2010.10.20(水)
常に歩いていないと不安になる症候群になったのかもしれない
今日は少し重たい足をひきずって昨日の仕事疲れが残る中を大阪駅桜橋口になんとか
7:30 の発車に間に合う
しめしめ、、席は二人分を独り占めだ、、これでしっかり睡眠がとれる
荷物も手元におけるし~~~
いつもの紀ノ川SAに寄って覚醒せぬ間に田辺ICを降りて
富田川沿いに先月の終点地の草堂寺さんの駐車場に到着
今日の添乗員さんは先日、南奥駈を一緒に歩いた方だ
あの熊野本宮大社にゴールした時の記念写真を頂戴する
写真嫌いのワタシでもこれは大事な記念になる、うれしいな、、♪♪
軽くストレッチして地元の語り部さんにご挨拶して、、、、
おやおや、これはこれは、早速のお土産に記念タオルを頂いたうえに熊野古道大辺路押印帳に
富田坂の記念スタンプを押したものまで頂戴する
世界遺産に指定される以前からこの富田坂を愛し大切に整備して保存に努めてこられた方です
謙遜して詳しい歴史は語れませんが古くより語り継がれた事柄や道の案内はお任せくださいと
紹介される
前回に訪ねた草堂寺の右手の石段を上がり竹やぶの数十メートルを行くと石碑が建っている
今、歩いてきたここまでが世界遺産ですの説明に皆がえ~~といぶかしむ
どうやら昔のままに保存するのがきびしいらしくこれから先はまた、ところどころに世界遺産に
指定された場所が現れるとのこと
世界遺産に指定されるというので綺麗に石畳を敷きなおしたところ除外されそうになり
慌てて元の荒れた状態に戻したというエピソード
熊野は古より全ての人を受け入れてきたところ
この石碑は道で行き倒れにならないように困ったらいつでも訪ねるようにとの
案内板の役目を果たしていたのだそうだ
草堂寺の門前集落の庄屋さんの心意気がうかがわれる
地元の方々の理解のうえに成立する古道整備のあり方、、ご苦労が多いようです
一里松跡
一里置きぐらいにその昔は松が植えられており名残の名称が残っている
ここまできて結構な御歳のご夫婦の奥様が歩くのは無理となり
バスに戻ることとなった
生憎、今回はバスは離れ目的地に回送となり一度も待機する所はないので
添乗員さんが付き添いバスに連絡して戻られる
そうなると殿を行く者が暫くいないので
誰か我と思わん者はと希望者を募るも誰も無し
うんじゃ~~仕方ないわね~~
と、南奥駈のご縁でおタケさんが請け負うことにしました
お人よしですね
暫くご主人に付き添い最後尾からゆっくりと歩きながら
お話をお伺いすると
北海道にも行けたし今回も企画の会社に確認を取ってきたとのこと
観光じゃないですからね~~、これから峠道や山道を上り下りしますが、、、
ま、ご主人はお達者なようでなんとかなりそうです
それにしても有に喜寿の坂を越えておられるようだし
考えてくださいな~~
自分の将来を思えば切ないけど・・・・
峠の茶屋跡へと古道は続きます
スズメバチが出入りしていますよ
静かに足早に皆んな通り過ぎます
近年になってその重要な位置関係が明らかになって保存に向かってるらしい
山城の跡への登り口
ここを右にみて直進します
林道を暫く進んでいよいよ峠の七曲へさしかかります
ひとつふたつみっつと数えながら五つ目に差し掛かったところで
右手の方から登ってきてこれから左手へ登りますがワタシのいる位置、つまり手前の方に
道がわずかに確認できます、ここを上がって行くと今でいうところの溶鉱炉、昔のたたらの跡が
あるそうです、山深いこの紀州の山地も出雲にも劣らない製鉄の技術があったそうです
良質の燃料の木材が豊富だったからですね
古道は道幅が広く歩きやすいですがこれも行幸の砌には輿に乗って
上皇や女御たちが通われたからでしょうか
それにしても結構な所帯での移動だったでしょうから
仮の休憩所や宿泊所などを作るためにも人足が入用だったことでしょう
などと一人思いにふけりながら時に語り部さんの
羊歯の飛行機飛ばしに興じたりしてきつい七曲りを登り終えます
さすがに添乗員さん南奥駈ではガイドされただけに早いです
あの奥様を無事バスに送り届けて追いついてこられました
ここでおタケさんの役目は終了!!
これからは歩きに徹します、、、、、、、今までと何も変わりませんが、、、位置関係の修復
語り部さんの直ぐ後ろを行かないと肝心な話が聞き取れないですもの
この標識は数年前にどこかのご婦人が
意を決して山中に日が暮れて入山して
彷徨い結局恐くなって助けを求められた時に
携帯は幸い繋がったのですが
居場所が判らなくて救助の方々も難儀されて以来400メートル置きだったかな?
設けられたそうです
今ではあちこちの山でも見かけるようになりましたね
そうそう、済州島のハンラ山でもみかけました
12:30 頃
峠の茶屋に着く少し手前で白浜方面の展望を前に昼食です
どよ~~んと曇ってますが肉眼でははっきりとアドベンチャーワールドも
空港の滑走路も見えてます
秋刀魚寿司、めはり寿司、
柴漬けのおむすび、ぴりからこんにゃくの煮たん、etc・・・
15品目はありますね
いただきま~す
ごちそうさま~~
紀州の殿様のご紋、一枚足りぬが、、、、
峠の茶屋跡
大正時代まで3軒の茶店があったげな
ここでお生まれになった女性がお一人今も
元気に町で暮らしておられるそうな
いや施設だったかな??
割れた石臼だけが昔日を語っています
ところどころに古い年代の記された石碑や建立した人の素性が刻まれた石碑が最近になって
古道整備とともに発見されています
ここでやっと今日の終点
安居の渡しの標識が出てきました
ここからは下りになります
急なくだりになるのでゆっくりと降りて行きましょう
安居辻松峠
お地蔵さんはお不動さんのようにも見えますが
ここからは富田坂の保存会の管轄を離れ日置川町になります
下りがきついのでなかなか進みませんね~~
先日の◇◇Kの放送で歩く人がこれが道~~と言ったのでさっそく綺麗に伐採して整備されていると
語り部さんが笑っていました
舗装の急坂をショートカットしながら降りて行きます
この眺めは時に雲海が見られる程素晴らしいそうです
ちなみに山の所有は右一帯全て個人の持ち山~~~
峠を降りてきて目に止まった標識
すっご~~い!!
我がふるさと~~♪♪
今も噴煙をたなびかせているんだからネ~~~~~
2万年も昔からここに同じ地層が・・・
うれしくなっちゃう
この先には昭和30年代まで集落があったが今は廃村となっているとのこと
集落の出入り口にはやはりここも庚申さんが祀られていたようだ
三ヶ川の梵字塔も不思議だ
平坦な道に出て右を流れる???水無川だ
三ヶ川は伏流水となって日置川に注いでいる
ウバメガシを焼いた炭焼き小屋??
煙突は竹でないと木搾酢が出来ないのだとか
その仕組みは
竹だと煙突の先に行けば蒸気が冷えて水滴になって落ちてくるのを搾取出来るが
トタンだと熱くなって冷えず蒸発するのだとか、、、、
あまり説明を聞いてなかったので、というのも
苦手な茶色い三角の頭の長~いのが丸まっていたので50mダッシュしてしまった
左手に行けば小森梅林もあって2月には花が楽しめる場所のようだ
ようやく大きな道路と交差して日置川が蛇行している地点に到達
木材で出来た立派な小学校を過ぎて
バスの待つ安居の渡しの駅に到着
16:00 過ぎ
お疲れ様~~~
雨が待ちきれなくなって落ち始めました
次月にここから渡し舟に乗って対岸に渡り、仏坂を越えて行くんですよ~~~
楽しみですね~~~
そういえば今回はひとつも王子社がなかったなぁ?????
と思いながらやがてバスの中で貴重な睡眠をとる
阪和道をどう走ったのか記憶にないが家に22:00頃に着きました****sss
常に歩いていないと不安になる症候群になったのかもしれない
今日は少し重たい足をひきずって昨日の仕事疲れが残る中を大阪駅桜橋口になんとか
7:30 の発車に間に合う
しめしめ、、席は二人分を独り占めだ、、これでしっかり睡眠がとれる
荷物も手元におけるし~~~
いつもの紀ノ川SAに寄って覚醒せぬ間に田辺ICを降りて
富田川沿いに先月の終点地の草堂寺さんの駐車場に到着
今日の添乗員さんは先日、南奥駈を一緒に歩いた方だ
あの熊野本宮大社にゴールした時の記念写真を頂戴する
写真嫌いのワタシでもこれは大事な記念になる、うれしいな、、♪♪
軽くストレッチして地元の語り部さんにご挨拶して、、、、
おやおや、これはこれは、早速のお土産に記念タオルを頂いたうえに熊野古道大辺路押印帳に
富田坂の記念スタンプを押したものまで頂戴する
世界遺産に指定される以前からこの富田坂を愛し大切に整備して保存に努めてこられた方です
謙遜して詳しい歴史は語れませんが古くより語り継がれた事柄や道の案内はお任せくださいと
紹介される
前回に訪ねた草堂寺の右手の石段を上がり竹やぶの数十メートルを行くと石碑が建っている
今、歩いてきたここまでが世界遺産ですの説明に皆がえ~~といぶかしむ
どうやら昔のままに保存するのがきびしいらしくこれから先はまた、ところどころに世界遺産に
指定された場所が現れるとのこと
世界遺産に指定されるというので綺麗に石畳を敷きなおしたところ除外されそうになり
慌てて元の荒れた状態に戻したというエピソード
熊野は古より全ての人を受け入れてきたところ
この石碑は道で行き倒れにならないように困ったらいつでも訪ねるようにとの
案内板の役目を果たしていたのだそうだ
草堂寺の門前集落の庄屋さんの心意気がうかがわれる
地元の方々の理解のうえに成立する古道整備のあり方、、ご苦労が多いようです
一里松跡
一里置きぐらいにその昔は松が植えられており名残の名称が残っている
ここまできて結構な御歳のご夫婦の奥様が歩くのは無理となり
バスに戻ることとなった
生憎、今回はバスは離れ目的地に回送となり一度も待機する所はないので
添乗員さんが付き添いバスに連絡して戻られる
そうなると殿を行く者が暫くいないので
誰か我と思わん者はと希望者を募るも誰も無し
うんじゃ~~仕方ないわね~~
と、南奥駈のご縁でおタケさんが請け負うことにしました
お人よしですね
暫くご主人に付き添い最後尾からゆっくりと歩きながら
お話をお伺いすると
北海道にも行けたし今回も企画の会社に確認を取ってきたとのこと
観光じゃないですからね~~、これから峠道や山道を上り下りしますが、、、
ま、ご主人はお達者なようでなんとかなりそうです
それにしても有に喜寿の坂を越えておられるようだし
考えてくださいな~~
自分の将来を思えば切ないけど・・・・
峠の茶屋跡へと古道は続きます
スズメバチが出入りしていますよ
静かに足早に皆んな通り過ぎます
近年になってその重要な位置関係が明らかになって保存に向かってるらしい
山城の跡への登り口
ここを右にみて直進します
林道を暫く進んでいよいよ峠の七曲へさしかかります
ひとつふたつみっつと数えながら五つ目に差し掛かったところで
右手の方から登ってきてこれから左手へ登りますがワタシのいる位置、つまり手前の方に
道がわずかに確認できます、ここを上がって行くと今でいうところの溶鉱炉、昔のたたらの跡が
あるそうです、山深いこの紀州の山地も出雲にも劣らない製鉄の技術があったそうです
良質の燃料の木材が豊富だったからですね
古道は道幅が広く歩きやすいですがこれも行幸の砌には輿に乗って
上皇や女御たちが通われたからでしょうか
それにしても結構な所帯での移動だったでしょうから
仮の休憩所や宿泊所などを作るためにも人足が入用だったことでしょう
などと一人思いにふけりながら時に語り部さんの
羊歯の飛行機飛ばしに興じたりしてきつい七曲りを登り終えます
さすがに添乗員さん南奥駈ではガイドされただけに早いです
あの奥様を無事バスに送り届けて追いついてこられました
ここでおタケさんの役目は終了!!
これからは歩きに徹します、、、、、、、今までと何も変わりませんが、、、位置関係の修復
語り部さんの直ぐ後ろを行かないと肝心な話が聞き取れないですもの
この標識は数年前にどこかのご婦人が
意を決して山中に日が暮れて入山して
彷徨い結局恐くなって助けを求められた時に
携帯は幸い繋がったのですが
居場所が判らなくて救助の方々も難儀されて以来400メートル置きだったかな?
設けられたそうです
今ではあちこちの山でも見かけるようになりましたね
そうそう、済州島のハンラ山でもみかけました
12:30 頃
峠の茶屋に着く少し手前で白浜方面の展望を前に昼食です
どよ~~んと曇ってますが肉眼でははっきりとアドベンチャーワールドも
空港の滑走路も見えてます
秋刀魚寿司、めはり寿司、
柴漬けのおむすび、ぴりからこんにゃくの煮たん、etc・・・
15品目はありますね
いただきま~す
ごちそうさま~~
紀州の殿様のご紋、一枚足りぬが、、、、
峠の茶屋跡
大正時代まで3軒の茶店があったげな
ここでお生まれになった女性がお一人今も
元気に町で暮らしておられるそうな
いや施設だったかな??
割れた石臼だけが昔日を語っています
ところどころに古い年代の記された石碑や建立した人の素性が刻まれた石碑が最近になって
古道整備とともに発見されています
ここでやっと今日の終点
安居の渡しの標識が出てきました
ここからは下りになります
急なくだりになるのでゆっくりと降りて行きましょう
安居辻松峠
お地蔵さんはお不動さんのようにも見えますが
ここからは富田坂の保存会の管轄を離れ日置川町になります
下りがきついのでなかなか進みませんね~~
先日の◇◇Kの放送で歩く人がこれが道~~と言ったのでさっそく綺麗に伐採して整備されていると
語り部さんが笑っていました
舗装の急坂をショートカットしながら降りて行きます
この眺めは時に雲海が見られる程素晴らしいそうです
ちなみに山の所有は右一帯全て個人の持ち山~~~
峠を降りてきて目に止まった標識
すっご~~い!!
我がふるさと~~♪♪
今も噴煙をたなびかせているんだからネ~~~~~
2万年も昔からここに同じ地層が・・・
うれしくなっちゃう
この先には昭和30年代まで集落があったが今は廃村となっているとのこと
集落の出入り口にはやはりここも庚申さんが祀られていたようだ
三ヶ川の梵字塔も不思議だ
平坦な道に出て右を流れる???水無川だ
三ヶ川は伏流水となって日置川に注いでいる
ウバメガシを焼いた炭焼き小屋??
煙突は竹でないと木搾酢が出来ないのだとか
その仕組みは
竹だと煙突の先に行けば蒸気が冷えて水滴になって落ちてくるのを搾取出来るが
トタンだと熱くなって冷えず蒸発するのだとか、、、、
あまり説明を聞いてなかったので、というのも
苦手な茶色い三角の頭の長~いのが丸まっていたので50mダッシュしてしまった
左手に行けば小森梅林もあって2月には花が楽しめる場所のようだ
ようやく大きな道路と交差して日置川が蛇行している地点に到達
木材で出来た立派な小学校を過ぎて
バスの待つ安居の渡しの駅に到着
16:00 過ぎ
お疲れ様~~~
雨が待ちきれなくなって落ち始めました
次月にここから渡し舟に乗って対岸に渡り、仏坂を越えて行くんですよ~~~
楽しみですね~~~
そういえば今回はひとつも王子社がなかったなぁ?????
と思いながらやがてバスの中で貴重な睡眠をとる
阪和道をどう走ったのか記憶にないが家に22:00頃に着きました****sss
やはり歴史満載の熊野古道は実際歩かないといけないようですね~
と、その前に南奥駈道を完歩しなければ
常に歩いていないと不安になる症候群
そうかもね(笑)
でも健康で、いいですよ!!
何かにせっつかれてるようなきがするのでしょうか?
なんとなく分かる気がしますけれど。
人に迷惑かけてるわけじゃなし、気が済むまで歩きましょうよ^^
だから・・・主婦失格してるから時間が空けばどこででも寝てるんです、、着の身着のまま~~(笑)
南奥駈歩くときは稚児の森まで一緒に連れてってね~~~(^^)
それってまたの症状を徘徊というらしい(^^;
昨年から思うところあって身体に相談しながら出掛けています
2リズムの澤熊講師ツアーに参加したらいいのに~詳しいよ~
せかされているような気もしないではないのですが、、、
足腰が動いてる今、目に焼き付けておきたい風景がありすぎて
そのうち人様にお世話になる日がきますが。。。。
羨ましい症候群いいです、元気そうで。
あっ 又出て来た 姶良の 文字 そして 記事の中に見つけた かごっま弁(あったげな^^)熊野古道 いいね ポチ
峠は左程にキツイとは思わなかったのですが、安居の集落に下りて日置川沿いの車道が辛かった。
思い起こしながら名解説を読んでま~す。
名解説に☆ポチッ!!
ははは、、、滋養のある長い紐・・・薩摩女ナノニ キライ?ナノ?
車に乗れば・・・zzzzzz~~笑・・・眠り姫だね~~笑
何が嫌かと言われれば長~い物(巻かれたくないもんで~・笑)
ホントに車はゆりかごですから、、、、墓場までね~~
すっとばしてゴメンナサイm(8--8)m
いや~~自分なりに最、勉強してから取り組むべきなんだけど・・・
行動が先なもので~~(^^;
勉強嫌いだから学んでもすぐ忘れるち体感すれば満足ですよ~~
でも一度参加してみようかなぁ~~
スキップしてすんもはん(~~;
ふるさとの文字や言葉に出会うとすぐにバイリンガル発揮ですよ~~
最近は嬉しくてね♪
ちょっと前まではなるべく秘密にしておきたかった(笑)
故郷帰宅願望症候群も発症しているみたいです~~
もちろんリポートも詳細で恐れ入るばかりです。ぽち~☆
私なんかは、一回山に入ると、翌数日間は村の平坦地を歩いて足腰をほぐします(^^ゞ
あれもこれも書こうとするからなかなかまとまりません
下北山の平坦地といえばスポーツ公園あたりですか??(^0^)
熊野古道も行きたいのですが~何せ時間が無くて(^。^;)
おタケさんの記事で勉強させてもらいますね(^-^)/
タフしか取り柄がないんです・・笑・・
勉強にはなりませんよ~~歩いた記録で中身がないですから
しかし これだけのフォトとるの 体力相当使うと思いますが、
たいしたものです。
熊野古道 歴史街道見ているみたいでよかったです。ポチ
そういえば最近遭遇していないのでよかったぁ~。
熊野古道はこれから季節も良く歩き易いでしょうネ♪
このツアー会社のこだわりで必ずその土地の物を使って土地のお弁当屋さんで調達されます、、それが毎回楽しみですよ(^^;
写真を撮るのは気を遣います、歩きの邪魔をしないか、語り部さんの
目障りにならないか、etc・・・
でも綺麗な花や景色には皆さんがお許しくださいます
田舎で男子に学校帰りに尻尾を掴んで振り回して追いかけられた苦い思いと飼っていたひよこを青大将が・・・・・やめとこ・・・
熊野古道歩きも今月で日帰りも終了で来月から1泊になります
一昨年予定したのですが、事情が出来ていかずじまいでした。
いつか行くぞ~ と思っています。
ようこそです
熊野古道は鼓動が昂ぶりますよ~~^^