返らせてくれる活力だけに素敵であり、これはこのまま優しくて素直な師範の大きさになっていた。
横着な書き方が続きますが〝子を見て、親を知る〟みたいな大らかな大気に包まれていました。
「・・・・・湯灌~破瓜・・・・・」
(読み方に意味を辞書どころか考える必要もありません。私にしてみれば書かざるを得ないし、世の中には知らなくても良いことが在るという教訓です。今日の書きたい内容は他にあります。この漢字なんて無視して読み流せますから)
歯止めが利かなくなっている。交わしてはならない場面までも、ラジオのDJばりに成り上がっていた。
「いい加減にしてよっ。ふたりともおかしいわよっ」
御目付けから強く意見されたが、思い悩ませてしまった愛弟子なのに、なおも庇ってくれました。恥ずかしい。
お弟子さんは情の細やかな、思いやりに溢れる人でした。
私が何年もの間、一人で我慢して誰にも言えずに苦しんでいるのを見て知り、じっと聞いていてくれたのです。
短く、そんな言い回しが燃えた弟子です。おもむろに、
「亡くなった後、こんなに何年も思っていてくれる人が居て、先生は幸せ。わたしにもこんなに思ってくれる人がいるかしら。やっぱり先生が好きになられた人」
自分の言葉も心の色で・・・歌ってくれました。
最高の表現力です。ありがとう。
今の私が在るのは、ふたりからの、これほどの栄養素を取り入れられたから。
ですが当時は性犯罪から記憶喪失の存在に気が付いていなかった訳ですから、実際は〝私が先生を思う〟意味が数本の線路になって交差したり離れたり複雑なのが事実です。ま、ここはどんな恋愛にも似ているでしょう。
「わたしは親が決めた人と結婚しないといけない」
淋しそうな弟子でした。この暗さに御目付けの笑みが何んとも似合う世界に住んでいた愛弟子です。
師範も似ている世界の軌道を歩かなければならなかった上での運命になったんですよ。
(今日このブログを読んでくれている人の中には、お金持ちを羨み、お金持ちの家に生まれたかったと考えたことがある人も居るでしょう。この〝世界〟は本当に今でも存在するんですよ。どちらが幸せなんでしょうか。悩み抜き、考え抜く価値はかなり大きい今日のブログの内容にできたつもりです。少なくても忘れないで居て欲しい言葉です。知らなくて良い意図、知る必要が有る意味、この二つが一回で書けた貴重な体験談です。理屈でも御託でもありません)
この重すぎる苦しさを吹き飛ばそうと、
「さっさと抱いてれば死なせずに済んだ」
「違いますよっ」
はっきり、ふたりしての独唱です。
「いや、早く抱いてあげていたら良かったんだ」
再び強く言い切る私に、
「違う・・・・・と、思いますけれど・・・・・」
ふたりの明言は弱弱しくなるが、戸惑いながらも互いに励まし合い、共鳴を誘い合う微笑みで身を奮い立たせ、言い表せている。
これ以上、私は話題にしなかった。
わたしは当時も今も、ここは同じで、抱いていれば死ななかった、死なせなかったと確信している。
揺るぎない自信に漲る力強さがある。当時も在りました。
愛弟子たちらしさに敬意を示し、突っ込みたくなかったし突っ込む必要も無かったってこと。
この場面では〝先生は純潔だった〟真実の持つ意味を愛弟子に教える方が大切だったんです。
自分を殺さなければいけない生活もある。
6/8 へと 【十一夜 ☆家族】 から
戸籍上から不文律と化す入籍原因ある院長だと知らなかった私にしてみれば、いや、全ての知らない人から観た場合、
「(彼女を)家に住まわせてやっている」
この院長の言葉こそが正しい認識と世間であり、姉妹が反社会的な人間たちになる。
ここから院長に同情もしてしまった私が、咲いて落ちる二つの命を持つ本来の花椿に生きようとした彼女を惨たらしく殺してしまったんだ。
私さえ・・・・・、
わたしが見舞いにくるのを毎日毎日待っていた・・・
滞空時間に重力に押しつぶされたくないと、
「ボクは好きだったんだよ。でも妻子持ちなんだ。お姉さんや姪っ子さんはボクを憎んでおられる。
『見舞いには行くな。行っても無駄だ。家族の問題だ。嫌われるから行くな』と言われていた。みなさん、思い違いしておられる。
彼女が会いたがっている。会える、なんて知らなかった」
休まず一息に胸の煙を吐き出せました。
「どうしてお姉さんに話さなかったの? わたしが言ってあげましょうか」
「彼女は喜ばない。あんなに仲が好かった姉妹だから、もう彼女はお姉さんの幸福を願っているはずだ。今のボクには彼女を悲しませるような真似はできない」
この私へと愛弟子が、
〝コクリ〟答えてから眼差しを伏せるのは、わたしがはっきり答え終わるのと、ほぼ同時でした。
「離婚も出来ないだろう」
付け加える私の言葉に、
「じゃ誰が悪いの?」
「ボク!」
すぐさま問い掛けに答えた私の、
ふたりとも朗らかに笑ってくれて訪れた高気圧の爽やかさに小躍りできる胸を割った女と男の受け持ちから持ち場に位置は、クシャクシャに崩せる目鼻立ちどころか入院後の長い長い苦しみも何もかも一発で解放してくれた。
「(院長には)人には守らねばならないものもあって、重圧もあったんだろう。立場だったんだろう」
なんて言えた私は〝ずいぶん御山で年を取った〟
言った途端に家族が浮かぶ。自分でも驚愕に耐えない自身を持て余した私で覚えています。
・・・言葉に溺れていた。
〝姉は大切にしてくれるだろう〟とは言ったものの、頷いた愛弟子とは裏腹に全く自信は無かった。
が、しかし、口が滑る軽さなく、気重に・・・道を塞いだ。
この年月において、姉と院長の夜の営みどころか彼女に対した性描写は完全に私の記憶から抜け落ちたままだったんです。
楽しかった思い出だけを、七夕で思い出せただけでした。
5/8 へと および 【十一夜 ☆家族】 から
この子たちは確かに正しい。が、
「それじゃ、家に住まわせ・
あっ!! 息もピッタリ、デュエットする楽器の二人です。
弦楽器で低く沈む楽譜を黙読する。
・・・・・・・・・・・、
沈黙を破る溜め息は三人での呼吸が一つになって見事な三重奏した。
「わたしも不思議に思っていました」
静かな、愛弟子の、自身から納得させる独り言でした。
重々しい、人間界の骨子を震わす響き、一刀両断です。
長めに、浮き世の風さえ凍りついた雄弁に勝る沈黙を友たる隙間で抉じ開け、にじり寄った目付けに深まっていた無言の問い掛け、
〝そうなの?〟に、
〝わたしも!〟と、
頷き返す大人の女性たちでした。
あの家を知る人で、戸籍上から不文律と化す入籍原因ある院長だと知らずに面識も無いという人に会えるのは初めてでした。
それだけに姉妹まで新鮮な、汚れなきトライアングルからの新しき音色。
不文慣習に従って居られた〝師範と私〟の周囲の方々は、
存在した慣習の内容を知らない外の世界からは、
[姉妹が一緒に住んでいる]
これだけで疑問を抱かれる。と、気づいておられたのでしょうか。
恐ろしき慣れか、脇の甘さか。
この、抱かれる疑念の存在、
裏千家も師範は、クララな生き方は知っていた。
姉は、気付いてなかった。
院長は、義兄は、夫は分かりすぎていた。そして、だから利用できた。
「家に住まわせてやっている。ーーー。
「ーーーーー。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
・・・余命2週の告知どころか、乳がんの細胞さえ、病室における毎週末の性暴力だって、ここから始まっていくんだ・・・
わたしと、死を待つだけの床、
「産まれてこなければ良かった」
「そんなに嫌われてしまったの」
なんて彼女が言い残した言の葉を御山で探求します。
記憶喪失になっても当然の私だったんでしょう。
【茶は家族にて】
奥深き意味、もう一度、考えたい。
4/8
岩風呂は真ん中を壁と誂えた竹垣が邪魔をしている。腰湯にしかならない数歩目で小さくなっていると、垣根越しに御目付け役が守り刀で切り下ろしてきた。
「はい」と、わたしは返す。
ずんずん歩いていく奥には男湯女湯の仕切りが無いのである。双方から割り込める混浴になっていた。つまり、覗きどころか会いに行ける。これを以前から見知ってたんで奥まで歩いて行けなかったのである。行かない裸を楽しんでも居た。
台風の目に入って好い湯かげんも三人ぽっちです。一味の雨なのに見上げる曇り空へと、間、髪を容れずも茶目っ気に竹刀を返した男の音量に目付けを責める弟子と笑いが臨場感に増して熱気を帯びる。
〝私の居る場所を確かめた御目付けだった〟
更に熱くなる湯気を切り裂き、突き当たりの打たせ湯までは歩き出したかったが両の膝を辛く抱えていた。しっかり仕事する目付けであり、なかなか好感が持てた。それにつけても弟子の娘はホントーーーーーにカワイカッタ。ピッタリ、好みそのものだった。
わたしが覗かれたのではないだろうか。
この娘たちを誤解が言い汚さないように付け加えるが、男湯とは分かれている露天だと決め付けて入っていた。
わたしも聞かれない限り教えない普通の心根の持ち主だ。脱衣所に繋がる長い石畳どころか手前の門構えの引き戸から、混浴になっているなんて及びも付かない構えだった。男女別々が当然の顔見知り程度も混浴狙いの恋人たちをも引き裂いても、歩む先は鞭と飴の魔界に化していた。
「(あの家では)彼女だけがキリスト教だった」
「だから仏壇が変わっていたのね」
私は見たことが無い。たまらなく切なかった。
しかしながら一直線に天使の部屋に夜這いをかけられる喜びと戸惑いの大波に見舞われる私をサーフボードが未知数の師範へと押し出す幸せに包まれていた。
この前夜は弟子との別れの後ろ姿から、深まる夜は夜で夜泣きの赤ん坊みたいに、夜明けは寝起きの空間で天使を追いかけ回していた。
そして、この日に風呂上りの弟子は限界を読む時空に身を置いて、聞き役に徹する。
わたし一人で喋り捲り掘り下げる万分の一から、
「あの人は養子だったんだよ」
〝不吉な言葉や行いは忌み慎まなければいけません〟
な感じで娘たちは顔を見合わせ、頷き合いながら怒りの眼差しで私を見据えた。
それは本末転倒も甚だしく、ましてや戸籍に関わる秘密で風潮の一を成してはならないたる世間の常識を破り、個人的な嫌悪感の有無に無理矢理くっつけて、話題を身勝手な位置へと膨らませようとした過失で咎める四つもの強く焼けた眦でした。
この子たちは確かに正しい。ならば、
「・・・・・・・・・・、
「・・・・・・・・・・・・。
「(姉妹を性で汚してはいない。その記憶から無かった)・・・・・。
あっ!! と二重奏する。
深き三重奏の溜め息が、鈍い黙読に続く・・・
3/8
孤立した男の私は、
ヒヨロ、立ち上がり、フラフラ、壁も天井もない土間の応接間、大きなバーベキューのテーブルの側、手作りの長椅子に戻って、
ヘタ、座り込んでしまう。
少しして、気にかけてくれたのだろう、朝風みたいに歩み寄ってくれた娘たちと話し始めるは爽やかさが、止まり木に渡った。
クララの弟子という純粋な立場の人とならば、それも遠方、膨らむ桔梗色の満足感だけ取り出せるかも、と一気に期待した。わだかまりなんて知らない筈だから、とも後ずさりしそうになる気持ちを拭い去れた。
この数週で思い出せたばかりの過去を閃光が照らし出し、破天荒な初舞台の緞帳を上げる今日は六回忌法要の翌日だった。
「テニスなんてどうでも良い」
優に優しい弟子の娘と薄暗くなるまで話し込んだ。
横合いから、キッチリと口を挟む、なかなかしっかりした娘の方は、弟子の両親から御目付け役を仰せつかる友達だった。
近くのペンションを予約していたので御目付け役だけチェックインで先に入ってもらい、弟子と二人だけで花を咲かせる。わナンバーで一足先に離れる御目付け役が、私と山の中で二人っきりになる弟子を心配していた。
二人の掛け合いを思い出すと笑える。
夕食時の呼び出しに応じて送る道は上り坂でした。
興奮しだす西日の、飛び離れて優れだす草葉の影が邪険な透明人間の罪を分身で引き回し、吸い寄せる陰が暗幕で隠さない、隠し切れない、隠しおおせる時でした。
なぜトタン屋根の組み立て住宅もキャンプ場そのものにした小屋に住んでいるのか完璧に理解していたばかりか、その言い回し持つ決まりごとも自然の妙には驚かされた。まだ二十歳ちょっとなのに流石の弟子である。
・・・彼女を観た。
翌朝、少し前から土砂降りも黒髪の山を下り、昨日より一時間ほど早めの十時頃、約束通りにやってきた。
あまりにも気持ち良くって早くから目が覚めている。澄み渡った空に朝霧のしめやかさと共に待ち構えていたら、二十五年ぶりという大型台風十三号が先に来た。
お尻をツルツルのタイヤでモンローウォークさせながら、山道は黒川温泉の露天風呂まで縫い、遅い夜まで三人で過ごす。
【八夜 ★抹殺】 から
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坂本繁二朗画伯の絶筆となる<幽光>を天空に観た先月七日が切っ掛けとなり、星の落とし子な入院前の色音ばかりを紐解く日々が立ち続いてくれる、その日も話しかけて日常が始まった八月の鼓動から生まれた会話でした。
いきなり〝昨日に出席できない白々しい法要〟を御山から俯瞰するのです。
ここからです、吹き抜き屋台となった〝家〟から甘さ控えた未完の大器だけを、互いに院長夫妻を除いた師範だけの思い出話で終始できた三十六時間でした。
もし、この娘との出会いがなければ私は間違いなく堕落していた。
桜月から秋風の月、幽閉される御山も朧に晴れてきて、やっと彼女を探し出せる阿蘇でした。狂いの五年は長かったぁ。
「逢わせてくれるんだ」
マリッジリングなる必殺の天使の虹彩に素通しになる行き交った師範との百夜が悪戯っぽく笑む。
噴煙が大気に語りかける其色月は晩夏を見つける天蓋の下『青春キャンパス』と名付けた野外劇場で第六幕が神妙に開いた。
四十路も迎えようとする荒れ肌を忘れさせる週末の騒ぎが治まり、のんびり起きだした月曜の閑散とする風の朝。秋の気配を聞きだす二十五日、わナンバーの車が駐車場に停まる。
閑居を回転軸として忘れていたり思い出したり、磁極は揺れる。
視野に入る扇面の天地が常の舞台。
パイプカットの下半身麻酔から痛む背を主軸としてざわついていたのは師範だったと、この一ヶ月余りで思い出せていた。昨日が、五才になる天使の誕生日でした。
テニスコート横を下り、ふたりの娘がこちらに歩いてくる。花道みたいな明るさで。
「テニスをさせてください」
呼びかけられた私はラケットや靴を貸し出しながら何時ものように話しかける。
「何処から来たの?」
「両親の名代で茶の先生の法事に来たんです」
私の動きが止まる。靴を落とし、押し黙ってしまう。後に聞いたのだが瞬時に顔色まで変わったらしい。
「どうされたんですか?」
つい私は娘たちの一人に尋ねてしまう、
「〇〇さん?」
「どうして知ってあるんですか?」
中の一人が驚き、かなり動揺している。
もう一人からの〝なぜ?〟な顔つきに、
「有名だから」
友達に答えてあげた娘は、その娘と小声で話し合う仲となった。
「八夜 ★抹殺」 から
記憶喪失といったら良いのか逆向性健忘症といったら良いのか分かりませんが、
「ここは何処、わたしは誰」
と、なっていた阿蘇での生活だったのは本当です。
生きているのか、死んでいるのか。
食事したのは何時だったのか、今日は食べたのか。
陰膳をしているが、誰の膳なのか。
こんなところで何をしているのかも分からない。そんな毎日でした。
こんな私を助けてくれたのが師範の愛弟子との偶然の出会いであり、殺し合いの渦中に叩き込まれての緊張感です。
このどちらが欠けていても自分を取り戻せた今の私は無く、落ちるところまで堕ちていた私だったと思われます。
ブログ、【夏下冬上】は閉鎖して、【椿灰】に移しました。
タイトルが〝御山〟から数回分の投稿は自分でも良く分かりません。記憶を回復していく過程の数年で書き溜めていった日記から写したものです。その数回分を書いている時の私は未だ本来の自分を取り戻せてはいなかったと思われます。
しかし、それを過ぎるとだんだん欲が出ているのです。つまりキレイに書こうとか、見栄えを考えたり格好つけるどころか読みやすい文章にと文才もないくせに無理押ししている。叫びではなくなっている。
76枚ある原稿用紙の未だ8枚目となる最も酷かった時の日記です。これらには書き直しようがないのも多いんです。すべてが真実であり、意味不明の漢字に文脈でも真相として晒します。都合の良い投稿だけで誤魔化す生き方はしません。
他に何枚あるのか分かりませんが、肉体の〝自然との一体化〟できた雪の結晶から音色のダイヤモンドダスト、鳥獣戯画から隠れん坊している夜空(未投稿)など今の感覚に書き直せた投稿も息抜きとして織り交ぜながら投稿していきます。
「六夜 ★病室」 から
≪形見なの穢れぬうちに升に落ち 永久に息づけ実践理性の≫
盆まえから危篤状態が続いていた。
映画みたいな花嫁(昨日の投稿)にはなれなかったが、
避けられない歴史に生きた。
暁にならない時刻、
精気窄める灰器に・・・
八月二十五日、夜明け前、永眠。享年二十八歳と一ヶ月。
謙遜と服従の教義を貫いた。
「許せん」
血潮は猛々しく煮えたぎる。
「今になって・・・・・何を言うのか・・・・・
ふたつとない春花秋月、そうこう肝要な音域は天界に生まれ立ちそうになって聞き始める。
「(こうして居る)」という映像化だけの入院中が消え入りそうになる真っ只中、
「(彼女が私に)会いたがっていた」なる言葉を聞いた。
何を言ってんのか、さっぱり分からなかった。
「(哀れな妹)」呟いた。
彼女に対する同情っぽい言葉はこれだけだ。
が、これにしても真意が何処にあったのかは分からない。
私が思うに〝院長自身が彼女にした性犯罪〟を思い出したのだと考える。
【十一夜 ☆家族】 から
≪桔梗色そびれる支度まどわかし ツバキ常夏きわなし雫≫
ともあれ究極の心遣いを姉は考案されるが、これも余りにも私を侮るというか、私を知らないというより、〝お金の使い方をご存じない〟育ちの成すところと、きつい書き方になってしまいますが、ブログの特徴を考えたら書かざるを得ない。
それは、内々での結婚の式。意図は私の見舞いの実現と、妹へのはなむけ。
・・・・・鬼さんこちら、手の鳴るほうへ・・・・・
・・・・・こっちのミーズはアーマイゾ・・・・・(こんな歌、ありましたよね)
が、これも義兄の反対で断念されている。これはこれで良いが。
院長、夫の言いなりにならずに電話一本、
「なぜ見舞いに来てくれないんですか」とぶちまけて下されば、
「見舞いに行っても良いんだ」と私は判断して、すっ飛んでいった。
が院長の言いなりに落ちぶれて〝見舞いに行ってはいけないんだ〟と決め付けてしまった私が一番悪い。
何十億か知らないが、たかがカネのために。
悲しすぎる。
昨日の投稿【バラの花束】にしても・・・・・
【カネは不幸を退ける道具物】(最新記事で投稿済み)は座右の銘になってしまいました。
奇妙不可思議なんてもんじゃない。かわいそう、でも片付けられない。
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我が家では家庭争議にもならなかった。
忌み嫌われ、私は骸(むくろ)、生きる屍(しかばね)。
私との会話は、内鍵の取り付けられた大学病院の病室における恐ろしい性犯罪という毒牙に結わえ付けてしまう。
条件反射なのか、普通の会話も消え失せる。
八月に入っていた。
お盆になります。迎え火に送り火、きつい日々が過ぎます。
「どうせ助からないのだから勉強を」と遠方の大学に行っておられた長男が帰郷されていた。