横濱kabitanの、あれこれ話

横浜トリエンナーレ中心にした横濱文化歴史紹介しています-このブログは子供に有害サイト見せない運動を応援しています。

一日遅れの,ポケモン映画「白き英雄&黒き英雄」鑑賞文

2011年08月03日 02時40分41秒 | ポケモン映画

:原稿ナシで書いていますので,筆足らずでしたらすいません:

 最初に,やはり2本同時公開は小さなお友達にはかなり酷な事をしている気がします・・・実は,大きなお姉さんの私もジブリの「コクリコ坂から」と重なったのでどちらを先にしようかと思いっきり悩んでしまいました。←結局,横浜トリエンナーレ学校と予定が重なったので,「コクリコ坂」を見てから映画の日でポケモンを連続みましたが・・・
 「アニメにおいての2本同時」は,私が知る限りはこれが世界初ではないでしょうか?原作ゲームはこれまではアニメの基本設定という立ち位置からBWになってからは極めてハードな物語になり,それを逆に湯山監督がそれに合わせてサトシと敵役の立ち位置を入れ替え見せるという映画としては極めつけの制作・上映に踏み切った点では支持したい所ですが上映方法がやはり見る側にとってはかなりきついものがあります。ジブリのように長期上映しないと,見切れないと思います。そういう対策は,されているのでしょうか?私がいつも見に行く,ワーナーマイカルみなとみらいでもどれを見るかでお母さんと子供の揉め事見てしまいました・・・でも,そこでは同じ所で黒と白差し替え上映していましたが(映画の日での組み合せは,白・黒と入れ替えぞれぞれ2回のみ上映)・・・。
 
 映画については1日間が入ったので少々勢いがない感想になってしまいますが,「白き英雄」は間違った理想が真実によって正すという正統派ですが,「黒き英雄」は真実の一部だけを見てそれを信じてしまった敵役をサトシが理想でさとすという内容は時間が立つほど私の頭の中で何かが膨らんでいくのを感じます・・・真実と理想は,人として大事なものでもあるけれど勝手に走りだしてしまえば,皆,とんでもない方向に進んでしまう・・・これは,湯山監督がパンフレット冒頭で「ゲームでも主人公がそれぞれ立場が入れ替わるので,今回はそれに習って造ってみました。それぞれ1本として成り立ちますが,2本見て本当のテーマが見えてくるようになっています」といった事を述べていました。確かに「白き」は本当に伝統的展開の仕方ですが,「黒き」を見た時今までの考えにぐらつきのを感じました。そのぐらつきは,時が経るにつれてどんどん大きくなってきました。≪真実という意味は,本当はどうなのか?ただ,真実ばかりを求めずしっかりとした理念(理想)を持って真実に当たらなければならないのでは?≫と,5年以上このブログで時代に隠れてしまった事柄を発掘・発表してきた自分の行為をもう一度考え直す事にもなりました。
 小さなお友達には,話的には難しく早いかもしれないかと思いますが≪立場が変われば≫という普遍的なテーマを皆で話して合ってみたくなる素晴らしい内容でした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿