【昭和の男たちには、たしかな「顔」があった―読者アンケートの結果と著名人が綴る賛歌・文藝春秋抜粋】
「母娘で寺尾に夢中・吉行和子(女優)」
昭和も終わりに近づいた頃、日本中をさわやかな男の美で充たしてくれたのは、何といっても、寺尾関です。
最初はテレビで観て、心が洗われる思いがし、両国国技館に駆けつけました。寺尾さんの白く張りのある肌は、取り組みがはじまると青白くなり、その色っぽさといったらありませんでした。人間を飛び越えて、美の塊となり、私の中にとんで来ました。
こんな美しい男がいてくれたのだ、と私は感謝しました。貴花田に負けた時、タオルを叩きつけ批難されましたが、この目で見ていた私としては、わかるわ!と一そう好きになりました。
現在百歳にある母のあぐりも大ファン、今は錣山部屋の力士たちを、声を上げて応援しています。
小父さんが、ずっと以前に福岡のボーリング場に行ったとき、ふと、横を見上げると、それはそれは大きな寺尾関がジャージ姿で気取らず立っていた。データーを見るとと身長186cm、体重117kgとある。なるほど大きい。
ところが、土俵にあがると、なんとも貧弱な体つき、小さいというイメージが強かったなー。ひょろひょろで得意技、突っ張りという感じなのか。はらはらさせながらも、観ている者にその気迫で多くのフアンを多く作っのだろう。本当は、どの力士も同じように一生懸命なんだが、寺尾のそれは印象に残る。やさ男みたいな甘いマスクのせいなんだろうか。本当は父・鶴ヶ嶺のスパルタ教育で鍛え抜かれた三兄弟(兄ふたりも力士)の三男なんだが。確かに存在感があった。最後まで人気力士だった。
吉行さんは豊真将の後援会なのかな?
寺尾関、なつかしいですね。特にファンだったという事はなかったのですが福薗、逆鉾との兄弟力士という事、私の祖父母が鹿児島出身という事で注目していました。ちなみに私の祖母は若島津のファンでした(笑)。
寺尾関、昔は一番素敵だなと思っていました。
並ぶと腰の位置がダントツに高かったような・・(笑)
何、見てるんだか・・(笑汗)