須磨寺時代の作品。
放哉としては比較的明るさがある時期ではありますが、時折こういった気が塞ぐこともあったのでしょう。負のエネルギーで満ちたような句です。
須磨寺は、須磨の浦で有名な風光明媚な場所に近いところにあります(源平の「一ノ谷の合戦」の由来の地でもあります)。街は、夏の海水浴客はもちろんのこと、年中を通して名勝の地には人が絶えなかったはず。そんな場所で生まれたこの句の”淋しさ”とは一体何だったのか。
人が集い賑やかな場所ほど、一人で生きねばならぬ者にとってはより深く孤独を感じてしまうもの。光が強ければ強いところほど、それと表裏一体である闇は深く冷たいのです。この世は光と闇を各人に平等に配るわけではありません。闇を一心に背負い込んで暗澹たる思いを抱えつつある放哉も、きっと耳を塞ぎたくなる時があったに違いないのです
障子を締めきり、陽の光も吹き渡る海風さえも遮ってしまっても、人々の声や鳥のさえずりは漏れ聞こえてきます。それさえも聞くまいとする放哉の部屋の中は淋しい想いだけが沈滞し澱んでいくようです。やがて外のあらゆる”陽”のエネルギーを拒否するような”陰”のエネルギーが立ちこめ・・・ああ、なんと切なく絶望的な空間であることか。誰かが悪夢から覚ましてくれるのを待つしかない放哉です。
(http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/index02.html尾崎放哉の俳句を味わうサイト)
長い人生、時として自分のことを誰もわかってくれないと思うことがある。それは友達だったり、職場だったり、サークルだったり、親族だったりする。小父さんもユニークな人間のようだから(自分で自分は分からない)、何回も変人扱いもされるし、仲間はずれになったり、「言いたいことは分かるけど、現実ばなれしてないか?」などど異端視されたこともある。
若い時のそんな仕打ちは軽い。と言っても、最近は若者の犯罪や自殺も軽いことからも起こっている。だけど、生きる上での行き詰まりが、歳とって押し寄せてきたら悲劇だろうな。今風に言うなら、「インターネット上で村八分になったら、ブロバイダーを解約してしてしまって、淋しさを断ち切る」しかないだろう。
小父さんのブログを読ませていただくようになって、初めて知った尾崎放哉・・・淋しさをみたして、何を考えていたのでしょうか。自分が孤独に思えるとき、人の幸せそうな様子を目にしたくなかったのでしょうか。私もよく変ってるね・・・と言われますが、一人でも分かってくれる人がいれば淋しくありませんよね。しみじみと、考えさせられてしまう句ですね。
そやそや。
だげど、思い悩みそこから抜け出れるというのも人間ならではの贅沢でしょう。
「一人でも分かってくれる人がいれば淋しくありませんよね」
そーや。
ぼーっとしているのも贅沢ですよね。ああ小父さんは放哉に生まれなくてよかった。すぐに満ち足りて、贅三昧できている。